ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

今日の新聞から・・・

2021-05-02 19:57:51 | 今日の聖句
日曜日の朝刊は教会から戻って読むことにしているのですが、今日(5月2日)の朝日新聞朝刊、
心に残った記事がいくつかありました。
今日のブログは新聞の切り抜きです。 手抜きかな?<(_ _)>

1面 「失踪村=ベトナム人技能実習生」
途上国への技術移転という名目で安い労働力として働かされている、と指摘されてきた技能実習生。
その半数以上がベトナム人だ。工場で働く日系ブラジル人ら外国人が多く住んでいる群馬県から埼玉県
にかけての一帯に、各地の実習先から失踪したベトナム人が、知り合いを頼ってたどり着くという。
それに関する取材記事。

3面 「日曜に想う=頭を上に、核を見据えよ」
英国では3月に発表された外交安全保障政策が見直され、現在180発と見られる保有核弾頭の上限を
260発に引き上げるとの方針を明らかにした。 そのことに関してのヨーロッパ総局長の記事。
何千発も持つ米ロに比べると地味な動きだが、軍縮に熱心だと思われていた英国が方針を転換したと
して、議論を呼んだ。こうした核戦力重視の傾向は英国にとどまらない。冷戦後主役の座から降りた
はずの核兵器がここ数年、軍事外交戦略の要として復権しつつあるという。核兵器を遠い世界の存在だと
感じていたのは単なる勘違いで、のんきに構えていた間に、その影はひそかに背後に忍び寄っている。

22面 「声なき声に耳澄ます」
朝日新聞社の大久保真紀編集委員に日本記者クラブ賞が贈られました。
受賞理由:「中国残留日本人、虐待された児童、性暴力被害者など、様々な社会的弱者の実態を長期間に
わたって取材し、新聞記事や著作で報じてきた。その手法は、徹底した現場主義に貫かれ、当事者と信頼
関係を築き、その肉声を伝えてきた。取材対象に「限りなく近く、しかし、同化せず」の基本姿勢や粘り
強い取材は、時代を超えたジャーナリズムの原点であり、後進の目標になる業績である。」
この受賞理由を読んだだけでは、あまり心動かされませんが、これまでを振り返って書かれた大久保記者の
思いや、読者から寄せられた感謝の手記、そして小川糸さん(作家)の寄稿を読むと胸が熱くなります。
小川糸さんの寄稿は・・・・
「世の中が平和でありますように。大久保さんの書かれる記事にはごくごく当たり前の祈りが込められて
いるのだ。だからこそ、読む者の胸に言葉がじんわりと響くのだろう。どうかいつまでも、しなやかに戦う
人でいてください。」と結ばれています。

24面 「感染爆発=向き合った米の底力」
4年間の米ニューヨーク(NY)駐在を終えて、2度目の緊急事態宣言が解除された3月21日に、東京へ
帰国した記者が見たアメリカ(NY)と日本(東京)のコロナ感染対策の相違についての感想記事。
徹底した一斉在宅勤務への切り替え、PCR検査やワクチン接種がコンビニに行く気軽さで受けられる、初の
死者が確認されてわずか2週間で、市内の展示場が1千床の臨時病院に衣替えしたなど次々と繰り出された
NY市の対策。公立学校では月2,3回は検査があり、無症状の陽性者が1名出たときはクラスメート全員が
2週間の隔離を命じられ「自宅での隔離が難しければ快適なホテルを用意します。食費、交通費、医療費は
無料。買い物の代行ほか、あらゆる困りごとに対応します」と市から児童の家には電話が来た。
経済面でも、失業者への対策を含めて日本のGDPに匹敵する規模の財政支出を決め、家計への現金給付も
成人一人当たり最高約35万円にのぼる。
世界最悪の犠牲を出した米国の対策をどこまで参考にするべきか、議論があろうが、対策が小さすぎて後悔
するくらいなら、過大になってしまう弊害をあえて選ぶという姿勢。
それに比べて国民の命と財産をなんとしても守る・・・そんな気迫に欠け、中途半端な策を小出しにしてきた
日本。重症者や死者が欧米に比べて少なく「結果オーライ」の面もあったが、今まさにその「結果」が危うく
なって来たことを3度目の緊急事態宣言は示す。 と、記者は書いています。
コロナの脅威が増す中で、日本はオリンピックを敢行しなくてはならないのでしょうか。
どの時点でどなたが、世界を納得させるどんな理由を挙げて「ヤメ!」の号令を出すのでしょう。


コロナ禍で憂鬱な日々だからでしょうか、楽しい出来事について行けない気分に負けそうです。
気がつくとため息が、気がつくと眉間にシワが・・・
世界規模の新型コロナウイルス・パンデミックの中、呑気に軍備を競ったり、国と国、民族と民族で争ったり、
温暖化の所為か気候は激しく厳しくなり・・・・
本当に!世の中に背を向けて、いくらでも後ろ向きになれそうな自分がいます。
後期高齢者であることを言い訳に、座って聖書を読み、祈るだけの自分も許せない気分です。
全てを見通しておられる神様は許してくださるでしょうか。
今こそ、全ての造り主である神を信じる信仰を与えられている恵みを感謝せずにはいられません。


今日の聖句は 「ローマの信徒への手紙」 14章7節~8節です。
「わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。
わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。
従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。


パァ!と華やかに、爛漫の<ヤマブキ>の花です。
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