goo blog サービス終了のお知らせ 

吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

日本における呉の太白の祭祀 No429

2016-02-14 22:58:00 | 神霊界考察
筆者がいう呉音霊と呉の太白と倭国の結びつきについては
確信的なことが言えるわけではない。
ただ日本人には中国春秋の呉人の影響があるということ
具体的には縄文から弥生時代という変化には
呉人のもたらした技術や文化が絡んでいることを理解している。

また現代に残る呉音の響きに神霊の作用が色濃く残っており
日本人の精神性に深く影響しているということだ。

そして呉音霊のシンボルは高千穂の峰の青銅劒の『天の逆鉾』として残り
そこから天孫降臨の秘密が漏れだしているということが言える。

この渡来した呉人が倭国の青銅技術と製鐵技術の革新的発展を
もたらしたことを確信しているが、
歴史的背景としては『呉音霊を考える No402』に記した通り
倭は自ら太伯の後という、俗みな文身す という伝承がある。
もちろん血縁的に太白の後と直接的に結論付けするのではなく
倭国建国に春秋の呉の姫氏の一族が大きく関与している
という意味合いにとる程度でも良かろうと思う。

ここから香春の調査等で展開されたのが
牛斬の都怒我阿羅斯等が呉系であるということ。
都怒我阿羅斯等と神社で祀られる牛像 子孫の鶴賀氏と角鹿氏 地名の敦賀
神霊の炎帝神農氏 兵主神の蚩尤 盤古神に深い関わりがあることであった。

都怒我阿羅斯等に関係があるとされる東国東郡姫島村の姫語曽神社は
姫氏と呉人楚人の血統を意味することも分かってきた。

また九州の大隅正八幡(鹿児島神宮)の縁起による
「震旦国(インドから見た中国)の陳大王の娘の大比留女は
七歳の時に朝日の光が胸を突き、懐妊して王子を生んだ。
王臣達はこれを怪しんで空船に乗せて、
船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべた。
船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着き、
その太子を八幡と名付け姫は聖母大菩薩と名付けたと言う。
聖母大菩薩は筑紫の香椎聖母大明神のことで神功皇后ともされている。
時代は継体天皇の代のことであると言う。」との記載

ここにも中国春秋の陳国が出てくる。
国姓は嬀。
五帝の一人である舜の末裔であるが字音はギ・キで
呉の姫の字音 キと混同された可能性も大である。

これらが全部集約された秘密となるのが
香春と繋がる宇佐神宮であり
辛国息長大姫大目命と神功皇后の秘密でもある。

さて背景はともかく呉音霊を慰撫し呉音神に昇格し
国防と技術革新の柱として祭祀するのは
過去の祭祀の調査が肝心でありその努力を続けている。

大隅正八幡(鹿児島神宮)には呉の太伯が唯一祭祀されているという
情報があったが実際に出向いたところ
『呉の太伯を祀るという鹿児島神宮に参拝 No406』に示す通り
その気配は薄い事が判った。

その後の調査で九州宮崎県の諸塚山には句呉の太伯が生前に住んでいて
死後に葬られたという伝承があることが分かった。
諸塚山はその太伯を祀ったことから太伯山とも呼ばれている。
今ある諸塚神社はもとは諸塚山の中腹にあったとされ、
1871年に七ッ山神社に改称するまで「諸塚太白太子大明神」となっていた。

  

「昔唐土の大代大八という者、この地に来りて岩窟に入り、
籠居二十一日遂に出ず、里人祠を立ててこれを祀り、諸塚大白太子大明神、
又は諸塚大白山大司大明神社(諸塚太白山大司大明神社)と称したと伝える。」
(七ツ山神社明細帳1890年)

この情報に接したときになるほどとピンとくるものがあった。
高千穂の南側山中に知る人ぞ知る秋元神社というものがある。
30年前まで道が整備されていなくて行くのがかなり怖かった秘境にある神社だ。
この神社は高千穂神社の元宮だとか
国常立神を祭祀するために鬼門を向く特別な神社だとか言われている。
実際にこの神社の霊的ポテンシャルは非常に高い。
その理由が今一つ解っていなかったが以下に示す通り
超強力な呪詛によって為された呉音霊の封印社だったと言う訳だ。



健磐龍命には鯰伝承がある。
健磐龍命は祖父の神武天皇の命をうけて阿蘇山へ至り、
外輪山の上から目の前に広がる湖を眺めて
その広大さに感心して、水をなくして田畑を造ろうと考えた。
そこで水のたまる外輪山の一部を蹴破り水を流した。
ところが底から巨大な鯰が現れ湖水をせき止めていたので、
健磐龍命は刀で鯰を切りようやく湖水は流れていったという。

この鯰は呉音霊の神格化されたトーテムであり
この呉音霊を健磐龍命の一族が祀ったのが諸塚太白山の古神社で
そこから勧請されたのが秋元神社ということなる。
そしてこの祭祀に携わった人々は
呉音霊=狗呉太白=国常立尊として祭祀していることになる。

先日呉音霊の祭祀に当たり『阿蘇国造神社 鯰社参拝』を参拝してきたが
やっと阿蘇神社祭神の健磐龍命と狗呉太白と呉音霊が繋がった気がする。

参考までに健磐龍命が蹴破ったのは外輪山で阿蘇は二重カルデラであるが
この二重カルデラの阿蘇の雛形となるのが東京の青ヶ島である。



諸塚山の参拝記は『九州中央 諸塚山奥宮参拝記 No501』に記載









コメント (232)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縄文時代の鉄生産遺構について No428

2016-02-12 09:09:02 | 神霊界考察
以前『兎に角カッパ No404』
国東半島の重藤遺跡は
縄文時代の製鐵所跡という記事を記載しているが
日本の歴史学者が鉄の使用は弥生以降に
朝鮮からの渡来と大合唱している中で
ぽつぽつと情報が流出している。

しかしこのブログでは春秋の呉人が
日本に青銅と製鉄の技術をもたらしたんではないかという視点で
九州の製鐵所跡の発見報告に期待しているのだが
どうも最初の歴史学者&マスコミの認定は東北になりそうな気配だ。

岩手県立埋蔵文化センター所報(No.129)にも
『わらびてPDF』
奈良時代から平安時代にかけての製鉄所の山田町焼山遺跡の記事に紛れ込ませる形で
沢田Ⅲ遺跡の産鉄遺構の記事が出ている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする