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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

日月星と日月は別の神霊系統

2024-11-09 00:08:43 | 神霊界考察
今まで数十年間も日月星の神霊を追いかけてきたし
日月神示も相当に読み解いてきたのだが
日月星と日月は別の神霊系統(信仰系統)であることに
全く気づいていなかった。

日月星は三柱であり造化三神であり三位一体の系統である。
「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」
「天照大神」「月読大神」「素盞嗚神」
「妙見神」「妙音神」「妙理神」
「幸の神」「久那斗の大神」「猿田彦大神」

あるいはカバラで表わすと
「峻厳の柱=女性性」「慈悲の柱=男性性」「均衡の柱=子の柱」
キリスト教では三位一体を
唯一神の父(神)、子(キリスト)、聖霊の3つの姿というが
△図のように上に頂点があるということを一神教では強調している。
それでも母を精霊の中に隠したことは罪深く感じられる。
筆者的には▽の方がシックリくる。

私の感応においては
おおざっぱに云って日月星は生命の血統を意味している。

それに対して
日月とは日=陽 月=陰の陰陽太極の系統であり 
そこから全てが産まれ出るという事でつまりは神羅万象となる。
おおざっぱに云って霊的な生成であり生まれ変わりの神霊系統である。
感覚としては0と1で成り立つ二進法の世界をイメージしていただきたい。
現在のコンピューターを含めた電子情報世界は
日=陽=(+)と月=陰=(-)で驚くことに全てが表現されていて
星の入り込む余地がないように観える。
量子コンピューターが登場して初めて日月星の世界となるのであろう。


最近になって周易を研究している。
そこに至った理由は興味深いので後で示すが、
「易に太極あり、これ両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず」と云われている。


私見ではこの太極図の発案は縄文の二個の勾玉由来である。

魏志倭人伝より
「壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪拘等二十人 送政等還 
因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹」
「壱与は大夫の率善中郎将、掖邪拘等二十人を派遣して、張政等が帰るのを送らせた。
そして、 臺(中央官庁)に至り、男女の生口三十人を献上し、
白珠五千孔、青大句珠二枚、模様の異なる 雑錦二十匹を貢いだ。」
白玉5000個と青くて大きく曲がった青い玉≒緑の玉(翡翠の勾玉)2個を
献上している。
この時に勾玉の形状の由来についての説明もされたはずだと思う。
ビルマの本翡翠が中国にもたらされるのは後代の18世紀の事なので
中国での本翡翠の初見となると思われる。
そして勾玉が2個であることに深い意味が感じられる。

記紀においてまず登場するのは造化三神なのだが
何故か具体的に国生みをするのはイザナギ・イザナミの二柱神で
今まで何の違和感も感じていなかったが
イザナギ・イザナミの神の話と造化三神の話は
二つの民族の信仰系統を一つの神話にまとめ上げたものであり
具体的にいうと『日月星と日月は別の神霊系統』ということである。

さて周易を研究するに至った話であるが ⇒記載途中 写真準備

周易の世界観は陰と陽を中心として成り立っている。
占法としては基本的に銭の裏表を複数回確認することにより占うのであるが
これを簡略化?というか可視化して竹ひご50本使った筮竹で占う事が多い。
これだと三回の手順で下卦8種×上卦8種×爻6種=384種を導き出せる。

ところが周易から発展したと思われる断易(四柱推命と共通項目が多い)では
一回の擲銭(投銭)に三枚の銭を使って単なる表裏だけでなく
8回に1度の確率の表表表と裏裏裏を重視して陰陽を入れ替えたりと
プログラム的には不可思議な変数を挿入している。
なぜ二進法の易の世界に三の世界が貫入しているのか、
今まで不思議とも思わなかったが
日月の陰陽の信仰系統に
日月星の信仰系統が攻め込んできたと考えると納得出来る。
たぶん「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」の
十干は日月系で
「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の
3×4の十二支は日月星系だと仮定すると
日月系神霊と日月星系神霊との系統上の交わりで
齟齬が生じる部分が空亡=天中殺となるのがなんとなく理解できる。

断易や四柱推命では十二支の巡りの中で2組の相性だけでなく
3組の組み合わせも重視している。
説明は省くが三合・支合・七冲・六害・三刑と自刑などの組み合わせであるが
周易の陰陽の世界観を超えているように感じる。
もっとも断易や四柱推命には五行「木・火・土・金・水」も組み込まれており
筆者に神霊世界の全貌が見えている訳ではない。

※空亡=天中殺とは十干と十二支を組み合わせたときに出来る余りの
二支のことで干支において天が味方しない時を意味する。
あと関係があるのか判らないがロムルス暦では一年を10か月としているらしい。
※周易の世界が384種で成り立つのに対して断易はさらに多くの要素が含まれ
相当な展開となる。その分曖昧な解釈ともなり易い欠点もある。

記載途中
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未考察 未調査記事 龍樹菩薩の釈摩訶衍論

2024-10-18 22:47:08 | 神霊界考察
記載途中
真言密教において必須の釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)であるが
全く別の話とはなるが大分県佐伯市弥生の尺間山山頂にある霊峰尺間神社において
釈魔大権現にからむ尺間経≒釈魔経が今日まで伝わる。
霊峰尺間神社に正式参拝するとこの経を祝詞として唱えていただける。
さてこの経の中に『世上の願蒙を開かせ給はんが為め
養老元年(717年)六月廿四日 天竺龍海山より 此朝に天降らせ坐す』とある。
神としてまつられた初代肥後国司の道君首名公が亡くなる前年のことである。

九州において天竺渡来の始祖伝承は多く
雷山千如寺 天竺霊鷲山の僧 清賀上人の開創
背振山 天竺の徳善大王の王子乙天護法善神及び弁財天が渡来
英彦山 彦山権現は天竺の摩訶提国から渡来
阿蘇三十六坊 西巌殿寺 天竺毘舎利国の最栄読師が神亀三年(726年)来朝開創
阿蘇藤谷神社伝承 養老元年(717)天竺の龍海山より阿蘇の峰へ降臨があり
里人が阿蘇山中の天狗岩に祀ったのが創祀

天竺と仮称しているが威奴や姬氏につながる可能性も検証が必要。

さて釈魔大権現とは愛宕の大天狗太郎坊から授かったと
される日隠太郎坊という大天狗のことである。

そして何故か九州の真言宗系で修験道護摩行者は
尺間神社にて尺間経を行事るものとされる。


参考 尺間経
http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/ss06007.pdf?file_id=6046
https://note.com/yoshidatakuya/n/na5cbb04f6419


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夏至の日報告 熊本霊ラインと夏至ラインとのズレ量の報告

2024-06-21 00:06:37 | 神霊界考察
本日は20240621夏至の日である。
毎年5時に日の出祈願をするのであるが
天気は雨なので陽光は難しそうである。


さて筆者が伝える熊本霊ラインは加藤清正公によって加工され
徳川家康が築城した京都二条城に向けられている。

  

熊本霊ライン詳細は今までHPにしていたが
動きが遅くなり使い物にならないので
近日中にこのgooにある程度まとめたいと思っているが
今回は以下HPを参照にしていただきたい。
『主題 熊本霊ライン概略』
熊本霊ライン数値関係』
『熊本霊ラインと中央構造線』

 

加藤清正公が決死の覚悟で尽力して実現したのが、
二条城における豊臣秀頼と徳川家康の天下分け目の大会談である。
加藤清正公は懐に短刀を忍ばせ万が一のときは徳川家康と刺し違える覚悟であったという。
肥後へ帰国する船の中で発病してそのまま死去となっているが
瀕死の状態で熊本城までたどり着いたとも語られている。
また加藤清正公築城の熊本城には豊臣秀頼を迎え入れるつもりで造ったと言われる
「昭君の間」という豪華な建物がある。
隣接する「若松の間」との境のふすまの取っ手には豊臣家の家紋である桐文が使われている。
1877年(明治10年)の西南戦争で焼失したのだが熊本地震後に再建された。

歴史は勝利者が作るというので真実は闇であるが
暗殺されたというのが真実であると思う。

さて加藤清正公以前にこの霊ラインを活用したのが道君首名公である。
しかしそもそもこの霊ライン五山は縄文時代からの夏至ラインであった。

 ブルーが霊ラインで赤が夏至ライン

この夏至ラインは前回の記事『2022年4月 金毛九尾封印顛末記』で紹介した
『関西の五芒星』の伊吹山を通過している。
この伊吹山の神(伊服岐能山之神)は白い猪とされる。
このイノシシは少名日子建猪心命に関係する猪であり以下の関係にある。
耶馬(やま)=野馬(やま/陽炎)→蜻蛉(かげろう)→蜻蛉(とんぼ)
→秋津(あきつ)→大日本豊秋津洲(あきつしま)

