人の褌で相撲を取るエントリーです。(謙虚な気持があるので、思わず「ですます」調)
Lilac さんのブログ、
My Life in MIT Sloan 『じゃあ中高の英語教育をどう変えるべきか考えてみる』で、英語教育ばかりでなく、日本語教育に話が展開してきたので、
このエントリーで紹介した、
『小学生のための会話練習ワーク』の著者の一人である小学校の教員をしている友人に紹介したところ、以下の様なメールをもらった。ちょっと長いのですが、さすが国語が専門、読み易いので、紹介します。
引用始め
日本の英語教育は僕らの学んだ頃とはだいぶ変わって、とりあえず日本人の先生は文法を教え、会話や発音はALT(Assistant of Language Teacher)が全てやってます。小学校ではもう10年ほど 前からALTが会話を中心に授業(英語で遊ぼう的なコミュニケーションプログラム)しているし、去年からは英語の教科書も出来たので必須科目になりました。とは言え、韓国のように教員の研修が年間300時間を超える制度は全く整ってないので、ALTと打ち合わせをして授業するのが精一杯です。
で、最初の頃は問題が多かったよ。何と言っても日本の教員は「和訳」したがる。せっかく、日本語の上手なALTがわざと英語だけで45分間授業しようとしているのに、いちいち通訳しちゃう。「ペンソー」とか「フラゥワー」とか、聞きゃ分かるっつーのに、変なカタカナで書いちゃう。
当然ながら、授業研修で「アホンダラ、ソンナコトデハ、ニホンノ、エイゴキヨウイクニ、ミライハナイノデス、アナタノ、ハナクソノヨウナジュギョウネ」とこき下ろされ、日本の小学校教師も頑張った。今ではとりあえず英語だけで45分間何とかしようと頑張ってる。
で面白いのは、英語を始めたことによって、国語科教育で培わなければならないコミュニケーション能力不足が指摘され始めたんだな。つまり、英単語や英語の構文を教えても、それを使って会話したがらない。なぜか?そもそも、日本語でだって文で会話しないから。やっぱ、外国語と同様、母国語である日本語を大切にしなきゃ。ということで、全ての教科で言語活動を大切にしましょう。という教育の流れが起こって来たのがここ2年ほどかな。
ところが、国語科教育は物語文や説明文の読解・言語事項の知識理解・作文技術の習得という分野には力を入れてるんだけど、話す聞く分野は教材も教師の能力もイマイチ。話し合い活動とか、プレゼンテーション、ディベートなど教材としては入っているけれど、それは、やはり国語科の時間でしか使えない。もっと、日常生活に即した場面での会話や、それを支える言葉の力を意図的に育てないと言語生活が貧しいものになってしまう。
というわけで、日常生活でありそうな場面を想定したロールプレイング教材
『小学生のための会話練習ワーク』の登場になったわけです。この本の目的は、もちろん子どもの会話練習のためだけれど、本当は教師の「はなし言葉」を聞き取る感覚を鋭くするのがねらいです。
子どもの話に耳を傾け、その時々にきちんと適切な話し方指導のできる教師がもっと多ければ、話し下手の日本人が少なくなるはず。昔から言われていることだけど、ちゃんとした話の出来る、普通の会話の出来る子どもを育てることですよ。日本語でも英語でも同じだな。
ともかく、日本の小学校における英語教育は始まったばかり、目標にしている韓国は10年先を走っています。いつから日本の教育はアジアのトップじゃなくなったんだろう。アメリカから見れば日本のアジアでの位置がもの凄く客観的に見えることでしょう。経済も教育も社会保障も軍事力もアジアのトップじゃなくなって悲しい限りです。
まずは日本経済が立ち直らんと、教育や社会保障の予算が付かぬ。田舎はジジババばかりになる。米作りは廃れる。狩江のみかん農家だって、今やベトナムやフィリピンの労働者に頼ってるからね。本当は、狩江小は英語じゃなくタガログやベトナム語を勉強した方が、将来のためになるんだけど・・・。とりあえず英語は必要なんだろう。でも、高校まで行ってみかん農家を継ぐ子に必要な語学はやっぱり、タガログやベトナム語や中国語だと思うよ。
引用終わり
教育の現場では、英語教育の前に日本語教育、それも会話練習という問題があり、地方にいくと(うちの田舎だけではないと思う)過疎化の話から、タガログ語、ベトナム語という、想像も出来ない事態が進行している。
昔(20年くらい前)、宇和町(人口1万8千人)にフィリピンバーが2軒(?)あると聞いて、日本全国でどの位のフィリピン女性が働いているのかを考えて卒倒しそうになったけど、狩江のみかん農家の話を聞いて、同じ思いにかられました。一体、どのくらいのフィリピン人、ベトナム人が日本の農場で働いているのだろう。(追加情報をもらった:狩江のベトナム人やフィリピン人は基本的に農業研修生なので皆すばらしく礼儀正しく、地域にすっかりとけ込んでます。3年程度で次の人と入れ替えみたい。とにかく夏の暑さにめっぽう強いので、夏の段々畑の労働では最強です。地域のお年寄りも皆大喜び。冬の町内駅伝大会にも外国人選手枠で出場したりしてなじんでますよ。治安面の心配などみじんも感じません。)
小沢民主党が、在留外国人に選挙権をと言っているのは、このような膨大な票田を知っての事かもしれませんね。そういう意味で、小沢は鋭い。(都会育ちなのに、田舎をよく知っている)
英語に話を戻そう。
はっきり言おう。アメリカにいる日本人で英語が必要な人で、最終的に英語の出来ない人なんか見た事がない。その他の才能やスキルがあり、アメリカで活躍する人は実用レベルの英語になる。例えば、ゴルフの青木功、ノーベル賞の利根川進、指揮者の小沢征爾の英語を聞いたら、椅子から転げ落ちる。でも、この人達に英語のハンディなど一つもない。甘ったれている場合ではないのである。
英語がどうのこうのという前に、みかん畑で、フィリピン人やベトナム人を使って、みかんを収穫した方がよっぽど役に立つ。
人の褌で取り始めた相撲だが、これまでで一番と言って良い程熱くなった。