ゆうゆうの教会便り

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「テサロニケの信徒への手紙 一」

2017-12-15 16:29:01 | 聖書
「テサロニケの信徒への手紙 一」を読み始めました。 わずか5章という短い文書です。

「聖書事典」の解説から ******************
「テサロニケ信徒への手紙 一」はパウロ、シルワノ、テモテによって、パウロによって建てられた
テサロニケの教会宛てに後50年に執筆されたものと推定されるので、新約文書中最古の文書であり、
パウロの七つの真正書簡中最初の書簡である。
(「テサロニケの信徒への手紙 二」はパウロの名によって、パウロの弟子によって書かれたものと
推定される)

テサⅠの終末論は、主イエスの来臨を間近に待ち望んでいるという点では、将来的終末論という要素がある。
しかし、そのことは決して主イエスによってすでにもたらされている終末論的な恵みの現在がこの手紙には
認められないということではない。
むしろ主イエスの来臨を将来の出来事として待望するとともに、主イエス・キリストに在るテサロニケの
兄弟たちが神に選ばれ、愛され、すべて光の子、昼の子であるという恵みの現在に生かされていることを
パウロは認めて感謝している(テサⅠ 1:2-4:9,5-5)
この手紙には未来的終末論が支配的であるという説もあるが、この手紙には、まさに近づきつつある
将来的終末論と共に、すでに終末的な恵みの現在が示されているので、両者の関係は二者択一ではなく、
両者併存の緊張関係にあると解される。テサⅠ 5:5はあきらかに現在的終末論を表している。

(中、略)

テサⅠにはもちろん間近に迫った将来的終末論が生き生きと示されている。
だからと言って、現在的終末論はまだ示されていない、等ということは少なくともこのテキストからは言えない。
***************************************

!ハイ、分かりました、多分!
神様を信じて生きている毎日の毎時間、私の心は満たされています。
もちろん、不安に襲われ鬱々と過ごす時間もたくさんありますが、面と向かって問われたら「私は神様に
依って満たされている」と答えます。
つまり「終末的な恵みの現在を自覚している」と自分では思っています。
聖書を読む恵み、神共に在りと信じて祈りながら生活できる恵み、感謝です。
しかし、フト、こういう信仰を、神様を知らない友人知人隣人に一体どうやったら伝えられるのかな~
と考えます。 
ほとんど焼け石に水状態ですが、私は、友人知人隣人との会話に(できる時は)必ず私の信仰、
私の神様のことを話すようにしています。 一方的な働きかけは全く実を結びませんね~。
困難、艱難に出会った友人知人隣人から何らかの働きかけがあったら、お互いに引き付けあって
神様の存在を伝えること、知ることができるのかもしれません。

面白い牧師さんのブログを見つけました。
時々「ヤケのヤンパチ」のように見えたりして笑ってしまいますが、言わんとするところ、その志に
拍手したいです。日本のキリスト教、クリスチャンはなんとなくエリートっぽいのでしょうか。
いつもキャアキャア笑いあっているお隣の奥さん、私の妹、一緒にカラオケに行く仲間、お稽古ごとの
仲間たちにキリストによる本当の平安を伝えるには・・・・・・・私は時々考えます。

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冬の夕暮れ、自然はなんと美しいのでしょう。
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