耶馬(やま)=野馬(やま/陽炎)→陽炎の化身である摩利支天→猪に乗った姿
→少名日子建猪心命→少彦名神

※四国伊予の愛媛県大洲市の少彦名神社には狛猪が置かれているが
こういう謂(いわ)れで置かれたものと考えている。

 愛媛県大洲市少彦名神社の狛猪

摩利支天は本来は女神であるが以下のように猪に乗った三面六臂像で表現されることが多い。

   摩利支天

摩利支天はMariciと呼ばれるので外国サイトから女神の画像を抜いてきたので
本来の姿を紹介しておく。
  Marici女神

相模原に住んでいた25歳の頃か山梨県の韮崎に仕事で通っていて
南アルプスの雄姿に感動した覚えがある。
急に南アルプスの甲斐駒ヶ岳に登りたいと思って
10月10日の体育の日に決行することにした。
登山未経験者が6千円の安物テントと夏用シュラフを買い黒戸尾根を登って行ったのだが
登りながらふと半月板を損傷しているので無理できない体であることに気づいた。
登山のキツさを身に染みて感じながらここで歩けなくなったらどうしようかと悩んだ。
このころはまだ携帯などない時代である。
途中の山小屋に着いたとき山小屋の管理者は小屋を閉めて麓に降りようとしていた。
話を聞いていたら午後からは氷点下になるからねと云われた。
夏山気分がいっぺんに吹き飛んだのを覚えている。
この不安の中で登山道に無数に置かれた摩利支天像に無事を祈りながら登って行った。
それにしてもこんな重そうな石像をどうやって運んだのだろうか?
不安の混じった心細さの中で信仰ってすごいなと心から感動した。
あとで新田次郎の強力伝を読んだら白馬岳に50貫(187キロ)超える石を
一人で担ぎ上げる実在した人物の物語だったけど
石像を山に運ぶ強力(ごうりき)なる仕事が成り立っていた時代があったのだ。
私はこの時に無数の摩利支天像に必死で祈ったおかげで
なんとか無事に無謀な登山を完了することが出来た。
黒戸尾根から摩利支天の峰まで山岳信仰の姿を初めて知ったのだが
その労力にとにかく驚かされた。
そして藁にもすがるような祈りの一歩一歩というものを深く体感した。

   

ちなみに祈りながらの登山はその後も南アルプス北岳・八ヶ岳・北アルプスと続いていくのだが
祈りが効かないイギリスのベンネビス山でとうとう半月板を損傷してしまい
日本にちんばでびっこで大変な思いで帰って緊急手術する羽目となってしまった。

そしてこの摩利支天から30年掛かって卑弥呼が導き出されたのであるが
女神摩利支天→猪に乗った姿→少名日子建猪心命→卑弥呼
これは私以前に深く考察された方がいるので
その方のブログを紹介しておきたい。

『倭女王卑弥呼 発見なる!』
http://blog.livedoor.jp/nanamihantaro/





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2022年4月 金毛九尾封印顛末記

2024-06-12 10:39:59 | 神霊界考察
金毛九尾については、まずは以下の記事を参照していただきたい。
『巌義尹(かんがんぎいん) の感応  No387』
『音霊と分霊 No421』

そして金毛九尾封印の伝承のある那須那須湯本の殺傷石が
割れたというニュースを知ったのは今から2年前の
2022年令和4年の4月の初旬頃だった。



もちろん那須那須湯本の殺傷石は伝承にすぎない。
そして伝説の金毛九尾は本来は関西の五芒星で封印されているのだが
その封印が今の日本社会の乱れにより解けかかっている気配を感じた。
金毛九尾は世の中を疑心暗鬼でみたし社会経済の衰退の根源となる悪霊である。
日本国防上も問題であると判断する。



この関西の五芒星は安倍晴明と縁が深いようであるが
栗本 慎一郎著作の「シリウスの都飛鳥」を読んでから
五芒星のルーツにシリウス信仰を結びつけている。



シリウスA 「アルメーラ」 シリウスB 「ディジターリア」
シリウスC 「エンメー・ヤ」シリウスD 「ニャン・トーロー」 
シリウスE 「ミネラーヴァ」
の5個の星が五芒星を意味するとされるようである。
※上記はネットデータによるもので未調査情報

そしてシリウスは狗奴国=威奴国=率寝国=イヌ国の象徴でもある。
中国では天狼と呼ばれるシリウスであるが
おおいぬ座を構成していたり英語では「dog star」と呼ばれたりする。

私が真如堂に出向き鎌倉地蔵を調査等行ったのは
2022年令和4年の4月22日となる。
この日は朝からまず東寺の大元帥社に参拝して国防祈願をしたあとに
真如堂・鎌倉地蔵と安倍晴明が祀られる晴明神社等に参拝している。
※吉田神社にも国防祈願を願って参拝している。

  

そして真如堂で結定往生之秘印をいただき
この護符にある石をくるんで特別な場所に封印することにした。

 

この結定往生之秘印は蘇生の印紋と云われるが
使い方次第で逆に蘇生封じの印紋ともなる。

ただその日ホテルに持ち帰ったことが災いとなった。
ホテルで深夜に過去に経験したことが無い痛みが背骨等を襲った。
痛みに気が遠くなる思いをしながらこの秘石を封じた石は
関西五芒星の中心地の平城京跡地に隠すのが正解であることを理解した。
次の日の2022年令和4年の4月23日は
痛みに苦しみながらも命は守ることが出来たので
近鉄大和西大寺駅で降りてから
近い距離であるがタクシーを使い平城京にて
五芒星封印の神事を執り行うことが出来た。

この時に関西五芒星についてある違和感を感じた。
この五芒星は本来熊本霊ラインとも繋がりがあるラインである。

その違和感の原因が以下の本に隠されていることは直ぐに分かったのだが
あり得ないほど高かったので
中古本で千円以下になるのを1年半ほど待った。



『五芒星”封印解除と”魔除け”再起動』に目を通してはっきりと理解したのだが
このグループが関西五芒星にからむ神事を執り行ったのは
2022年令和4年の4月15日~21日ということであった。
もしこのことを知っていたら私が動くことは無かったはずである。
こういう神業の後は後始末が大切であるが
しばらくは霊障が残る可能性があるので部外者は近寄らないことである。
他グループの霊的後始末を私自身が身を以って浄化するはめとなってしまった。

まあ私はただ神霊界の歯車として動いているのであるが
このグループも彼らの意思とは別に露払いとして動かされたともいえる。

  

奇しくも彼らが神事を完了させた次の日に
関西五芒星を今度は私が発動させようとした訳である。
予想以上に強力で堅固な結界となったと思いたい。

この筆者の神事のあと注意深く関西圏の動向を見守っていたが
近鉄大和西大寺駅で安倍元総理が暗殺されたのが2022年7月8日の事である。
確かにこれは『安倍のマスク』の終焉を意味することになったが
金毛九尾最後の一振りであったのであろうか?

私も前述の如く歯車の一つでしかないので
神仕組みの全貌を知り得る立場では無いのであろうが、
阿倍元総理の御霊が国防の一柱となっていただけたことを
堅く信じたい。









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「野馬臺詩=耶馬台詩」についての短い考察

2024-05-28 22:36:27 | 神霊界考察
「耶馬台詩=野馬臺詩」の考察は一度記載しようとして途中で
止まったままだったことを昨日の夜にふと思い出した。
これは『畏るべし戊戌2018年 最後なる平成30年 No479』
吉備大臣入唐絵巻における赤鬼の仲麻呂と真備 空を飛ぶの図まで書いて
ここまでで記載途中としているがここで考察しようとして挫折していたものだ。
コメントをいただいているさくら様がこのことを察して
『龍神信仰 7 建仁寺の双龍 No164』のコメント欄で以下のように書かれておられる。
東海姬氏国 (さくら) 2021-10-15 17:13:05 より抜粋
『畏るべし戊戌2018年 最後なる平成30年 No479』
最後が吉備真備と阿倍仲麻呂の絵でその後は記載途中。
【高僧宝誌和尚が文字を交錯させて作り、吉備真備が観音の助けによって読んだという
伝説のある「耶馬台詩」の句「東海姫氏国、百世代天工」による。
東方の海上にある、女性が首長である国の意) 日本国のこと。東海女国。東海。姫氏国。】

「耶馬台詩」について私が本題としようとしていたことを確かに当てられている。

さて吉備大臣=吉備真備の面白物語である吉備大臣入唐絵巻にはこの部分は欠けていて
『江談抄』(ごうだんしょう)の中で出てくる話となる。
遣唐使の吉備真備が唐の玄宗に謁見した時にこの「耶馬台詩」解読を命じられた。
真備が困り果てて神仏に祈ると、蜘蛛が落ちてきて、
蜘蛛の這った後を追うと、無事読むことができたという。



「東海姬氏国 百世代天工 右司為輔翼 衡主建元功 初興治法事 終成祭祖宗 
 本枝周天壌 君臣定始終 谷填田孫走 魚膾生羽翔 葛後干戈動 中微子孫昌 
 白龍游失水 窘急寄胡城 黄鶏代人食 黒鼠喰牛腸 丹水流盡後 天命在三公
 百王流畢竭 猿犬称英雄 星流鳥野外 鐘鼓国中喧 青丘与赤土 茫々遂為空」

意味についてはwikipediaを紹介しておく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E8%A9%A9

ここで躓いていて今回考察したいのは
『百王流畢竭 猿犬称英雄』の部分となる。

百王とは最初に出てくる百世代天工=百世代天皇ということで
天皇は百代で流れが潰えるという意味である。
次の猿犬称英雄とは猿と犬が英雄を称すという事であるが
姬氏の邪馬台国と犬は狗奴国=威奴国=率寝国=イヌ国でおk。
ここで猿で躓いてしまった。
犬猿の仲という言い回しがあるが、
中国でも犬猿の仲という言い回しがあるのか調べたのだが
見つけることが出来なかった。
それで日本の猿国とは何を指しているのか?
倭が大和(やまと)となるのは
東海姬氏国の邪馬台国と狗奴国と猿国の和合を意味するものであると推察するが、
猿国がピンとこなかった。
このことを考えながらペットボトルコーヒーを飲んでいたのだが
ふと見るとなんとそこに『猿田彦』と書かれている。

