讃美歌271番 「いさおなきわれを」
1)勲(いさお)なき我を 血をもて贖(あがな)い
イェス招き給う み許(もと)に我ゆく
2)罪科(つみとが)の汚(けが)れ 洗うに由(よし)なし
イェス清め給う み許に我ゆく
3)疑いの波も 恐れの嵐も
イェス鎮め給う み許に我ゆく
4)心の痛手に 悩めるこの身を
イェス癒(いや)し給う み許に我ゆく
5)頼りゆく者に 救いと命を
イェス誓い給う み許に我ゆく
6)勲なき我を かくまで憐れみ
イェス愛し給う み許に我ゆく
作詞;Charlotte Elliott (1789-1871)
作曲;William B. Bradbury (1816-1868)
**********************************************************************
この賛美歌は、今までに作られたどの賛美歌よりも多くの人の心に感動を与え、影響を与えてキリストに導いてきた。
この歌詞は、ひとりの病弱な婦人の心の中に生まれた。
彼女はこの詩を、自分は無価値だという激しい感情と絶望の中で書き記した。
作者のシャーロット・エリオットは、1789年3月18日、イングランドのクラファムに生まれた。
何の苦労もなく若い日々を過ごしてきた彼女だったが、30歳を過ぎた頃から健康が急速に衰え、
たちまち寝たきりの病人となり、その残りの生涯を過ごすことになった。
健康が衰えるとともにひどく落ち込むようになったが、1822年、エリオット家への、有名なスイスの伝道者
シーザー・マラン博士の訪問がシャーロットの人生の転機となった。
シャーロットの霊と感情の問題のカウンセリングにおいて、マラン博士は、「世の罪を取り除く神のもとへ、あなたは、
ありのままの姿で一人の罪人として来なければならない。」という真理を彼女の心に刻みつけた。
その日以来ずっとシャーロットは、マラン博士が彼女をキリストとの個人的な関係に導いた日を毎年祝った。
なぜなら、彼女はその日を彼女の霊的な誕生日であると考えたからだ。
彼女は、この讃美歌の歌詞を、回心から14年後の1836年になってはじめて書いたが、彼女が友人である博士の言葉を
決して忘れることは無かったということが、博士の言葉がこの賛美歌の真髄となっていることから明らかである。
シャーロットは82歳の長寿を全うしたが、その健康は回復することなく、悪化する健康状態に忍耐することがしばしばであった。
彼女は自分の病気についてある時こう書いた。
「神が、神のみがそれが何であるかをご存じです。毎日毎時、打ち負かされそうになる弱さと無気力と消耗の身体症状と戦い、
その身体症状が私に要求する怠惰や憂うつや情緒的不安定といった気ままな生活に身をゆだねず、
むしろ、『人もし我に従い来たらんと思わば、己を捨て、日々己が十字架を負いて我に従え』という私のモットーに従って
毎朝起き上がることの何たるかを。」
また、ある時は「神はご覧になり、神は導き神は私を守って下さる。 神の恵みが私を取り囲み、
神の御声は絶えず私に、私が今なす神への奉仕において幸福で聖くあれと命じられる」と書いている。
この讃美歌は書かれた1836年に「病者の賛美歌集」の第二版に収録され出版された。
そこには彼女の作品が115篇載せられた。
彼女はこの賛美歌を、牧師をしている兄弟がブライトンに建設しようとしていた貧しい牧師の子供たちのための学校を
建てる経済的な援助になれば、と願って書いた。
シャーロットはこの尊い計画を助けるには自分はあまりにも無力だと感じていたが、おもしろいことに、
牧師の病める姉妹の筆から生まれた、この一つの賛美歌はバザーなど彼が計画したすべての企画を併せたもの以上の基金を生み出した。
全部でほぼ150編の賛美歌を書いた彼女は、英国の女流賛美歌詩人の中で、最も優れた者のひとりとみなされるようになった。
彼女の死後、世界中から寄せられた個人的な手紙の中に、この一つの賛美歌が、彼らの生涯にいかに重要な意味を持つかを
綴った感謝状が一千通以上発見されたと言われている。
メロディーは、有名な福音音楽家であるウィリアム・B・ブラッドベリーによって作曲された。
この曲は最初、“The God of Love Will Soon Indulge" という賛美歌につけられたものであったが、
後に、トーマス・ヘイスティングによってブラッドベリーの曲とシャーロットの詩が結び付けられた。
この讃美歌の唯一の主張は、私たち信者がよく覚えておくべき事は私たちの永遠の立場と神との平和とは,私たちの功によらず、
ただキリストの功績によるという事です。
*************************************************************************(以上、解説はネットからの引用です。)
讃美歌271番はココをクリックすると聴かれます。
"Just as I am, without one plea(一つの弁解もせず、あたあるがままに)" という原詩のタイトルが歌われています。
キバナコスモスに止まった<ツマグロヒョウモン(♀)>
野鳥も蝶もほとんど(♂)のほうが綺麗ですが、ツマグロは珍しく(♀)の方が派手ですね。 (^-^)
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
健康な私なのに毎朝、『弱さと無気力と怠惰と憂鬱の情緒的不安定といった気ままな生活に身を委ね』たくなりながら目覚めます。
『神の御声は絶えず私に、私が今なす神への奉仕において幸福で聖くあれと命じられる』
信仰弱き怠け者の私! 耳を澄まして神様の御声を聞き取れますように!
