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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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中国から渡来した河童の可能性 No339

2012-12-31 00:33:46 | 神霊界考察
中国からの渡来人の伝承が消されたのは
前述の『八代の九千坊河童と海若との関係 No338』で記載した内容の通りであるが
最初はその一族は河童とされて、最後には人形の仕業とされて
カッパの悪戯という御伽噺にされて伝承を消されてしまったと考えている。
これはたぶん藤原氏の仕業であろうが
その理由は藤原氏の出自絡みなのか天皇家の出自絡みなのかということは
今からの課題としている。
では中国から八代に移動した一族がいたと仮定すると
足跡が残されている筈だ。
たとえば一例では中国の山東半島あたりでは蚩尤を兵主として祭っている。
蚩尤は炎帝神農氏の子孫とされるが
黄帝と争い最後には負けて殺されたといわれている。
処刑された蚩尤を葬った塚は山東省である。
日本では薬草と農業の神とされる神農は少彦名神と混同されている。
勝った黄帝は漢民族の祖とされている。
面白いことに薬の祖の神農に対し黄帝は医学の祖とされる。

倭人は呉の太白の後裔であるという説や
秦氏が秦王の始皇帝の後胤説などや
あるいは日本の文化等に呉系楚人や越人などの特徴があると言われるが
神農氏の後胤説もあっていいかもしれない。
神農はネット検索による情報では
湖北省の烈山の出身ではじめは河南省の陳に都したが、
のちに山東省の曲阜に都を移したとある。
これらは長江文明であり、前出の黄帝は黄河文明だそうだ。

「長江文明と稲作の渡来」についての紹介している
『中国・河姆渡遺跡展』 の記事を見つけたが
やはり上海から直接九州へのルートが想定されている。

ところで中国からの日本への渡来伝説では徐福の伝説が知られる。
九州 和歌山などに上陸伝承地があるが
以前候補地を現地調査したことがあったが
どこも付会伝承の域を出なかった。
しかし藤原氏により中国からの渡来伝承を消されたとすれば話は変わる。
このあいまいな伝承も故意に封印されたものであるとすれば
納得できる点がかなりある。

ただ藤原氏が中国からのダイレクトの渡来伝承を消したのは
韓国からの渡来に最大の権威をもたらせる為であるが
徐福伝承の封印には別の要因も考えられる。


PS.中国伝説の三皇五帝や黄河文明の黄帝などのうち
日本でなぜ神農のみが祀られているのだろうか?
ここになんらかのヒントがありそうな気がする。
孔子を祭る湯島聖堂の神農祭は良く知られている。






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八代の九千坊河童と海若との関係 No338

2012-12-30 01:04:19 | 神霊界考察
この記事は前回の『八代の鎮宅霊符神』の続きとなるが
八代霊符に挟まっていた菊池の天地元水神社の御札が気になる理由について説明したい。
そこには元祖河童と河童に似て非なるものとが生み出された理由の謎がある気がする。

まず八代の河童伝承は九千坊河童伝承として語り継がれている。
本の題名は失念してしまい作者には申し訳ないが
伝承については添付内容を参照していただきたい。
『九千坊河童伝承』

この記事から分かるように深沙大王と繋がる黄河の精である海若=河伯と
九千坊河童は敵対していて別の系統と想定できる。

では天地元水神社伝承の河童はどういう由来かというと
実は全く本来の河童とは縁が無い話となる。
左大臣橘諸兄の孫である兵部大輔の島田丸が
藤原氏の氏神社である春日大社を造り上げる際に
九十九体の人形に秘法で命を与えて神社建築の労働力としたが、
神社完成後に不要となった人形を川に捨てたところその人形が河童に化けて
人々に害をなすので島田丸がそれを鎮めたので
それに由来して河童を兵主部(ひょうすべ)と呼ぶようになったといい
また子孫である橘姓の渋江公俊が祭祀のお墨付きを得たという。

この話を聞く限り
本来の河童が存在するはずなのに人形が化けたものとされて
河童の正体が消されてしまったように感じられる。
ましてや春日大社造営となるとまさに藤原氏の歴史封印の一環と考えたくなる。

では何を隠し封印したのか?
もちろん渡来したパミールの河童族に関するものであろう。

ところで奈良の三輪山の隣にある穴師坐兵主神社は河童と繋がる神社であるが
社伝によると祭神は矛を御神体とする武勇の神であり相撲の祖神でもあるそうだ。
ここで菅原氏の祖である野見宿禰と當麻蹶速が相撲を取っており
相撲神社として祭られている。
この穴師坐兵主神社の神紋は「橘」であり左大臣橘諸兄と繋がる。
全国に兵主神社はあるようだが
いろいろと調べてみると天之日矛(天日槍)との関係が深い。

つまり封印されたのは、河童族とヒボコ族と想定したい。
問題は河童=ヒボコとしても良いものかということだ。
この件に関してはもう少し調査したい。

ただ藤原氏とヒボコ伝承等を含めて記紀での外国との接点に関しては
全て朝鮮との関係で語られるが、
実際は中国大陸からダイレクトに八代入りした集団が間違いなく存在している。
この消された一族と藤原氏との関係を来年は明確にしていきたいと思っている。

橘姓の渋江氏が奈良から肥前長嶋庄の潮見神社 肥後の天地元水神社と創建しながら
童話的な河童伝承を広めた後ろに見え隠れするのは藤原氏であるといえよう。



天地元水神社のgoogleのストリートビューとMAP

※20160503追記
上記河童について河童=ヒボコとしても良いものかということについて
もう少し調査したいと記載しているが
その後の経緯については
『香春の呉音霊 No403』にて考察しているので
参考にしていただきたい。