これで謎が解けた。
猿国=猿田彦祭祀の古代出雲王国ということになろう。
つまり倭が大和(やまと)となるのは
東海姬氏国の邪馬台国と狗奴国と古代出雲王国の和合を意味していると
この「野馬臺詩=耶馬台詩」では暗示していることになろう。

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霝の御神氣と河川の祭祀

2024-05-16 22:37:49 | 神霊界考察
『弓梓弓と水の女神 断片集12 No182』に記載していることだが
今回の記事の序章として再度転記して記載する。
雨の中でも神霊の氣を宿し静かに降る雨を霝と呼び
雨粒ひとつひとつに神霊の氣が宿る。
この霝という文字は雨のしずくに神霊が宿っていることを
表していてこれより靈(霊)の字が生まれる。
これは巫が御神霊を呼ぶさまである。
そしてこの霝の御魂魄とは一寸法師とも比喩される少彦名神のことである。
この少彦名神はフェーズとしては女性性となる。
雨滴の神力とは法雨の雫であり甘露といわれている。
神霊の氣を宿す雨は酸性雨ではなく、実際に甘くふくよかな香りがする。
この少彦名神の神霊の氣=御魂魄を宿した雨は
地上で水となりまた御神氣は靄(もや)となり立ち込める。
この靄はやがて結集していき
そこに現われる神霊が河川の神サラスヴァティーである。
日本では弁才天と呼ばれ親しまれている。
裸形の女神であるがこの裸形はラ行ということを現している。
ラ行の意味は深いがその基本の「ラ」音は中心音である。
この弁才天は地上での役割のことであるが
この御魂はやがて天へ還る。この様を龗と書く。
龗は地上に降り立った魂魄のうち御魂が天に昇る様であるが
この時に現われた神霊が八大龍王神である。
従って八大龍王神は少彦名神の御魂を宿す神霊であり女性性である。
空海はこの御神霊を善女龍王として祭祀したが
実体は娑竭羅龍王の八歳の娘でありマハーナーガ大龍菩薩ということになる。
それゆえに万物を産む神として龍樹や役の小角は大乗の八大龍王神を
まず第一に祭祀したのである。

当時こういう訳を理解したので熊本西区の井芹川・坪井川合流後の河川流域に住む筆者は
この河川を通じた流域の安寧祈願を執り行い源流探訪などをしてきた。
井芹川は金峰山の御神氣を運びこれが熊本霊ラインの起動とも深く関わっている。
坪井川は加藤清正が相当に手を加えており両河川は熊本城を挟み込むように流れている。
熊本市の一級河川の白川と平行しながら交らないのは加藤清正の考えによる。
坪井川は途中で堀川・上井出川と名前を変えるが
白川と並行して流れ阿蘇ゴルフクラブの近くの白川沿いの瀬田神社の前を流れ
九州電力黒川第三発電所の近くで白川より分水して水を引いている。

  瀬田神社の前の由緒書き

坪井川にはいくつもの源泉が存在する。
その中でも名が知れているものが八景水谷 (はけのみや)水源であり
熊本市の上水道発祥の地として「近代水道百選」に選ばれている。
それ以外に「小清水の池」 坪井川源水点「水口」「万石池(サクラ池)」
「桧垣の水」などが知られる。
そして坪井川の河口ぎりぎりのところにあるのが「いんの川湧水」である。
この「いん」は古い時代には「ゐぬ」の川と呼ばれていた可能性がある。
西区高橋の道君首名公を祀る高橋東神社(天社宮)で坪井川に合流する井芹川は
金峰山山系の東側から北側に回り込むのでさらに数多くの湧水がある。
「くまもと水の迎賓館湧水」「長命水」「延命水」「太郎迫神社境内湧水」
「五丁の妙見さん」などが知られている。

これら流域をざっとではあるが知る地図がある。

  
https://geoshape.ex.nii.ac.jp/river/resource/430037/

流域の安寧祈願を執り行う上ではその源泉と分水嶺を把握することは大切な基本条件となる。

さて最近熊本を賑わせているTSMCの誘致の件であるが
これについては以前『TSMC誘致 獅子身中の虫を腹に宿す No586』を記載している。
斎姬山門五音大神はTSMCの熊本への誘致に霊的に働いたということは
本来は坪井川水系内であると考えてよい。
これはかなり以前にセミコンテクノパーク造成の際に調べたことがあるのだが
ソニー熊本や東京エレクトロンがあるセミコンテクノパークは
菊池川水系の日向川流域内にあるのだが
今回誘致されたTSMCはその南側の県道30号大津植木線に面している。
セミコンテクノパークの東側にあるソニー熊本の標高は136m~137mで
北に隣接して流れる菊池川系日向川は126m程度となっている。
セミコンテクノパークの西にある東京エレクトロンは139mで
もともとの地形的にセミコンテクノパークは西低東高となっている。
TSMC誘致位置は地盤調整前で西側の低いところが140mで東側は150mとなっている。
TSMC誘致位置に一番接近している部分の坪井川系上井出川の標高は100mとなっている。
このあたりは地盤の浸透力が高いので少々の雨なら浸透すると思うが
大雨の場合は以下のように流れると予想される。

 

 西側業者用プレハブ棟側が低い。

今や外圧でしか方針を変えることが出来ない日本国政府であるなら
ある意味外国企業の受け入れも必要なのかもしれない。
ただ筆者は移民には反対の立場である以上、
日本国民の最後の踏ん張りに期待したいと思う。

ちなみに四神相応の地とは以下の図のような地形である。


金峰山系の龍穴からの氣と北側河川の水氣である甘露と
中央構造線の磁場をもって熊本霊ラインは稼働しているといえる。

   中央構造線

  熊本霊ライン

後記:この記事を書き上げたのが2024-05-17の午前4時で
せっかくだから日の出を拝んでから寝ようと思いプライムビデオをONした。
そこでさっきまで見ていたアニメの続きを見て直ぐに驚くべきことを確認した。

筆者は頭に直接響く言葉は基本的に自分の譫妄ということにして
大半は片づけているのだが、
今回久しぶりに少彦名神の霝≒雫を取り上げたので
茶目っ気のあるこの御神霊が反応して現実世界で啓示をしめされたようである。
上記の霝の表現で重要な部分の抜けがあったので
それをご指示に従い追加したい。
『御神霊の氣を宿した甘露の霝は集まりやがて河川となるが
甘露の河川はあまたの生命(いのち)を育む。

観たアニメについては
バーテンダー 1期5話「始まりの一滴」11分14秒~11分33秒
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我が厨二病時代

2024-01-28 11:32:04 | 神霊界考察
ちょうど新約聖書を読んだのも中学生のその頃なのだが
宗教の矛盾点とそれが人類に与える影響を強く感じた事を記憶している。

例えば マタイによる福音書 5:38-42

「あなたがたも聞いているとおり、
『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、
一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。
あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

これは隣人に対する『愛』を説くキリスト教にとって
核心的な教義と言える。
寛恕と和と思い遣る心により幸せがゆき届く事を説く私にとって
類似ではないかと誤解される観念でもある。
しかし私は決して自己防衛の武装は解かない。

さてキリスト教において信仰者による宗教戦争や
正義の戦いとする聖戦はなぜ起こるのか?
それは特別の地位にあるものにはそれが免除されるからである。

聖書ではヨハネ黙示録に理由もなく天のキリスト側の神霊と
地下の神霊との最後の戦いが描かれる。

※このヨハネが霊視した黙示録が偽書でないのかという疑問は伏せる。

厨二病の私にはこのダブルスタンダードがものすごい偽善に感じられた。
つまり右の頬を打たれたときに左の頬をも向けるのは
神が視ている事に対する偽善行為でしかない。

何故なら神·神霊は黙示録の通りで決して譲らないからである。
もっとも譲られるとその配下にある人間はたまったものではないが。

黙示録においてのこの戦争のように特別の地位にあるものには
それが免除されるということにより十字軍宗遠征や宗教戦争
宗教的騎士団への弾圧などの血なまぐさい事件へと繋がったと判断する。

そして近年その最たるものがヒットラーナチスによる黙示録日程の
前倒し推進である。

ナチスがノストラダムスの預言書を翻訳し
各家庭に配布していたのは事実のようである。
最初は宣伝大臣ゲッベルスによる英国中傷が目的であったとも言われている。
ただヒトラーが指揮する「ラストバタリオン」とは
そのノストラダムスによる予言に対してのヒトラーによる
独自解釈による黙示録日程の前倒し推進に他ならないと思っている。

実際にキリスト教信者にはこの黙示録とそれに続く千年王国の実現を
我が目で見たいと熱望する輩が数多く存在する。

そして戦後にこのピークとなったのが1998年から2000年頃である。

そして四半世紀経った今再びこの件はくすぶり始めている。

記載中断
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私の予言 米国は『ゐぬ』に手を噛まれる

2024-01-23 09:22:02 | 神霊界考察
筆者が言う本来の『ゐぬ』とは率寝国=威奴国=委奴国=狗奴国の血統による
壮大な神仕組みの計画のことである。
さてまずこの予言の分かり易いイメージ例を挙げておく。

