菊池の龍門ダムの神龍八大龍王神社について
『神龍八大龍王神社の功徳 No034』
『龍神信仰 No075』
『菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251』
などで記事にしているが
この菊池の龍神は西原村で祀られる龍神と同じ神紋を持っている。
2011年に記載した『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』では
地震鎮護祭祀とこの地域の八大龍王神の関係について述べている。
つまり熊本大地震が起こる以前より
西原・菊池の龍神が地震鎮護祭祀の要であることを理解し
功徳のある八大龍王神に昇格することを
西原の白山姫神社等で祈願している。
『阿蘇神社の御神霊が未然に食い止めたのか? No438』
の地図が示すように自分が祈願した神社の配置は阿蘇山の噴火を抑えるのが主目的のようだ。
しかしながら西区で熊本霊ライン祭祀を主催するようになって
自分の祭祀の中心が変化したために関係が微妙にこじれている。
地震祈願に関しては以前より気にしていたのだが
2011年に記載した『地震災害復興祈願 志賀海神社にて No243』で述べているように
最初の地震が起こった後に
次の地震が小さくなるのかあるいは次の地震が大きくなるかで
過去に例を見るようにあれだけの被害の違いが生じるが
その違いは地域の人々の日々の祈りの強さと
最初の地震後すぐの鎮護祈願の結果に大きく左右される。
この記事を記載しながら自らも反省しているが
まさに不徳の致すところである。
今回の熊本大地震では
『益城の災難 No437』に以下のように記載している。
「本震を引き出したのは菊池市のある場所ではないかと思える。
この場所も筆者には心当たりがある。
龍神に絡む祭祀の問題がそこにあると判断する。
この件に関しては昨年からの警告や啓示によって気にしていた問題だ。」
実はこの菊池の龍門ダムの下流域に知人が
光柳院という真言密教の寺院を建立した。
この方は二十数年前に八代の八大龍王社を信仰していた方で
私もお会いしたその日に八代の龍王神社に連れていかれた経験がある。
昨年は阿蘇にお寺を建立すると聞いていたが
今年初めに菊池の龍門ダムの下の土地建物が
不思議な縁があってとんとん拍子に話が決まり手に入ったと聞いて驚いた。
そこは神龍八大龍王神社に向かう旧道沿いの土地だったからだ。
そして知人の師匠と神龍八大龍王神社に初参拝した週の2日後に
地震が起こったらしい。
光柳院は信貴山の毘沙門天信仰に基づく寺なのだが
『毘沙門天の謎 No333』
『聖徳太子と熊本八代の八大龍王神 No378』
で信貴山の毘沙門天と八大龍王神の関係について述べているように
繋がりは深いので光柳院で神龍八大龍王神社の龍神を
祭祀していただくようにお願いした。
具体的には玄関前にある池の鯉を依代とする。
面白いことにこの話をした週に近所の農家の方がふらりと来られて
ここの池の鯉は池の大きさと鯉のサイズが合わないといって
池をさらいきれいに清掃した後に小ぶりの金鯉と入れ替えられたそうである。
さてこの光柳院は建立したばかりだけど
10月には柴燈護摩の神事をするという。
それで手伝ってくれと電話がかかってきたので断り切れずに
簡単な仕事ならといって話を伺いに行った。
話を聞くと第一回目であるし修験者のつてが無いので
護摩壇の法斧師の役をしてほしいと言ってきた。
身なりの準備も必要であるし
45分小型錫杖を振りながら般若心経を唱えないといけないし
法螺貝も吹かないと様にならない。
思わず御免被ると言いかけたが
隣に座っていた嫁がのる気になった。
これも縁という事なのだろう。
筆者は阿蘇の曹洞宗門徒なのだが
法事の際に護摩壇について和尚に話を聞いたら面白いことを教わった。
まずこの和尚は自分の阿蘇の寺を息子に引き継いだのだが
それで白羽の矢が立って龍門ダムそばの
禅寺鳳儀山「聖護寺」を現在は任されている。
聖護寺は延元元年(1338)に袖ヶ浦の別れで名を知られる菊池武時公の
嫡男の第十三代菊池武重公が
大慈寺の寒巌義尹に師事していた大智禅師を招いて建立開山している。
曹洞宗は参禅一本が修行の道で
通常は護摩壇は持っていないのだが
伊豆市修善寺の曹洞宗の寺の
修禅寺 奥ノ院護摩堂で護摩祈祷が為されている。
この護摩堂は寄付の浄財により今年再興されたものらしい。
この護摩堂の来歴は807年(大同2年)に空海が創建した
桂谷山寺に由来するらしいが
護摩壇のありかたは『修禅寺護摩』といい
伝承では空海誕生の宝亀5年(774年)より古い養老年間(717年から724年まで)に
善無畏三蔵が中国より日本に渡来して
桂谷(現在の修善寺)の天魔地妖を降伏させるために
日本で最初に護摩を焚いた伝承がありそれに由来する壇だそうだ。
(善無畏三蔵の日本渡来伝承は意外と根深いものがある。)
それで曹洞宗は黙照禅以外に関しての有為には寛容であることが分かった。
※有為とは有為法のことで生滅する現象世界の一切の事物をいう。
無為法とは自我意識の無い三昧解脱の境地のことで黙照禅の目的地。
