不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

玄奘三蔵の原罪 No334

2012-11-24 14:10:23 | 神霊界考察
以下の写真は玄奘三蔵の想像画である。



首に掛けている数珠のようなものは実は数珠ではなく
髑髏である事に注意していただきたい。
この図では九つの髑髏を首に掛けている。
実はこの九つの髑髏は玄奘三蔵の前世の骸だそうだ。

さてもう一枚下記の写真を見ていただきたい。
 

以前に『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291』
紹介した「深沙大王」の図である。
やはり首に髑髏を掛けている。

実はこの髑髏は深沙大王が殺し続けた玄奘三蔵の前世である。
最後に深沙大王はこの髑髏のネックレスを玄奘三蔵に引き渡している。

さて釈迦がインドで開祖となした仏教を
玄奘三蔵以前に中国にもたらした人物として
歴史教科書にも出てくるのが鳩摩羅什である。
鳩摩羅什の訳した『妙法蓮華経』は日本にも伝わっている。
また鳩摩羅什は『龍樹菩薩伝』も伝えている。
実はここにとても重要な点が隠されている。
法華経は大乗仏教を軸としていて衆生を仏が慈悲の心で救うと説いている。
法華経のエッセンスは「観世音菩薩普門品第二十五」であるが
法華経の「提婆達多品」と『龍樹菩薩伝』に
玄奘三蔵の原罪についての重要なヒントが隠されていた。

またまた話を玄奘三蔵に戻すが
玄奘三蔵が中国にもたらした経典で知られるのは『大般若経』である。
そして大般若経のエッセンスが『般若心経』である。
この玄奘三蔵が『大般若経』を訳す以前にも
旧訳の各種般若経が存在している。
その旧訳との大きな違いとなるのが
この般若経を玄奘三蔵が『仏説』としたことにある。
『仏説』とは「釈迦自身ががこう説かれた」ということである。
ちなみに『般若経』を「仏説」から「如是我聞」としても
それだけでは玄奘三蔵の原罪は消えないであろう。

さて法華経で説かれる大乗仏教の衆生救済の菩提心と
般若心経で説かれる母性あふれる「智慧」というものが
形作られたのはインドの龍樹による功績といえる。

深沙大王がなぜ玄奘三蔵の前世を九回も殺し続けたかというと
深沙大王の左手を見ると判るように蛇を巻きつけているが
ナーガ=龍宮の守護を役割としているからである。
龍樹はサンスクリットの「ナーガールジュナ」の漢訳名であるが
彼はナーガを名乗ることにより難を逃れている。

大乗仏教と釈迦が唱えた原始仏教とは乖離しているが、
龍樹の伝承の中で彼は仏教を十分に理解し
そして「一切知者」と名乗っていたとある。
ところがそんな龍樹がヒマラヤで老比丘から大乗仏教を授けられる。
しかしその奥義に達することの出来なかった龍樹に
龍宮の大龍菩薩 サンスクリットの「マハーナーガ」が
龍樹を憐れんで龍宮の大乗経典を授ける。
龍宮にて90日でその道を学んだ龍樹はかつ然と悟り
その後の大乗仏教と中論の道を開く。

龍樹のヒマラヤでの大乗仏教の初見がシャンバラ由来なのか
それともヒマラヤで会った老比丘そのものが
龍宮の大龍菩薩なのかは判明しないが
彼が龍樹=ナーガールジュナを名乗っていることからも
彼の教えが龍宮由来であると考えていい。

問題はなぜ龍宮に大乗の教えが存在するのかということだ。
鳩摩羅什の訳した『妙法蓮華経』には
龍宮や八大龍王神などが登場するが
この中の「提婆達多品第十二」によると文殊師利菩薩が
龍宮に大乗の悟りの道を伝えたことになっている。
ここで娑伽羅龍王の三女という八歳の龍女が登場する。
女性や子供は悟りを得ることが出来ないと信じる菩薩たちの前で
この八歳の龍女は悟りと成仏を表わす宝珠を
仏陀に捧げて菩薩たちの観念を破壊する。
この少女こそは龍宮綿津見の神であり少童神と呼ばれる存在であり
水の女神たる少彦名神のことである。
法華経によると童女は変成男子したともあり
水の女神たる少彦名神が男子として描かれる所以ともなっている。

つまり龍宮の教えは日本神界においては
「寛恕と和と思いやりを基本とする清き直き心」であるが
この教えを龍宮の小童神は法華経に流出させている。

話を元に戻すがなぜ玄奘三蔵が
龍宮の守護たる深沙大王に殺され続けたのかというと
龍宮の教えの根幹部分を仏説に改竄したからに他ならない。
深沙大王が最終的になぜ玄奘三蔵を赦し
その髑髏を玄奘三蔵に渡したのかということについては
また別途説明することがあるかもしれない。
これは仏教系統において
釈迦の信仰から如来の信仰に変化する仔細と関わっている。