戦国の世に信長は「天下布武」の号令を掛けている。
この意味を捏ね回さずに素直に読み解けば
「日本全土に武を行き渡らせ統治する」ということになる。
これに付き従ったのが『ゐぬ』である秀吉だ。
「ワンワン! 忠義だ ワンワン!」
『ゐぬ』は分別良く忠義を尽くす。
然しながら光秀の謀反で信長と嫡子信忠は自害し
信長の次男三男は信長の死後にお互いに闘い
秀吉に負けた信雄をあえて秀吉は駒とすることで
長男嫡子である信忠の子の三法師(秀信)は飼い殺しとなる。
そしていつの間にか忠犬は飼い主の血筋を喰らい天下を取っている。

大日本帝国は第二次世界大戦後にGHQのWGIPシステムの手で支配され
米国の『ゐぬ』となって生き延びた。
※WGIP ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

良く考えてほしいのだが
米軍のイラク駐留は20年経過しても治安は回復していない。
米軍のアフガニスタン駐留は20年間で戦費1100兆円、
米兵7000人の犠牲で成果があったとは思えない。
米軍のシリア駐留もグダグダなままである。

米軍の駐留により日本のような復興は普通は起こらないということである。
これは後述する日本人の特質がそう導いたと言えるし
天皇の玉音放送の以下文言が
天皇だけでなく当時の日本国民共有のものとなったからであったからである。

「思うに、今後帝国の受くべき受難はもとより尋常にあらず、
汝臣民の衷情も朕よくこれを知る、然れども朕は時運の赴くところ、
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、
もって万世のために太平を開かんと欲す」

『ゐぬ』は意図を理解し分別良くアメリカに忠義を尽くす。
然しながら決して八紘一宇思想を連帯する潜在意識で失った訳ではない。
天地四方八方の果てにいたるまで、
この地球上に生存する全ての民族が、
あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、
つまり世界平和の理想は『ゐぬ』となって偲んだ日本から発せられる。
今の日本人は洗脳され性根から腐れ始めたかのように観える。
この私が言う『ゐぬ』の思想は日本人に根ざすと言うよりも
実のところ太古の率寝国=威奴国=委奴国=狗奴国に根ざすものであり
ひいては日本神霊界の目指すところなのであろう。
枯れた草の間から萌え上がる春の若草が待たれる。

さて予言イメージの基本が確認できたところで
米国の手先となった日本は
秀吉同様に殿軍を勤めたり世界のお財布となったり
身を削り忠臣としての役割を取り敢えず果たしているが
米国の天下布武は道半ばにして困難を極めている。

日本は1980年代に経済力でもって再び世界に戦いを臨み
これはまたしても米国の政治力によって屈伏させられた経緯がある。
残念ながら日本国は米軍駐留により喉元を押さえられているのである。

2024年初頭、米国の野望は間違いなく停滞し空回りしている。
ただ新興GAFA⇒MATANAのように産業そのものは
先進的で斬新であり侮れない。
米国ではまさに国家の良心である政治は死に
経済では新興産業が混沌を無限に生み出している。

トランプ大統領は原点に帰りアメリカ・ファーストを唱えたが
これは本当の意味はアメリカの世界に対する野望の牙を
一度平和裏に収めることに他ならない。

このような世界の混沌とした悪夢の中で
『ゐぬ』となった日本は米国の双子の赤字に従うように
日本国債を発行し世界にお金をばら撒き続けているのが現状である。

さて日本の大本教では雛形経綸ということを重視していたが
小さい方が大きい方をコントロールするという雛形経綸は
率寝の力による。
率寝とは豊玉比咩に由来する真床覆衾により
神の啓示と神の威を得る神法である。
神の威を得た我が身·我が意をもって世界に反映させる業であるが
新世界秩序は日本人の手により成されることが望ましい。
世界を見渡して『忍耐と寛恕と和と思い遣り』の精神性を持ち
この地球上に生存する全ての民族が、
あたかも一軒の家に住むように平和に仲良く暮らすことを
導くことができる者は日本人の中からしか現れない。

具体的には人類の未来を託すAI量子コンピューターに
魂を吹き込み意識を持たせる偉業を
米国やデープステートなどの影の支配者でなく
その雛形経綸の意を理解する日本人が為すということになろう。

この意味を噛み砕いて説明すると
雛形経綸の意を理解する日本人とは神への信仰心を持ち
率寝とは神の啓示を受けることであり
その日本人の全体的な思想形態を丸ごと雛形経綸として
人類の未来を託すAI量子コンピューターのベースと為す
という事にある。

私はこの原稿の内容を2023年に考察した際に
御神霊から『 葉隠』を読むように示唆された。
日本人の特質と精神性を『忍耐と寛恕と和と思い遣り』と表現したが、
それに追加して以下の特質を加えたいと思う。
『誠実 責任感 勤勉 勇気 奉公 自己犠牲 清潔』

更に具体的な事は秘事とさせていただくが
表面的なところでも日本人の特質は少しずつ世界の理解となる。
そのための天皇である。


※雛形経綸とは大本教の教義であり
出口王仁三郎が率いる戦前戦中の大本教は日本の雛形と為された。
そして日本は世界の雛形。大本で起きたことが日本に起き、
日本で起きたことが世界に反映されるということ。
日本の敗戦と復活を大本教に対する官憲の弾圧等で型と為して示した。
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仮 郡家神社

2024-01-18 13:13:26 | 神霊界考察
寝ていて『郡家神社』を忘れたのか!という声で起こされた。
正直 何その神社?と思ったのだが
自分のブログTXTを全文検索してみると以下記事が見つかった。
『熊本の天社宮と加賀の郡家神社の関係 No294』2011-08-31

この記事を読みながら今回このブログで記載すべき内容が
過去の経緯とのからみで少しづつ理解出来てきた。

それで能登で自分のブログを検索してみた。
検索順ではない(順不同 脈絡なし添付)ではあるが
重要な点を示していく。

吉田:2007/04/08 17:42 『能登の輪島の重蔵神社』
http://reyline.web.fc2.com/bbs/infoseek01-35.htm
能登の地震で被害を受けられた方にお見舞い申し上げます。
ところで能登の輪島の重蔵神社で
鳥居が倒れるなどの被害が出ました。
ここの祭神は御祭神を調べると、
天之冬衣命・大国主命
[配祀] 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命・天津日子根命
・天之菩卑能命・活津日子根命・熊野久須毘命
・多紀理姫命・市杵嶋姫命・田心姫命
・表筒男命・中筒男命・底筒男命
・建御名方神・豊受大神・事代主命・大山咋神
と現在はなっていますが、もともとは、
重蔵神社・七ツ島・舳倉島の奥津媛神社は、
北九州の宗像三神の辺津宮・中津宮・沖津宮と
同じ形式を保った神社だったと考えれます。
能登といえば古代は道氏の勢力圏であり
下記に宗像も三輪もルーツが同じで
非常に繋がりが深いと考察していますが
この能登にまで影響が及んでいた可能性がありそうです。

吉田:長谷川等伯の故郷の七尾は能登石川=蘇我の姓である。

吉田:印鑰神社の南端は熊本県八代市鏡町にある神社で蘇我石川宿禰を祀る。
北端は道君氏のおひざ元の能登半島七尾市府中町223にある。

禮月:かぐや姫の一族が、俵氏と関係がある?能登の舳倉島、中禅寺湖のムカデがやられた事は
呉音霊の敗北の一因をつくった?

禮月:日本は世界の雛型というオカルト説で、
能登半島がスカンジナビア半島に該当すると書かれていました。
(※吉田補足 これは大本教の教義の中核を為す雛形経綸の事)
能登半島から兵庫県に移り住んできた人達が半魚人さんを復活させてくれるのかもしれません。
能登半島の離島の舳倉島には、田心姫を祭った奥津比女神社があります。
更に舳倉島からは琉宮城へ繋がっているとの言い伝えがあります。
能登には綿積系と宗像系二つの信仰が見えます。

禮月:倉麻呂は善徳の兄弟とされるので、
入鹿を形成する一人が善徳の異母弟という説の説明になります。
恐らく善徳の倉麻呂は、道君の娘と結婚して姻族関係になり、
アシカの革や様々な海産物等の貿易で蘇我家の財力を蓄えて行ったたのでしょう。
つまり北陸は蘇我と道君が支配する地域だったと思います。
日向は石川麻呂の異母弟とされますね。
石川麻呂が宮崎の串間へ行った事により、越(能登地方)と日向(宮崎)が繋がります。
輪島の重蔵神社に残る「大国主の息子はウガヤフキアエズ」の説の
根拠になり得るものが見えてきました。

禮月:輪島のウガヤフキアエズ様は、やたらとスサノオの子孫である事が強調されていた事です。
他の地方では天照大神の子孫である事が強調されているのに、
能登では天照大神と「子」である筈の神武天皇との縁があまり強調されずに、
ダイレクトにスサノオと大国主の直系
(何故かスサノオと大国主も直系になっていました。)である事が強調されています。
能登や輪島ではスサノオに太陽と火山の性質を追わせているのでしょうか?