『神龍八大龍王神社の功徳 No034』
『龍神信仰 No075』
『菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251』
などで記事にしているが
この菊池の龍神は西原村で祀られる龍神と同じ神紋を持っている。
2011年に記載した『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』では
地震鎮護祭祀とこの地域の八大龍王神の関係について述べている。
つまり熊本大地震が起こる以前より
西原・菊池の龍神が地震鎮護祭祀の要であることを理解し
功徳のある八大龍王神に昇格することを
西原の白山姫神社等で祈願している。
『阿蘇神社の御神霊が未然に食い止めたのか? No438』
の地図が示すように自分が祈願した神社の配置は阿蘇山の噴火を抑えるのが主目的のようだ。
しかしながら西区で熊本霊ライン祭祀を主催するようになって
自分の祭祀の中心が変化したために関係が微妙にこじれている。
地震祈願に関しては以前より気にしていたのだが
2011年に記載した『地震災害復興祈願 志賀海神社にて No243』で述べているように
最初の地震が起こった後に
次の地震が小さくなるのかあるいは次の地震が大きくなるかで
過去に例を見るようにあれだけの被害の違いが生じるが
その違いは地域の人々の日々の祈りの強さと
最初の地震後すぐの鎮護祈願の結果に大きく左右される。
この記事を記載しながら自らも反省しているが
まさに不徳の致すところである。
今回の熊本大地震では
『益城の災難 No437』に以下のように記載している。
「本震を引き出したのは菊池市のある場所ではないかと思える。
この場所も筆者には心当たりがある。
龍神に絡む祭祀の問題がそこにあると判断する。
この件に関しては昨年からの警告や啓示によって気にしていた問題だ。」
実はこの菊池の龍門ダムの下流域に知人が
光柳院という真言密教の寺院を建立した。
この方は二十数年前に八代の八大龍王社を信仰していた方で
私もお会いしたその日に八代の龍王神社に連れていかれた経験がある。
昨年は阿蘇にお寺を建立すると聞いていたが
今年初めに菊池の龍門ダムの下の土地建物が
不思議な縁があってとんとん拍子に話が決まり手に入ったと聞いて驚いた。
そこは神龍八大龍王神社に向かう旧道沿いの土地だったからだ。
そして知人の師匠と神龍八大龍王神社に初参拝した週の2日後に
地震が起こったらしい。
光柳院は信貴山の毘沙門天信仰に基づく寺なのだが
『毘沙門天の謎 No333』
『聖徳太子と熊本八代の八大龍王神 No378』
で信貴山の毘沙門天と八大龍王神の関係について述べているように
繋がりは深いので光柳院で神龍八大龍王神社の龍神を
祭祀していただくようにお願いした。
具体的には玄関前にある池の鯉を依代とする。
面白いことにこの話をした週に近所の農家の方がふらりと来られて
ここの池の鯉は池の大きさと鯉のサイズが合わないといって
池をさらいきれいに清掃した後に小ぶりの金鯉と入れ替えられたそうである。
さてこの光柳院は建立したばかりだけど
10月には柴燈護摩の神事をするという。
それで手伝ってくれと電話がかかってきたので断り切れずに
簡単な仕事ならといって話を伺いに行った。
話を聞くと第一回目であるし修験者のつてが無いので
護摩壇の法斧師の役をしてほしいと言ってきた。
身なりの準備も必要であるし
45分小型錫杖を振りながら般若心経を唱えないといけないし
法螺貝も吹かないと様にならない。
思わず御免被ると言いかけたが
隣に座っていた嫁がのる気になった。
これも縁という事なのだろう。
筆者は阿蘇の曹洞宗門徒なのだが
法事の際に護摩壇について和尚に話を聞いたら面白いことを教わった。
まずこの和尚は自分の阿蘇の寺を息子に引き継いだのだが
それで白羽の矢が立って龍門ダムそばの
禅寺鳳儀山「聖護寺」を現在は任されている。
聖護寺は延元元年(1338)に袖ヶ浦の別れで名を知られる菊池武時公の
嫡男の第十三代菊池武重公が
大慈寺の寒巌義尹に師事していた大智禅師を招いて建立開山している。
曹洞宗は参禅一本が修行の道で
通常は護摩壇は持っていないのだが
伊豆市修善寺の曹洞宗の寺の
修禅寺 奥ノ院護摩堂で護摩祈祷が為されている。
この護摩堂は寄付の浄財により今年再興されたものらしい。
この護摩堂の来歴は807年(大同2年)に空海が創建した
桂谷山寺に由来するらしいが
護摩壇のありかたは『修禅寺護摩』といい
伝承では空海誕生の宝亀5年(774年)より古い養老年間(717年から724年まで)に
善無畏三蔵が中国より日本に渡来して
桂谷(現在の修善寺)の天魔地妖を降伏させるために
日本で最初に護摩を焚いた伝承がありそれに由来する壇だそうだ。
(善無畏三蔵の日本渡来伝承は意外と根深いものがある。)
それで曹洞宗は黙照禅以外に関しての有為には寛容であることが分かった。
※有為とは有為法のことで生滅する現象世界の一切の事物をいう。
無為法とは自我意識の無い三昧解脱の境地のことで黙照禅の目的地。