1)勲(いさお)なき我を 血をもて贖(あがな)い
イェス招き給う み許(もと)に我ゆく
2)罪科(つみとが)の汚(けが)れ 洗うに由(よし)なし
イェス清め給う み許に我ゆく
3)疑いの波も 恐れの嵐も
イェス鎮め給う み許に我ゆく
4)心の痛手に 悩めるこの身を
イェス癒(いや)し給う み許に我ゆく
5)頼りゆく者に 救いと命を
イェス誓い給う み許に我ゆく
6)勲なき我を かくまで憐れみ
イェス愛し給う み許に我ゆく
作詞;Charlotte Elliott (1789-1871)
作曲;William B. Bradbury (1816-1868)
**********************************************************************
この賛美歌は、今までに作られたどの賛美歌よりも多くの人の心に感動を与え、影響を与えてキリストに導いてきた。
この歌詞は、ひとりの病弱な婦人の心の中に生まれた。
彼女はこの詩を、自分は無価値だという激しい感情と絶望の中で書き記した。
作者のシャーロット・エリオットは、1789年3月18日、イングランドのクラファムに生まれた。
何の苦労もなく若い日々を過ごしてきた彼女だったが、30歳を過ぎた頃から健康が急速に衰え、
たちまち寝たきりの病人となり、その残りの生涯を過ごすことになった。
健康が衰えるとともにひどく落ち込むようになったが、1822年、エリオット家への、有名なスイスの伝道者
シーザー・マラン博士の訪問がシャーロットの人生の転機となった。
シャーロットの霊と感情の問題のカウンセリングにおいて、マラン博士は、「世の罪を取り除く神のもとへ、あなたは、
ありのままの姿で一人の罪人として来なければならない。」という真理を彼女の心に刻みつけた。
その日以来ずっとシャーロットは、マラン博士が彼女をキリストとの個人的な関係に導いた日を毎年祝った。
なぜなら、彼女はその日を彼女の霊的な誕生日であると考えたからだ。
彼女は、この讃美歌の歌詞を、回心から14年後の1836年になってはじめて書いたが、彼女が友人である博士の言葉を
決して忘れることは無かったということが、博士の言葉がこの賛美歌の真髄となっていることから明らかである。
シャーロットは82歳の長寿を全うしたが、その健康は回復することなく、悪化する健康状態に忍耐することがしばしばであった。
彼女は自分の病気についてある時こう書いた。
「神が、神のみがそれが何であるかをご存じです。毎日毎時、打ち負かされそうになる弱さと無気力と消耗の身体症状と戦い、
その身体症状が私に要求する怠惰や憂うつや情緒的不安定といった気ままな生活に身をゆだねず、
むしろ、『人もし我に従い来たらんと思わば、己を捨て、日々己が十字架を負いて我に従え』という私のモットーに従って
毎朝起き上がることの何たるかを。」
また、ある時は「神はご覧になり、神は導き神は私を守って下さる。 神の恵みが私を取り囲み、
神の御声は絶えず私に、私が今なす神への奉仕において幸福で聖くあれと命じられる」と書いている。
この讃美歌は書かれた1836年に「病者の賛美歌集」の第二版に収録され出版された。
そこには彼女の作品が115篇載せられた。
彼女はこの賛美歌を、牧師をしている兄弟がブライトンに建設しようとしていた貧しい牧師の子供たちのための学校を
建てる経済的な援助になれば、と願って書いた。
シャーロットはこの尊い計画を助けるには自分はあまりにも無力だと感じていたが、おもしろいことに、
牧師の病める姉妹の筆から生まれた、この一つの賛美歌はバザーなど彼が計画したすべての企画を併せたもの以上の基金を生み出した。
全部でほぼ150編の賛美歌を書いた彼女は、英国の女流賛美歌詩人の中で、最も優れた者のひとりとみなされるようになった。
彼女の死後、世界中から寄せられた個人的な手紙の中に、この一つの賛美歌が、彼らの生涯にいかに重要な意味を持つかを
綴った感謝状が一千通以上発見されたと言われている。
メロディーは、有名な福音音楽家であるウィリアム・B・ブラッドベリーによって作曲された。
この曲は最初、“The God of Love Will Soon Indulge" という賛美歌につけられたものであったが、
後に、トーマス・ヘイスティングによってブラッドベリーの曲とシャーロットの詩が結び付けられた。
この讃美歌の唯一の主張は、私たち信者がよく覚えておくべき事は私たちの永遠の立場と神との平和とは,私たちの功によらず、
ただキリストの功績によるという事です。
*************************************************************************(以上、解説はネットからの引用です。)
讃美歌271番はココをクリックすると聴かれます。
"Just as I am, without one plea(一つの弁解もせず、あたあるがままに)" という原詩のタイトルが歌われています。
キバナコスモスに止まった<ツマグロヒョウモン(♀)>
野鳥も蝶もほとんど(♂)のほうが綺麗ですが、ツマグロは珍しく(♀)の方が派手ですね。 (^-^)
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
健康な私なのに毎朝、『弱さと無気力と怠惰と憂鬱の情緒的不安定といった気ままな生活に身を委ね』たくなりながら目覚めます。
『神の御声は絶えず私に、私が今なす神への奉仕において幸福で聖くあれと命じられる』
信仰弱き怠け者の私! 耳を澄まして神様の御声を聞き取れますように!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます