その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋工房(プラタナス)

2012-11-03 10:11:54 | 夢屋工房

本日は、自由と平和を愛し、文化をすすめる日…「文化の日」の土曜日であります。今年もまた皇居で行われる「文化勲章」親授式に呼ばれることはありませんでしたが、夕方からビールを片手に「全日本剣道選手権大会」を友人『ノロ君』とテレビ観戦することになるでしょう。折角の国民の祝日なのに、土曜日と重なり休日が一日減ってしまったことだけが惜しいと思われる『夢屋国王』であります。
「文化の日」なのだから、何か文化的なことをしなければならない…しかし、我が家には、秋の収穫祭にさっさと出掛けて行った「オッカー」に居残りを命じられて拗ねている我が家の『柴犬コウ(本名:さくら)』と「文化、文化」とぶつぶつ呟くオヤジが居るだけであります。いわゆる「文化」って、一体何物なのでしょうか?Wikipediaによれば、「人間が社会の成員として獲得する振る舞いの複合化された総体のことである。」と定義づけられておりますけれども、要するに人間生活そのものが「文化」なのでありましょう。したがって、貧乏人には貧乏人の文化があり、お金持ちにはお金持ちの文化がある。貧乏人とお金持ちの関係の中にも文化が存在するのであります。そうか…文化祭で焼きソバ焼いても、そこには庶民の食文化があり、家でぐうたらと寝ていても、ダメオヤジとしての文化がある訳だから、あえて「文化」などという言葉に縛られる必要はないのであります。

そう言えば、お散歩中にハコベの葉の上に、小さなカメムシが止まっておりました。これも文化でしょうか?
人間が、ハコベを食べ、その害虫であるカメムシを駆除しなければならないという関係があれば文化であり、ただただ、雑草としてハコベが生えていて、そこにカメムシが止まっていただけならば文化にはならない。あるいは、このカメムシが空気の清浄なところにしか棲まない種類のカメムシだと仮定して、このカメムシが存在するという環境を護らなければなどという発想が生まれるとすれば、立派な文化なのであります。
人間と人間、人間と生物、人間と物…人間が介在することによって「文化」が生まれるのであります。
土曜日の「文化の日」の『夢屋国王』は、どこかおかしい…そういえば、お散歩の時に「鈴掛の木(プラタナス)」の木の下を歩いたのでありました。プラタナスの花言葉は、「天才」「非凡」であります。古代ギリシャで哲学者は、このプラタナスの木の下で哲学を説いたのだとか…プラタナスの実が1個、頭に当たったような気もする…秋の収穫祭から帰ってきた「オッカー」は、サツマイモを抱えて部屋にやって来ました。
「お父さん!第2サティアンのストーブで、サツマイモ焼ける?」
何と言う、挑発的な態度でありましょうか…哲学者『夢屋国王』は、急遽、サツマイモと薪ストーブで「文化の日」を考えることにしたのであります^^;


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢屋工房(あした…) | トップ | 夢屋工房(いっぽん) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

夢屋工房」カテゴリの最新記事