ところで深沙大王は黄河の精で河伯とか海若とかとも呼ばれている。
このことを『毘沙門天の謎』で記載しているが
その記事と併して読んでいただきたい。
また少彦名神の水の女神としての性質については
『弓梓弓と水の女神 断片集④ No175』等を
参照していただきたい。
また、『宋学士文集』に、
「予聞七佛尊経實貯龍宮海蔵、在昔龍樹尊者嘗入其中、覩華厳経上中下三本」
という記載があるが、『龍宮海蔵』という言葉は日本でも使われている。






応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
日記@BlogRanking

人気ブログランキングへ




コメント (122)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 毘沙門天の謎 No333 | トップ | 地蔵菩薩考察 No335 »
最新の画像もっと見る

122 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (うらら)
2012-11-24 20:58:05
とても難しい、私にとっては超難解です。
リンク貼って下さっているページも、今までにも何度か読ませていただいてます。
しかしほんのわずかなコメント足跡さえ残せず今日に至っています。

11月24日、同じ日にめねふねさんが少彦名と三輪明神についてエントリー記事を公開されてます。
めねふねさんとは2008年8月8日正午頃同じ出雲大社境内に居たというご縁繋がりです。
なんか不思議ですね~
返信する
Unknown (うらら)
2012-11-24 21:43:35
連投スミマセンm(--)m
今年6月24日、葛城のフィールドワークに出向きました。
まず美具久留御玉神社、竹内峠で二上山を越えて長尾神社。
水光姫命を封じた井戸を覆うように咲き誇っていた藤の木は枯れてました。
見張りが居なくなったんですから、出てきやすくなったなと思えました。
この日の最後には、高鴨神社から高天彦神社へ。
私達は車でしたが、もし昔からの葛城古道で歩いてたとしたら、途中で土蜘蛛の塚があるとされる場所近くで柵があり通行できなくなってました。
なぜせき止められてるのか、もう一回調べにいかんとあかんなと友人と話したものの、まだ行けてません。
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/d/20120625
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/d/20120701
返信する
うららさまへの返信 (吉田一氣)
2012-11-26 01:34:56
コメント有難うございます。
私も葛城には過去に三度出向いて
調査等をしたことがあります。
しかし蘇我氏との関係も葛城王朝の根拠も
掴めずじまいでした。
でも土蜘蛛一族に関しては悲しい過去を感じています。
葛城は役小角に導いてもらわないと
自分なりの謎の解明が出来ないと思っています。
返信する
龍宮海蔵 (二キ)
2016-10-31 00:10:33
この記事へのコメントで正しいのかわかりませんが。

龍宮海蔵って以前、安芸の宮島にもあったけど、明治維新後破壊されたようです。タイミングとしては御山神社ご祭神が三鬼さんから宗像三女神に変えられた時でしょうか。

四天王寺ですが、江戸時代の狂言師が書いた「京童跡追い」という本には「亀井堂の水は天竺から龍の棲む竜宮城を経て銀の樋で運ばれている」と書かれているとか、同じ青龍池を水源としているといわれる龍の井戸は「天竺(インド)の無熱池に通じておりこの池を守護する青龍が棲む」といわれているようですね。
無熱池は吉田様の「空海と遣唐使」の記事で、「清瀧権現」の到来にかぶると書かれている伝承の善女龍王がいた池ですね。
そうすると龍宮→無熱池→青龍池で善女龍王≒清瀧権現≒海龍神≒青龍?四天王寺の封印って、龍宮の秘法?の海水を真水に変化させる方法とその祭祀が改竄されているってことでしょうか?
それに酒船石遺跡と亀井堂の「銀の樋」の関係が気になります。

先週、このつながりか東京高尾山に行きました。八大龍王神として金色の娑伽羅龍王が祀られていましたが、そっぽを向いているのと銭洗い弁天みたいになってしまっているのが気になりました。
高尾山は清瀧権現を青龍権現として祀っていますが、裏参道の素敵な梅園の方で人気が少ないです。清瀧権現は右手には美しい緑の珠を持っているとのこと。
その後、江ノ島を見に鵠沼海岸を散歩したのも拘わりがあるような。江ノ島にも無熱池がありますね。