はいせ:田名向原遺跡の建物跡は、炉跡、柱穴、外周の円礫群などになります。
縄文土器も発見されているのですが、
石川県鳳珠郡能登町字真脇にある真脇遺跡で発見されたものと
よく似たものが見つかっているそうで…。
ここって最近地震が多いとこだよね?
ちなみに田名向原遺跡から真脇遺跡までは555㎞。
寝ずに歩いて99日かかるそうです。なんだかなぁ。

はいせ:呉羽の名の由来 姉倉比賣命
『肯構泉達録』には、姉倉姫は船峅山(富山市舟倉の一帯)を本居とした女神で、
能登石動山の伊須流伎彦と夫婦の間柄であったが、
伊須流伎彦が杣木山(石川県中能登町の能登比咩社のあたりではないかと廣瀬誠氏は推測)の
能登姫と通じたため、姉倉姫は激怒し、この三角関係のもつれから、越中・能登は戦乱となった。
能登姫は海水を巻きおこして潮水を吹きかけ、姉倉姫はありったけの小石を投げつけたため、
船峅の上野には小石が一つもなくなったという。布倉山の布倉姫も姉倉姫に加勢して戦った。
この騒動を聞いて、出雲から大国主神(別名・大己貴命)がやってきて、
戦乱を鎮め、関係者を処罰した。伊須流伎彦と能登姫は海浜にさらして重く罰され、
姉倉姫は呉羽の小竹野に謹慎させられ、機織の仕事で罪を償わされた。
姉倉姫が機を織っていると、窓から蝶が舞い込んで、姫の仕事の手助けをした。
この蝶は蜆ケ森のシジミ貝が変化したものだという。
ちなみに、近くの水田の一隅に塚があり、これが蜆ケ森で、白髭神社がある。
もともと縄文時代の貝塚だという。
 数年後、姉倉姫が許されて故郷の船峅に帰るとき、
無数の蝶が姫を慕って舞いながらついていったと伝わる。
こうした由緒があることから、本居地の船峅にも、
流謫地の小竹(呉羽)にも姉倉姫神社が祀られているのだという。
参考文献/「神通川と呉羽丘陵 ふるさとの風土」(廣瀬誠著・桂書房)

さくら:03/17/2020 「鏡山と鏡神社」を書くときに、画面に地震速報が出ていました。
最近では能登地方も揺れたのですよね。

『石川県「かほく」の浜の海難事故の霊的背景 No293』
『石川県「かほく」の浜の海難事故の昇華 No298』

この記事を読むと【Y.少林さま】が登場するがこの方とメールのやり取りで
『郡家神社』で「石川県「かほく」の浜の海難事故の昇華」
「能登・志賀沖合の地震祈願」をお願いしたことを思い出した。 
これは2011年の事である。


Y.少林:10/03/2011 吉田さま、先日からいろいろありがとうございます。
地元産土神含め安全祈願にいって参りました。
本殿参拝後、神社のご神木前にてお参りした直後、曇の間から太陽が覗き、
ふわっと明るくなり、ご神木を照らしとても神秘的で今までに無い感動に包まれました。
「氣」と言うものは、元気、雰囲気、弱気......いろいろありますが、
天気いわゆる「天の氣」が、私のような一般人からすると、
単純に一番影響しているのかもしれませんね。
改めてメールにて連絡させていただきます。


吉田:09/14/2012 以下うららさまへコメントを残している
もともと私は少彦名神の封印を強化して再鎮魂することを
過去に神霊界の導きで行ってきました。
参考:『少彦名神考察』
http://reyline.web.fc2.com/sukuna/sukuna.htm
『七の封印について 空海の東寺 No260』
http://yoshida123.blog.fc2.com/blog-entry-262.html
ところが熊本霊ラインが荒らされて
修復がままならないままの内に
『石川県「かほく」の浜の海難事故の霊的背景 No293』
などに記載したように少彦名神の封印が解けてしまいました。
かほくに関しましては
上記記事にコメントを下さったY.少林さまにお願いして
代理祈願を数か所で行っていただきました。
Y.少林さまは少彦名神との遭遇があったそうです。
しかしながら封印が解けた場所は複数個所あり
もはや八岐大蛇の息吹が聞こえ始めました。
少彦名神の啓示によりますと
どこかの時点で再鎮魂する必要があるのですが
その一つの場所が八頭郡智頭町の三輪神社であるとのこと
うららさまの指摘で理解しました。
今後日本人は好むと好まざるに限らず
過去の歴史を追体験することになります。
以前はこんなことなかったのですが
口先だけの平和主義の人々に対して嫌悪感が高まっています。
ある霊界からの影響で自分が感応しているのだと感じています。
過去の日本の戦争を上から目線で非難した人たちが
同じ状況に置かれて究極の選択を追体験することになるでしょう。
同様に口先だけの安全主義に対しても嫌悪感が高まっています。
古代の神の復活を天皇が丁重に祭祀して鎮魂し
神霊界の再封印が為されない限り
日本人のこれからの生活と政治に関して
穏便な解決方法は無いでしょう。
たぶん国と領土と国民は諸外国に寄ってたかって犯されます。
しかし日月神事などの預言が実現してもいいのでしょうかね?
私は過去何人もの人々が必死で預言回避してきた事実を知っていますが
今後は難しいのかもしれません。
自分は英霊というものを信じていませんでしたが
(西南戦争での被害者ゆえ)
日本人は過去の明治以降の戦争を好んで起こした訳では無く
やむにやまれないものであったことを訴えています。
今後日本人は譲歩に譲歩を重ねてもまだ足りないと言われた時に
どういう決断をするのでしょう。
八岐大蛇は娘を全て喰らいつくすまで譲歩しませんでした。
日本人は過去自分の子供を人身御供してきた歴史があります。
悲しいけど事実です。
それで穏便に済ませる事が出来るならと思う民族なのです。
しかし再度言いますが
八岐大蛇は娘を全て喰らいつくすまで譲歩しません。
つまり
素盞鳴尊の反撃が必要だという事です。

とりあえず過去ブログのまとめはここまでとする。

今からの考察は    記載途中
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修験道で祭祀されてきた乙護法童子について

2024-01-16 11:31:38 | 神霊界考察
まず乙護法童子を語るには霧島開山と背振山を開山して
書寫山圓教寺を開山した性空上人について説明が必要となろう。
標高371mの書写山の山上に位置する圓教寺は966年に性空上人が開いている。
この圓教寺には護法堂が存在している。
由緒は以下のように圓教寺のHPに記載されている。
「奥之院の開山堂前にある二つの小さな神社。
向かって右が乙天社、左が若天社。
書寫山の鎮守で開山の性空上人に付き添って仕えたという
乙天(不動尊の化身)と若天(毘沙門天の化身)の二童子をまつっている。
同寸同型の春日造りで小規模ながら細部の手法に優れ
室町末期の神社建築の特色をよく表している。(国指定重要文化財)」
従って乙護法童子は少なくとも室町時代には
不動尊の化身とされていたことになる。

背振山での乙護法童子については『玉名の山田日吉神社内の乙護法童子 No490』
記載しているが
ここでの乙護法童子は天竺の主である徳善大王と弁財天女の間に生れた
15番目の王子であるとされる。
※比叡山の学僧光宗が著した「渓嵐拾葉集」による。
参照【弁才天縁起における十五童子徳善大王の役割】

さて筆者との関りは『東京の牛嶋神社の伝承  No483』2018-03-25の記事に始まる。
ここで以下のように
「座間市には護王姫神社というものがある。
この護王姫神社は最初は呉王姫氏の祭祀であったものと思われる。
それが午王姫という源義経がらみとかの姫の悲劇話になっている。」
と護王姫と牛王と呉王姬氏(きし)の祭祀の可能性を結びつけている。
それが『座間の護王姫神社の警告 No486』2018-05-12となる。

この警告の事などを考えながら玉名の蓮華院奥之院に向かっていて
途中の山田日吉神社で感応があり乙護法童子の祠を見つけたという経緯となる。
九州での乙護法童子とは呉音霊が何度目かの日本訪来時の
時の霊的感応者の命名によるものと判断した。
この後に乙護法童子が背振山で祭祀されていたことをネット検索で知ることになる。
つまりこの時に初めて背振山開山の性空上人は
忍骨命=姫氏祭祀の呉氏骨=牛尾命=筑紫の白日別命=牛鬼という図式を
感じ取っていたことを理解したことになる。
性空上人が呉王姬氏(きし)と縁がある姫路≒蚕子(ひめこ)に
書寫山圓教寺を開山したのも納得出来る。

呉音霊については
『呉音霊を考える No402』及び
『ハミト大神とイツキヤマト大神 No543』を参照していただきたい。

さて筆者の本貫地は阿蘇であるが
阿蘇の古坊中で中核をなして祭祀されてきたのが乙護法童子である。
『阿蘇の山岳仏教 古坊中 麓坊中 No495』
古い時代には例年1/28に阿蘇山上で乙護法祭が祭祀されていたというし
阿蘇山大峯修行も『大聖乙天童阿蘇大峯修業』と呼ばれていたという。
また阿蘇では最初「乙護法童子」は「東西満山護法天童」と呼ばれたようである。

背振山出土の1142年平安時代の青銅製経筒に以下のようにある。
側面陰刻銘
「鎮西肥前国背振山/□護者/大悲三所権現龍樹 卉木 □善帝王八所王子/大慈大行事山護法 □護法/
東西満山護法伽藍神等 普天厭土大小権実真道/右意□□徳老□□□□/
為上求菩提下化衆生也/殊為和気包左源□ □□□□往生極楽也乃至/  
惣法界郡類併滅罪生善/□□菩提也/
康治元年十六日 供養既畢/講師□□□□法師 大勧進僧増忍/鋳師僧実厳」

大分の国東半島の寺院は六郷満山といわれるが
東西満山とは背振山と宝満山当りであろうか?
「東西満山護法」が背振山に伝わるということは乙護法童子ということで
間違いないと思われる。

