巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

土佐町平石の大公孫樹 

2011-03-01 | 高知県

四国二度目の巨樹追 旅は先ず酷道与作として名高いR439で高知大豊町から吉野川上流域を遡り、四国の水がめ「早明浦ダム湖」をクリアー、土佐町の地蔵寺地区に有る平石の大公孫樹へと・・・・。

更に山の谷間を縫って流れる吉野川支流、地蔵寺川を遡り土佐町役場を越え約10分、地蔵寺川に注ぐ平石川の合流点で右折、平石川沿いを2~3分も走ると、突然目の前が開け平石の集落へと入る。

源平の戦いに敗れた落人がこの地に住んで平石寺を建て守護としたが後の世に毘沙門堂と大銀杏だけを残しこの地を離れた。

残された公孫樹の気根に村人が願をかけ、傍らに不動堂を建立したという。

平石集落を望む高台に立つ大乳銀杏は、国指定の天然記念物、目通り7.6m、樹高30m、開花しないの銀杏も付けないと言う。

此処を訪れたのは黄葉も散り果てた12月の下旬、樹勢回復の為か大きな足場に囲まれた痛々しい姿であった。

古木老木の公孫樹には多くの気根が垂れ下がるもにだがこの公孫樹の場合は特に見事なように感じる。

推定樹齢800年強、いかに風雪に耐え忍んだとは云え、大きい洞や裂け目でも有るのか合成樹脂で塗り固められたりして満身創痍です。

根元から見上げる巨大な公孫樹野老木は威厳に満ちて迫力そのもの、その上4mにも達するような気根が無数に垂れ下がる姿は圧巻です。

集落を見下ろす小高い丘の上で諸手をあげて何かを訴えているようにも見える。

ドンとして動じないその姿は、静かな山里を見守る守り神なのだろう・・・

遠くで土佐の赤牛の長閑な声が聞こえてきた。

あの大きな足場も取れてまた元気に年を重ねていることだろう・・・・。  

撮影2008.12.8


志々島の大楠・・・・・・<昔の写真を追加UPです。>

2011-03-01 | 香川県

香川県三豊市詫間町志々島の大楠は離れ小島の限界集落の奥に自生して居る大楠です。

仕事関係の用事が高松で有ったので以前から気になっていたここ志々島を訪れることにした。

連絡船の港から見た集落と、降り立った島の人。

志々島は三豊市詫間町宮下港から北西5.5km、日に3度出る連絡船で約20分、小さな離れ小島で民家の数は見た目約100軒以上に見えるが殆どは崩れかけた廃家ばかりで現在住民は約20人足らず、それも60歳~70歳以上の人が殆どで若者と言える人は皆無の限界集落、離れ小島です。

明治以降、良好な漁場にも恵まれ漁業が繁栄、島の頂上まで開墾され一面の花畑となり花卉栽培も盛んに行われ一時200戸1000人以上の人口を擁して小中学校も有ったというが、昭和30年代から人口が激減、廃校になってもうかなり久しいとか??

島に降りたって島内の狭い道を歩くと目に付くのは今にも崩れんばかしの廃家群、其の何処かしこに昔懐かしい島の写真が掲示されている。

取り合えず、集落の細い道を通り抜け大楠への道を辿ることにするが、日に3往復の連絡船は1時10分に着いて帰りは3時50分、時間はたっぷり、周囲4km足らずの小さな島。

集落の中ほどに有る小道をあちこちに有る案内板どうりに辿って細い上り坂を島の高み高みへと上りつめる、此処の高みから見渡す景色も素晴らしいが、やっぱり崩れ果て山野に飲み込まれていく廃家が目立つ。

この家並みに人が住む家は何軒あるのだろうか??

稜線を越え谷の方に降りていくと少し開けた斜面にこの大楠が諸手を広げて迎えてくれる。

大楠の周囲の周囲は程よく整備され下草も良く刈り込まれていて、根元には大楠神社なる小さな祠と真っ赤な鳥居がたっていた。

多分殆ど訪れる人も無いだろうこの大楠は、急に訪れた今年の遅い野分に梢をヒュウヒュウ鳴らしていた。

樹齢1000年以上、根元の幹周り約12m、樹高は約40m、、根元から左右に大枝が延びていてそれだけでも独立した大木に値するほどの大きさです。

まだまだ成長期に有るようで樹勢は申し分なく、大きな痛みや洞なども見えない、島の守り神として大切にされているようですが、この島の様子を見てみると、昔、学校の有ったところには大阪に有る会社の保養所が建ったり、2~3軒の民家が真新しかったりと希望の匂いもするが近い将来連絡船も通わない日が来るのは必至の様な気がする。

そうならないことを願うが、それも部外者の勝手な言い分に違いない。

昭和45年4月に香川県の天然記念物に指定されています。

この志々島での見聞は、田舎住まいの僕にさえ衝撃であったし、また別のページで書きたいことも有る。

とにかくこのページは大楠の紹介まで・・・。

撮影2010.9.25

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このページにコメントを戴いた鷹野富士丸さんHPの中に「志々島の大楠」と言うページがあって、そこに今では見ることの出来ない50年前の大楠全体像があります。

鷹野富士丸さんはここ志々島の出身者で島の行く末を案じておられます。

今回この貴重な写真を拝借してここに再UP することにしました。

生花栽培が盛んだった頃の風景です。

ただただ今となってはこの志々島の歴史に終止符が打たれることのない事を願うだけです。


甲賀市信楽町柞原(さくはら) 八坂神社のケヤキ

2011-03-01 | 滋賀県

国道307を山城から甲賀に向けて走るとあの狸の焼き物でお馴染みの信楽の街中に入る直前、いよいよ狸の置物が並んでいる店を見かける辺り、道路左側山裾に通る旧街道沿いに連なる古い集落です。

セブンイレブンの有る中野の信号を左折、次いで旧道との辻を右折すれば左手に大きい鳥居が見え、その先に杉やケヤキの並木が続く長い参道がある。

旧街道から一直線に拝殿まで伸びる参道は綺麗に清掃され清清しい。

参道中程右手に大きく根張りの見事なケヤキが有る。

特に発達した板根は見事ですが、苔や蔦などが絡みついて樹盛には影響が無いのかとちょっと気にかかる。

目通り約5m、樹高25m、樹齢約300年、見事な板根ながらかなり腐食が進んでおり傷みも激しいように見える。

近くにはこれより大きなケヤキの切り株が有って、この固体の行く末を案じ無いでもない。

撮影2008.8.31