ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「コヘレトの言葉」

2015-06-20 10:12:01 | 今日の聖句
旧約聖書は今、「コヘレトの言葉」を読んでいます。

1:2~7
コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。

太陽の下、人は労苦するが、
すべての労苦も何になろう。
一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。


4:2~3
既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。
いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。
太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。


神様から大いなる恵みを受けていることを忘れたことはありません。
人間として普通に生活できる幸せを感謝しています。
それでもなお、何故、老病死苦を背負う人間として生まれたのか、埒もない思いに打ちのめされそうなことが度々です。
神様に見つめられていなかったら、神共にいまさば、私は今以上に苦しく、空しい思いに囚われていることでしょう。

「コヘレトの言葉」についての「聖書事典」から・・・・
コヘレトの言葉の思想の特色は、冒頭の言葉に見られるように、一切は空しいことに根底を置いている。
これは現実の透徹した認識であって、単に「なんという空しさ」という詠嘆を意味するものではない。
一切のことがめぐり巡って循環しており、一定の確固たる目的があるものとは思えない。
「かつてあったことは、これからもある」そして、「太陽の下、新しいものは何ひとつない」と断定している。
にもかかわらず、コヘレトは神を畏れ敬うことを否定しているのではない。
むしろ、結局神を畏れ敬うことのみが根本的に重要であることを確認しているのである。 (木田献一氏)

願わくば、神との「的外れな関係」に陥りませんように祈る者です。


<アブ>の仲間。 少々ピンボケです。


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