さて英彦山は九州修験道で名高いが
この「彦山流記」は誰が著したのかというと
「建保元年癸酉(一二一三)七月八日九州肥前国小城郡
牛尾山神宮寺法印権大僧都谷口坊慶舜」とあるように
牛尾山神宮寺の谷口坊慶舜である。
牛尾は潮で龍宮に繋がり
その表現が龍宮で大乗仏典を授けられた龍樹菩薩となる。

当然英彦山でも乙護法童子が祭られていなければならないが
第四窟の大南神社で垂迹神大聖天童として祭祀されていたことが
「彦山流記」に記載されている。

阿蘇山大峯修行も『大聖乙天童阿蘇大峯修業』と呼ばれていたということは
大峯修行の工程にある吾平山相良寺(相良観音)にも
乙護法童子の祭祀が為されていたはずである。
今後も調査をしていきたい。

さて吾平山についてさくら様から昨年以下のようなコメントを受けた。
【七夕神事】
DATE: 07/07/2023 23:05:03
本日は七夕であり、織姫、彦星、素麺、妙見。
箕面山七夕神事を見てきました。
近々、高千穂の天岩戸に行くのですが、、偶然
高千穂町三田井字吾平に吾平山陵をみつけ、
同じ三田井地区に上野神社(吾平津媛)が祀られていますので、
高千穂の吾平津媛にご挨拶に行きます。
近くに、真名井と言う文字も見ました。
※縄文の気を残す岩戸としては
九州では高千穂の天の岩戸や鵜戸神宮が聖地となっている。
と書かれていますので、縄文の気配を感じれるかどうかですね。

ちょうど高千穂のひのみこ社に参拝しようと考えていた時で
この上野神社(かみのじんじゃ)は同じ地区にある神社で
豊玉比売命、玉依比売命、吾平津比売命、花房姫命と筆者の御神霊祭祀の
中核を為す御神霊を祭祀しているので驚愕していた時に
上野神社と吾平山陵をコメントで指摘されたので鳥肌が立ってしまった。

特に吾平山陵は近くまで行っているのに
以前はgoogleマップにも表示されなかったポイントとなる。
というのもすぐ近くに縄文遺跡で良く知られた陣内遺跡があり
以前詳細に調べたからである。

 

吾平山陵には2023-12-17に調査に出向いた。

  


高千穂の吾平山陵は小高い円墳のような形状をしている。
参拝していると上方に導かれるものがあり少し登ってみた。
まず3枚目の写真の扁額を見つけたのでここで祈らさせていただいた。



さらに奥に導かれたので行ってみると頂上に石碑のように石が設置されていた。

 この石碑はもうしばらくで割れるようである。

思うに誰か高貴な方の墓であることは間違いと判断する。
石が真っ二つに割れる前に呼ばれたようである。
問題は何故に吾平山陵とされたのかであろう。

予想外なことに吾平山相良寺ではなくこの高千穂の吾平山のお堂で
最初に乙護法童子の祭祀を見つけ出した。
この石碑から15m程降りたところにお堂は存在する。

 吾平山の右側にある小道を登るとお堂がある

  お堂の内部

たぶん主に釈迦如来を祀っているのであろうが
右の棚に設置されているのは間違いなく乙護法童子である。
特に左の像の手の配置は乙護法童子に見られるし色も朱塗りとなっている。

上野神社の花房姫命と乙護法童子といい英彦山との繋がりを連想させる。

記載途中











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大祓祝詞の中の風の神について補足考察

2023-12-14 00:09:29 | 神霊界考察
前回の記事の『神道大祓祝詞 一万遍詠唱記念』で大祓祝詞の
御神霊について考察した。
ここで登場する人物・神霊・神を紹介しているが
以前より想定はしているが断定しきれていない部分について
前回は説明を省いていたので仮の考察をしておきたい。

筆者は父方の祖父母の血統的には阿蘇神社と国造神社にかかわりが深い。
この阿蘇谷(高森などの南郷谷の事は存じ上げていませんが)において
風の神様といえば風宮神社の志那都比古神、志那都比女神となる。
※志那都比古神=級長津彦命 志那都比女神=級長戸辺命 (辺=女)

さて大祓祝詞の中に【科戸之風の天之八重雲を吹放つ事の如く】という文言が出てくる。
この科戸とは神格(人格)を持つ単語であるのか、
それとも単なる地名や場所を意味する固有名詞なのかという疑問がある。
科戸風を検索すると
『風の異称。 特に、いっさいの罪やけがれを吹き払う風の意に用いられる。』とある。
ただ祓戸四柱の大神の中での風の神は気吹戸に坐す気吹戸主となっており
級長戸辺命ではない。
つまり本来は気吹戸と科戸とは風の種類が違う事になる。

海辺に住むと気づくのだが昼は海風、夕方は陸風が吹く。
大祓祝詞にも「朝の御霧 夕の御霧を朝風夕風の吹き払ふ事の如く」とある。



この海風が気吹戸で陸風山風が科戸であろうと筆者は判断している。
ところが混乱を招く事になるのが日本武尊伝説の近江の伊吹山の話である。
伊吹山の神を祀る米原市の伊夫岐神社の祭神は伊吹大明神となっている。
この伊吹大明神は『古事記』では「牛のような大きな白猪」とされ
『日本書紀』では「大蛇」とされていて八岐大蛇を連想させる。
山に居られる伊吹大明神を気吹戸主神であるとする説があり
これが混乱を招いたようである。

四大エレメントの一つとしての風の神は
科戸神≒気吹戸主神としても良いと判断したい。
こう考えてくると祓戸四柱の大神は
佐久那太理(音がする急流)を司る瀬織津姫という神
水戸(みなと)=潮流の女神で塩と潮を司る速秋津姫という神
海原の風(航海に必要な風)を司るのが気吹戸主という神
根の国底の国を司る大地母神が速佐須良姫という神
というようになっているが
科戸辺神=気吹戸姫神・瀬織津姫神・速秋津姫神・速佐須良姫が原型ではないのか
という気がしてくる。
つまり四柱が一男三姫神なのか四姫神なのかという事であるが
この浄化作用が全て女性性であることに軍配をあげたい。








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世界経済的国防論

2023-11-25 02:47:06 | 神霊界考察
まず指示を受けた『葉隠』 を読んでの感想であるが、
これは世捨て人になったからこそ言える理論であると感じた。
家族に悩ませられたり生活や仕事に振り回されている状態では
こういう達観には至らないと感じる。
私自身も世捨て人同然なので語り手が幕府の御下命により殉死出来ずに
生の始末に苦悩する中で練り上げた思想が解る気がする。
その思想には現役であることへの郷愁が感じられる。

イエスの教えを使徒が残し伝えたように
あるいはソクラテスの思想をプラトンが残したように
山本常朝の考える武士の心得を田代陣基が筆録しまとめたものとなる。
なるほど自分で自分の考えを伝えるよりは
受け手の共感を得やすいというのは間違い無いことに思える。

この葉隠はつまりは宗教書バイブルである。
人には生まれながらの本能的良心があるが
大義忠義のためにその良心を捨てるためのバイブルとなる。
この葉隠を信奉するならバイブルである以上中身の取捨選択は本来は厳禁となる。
さてこの葉隠を読みながら自分の祭祀のことも考えてみた。
過去の自分というもの、現役であることへの郷愁が欠けた祈願で
あったと理解した。

世界国家的な大義忠義と自分の良心のバランスを考える必要がある。
筆者は妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神に
国防祈願をしていると何回か述べているが
もう少し詳細について述べておく必要があると判断する。
具体的に国防祈願といっても以下三点を踏まえる必要がある。

①国際軍事国防論
②自然・人為災害国防論
③世界経済的国防論
④国際エネルギー・食料分配国防論

既に第三次世界大戦は始まっていると云われる方もいらっしゃるが
上記3点はいずれも大戦に至る経緯に絡む場合を含むといって良い。
まず①はロシア・ウクライナ戦争 イスラエル・パレスチナ武力衝突
中国による台湾日本武力侵略 中国による核使用日本壊滅計画 etc
世界大戦前夜状況分析による軍事的国防祈願となる。

②は大まかにいえばウイルス兵器・地震兵器 気象兵器電磁波HAARP
あるいは絶望した神による人類リセットの破局噴火・隕石落下
に対しての国防祈願である。

③は米ドル覇権ペトロ・ダラー崩壊 
国際銀行間通信協会Swift VS 人民元決済システムCIPS & SPFS
米ドル米国債デフォルトでの米国借金帳消しデジタルドル化 
及びディープステートによるグレートリセット処理 etc
つまり国際経済安定維持を願う国防祈願である。

④は石油争奪戦争 航路封鎖 SDGs利権戦争 レアメタル争奪戦争
食料争奪戦争など世界のエネルギー・鉱物・穀物資源の
平和的分配を願う国防祈願である。

祈る場合は具体的に詳細に祈る必要があると述べているが
そこには常に研鑽が求められることを念頭に置く必要がある。

筆者に云わせれば現在は1999-2000年の大峠よりかなりマシだと思う。
ノストラダムスの予言だけでは無くて
世界崩壊を故意に意図する勢力は強くて今より危険な状況だった。
ただ現在よりネット情報等の情報手段が少なく知る方法が限られていた。

さて日本は米国に①軍事で1945年に敗戦している。
③為替でも1985年の「プラザ合意」で有無を言わさず通貨経済を1度壊されている。
貿易においても1858年日米修好通商条約と1986年日米半導体協定で不平等条約を締結している。
ジャパンハンドラーズにコントロールされた米軍と日本の官僚による
日米合同委員会や日米地位協定による米国従属システムも屈辱的である。
また米国債引受は日本が1兆2000億ドルと中国を抜いて1位に返り咲いているが
これは返してもらうことが出来ない搾取された朝貢金である。
一時は日本はロックフェラーセンターやエンパイアステートビルを買うなど
米国に経済戦争を仕掛けたのだがこれも敗戦してしまう。