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八代の鎮宅霊符神 No337

2012-12-25 02:27:29 | 神霊界考察
今月貴重な資料を戴いたので紹介しておきたい。
『八代の鎮宅霊符神』
これは『加藤清正公と鎮宅靈符神 No039』
紹介した霊符よりも古いもののようにも思える。
下方に記載の八代霊符の来歴が記載され
貴重な資料となっている。
八代の霊符の版木は小西行長により灰燼に帰したが
加藤右馬充により復刻されたという話が記載されている。
この加藤右馬充とは加藤可重か子の加藤正方のどちらかであろうが
霊符の効果を喧伝するとなると加藤右馬充正方と考えるほうが分かり易い。
加藤家の改易後に隠居したが、大坂で相場を張って巨利を博し、
世間からはその出来事を隠居後の雅号である風庵をとって
風庵相場と名づけられたという話がある。
『八代城城主 加藤 正方』

ただ自分にはこの霊符と一緒に挟まっていたものが気になる。
『水天八大龍王神霊符』
版元が橘姓 渋江公俊となっている。
渋江公俊とは知る人ぞ知る水難避け河童霊符の元締めである。
前回より河伯について記載していたが
この偶然にメッセージ性を感じている。
渋江公俊は熊本の菊池市のとても分かりにくい原地区に天地元水神社を創立している。
『菊地市原の天地元水神社』

 
googleストリートビューでみる菊池市原の天地元水神社

参考資料 鎮宅靈符神


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龍宮の童女神 No336

2012-12-06 11:05:18 | 神霊界考察
龍宮関係については一度きちんと整理する必要を感じている。
まずこのブログでの八大龍王神がらみの記載については
以下の記事等で考察してきている。

『麻賀多神社が蘇我系なら継ぐ神霊は八大龍王 No011』
『龍宮界の乙姫と八大龍王神 No033』
『神龍八大龍王神社の功徳 No034』
『悪竜伝説 No035』
『八代妙見祭での玄武神、霊符神、龍王神考察 No037』
『八大龍王神の根源 No054』
『龍樹とコブラの図01 No055』
『龍神信仰 No075 騎竜観音像添付』
『龍神信仰 1 No158』
『龍神信仰 2 No159』
『龍神信仰 3 No160』
『龍神信仰 4 No161』
『龍神信仰 5 リメイク記事 No162』
『龍神信仰 6 No163』
『龍神信仰 7 建仁寺の双龍 No164』
『龍神と霊能力 No165 霊能力者数人についての考察』
『八大龍王神の根源 追記 No171』
『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178 龍宮乙姫と藤田妃見子女史』
『弓梓弓と水の女神 断片集12 No182』
『八代にある八大龍王神を祭る龍王神社について No112 善女龍王像添付 』
『八代の八大龍王神を祀る浅井神社 No167』
『入鹿・将門の首塚 No211 成田山新勝寺について考察』
『菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251』
『イザナギVSイザナミとミカエルVSルシファー No253』
『宮崎の祇園神社 No255 八大龍王神を八岐大蛇として封印』
『555ナンバーの啓示 記載断念 No306』
『素戔嗚尊と八俣大蛇 No320』
『八岐大蛇の封印のほころび No322』
『今必要とされる護符 No325』
『玄武の謎 No326』
『八岐大蛇と真言密教 No328』
『鹿島の封印はもはや風前の灯 No330』
『奇妙な夢の内容 No332』
『毘沙門天の謎 No333』
『玄奘三蔵の原罪 No334』

ところで遣唐使の帰国時の海難救済の伝承は、
空海だけでなく道元禅師にも伝承がある。
空海は救済を波切不動としながらも八大龍王神(善女龍王神)も祭祀している。
たぶん後日清瀧権現の感応により気付いたものと思われる。
自分はそのことを福岡の宗像の鎮国寺と成田不動で感じたが
道元禅師の伝承はにわかには信じがたいところがある。
禅を極めた道元禅師に神霊に対する信仰があるとは思えない。
しかしもう少し検証は必要であろう。



この伝承の蓮の葉の上の小さい菩薩が龍宮の童女に
由来する話であることは想像に難くない。





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地蔵菩薩考察 No335

2012-12-05 20:54:02 | 神霊界考察
前回の『奇妙な夢の内容 No332』で八十八という数字の謎が
地蔵菩薩で解けると記載したがその後進展が特になかった。
ところで知人がこの記事を書いたちょうど一か月後の11月23日に
九州毘沙門講の御祭を福岡の清勝院で執り行った。
その縁あってかやっと地蔵菩薩の本貫が見えてきた。
地蔵はサンスクリット語ではksitigarbhaクシティガルバと呼ばれる。
クシティは「大地」、ガルバは「胎内」「子宮」の意味だそうだ。
といことはまさに前回より話題としてきた『大地母神』そのものになる。
やはり兜跋毘沙門天を生み出した大地母神とは、
天社宮の八十八で暗示された『地蔵菩薩』といってよかろう。
大地母神を呼び出すには地蔵菩薩に感応すればよいという事だ。
地蔵菩薩は日本人にとって最も親しみのある仏であろう。

さて地蔵菩薩と兜跋毘沙門天と深沙大王と
八大龍王神と水の女神の関係はおおよそ分かったし
地蔵菩薩との感応も整ってきた。

今後の展開に期待していただきたい。




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