まさか三鬼さんの一角が清瀧権現で宗像3女神に改竄されているなんてことは考えすぎですよね?
返信する
「龍宮」と「大乗仏教」 (すずたま)
2016-11-01 09:14:51
超難解、かつ完全に無知な分野なので、以前目を通したけど全く頭がスルーしていました。
しかし今朝読んで「龍宮」と「大乗仏教」が結びつけて語られている視点に、私もぼんやりと微反応しました。吉田様ならではの御慧眼に導かれつつあるところです。

「般若心経」は、正統仏教的立場?を固辞する我が父が、物凄い宇宙的真理が語られている釈迦の教え(仏説)の神髄である、とか言って講釈してくれたものですが、そうではなくて大乗仏教の神髄だったのですね。

龍樹はヒマラヤにあった比丘に大乗仏教を授けられ、龍宮の大龍菩薩(マハーナーガ)の憐みによって、「龍宮の大乗経典」を授けられる。

>法華経で説かれる大乗仏教の衆生救済の菩提心と般若心経で説かれる母性あふれる「智慧」というものが形作られたのはインドの龍樹による功績
>龍樹(=ナーガールジュナ)を名乗っていることからも、彼の教えが龍宮由来・・・

にわかに「龍宮」なるものに関心が…

龍宮とは地球奥深くにある神霊界だと思っていますが、その地上に顕われた地がヒマラヤ周辺であり、また琉球諸島もそのルート上(龍宮ライン?)にある気がします。

>龍宮の教えは日本神界においては「寛恕と和と思いやりを基本とする清き直き心」であるが、この教えを龍宮の小童神は法華経に流出させている。

おもえば「赤椀の世直し」というかたちで、多分大日霊女~モモソ姫の月神系統がヒミコ系日神系統とも融合を果たしたかたちでの「女性仏教信者による世直し集団」が、琉球諸島の巫女たちのもとに、「国の直さ」、まさに寛恕と和と思いやりを基本とする清き直き心を国の精神として取り戻すために通い、世の平和を祈り赤椀に酒を汲みあって龍宮神の前に誓ったのでした。
日本の仏教は女性から始まったと言っていいし、それは大乗仏教だったわけですね。

話かわりますが、無熱池とか三鬼とか知らなかったのですが、そもそも江の島はなぜ三女神なのでしょう?
私と友人は、一番奥の奥津宮で体が重くなったのですが、あれは何だったのでしょう…?
また友人は江の島入口と反対側の崖下の磯で、地磁気が凄いとか言っていました。
返信する
吉田一氣 (すずたまさまへの返信)
2016-11-01 12:32:45
よく理解されていると思います。
ただ「般若心経」ではなく
それを含むかもしれませんが『般若経』です。
とりあえず次の課題も提示しておきます。
それは釈迦の悟りとはどういう性質のものか?
大日如来とは何か?
という2項目です。
釈迦の悟りについての理解 
とりあえずネット「尸林の宗教」より拝借

釈迦族のシッタータ王子は、クシャトリア階級の出目であるが
インドのカースト制度において伝統的な神事は、バラモン階級の専売特許であった。
そこで、かれは当時流行の「沙門」になる道を選んだ。
個人としての絶対的自由と真理を得る理想はヨガにより体験できると考え
家族から去り、悟りを求めて全ての社会的絆と責務を放棄して
隠遁生活に入ることを選択した。
そして紀元前538年頃シッダッタ ゴータマという青年は
ベナレスの北160kmにあるカピラヴァストゥにある
豪奢な屋敷や美しい妻や息子を捨てて、托鉢行者になった。
煩悩の惨状に驚愕しながら彼の周囲の全てに見ることができる
苦痛の存在を終わらせることができる方法を必死に探し求めた。

6年間ヒンズー僧達を訪問し、贖罪に身を置いたが得るものは何もなかった。
高僧の教義も彼に訴えるものがなく、苦行は絶望をもたらすだけであった。
ある夜 実行すべき方法がすっかりなくなり自立心を捨て無我の状態になっていたら、
忽然と悟りの境地が見えてきた。

釈尊が悟ったあと、榕樹のもとで瞑想していたとき、
次のような想念が浮かんだという。
『わたしによって証得されたこの法は、甚深であり、理解しがたく、悟りがたく、
寂静で、すぐれており、分別の領域を超えており、微妙であり、
賢者によって知られるべきものである。』(ヴィナヤ)
即ち、『さとり』に現れる『法』は、直感的、瞬間的な感得するようなものであって、
いわゆる、思考によって得られるものではない。
そういう意味で、主体的(その人だけに現れるという意味で)であり、
『さとり』で得られたものは、本来、言葉で表現しがたいものであり、
概念によって(言葉によって)表現し、思惟する対象にはなりがたいものである。

