この記事は前回の『八代の鎮宅霊符神』の続きとなるが
八代霊符に挟まっていた菊池の天地元水神社の御札が気になる理由について説明したい。
そこには元祖河童と河童に似て非なるものとが生み出された理由の謎がある気がする。
まず八代の河童伝承は九千坊河童伝承として語り継がれている。
本の題名は失念してしまい作者には申し訳ないが
伝承については添付内容を参照していただきたい。
『九千坊河童伝承』
この記事から分かるように深沙大王と繋がる黄河の精である海若=河伯と
九千坊河童は敵対していて別の系統と想定できる。
では天地元水神社伝承の河童はどういう由来かというと
実は全く本来の河童とは縁が無い話となる。
左大臣橘諸兄の孫である兵部大輔の島田丸が
藤原氏の氏神社である春日大社を造り上げる際に
九十九体の人形に秘法で命を与えて神社建築の労働力としたが、
神社完成後に不要となった人形を川に捨てたところその人形が河童に化けて
人々に害をなすので島田丸がそれを鎮めたので
それに由来して河童を兵主部(ひょうすべ)と呼ぶようになったといい
また子孫である橘姓の渋江公俊が祭祀のお墨付きを得たという。
この話を聞く限り
本来の河童が存在するはずなのに人形が化けたものとされて
河童の正体が消されてしまったように感じられる。
ましてや春日大社造営となるとまさに藤原氏の歴史封印の一環と考えたくなる。
では何を隠し封印したのか?
もちろん渡来したパミールの河童族に関するものであろう。
ところで奈良の三輪山の隣にある穴師坐兵主神社は河童と繋がる神社であるが
社伝によると祭神は矛を御神体とする武勇の神であり相撲の祖神でもあるそうだ。
ここで菅原氏の祖である野見宿禰と當麻蹶速が相撲を取っており
相撲神社として祭られている。
この穴師坐兵主神社の神紋は「橘」であり左大臣橘諸兄と繋がる。
全国に兵主神社はあるようだが
いろいろと調べてみると天之日矛(天日槍)との関係が深い。
つまり封印されたのは、河童族とヒボコ族と想定したい。
問題は河童=ヒボコとしても良いものかということだ。
この件に関してはもう少し調査したい。
ただ藤原氏とヒボコ伝承等を含めて記紀での外国との接点に関しては
全て朝鮮との関係で語られるが、
実際は中国大陸からダイレクトに八代入りした集団が間違いなく存在している。
この消された一族と藤原氏との関係を来年は明確にしていきたいと思っている。
橘姓の渋江氏が奈良から肥前長嶋庄の潮見神社 肥後の天地元水神社と創建しながら
童話的な河童伝承を広めた後ろに見え隠れするのは藤原氏であるといえよう。
天地元水神社のgoogleのストリートビューとMAP
※20160503追記
上記河童について河童=ヒボコとしても良いものかということについて
もう少し調査したいと記載しているが
その後の経緯については
『香春の呉音霊 No403』にて考察しているので
参考にしていただきたい。
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八代霊符に挟まっていた菊池の天地元水神社の御札が気になる理由について説明したい。
そこには元祖河童と河童に似て非なるものとが生み出された理由の謎がある気がする。
まず八代の河童伝承は九千坊河童伝承として語り継がれている。
本の題名は失念してしまい作者には申し訳ないが
伝承については添付内容を参照していただきたい。
『九千坊河童伝承』
この記事から分かるように深沙大王と繋がる黄河の精である海若=河伯と
九千坊河童は敵対していて別の系統と想定できる。
では天地元水神社伝承の河童はどういう由来かというと
実は全く本来の河童とは縁が無い話となる。
左大臣橘諸兄の孫である兵部大輔の島田丸が
藤原氏の氏神社である春日大社を造り上げる際に
九十九体の人形に秘法で命を与えて神社建築の労働力としたが、
神社完成後に不要となった人形を川に捨てたところその人形が河童に化けて
人々に害をなすので島田丸がそれを鎮めたので
それに由来して河童を兵主部(ひょうすべ)と呼ぶようになったといい
また子孫である橘姓の渋江公俊が祭祀のお墨付きを得たという。
この話を聞く限り
本来の河童が存在するはずなのに人形が化けたものとされて
河童の正体が消されてしまったように感じられる。
ましてや春日大社造営となるとまさに藤原氏の歴史封印の一環と考えたくなる。
では何を隠し封印したのか?