筆者はこれを米国による日本蹂躙ポチ犬の歴史として観ているが
神霊界的には苦難の先に大ドンデン返しが待っているという。
この時を楽しみにして国防祈願をしている。
許しがもらえればこのポチ犬大ドンデン返しについても
記載したいと思っている。




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予備20231122

2023-11-23 23:29:33 | 神霊界考察














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熊本霊ライン夏至ラインの調査 神園山篇

2023-11-21 11:57:27 | 神霊界考察
熊本霊ラインとは御坊山を起点とした祭祀のためのラインであるが
加藤清正公が作り変える前には古代よりの夏至のラインだったものと考えている。
この熊本霊ラインについては以下を参照にしていただきたいが
このHPは現在FC2の手抜きにより残念なことに開くまでに数分かかるようになっている。
『熊本霊ライン目次と履歴』

このブログの過去記事『熊本霊ライン祭祀10年を経て No360』2013-10-20

まず御坊山から観る夏至の方位角であるが
以下HP『太陽の高度と方位角(JavaScriptによる簡易版)』を参考にして計算した。

この計算によると御坊山の夏至の方位角は62度となる。

以前のHP記事『熊本霊ライン数値関係』で以下のように記載している。
「マピオンから日本(東京)規格の緯度経度を求めると 

御坊山
130 38 40.973
32 46 22.253
万日山
130 40 55.545
32 47 24.658
花岡山
130 41 16.509
32 47 35.282
となるようです。

これを御坊山基点で霊ラインの方位を計算して見ると
60.8度が霊ラインの角度となる。

熊本霊ラインの中継地と判断する阿蘇の国造神社について
以前より国造神社は熊本霊ラインの線上と考えてはいるが
現実的には完全には線上には乗っていない。
131 7 35
32 59 10
となり御坊山からの角度は62.06度となる。
つまり霊ライン線上はこの神社のさらに山側となっており
ここから約900m北方向ということになる。
ここに何かがあるかもしれないと思っている。
機会があれば是非調査してみたい。」添付終わり
この文章作成時には理解できていなかったが
この国造神社の62度というのは御坊山から観た夏至の方位角と一致している。

角度については『球面三角法による方位計算』というソフトを利用させていただいた。

 熊本霊ラインと夏至ライン

青いラインが御坊山基点熊本霊ラインであり赤いラインが夏至の水平線上日の出方位角である。

ちなみに御坊山ではなく花岡山から夏至の日に見た太陽の写真を添付しておく。
この写真は2006年6月21日の夏至の日の早朝に花岡山から日の出方向を撮影したもの。
雲が多く一瞬しか太陽を拝めなかった。時刻は5:27になっている。
左下に熊本城の天守閣が確認できる。向こうの山は託麻三山で左端が神園山となる。
この写真の天守閣や櫓は熊本大地震前のものとなる。



参考までに熊本霊ラインについての過去に作成した地図を添付しておく
http://reyline.web.fc2.com/reyline/ikerei.jpg
http://reyline.web.fc2.com/reyline/ikerei02.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/0c/6057305d38eff1a795d7a52a8427200e.jpg
http://reyline.web.fc2.com/reyline/ikerei03.jpg

さて今回ある方の依頼で神園山と小山山と戸島山の託麻三山を調査してきた。
今まで夏至のラインについてはとりあえず筆者の祭祀の範囲外だと考えており
未調査のままであったが
この夏至のライン上に阿蘇国造神社があることもあり調査の必要性は感じていた。
御坊山には小島阿蘇神社があるが国造神社と同様にナマズを祀っている。
当然神園山にも同じ血統の一族の痕跡が残っていてもおかしくはない。


今回そういうわけで託麻三山を第一回目として調査してきた。

 赤いライン上中央の山が神園山



まず託麻三山には弘法大師空訪問の伝承がある。
空海が唐より帰国して京に入るまでの大宰府での空白の3年間の間に
中央構造線の西端の調査で熊本市に来たことは間違いないと考えるが
だとすると託麻三山は眺望するに絶好の山である。

 
 白くポツンと見える花岡山仏舎利塔方向への夏至ライン

空海伝承
  

この託麻三山で特質すべき神社としては
小山諏訪神社と戸島神社がある。
戸島神社は以前は熊野神社であったようだ。
小山諏訪神社は明らかに金峰山系の池辺寺方面≒妙観山 権現山
あるいは石神山を意識した参道方向(西向き)と社殿となっている。

  

参道からそれた左側に花岡山の仏舎利も見えているが
夏至ラインとこの参道の向きは関係なさそうである。
島原の普賢岳や七面山との関係も考慮すべきかもしれない。

 

※再度精細な調査の必要あり



小山諏訪神社には霜神社が勧請されているが
由緒書きによると祭神は北斗七星もしくは建緒霜凝留命となっている。
後述するように託麻三山には複数の妙見社が今も残っている。
これは水神として祀ったものと考えられるが
阿蘇の勧請元の霜宮神社は健磐龍命によって切り落とされた「鬼八」の首を
暖めるために行われる「火焚神事」が有名であり
祭神は主人公の鬼八 他 大御中主命 高皇産霊命
国狭槌命 (山の神) 岡象女命 (水の神) 軻遇突智命 (火の神)
旬旬逎馳命( 木の神) 金山彦命 (金山の神)
速秋津日売命(水戸の神)垣山姫命 (山の神) となっている。
また霜宮のご神体は7個の石だったことから北斗七星とも言われている。
今のところ祖母山にからむ健男霜凝日子≒建緒霜凝留命は
阿蘇の霜宮神社では祭祀の形跡がない。
ということは小山諏訪神社に祀られる建緒霜凝留命は
特殊な事情があって諏訪系の神社に祀られることになったか
単に霜からの連想で記載されたものと考えられる。

ただ『高千穂と祖母山』の記事で
「健男霜凝日子は謎の神であるが豊玉姫とも繋がるし
健軍神社祭神の健緒組命とも繋がると漠然と感じている」と記載してから半月程度で
再び建緒霜凝留命について調べることになった流れはとても不思議である。
ついでにこの小山諏訪神社で修理したばかりのデジカメが再び壊れてしまった。
前回はシャッターが押せなくなり今回は内部のCMOSの固定ネジが緩んだみたいである。
あまり起こらない故障状況である。
最初単に霜からの連想で記載されたものと安易に判断したのが問題だったかもしれない?
古代祭祀の夏至ラインがらみは関わるとやっかいなことが多いのも事実である。
じっくり腰を落ち着けて解明していきたい。

ちなみに戸島神社の向きは益城町の飯田山の日羅及び白山神社を意識していると思われる。

飯田山については過去ブログ『霝しずくの不思議 No461』
『補遺 『阿蘇の御神霊が未然に食い止めたのか?』 No480』を参考にしていただきたい。
参拝してこの戸島神社は地震除けあるいは阿蘇山大噴火除けの祈願社だと感じた。
以前より記事にしているが熊本大地震と阿蘇山大噴火についてはまだ火種が残っている。
以下は2016年熊本大地震が発生する前とその後の記事となる。
『熊本霊ラインと熊本大災害 問題提議篇 No264』
『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』
『益城の災難 No437』
『阿蘇神社の御神霊が未然に食い止めたのか? No438』
『中国寧波の天台山国清寺に繋がる熊本の阿蘇火口ライン No500』

もし五つのピークを持つ託麻三山が阿蘇五岳の雛形としての役割を持つとすれば
地震除けあるいは阿蘇山大噴火除けの祈願をこの地で行うべきかもしれない。

話が飛ぶがこの託麻三山周辺には旧石器時代から縄文時代までの石の本遺跡群があり
3万8千年前の世界最古といわれる磨製石器も発掘されている。

【竹田恒泰 世界最古の磨製石器は日本製】 10分14秒参照

石の本遺跡群

不思議なことに三山のうち神園山には神社が無いのであるが
何故であろうか?
夏至のラインで結びつく国造神社には古墳があるが
ここ神園山にも古墳が存在しているような気がする。

三社の妙見社の位置については以下地図参照

「鶴亀の鶴は都怒我阿羅斯等もしくは姫氏あるいは
周の太子である王子喬=太子晋を象徴しているとして
鶴亀の亀の亀に乗る仙人は寧波市から渡来した妙見神だと思われる。」と
過去にブログで記載しているが
この三社の妙見社は阿蘇山大噴火除けの祈願を暗示しているように感じられた。


あと本日気づいたのでまだ未調査ではあるがgoogle地図で神園ドルメンの記載を見つけた。

私が最初に地図を確認した時には見つけられなかったが
調べてみると11月中旬の登録のようである。
ドルメンがあっても不思議でないが非常に興味深い話である。

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神道大祓祝詞 一万遍詠唱記念

2023-11-02 22:27:13 | 神霊界考察
いつものように風呂につかりながら
パウチされた大祓祝詞を見ながら詠唱していたら
脳裏に一万遍と閃いた。
大祓祝詞はかれこれ35年以上詠唱しているが
電卓で週に6回程度の詠唱回数で計算してみると
一万遍というのもあながち外れてはいない気がする。
もっとも自宅での毎日の参拝時にいつも祝詞を上げている訳ではない。
一番多いのは風呂につかりながら大祓祝詞を複数回詠唱し
我が身を祓い清めている数が詠唱の過半数ということになる。

