吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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乾涸びて死ぬことの意義 No342

2013-02-17 22:34:58 | 神霊界考察
延命治療の必要性は認識しているのだが
これには自分の宗教的観点から意見を述べると
臨終の際の問題が若干あるように思う。
最近は畳の上で死ぬ人間が減ってきていると思うが
昔であればお迎えが来る頃は大抵は病に臥し
畳の上で乾涸びて死んでいったものだ。

この乾涸びて死ぬことの意義を最近痛切に感じている。

弘法大師や高僧の即身仏というものは
決してミイラのことではないが
肉体を残すのが仏教的なら
肉体を残さない尸解(しかい)は道教的な解脱だ。
両者共に成仏の前は基本的に乾涸びている。
これには訳がある。
肉体の構成要素のエーテル体が分離する際の
つまり生から死への移行の際の
ショックを和らげる為には
体が乾涸びている方が良いのだろうと判断している。

人間の肉体は意外と物識りで
死を目前にすると空腹感を喪失し
強制的に摂取させない限りは乾涸びるように出来ている。
尤もそれをIVH(高栄養点滴)などで延命しつつ
峠を越えさせ生還させる例も数多い。
しかし生還の奇跡も期待できない場合などで
延命治療中の死は
肉体に死の準備が出来ていないだけに
魂魄分離に困難が生じる。

乾涸びて死ぬことの意義とは死ぬことへの準備であり
もちろん釈迦が言うように悟りへの道ではない。





老化による自然死とは基本的には
空腹感と苦痛を喪失し乾涸びて死ぬことと言えよう。


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