もちろん渡来したパミールの河童族に関するものであろう。
ところで奈良の三輪山の隣にある穴師坐兵主神社は河童と繋がる神社であるが
社伝によると祭神は矛を御神体とする武勇の神であり相撲の祖神でもあるそうだ。
ここで菅原氏の祖である野見宿禰と當麻蹶速が相撲を取っており
相撲神社として祭られている。
この穴師坐兵主神社の神紋は「橘」であり左大臣橘諸兄と繋がる。
全国に兵主神社はあるようだが
いろいろと調べてみると天之日矛(天日槍)との関係が深い。
つまり封印されたのは、河童族とヒボコ族と想定したい。
問題は河童=ヒボコとしても良いものかということだ。
この件に関してはもう少し調査したい。
ただ藤原氏とヒボコ伝承等を含めて記紀での外国との接点に関しては
全て朝鮮との関係で語られるが、
実際は中国大陸からダイレクトに八代入りした集団が間違いなく存在している。
この消された一族と藤原氏との関係を来年は明確にしていきたいと思っている。
橘姓の渋江氏が奈良から肥前長嶋庄の潮見神社 肥後の天地元水神社と創建しながら
童話的な河童伝承を広めた後ろに見え隠れするのは藤原氏であるといえよう。
天地元水神社のgoogleのストリートビューとMAP
※20160503追記
上記河童について河童=ヒボコとしても良いものかということについて
もう少し調査したいと記載しているが
その後の経緯については
『香春の呉音霊 No403』にて考察しているので
参考にしていただきたい。
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そう河童なんです。父のルーツは。橘であり、朝鮮由来でなく中国由来です。そうヒボコも新羅とかになってますが、あえてそうなっている方は違うふうに思ってしまいます。日であり火でもあるヒボコなんです。猿田彦ルーツですね。
今日は七夕で合羽橋の七夕行ってくればよかったなあ?そう近くに秋葉神社がありハニヤスヒメがいます。風の神と愛宕の神。河童はおそらく彦さん?胡瓜もお供えしてありますね、お寺の方で。そう最近知ったのですが、千住のスサノオ神社でも胡瓜大事みたいです。スサノオと河童も関係ありそうですよ。この河童を私は安曇としていますが、その中にも違うルーツが混在、阿倍と安倍でも疑問でてきています。
わたしは自分の体験だけが自分の考えの源です。なのに合うというのが嬉しいです。そして春日も河童が関わってくるならやっぱりって思います。家族の人間ウォッチからですからだけですが。3092
3は、ヒボコで火山や井戸の神、9は春日さん、2は稲田姫とスサノオ、いい数字ですね。
つまり呉音神祭祀が最初にあった神社です。
そこに新羅の天日槍が入り込んでいます。
一般には製鐵技術を持つ天日槍が信仰していたのが
蚩尤というような説明になりますが
実際はそもそも倭国に呉音神祭祀が
持ち込まれた時代はもっと古いものと思われます。
他の方に説明する気力もないので、誤解はされやすいとは思いますが吉田さまに微かでも伝わればと思います。
きふと変換したら貴船が出てきましたよ!お墓を見たのは回向院だったと思いますし、江戸東京博物館の家康像は亀の甲羅の上のおはかの上に乗っています。
嶋もフゲキのキーワードになるとも思います。1966 地震落ち着いてくれる事を祈ります。
※神神社では岡の上の2本の杉の前に三ツ鳥居が建っていました。
Wiki 三ツ鳥居
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%83%84%E9%B3%A5%E5%B1%85
九州旅で最後の日は嬉野温泉に泊まったので、トロトロぬるぬるの嬉野温泉を堪能し、豊玉姫神社にご参拝後、八天神社の「殷の鳥居(瀛の鳥居)」という石造りの三ツ鳥居を見てきました。住所が嬉野市塩田町大字谷所乙766で、石造の眼鏡橋が有名なようです。案内板(抜粋)によると
「御祭神:火之迦具突智大神、建速須佐之男大神、火神の御神系の神々
肥前の国の中心なる藤津の里、唐泉山(火山)を御神体とし、後年、八天狗社として奉祭」とのこと。
こちらから武雄神社に向かう途中、潮見神社に連れて行かれました。カッパがいっぱいでなんだろうと思っていたのですが、こちらで記事にされていたのですね。しかも続きは「『香春の呉音霊 No403』にて考察しているので参考にしていただきたい。」って。
川古の大楠のところでは黒髪山の大蛇退治のからくりがあり、鎮西八郎為朝の伝説と楠木で調べていたら、ネット情報で扶桑伝説とハハキに行き着きました。大荒東経では、「大荒の中に山あり、名は孽揺頵羝。山の上に扶木(扶桑)がある。高さ三百里、その葉は芥菜(からしな)のよう。谷あり、温源の谷(湯谷)といい、その湯の谷の上に扶木があり、一個の太陽がやってくると、一個の太陽が出ていく。(太陽は)みな烏を載せている。」とあるそうで、そちらを紹介された記事ではさらに「四川省三星堆遺跡から九羽の鳥を持つ神木状の青銅器(殷代晩期)が発見されたことで、これが扶桑を象ったものであろう。またこの青銅器にも竜がまとわりついている。」と記載されています。
う~む。なんだかぐるぐるしています。