湘南発、六畳一間の自転車生活

自転車とともにある小さな日常

アル中予備軍

2017年06月12日 | 日常生活
 酒量は多くないほうである。家で飲むのは月に350缶2本程度(最近微増しつつあるが)。外で人と呑むときは気兼ねなくと思っているけれど、せいぜいジョッキ1~3杯。さらに人と呑む機会じたいがかなり少ないので、アルコールの摂取量は相当少ないほうではないかと思う。元々酒好きではないし、体質的にも強くない。少ない許容量をオーバーすると、頭が痛くなったり、気持ち悪くなったり、睡眠の質が顕著に悪くなったりするので、そんなにアルコールを飲みたいとも思わないのである。

 ただこの日は違った。なんとなく買った缶酎ハイ。度数9%の白葡萄サワー。いい感じで酔っぱらった。坂元裕二のドラマ“woman”でその存在を知り、いい俳優さんだと記憶に刻まれた高橋一生が出る“鶴瓶の家族に乾杯”を、笑うところでもないような気がするのに、気づけばケラケラ笑いながら観ていた。妙に気持ちはハイで、とっても楽しい。頭が痛くなることもない。気持ち悪くもない。そしてそのあととてもよく眠れた。ふわふわした感覚に包まれたとても愉快なひとりの夜だった。

 と、それはそれで素晴らしいアルコール体験だったのだけど、人はこのような経験を経て依存していくのではないかと心配になった。パチンコやスロットがなかなかやめられなかった時期あるし、他にも自分のなかに依存の気は確実に存在しているように思われる。さらに、伊坂幸太郎の“マリアビートル”というかなり面白かった小説の巻末にあげられている依存症に関する参考文献を2冊読んで、依存したらよろしくないものには極力近づかないにこしたことがないと強く思うようになった。繰り返される行為と安易にもたらされる快感によって脳の神経回路が変容し、結局のところ自分の意志ではどうにもならなくなってしまうというのがほんとうに恐ろしかった。

 そんなわけで、楽しい気持ちになれたのはいいのだけど、飲酒量を増やすということは絶対に避けねばと思うのである。ランニングとか自転車とかボルダリングなんかに関しては依存してもそんなに害はない気もするけど、こちらは義務や拘束を感じながらだったりするので、それはそれで純粋に楽しめているわけではない気がするのが残念である。二郎に関してはかなり依存気味ではあるけれど、幸いそこまでタフな胃袋を持っていないようなので助かっている。