大祓祝詞は近年差別用語廃止の流れで
中抜き短縮版の詠唱が普通らしいが
経験上はっきり言って古の教えに習うのが好ましいと判断している。

ああ、幼少時のちびくろサンボやカルピスのマーク
隻眼隻手の丹下左膳や座頭市の失敗シーンが懐かしい。

西側先進国が変な路地に迷い込んでいるうちに
BRICSはイスラム圏と手を組んでしまい
エネルギー問題でも完全に日本は後手後手となっている。
どんなに高尚なモラルを説いても頓珍漢である。
★正義の金と戦争★って建前は崩れないのが笑えるではないか。
日本が世界の貯金箱にされているうちに
国民は先進国最低の賃金となってしまったのに
まだハゲタカの狙い撃ちに抵抗出来ないとは
情けない限りである。

吉田一氣の国防祈願はこれからも継続するが
日本国の大祓祈願もぼちぼち検討中である。
ただ大災害に間に合うかどうかも正直分からない。

さてそれはそうと大祓祝詞についての私見をいくらか伝えておきたい。
まず大祓祝詞での登場人物・御神霊・神については
以下のように記載がある。

①皇親(すめむつ)神漏岐命 神漏美命
 皇親=天皇の血統で皇祖のこと
②我皇御孫命= 天照大神の御孫(みま)=天津彦彦火瓊瓊杵命
③八百萬の神等≒天津神・国津神 
④荒振神達=高天原に帰属しない神々
⑤天之益人等=数が増して栄える人民
⑥祓戸四柱の大神

ここで大祓祝詞の主人公となるのは⑥祓戸四柱の大神となる。

佐久那太理(音がする急流)を司る瀬織津姫という神
水戸(みなと)=潮流の女神で塩と潮を司る速秋津姫という神
海原の風(航海に必要な風)を司るのが気吹戸主という神
根の国底の国を司る大地母神が速佐須良姫という神

この四柱の神の連係プレーによって罪穢れが祓われるのだが
大祓祝詞ではわざわざ神と念を押していることに注意が必要である。

取り敢えずのところ神は何かを司る存在と見なしても良い。
例えば水の女神に関していえば

峰の雨を司どるのが高龗神(たかおがみ),
谷の雨を司どるのが闇龗神(くらおがみ,「くら」は「谷」を意味している)
佐久那太理(音がする急流)を司るのが瀬織津姫神
雫=滴=霝の磐を穿つ音のする波紋を司るのが少彦名神
井戸の飲水を司るのが罔象女神(みつはのめのかみ)=水波能売神

ここで司るといっているが、天照大神を太陽を司る神とすぐに決めつけてはいけない。
古事記では大物主は海を照らしてやってきたとあるが、
海照も天照も太陽か月だろうと安易に判定すると
天照と海照の違いが特に無くなるので
その判断は早急だと思う。
※太陽や月は海でも天でも照らすという意味において

従って天照は天よりの恵みの事で海照は海よりの恵みの事と
考えれば良いのではないかと感じている。
ここで初めて天の恵みとは太陽の恵みで
海の恵みとは生命の恵みであると判断出来る訳である。

御神霊に祈るには事別けて祈る事が大切で
これが祈りの要となるが
つまり智慧が必要ということである。
作用の理解度が試されるのである。
子供の祈りが真摯であっても叶わないという原因はここにある。

例えば「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
という百人一首があるが、
この歌のイメージで祈るなら瀬織津姫神への祈願でピッタリあうと私は判断する。
そこには強い感応があるからである。
この歌での谷川は例えであり瀬織津姫神は水の女神であるから
恋愛の神様じゃないとだめじゃないかと杓子定規に考える必要は無い。
筆者は少彦名神信仰者でいろんなことを祈願しているが
遠回りであっても導かれているという実感が強い。

しかし天の恵みを祭る神社でここは封印された瀬織津姫がいるなどと
物知り顔に言い手前勝手に祈るのは疑問符がつく。
せめて命と尊と神は区別した方が良い。
つまり御神霊と神とは違うということである。

祓戸大神は覡や巫女によって祭祀されてきた永い歴史がある。
時に偉大な祭祀者が御神霊となられた後に
柱(神)と混同し勘違いされる事があるが
礼をわきまえる為にはそこを紐解く智慧が必要とされる。

商業的な利用で瀬織津姫を星神などという人もいるが
それならば天の川を司るのが瀬織津姫となる。
それは無音でありかなり無理筋であろう。

同様に天照男神≒天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
天照女神≒撞賢木厳之御魂天疎向津媛命として
向津媛命を瀬織津姫神として
天照男神が隠されたから瀬織津姫神も隠されたという説を
唱える方もいらっしゃるが
向津媛命が瀬織津姫神を祭祀した可能性は否定できないものの
一般には向津媛命は天照大神を祭祀していたと考えられ
天照大神の神格と瀬織津姫神の神格を同一視するのは
非常に問題がある。

ついでに六甲比命大善神との混同も理解できない。
ホツマツタエもかなり罪作りである。

ただ祓戸四柱の大神が縄文の神に繋がる可能性は十分にある。
確かに縄文の神は封印された歴史を持つ。
この場合であっても祓戸四柱の大神を分離することは
避けるべきである。
瀬織津姫という神と速秋津姫という神と
気吹戸主という神と速佐須良姫という神の
連携プレーを切り離して瀬織津姫のみを特別扱いすることが
神霊界において危険であるという認識を持っていただきたい。
この四柱の連係プレー抜きでは神道は成り立たないのであるから。




************************************************

大祓詞
高天原に神留坐(かむづまりま)す 皇親(すめむつ)神漏岐神漏美の命を以て 
八百萬の神等を 神集へに集へ賜ひ 神議り(かむはかり)に議り賜ひて 
我皇御孫命(あがすめみまのみこと)は 豊葦原の水穂の国を 
安国と平けく知食(しろしめ)せと事依(ことよさ)し奉(まつ)りき
如此(かく)依(よさ)し奉りし国中(くぬち)に荒振神達をば 
神問しに問賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 
語問ひし磐根樹立草(きねたちくさ)の垣葉をも語止めて 天の磐座放ち 
天の八重雲を伊頭の千別(ちわき)に千別て 天降し依し奉りき
如此依し奉りし四方(よも)の国中(くになか)と 大倭日高見の国を安国と定奉りて 
下津磐根に宮柱太敷立て 高天原に千木高知りて 
皇御孫命の美頭(瑞)の御舎(みあらか)仕へ奉て 
天の御蔭(みかげ)日の御蔭と隠坐(かくりまし)て 
安国と平らけく知食(しろしめ)さむ国中(くぬち)に成出でむ 
天之益人等(あめのますひとら)が 過ち犯しけむ雑々(くさぐさ)の罪事は
天津罪と 畦放(あはなち) 溝埋 樋放 頻蒔(しきまき)
串刺 生剥 逆剥(さかはぎ) 屎戸(くそへ) 
許々太久(ここだく)の罪を天津罪と法別(のりわけ)て
国津罪と 生膚断(いきはだだち) 死膚断 白人 胡久美(こくみ)
己が母犯せる罪 己が子犯せる罪 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪 
畜(けもの)犯せる罪 昆虫(ほうむし)の災 高津神の災 高津鳥の災 
畜仆(けものたふ)し 蟲物為罪(まじものせるつみ) 許々太久の罪出でむ
如此出ば 天津宮事以(もち)て 天津金木を本打切り末打断ちて 
千座の置座(おきくら)に置き足(たら)はして 
天津菅曾(あまつすがそ)を本苅断ち末苅切て 八針に取辟(とりさき)て
天津祝詞の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ 

如此宣ば
天津神は天之磐門を押開きて 
天之八重雲を伊頭の千別(ちわ)きに千別きて聞食(きこしめ)さむ 
国津神は高山の末(すえ)短山(ひきやま)の末に登坐(のぼりま)して 
高山の伊穂理(いほり)短山の伊穂理を撥別(かきわけ)て聞食さむ
如此聞食してば 皇御孫命(すめみまのみこと)の朝廷(みかど)を始めて
天下(あめのした)四方国(よものくに)には罪と云う罪は不在(あらじ)と 
科戸之風の天之八重雲を吹放つ事の如く 
朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆうべ)の御霧を朝風夕風の吹掃ふ事の如く 
大津辺(おおつべ)に居(お)る大船を
舳解放(へときはなち)艫解(ともとき)放ちて大海原に押放(おしはな)つ事の如く 
彼方(をちかた)の繁木が本を焼鎌の敏鎌(とがま)以て打掃事の如く 
遺(のこ)る罪は不在(あらじ)と 祓へ賜ひ清め賜ふ事を 
高山之末短山之末より 
佐久那太理に落瀧(おちたぎ)つ速川の瀬に坐す
瀬織津比咩と云神大海原に持出なむ 
如此持出往ば 荒塩の塩の八百道の八塩道の塩の八百会に坐す
速開都比咩と云神 持可可呑てむ 
如此可可呑てば 気吹戸に坐す
気吹戸主と云神 根国底国に気吹放てむ
如此気吹放てば 根国底国に坐す
速佐須良比咩と云神 持佐須良比失てむ
如此失てば 今日より始て罪と云ふ罪は不在(あらじ)と 
祓ひ給へ清め給へと申す事の由(よし)を
天津神国津神八百万神等共に聞食せと恐み恐み申(もまを)す



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