ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「怖れず迎えよ」

2017-12-09 16:39:27 | 説教
12月3日(日)主日礼拝 説教
テキストは「マタイによる福音書」1章18節~25節
タイトルは「怖れず迎えよ」でした。




『2017年という年を振り返れば、人類のファミリーヒストリーは多くの血を流し、
憎しみの炎に油を注ぎ、力なきものの声に耳をふさいで、新たなる的外れな歴史に
ページを加速度的に加え続けてきましたし、その中を生きる私たちのパーソナル
ヒストリーとて、胸をはって誇ることはできない、平静を装った表情の陰に深く疼く、
負わされた傷の鈍い痛みをたたえながら、だれも入らせない、神様さえ拒絶するような、
自分一人で恥じている物陰に、本当の孤独の淵に、罪と死の果てにある、醜悪の極みを
刻んできた。』

『そこにこそ、聖なる方が降ってこられ、死を滅ぼし、罪を贖い、孤独を癒し、恥を
そそぎ、痛みを身に負い、憎しみに裂かれ、怒りに血を流して、インマヌエル神共に
いますを貫かれたことを、もう怖れず、迎え入れるものとされるのです。もはや私たちは
隠れ場に身を隠す必要はなく、そこから贖いだされて、新たなる命となすべき務めが
与えられていることを聖書は告げているのです。』

う~む、あまりに激しくおのれの罪深さ(醜さ)人間の罪深さをあからさまにされると、
なかなか立ち上がれず、次に述べられている救いの言葉が心に入ってこない。
神様への信仰無くしては生きて行けない、ただただ神様に依りすがっている私。
気力萎えているときには「怖れずに迎える」ことも難しい・・・・・ハァ~~
幼子のようにすべてを神様にお委ねして心穏やかに生きて行けたら「怖れる」ことも
無いのかもしれませんね~

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山茶花の蜜を吸う<ヒヨドリ>
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