心は天上に届きますかねぇ…
安倍元総理の『国葬儀』費用が、概算費用16億円から、12億円程度に収まったと公表されてからしばらく経ちますけれど、賛成・反対の大合唱はどこへ消えてしまったのでしょう?(日本とはこんなもんですかねぇ^^;)
一国の元総理と庶民の葬儀を比べても仕方のないことだけれど、コロナ禍によって『ホール葬』も大きく様変わりしました。と言いますか田舎では『ホール葬』さえ、ここ20年の間に急速に広まったものであり、昔流儀の葬儀は、男衆は受付、帳場、葬場と役割分担し、女性陣は台所を受け持ち、七日参りに同行するなど、結構な労務をこなしていた記憶でありますよ。(我が在所では、葬儀までの台所仕事を『隣組』の女性が仕切っていたから、家の台所を開放するのが当たり前であり、日常を覗き込まれることに嫌気が差して、『ホール葬』が次第に認知されていったと『おやじぃ』は勝手に解釈しております。)今では、『お知らせ状』を集落内に配り、葬儀当日のお手伝いだけと役割も簡素化され、ありがたいと言えばありがたい…その分、葬祭会社に支払う代金も増えているには違いないのだけれど…。
我が祖母の葬儀は、お寺の本堂で行い、息子たちがまだ現役で勤めていた頃だから、弔問客であふれてしまい。親父の場合は、ホールで告別式を行い。お袋は、地元に友人(交通手段のない)が多かったことから、お寺とホールを使った変則的な葬儀としましたよ。そんな経験から、「告別式」とは、故人のお付き合いもさることながら、遺族の社会的な立場で、弔問客数も変わるものであると実感したところであります。
そうそう、イチビの花言葉は「感謝」^^;
自身の「葬儀費用」について語る人は少ないと思うけれど、香典を頂戴し、『おやじぃ』の持ち出しは想定していたよりも少なかった記憶であります。(両親は、葬式代と称して終身保険に入っていたのだけれど、そこまで必要は無かった^^; 元々、墓地・墓石がありましたからねぇ…。)
はて、お隣の一人暮らしの御婦人が亡くなった際のお手伝い…葬儀社はしきりに『ホール葬』を勧めるのだけれど、故人は職を離れて10年以上経過し、しばらくの間、施設に入所していたから近所付き合いも少なく、身内も少ない…「喪主の意向に従いますが、自宅、お寺で行う方法もありますよ。」とポツリと『おやじぃ』はつぶやいた。案の定、社会から離れた暮らしが長かったから、弔問客は無いに等しい状態でしたよ。
また、遠く離れた縁者の葬儀では、葬儀社は、混乱する喪主と必ず個別に相談しようとする…結果、弔問客用のテント一張りの見積額が10万円?(さすがに、法外であり、息子の知人が無償で手配してくれて、事なきを得ましたっけ。)決して、葬儀社を『悪徳業者』呼ばわりするつもりもありませんが、経験が乏しいから(こんな経験、無い方が幸せと言うもんだわ^^;)『相場』などと言われると、混乱した頭では、冷静な判断も出来なくなってしまうものですわ。
はてさて、コロナ禍がもたらした『葬儀』の有り方…余りにも『セレモニー化』した内容が見直される契機になるかも知れない。既存の『宗教』が形骸化している中で、「解散命令」の云々もよろしいのだけれど、もうそろそろ『見栄』も考え直す時期なのかも知れないなぁ。どうせ、自分の葬式は、自分で見ることなどできないのだから(笑)