悟達したシッタータ王子、いや釈迦牟尼仏陀は、
この非人道的な悟りへのプロセスに人間が耐えられる訳がないと判断し、
教えを伝授するのを断念(これを<不説>という。)しそのまま涅槃に入ろうとした。

ところが、伝承によると、梵天王(ブラーフマン)が
釈迦牟尼菩薩の<不説>をいち早く知り、
その場に伺候して熱心に説法を勧請する。
つまり、「世界に教えを説くまで、涅槃に入るのを思いとどまる」ように懇願した。

釈迦の教えは、六波羅蜜により彼岸を目指すもので非常に時間を必要とした。
人間の一生ではまかない切れず、菩薩が成仏するまでには
三阿僧祇劫という膨大な時間をかけて、何度も生まれ変わり、
僧として修行を繰り返して、初めて解脱できるのである。
密教はこれにどう対処しているか?

密教により<真言の方法>(マントラナヤ)と呼ばれる
膨大な時間の時間短縮の手段が開発される。
弘法大師は、これを<即身成仏>と呼んでいる。
密教の由来は大日如来の直弟子の肉を持たない菩薩である金剛薩多が
秘密の教えを一箇所に集めてからまず南天竺の鉄塔の中に納めている。
龍猛菩薩はこの鉄塔を見つけ出して「声明」により教えを伝授され
その密教の教えを広めている。

従って伝説に従えば「密教」は大日如来直伝の教えであり
「顕教」は釈迦如来が人間の姿で説かれた教えとなる。
さてこの大日如来とはどういう系統の神霊であるかは
神霊界の成り立ちを理解する為にも
深く考えていく必要があります。
返信する
私の20歳からのテーマでした (さくら)
2016-11-02 12:05:41
ごめんなさい。
すずたま様への、課題なんですが、、
私が追い続けている課題でしたので、私もこの議論に参加させてください。
日常の些末なことに流されて、思考をとめていました。
20歳の頃、本気で出家してこの課題に取り組もうかと迷いましたが、俗世で生きていくことを選びました。
そのころ、東京大学や京都大学出の方達と沢山知り合い、謎を色々提示しましたが、受験勉強を経た知識では、私を納得させる解答はありませんでした。
釈迦の悟りとは、どういう性質のものかは、吉田様が提示された文章にエッセンスが盛り込まれていますし、そのようなものだと、仏教学でならいました。
人間釈迦が悟りを得た、その教えが仏教なんだとゆうことでした。
まじないも、祈祷も、奇跡もそんなことは何もない。
心の持ちようだととらえています。
でも、そんな単純なものでもないようなもっと、深いことを悟られているはずです。
それは、おいおい勉強することにしています。
大日如来とは、何か、ですが、、
私は、空海と遣唐使で、金輪王のことをちらっと書きましたが、、どうも、金輪王が怪しいと思うのです。
中尊寺の秘仏「一字金輪仏丁尊」、奥州の覇者藤原秀衝さんの持仏だそうです。
これは、園城寺のつながりのようですし、三井寺です。
一字金輪→如意輪→尊星王「星まつり」
妙見信仰につながります。
ここまで書いて、少し止まりました。
空海と遣唐使の武内宿禰像をみて、空海があの像から、大日如来を幻視したのではないかと思って、私はコメントしました。
しかし、吉田様はあの像は神道の関係でそのセンスが素晴らしいととくこさまにおっしゃってました。
もう少し考えてみます。
とりあえず、駄文ですが、コメント残します。





返信する
ネット上の資料として (さくら)
2016-11-02 21:00:35
貼り付けが上手く出来ませんので、お許しください。
「真理探究と歴史探訪」さま 2008年7月23日
(観えてきた星々)に、金輪王が「北辰」を表して、北斗七星のことが書かれています。妙見信仰に繋がる理由です。
「扶桑国王=蘇我王権説」渡辺豊和
蘇我氏のルーツは釈迦族だと推測しています。
「現代宗教研究32号No、10」
金輪聖王と妙見思想が書かれています。
金輪王と大日如来が重複しているのが、「印」です。
一字金輪仏頂では、弘法大師空海の曼陀羅のように、釈迦金輪と大日金輪の2つの説があり、
一字金輪仏頂を本尊とする修法はあまりに強力であり、真言宗では、東寺の長者のみが修することを許されるとのことです。

秘仏であり、一字金輪はあまりに強力なために、大日如来として庶民の為に祈りの仏像にしたのではないかとおもわれます。結局、修験道も妙見信仰も絡んでくるものと思われます。
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2016-11-02 21:35:13
転輪王の中の金輪王は秘仏中の秘仏扱のようですね。
一字金輪仏頂の情報は貴重だとおもいます。
とりあえず返信には幾らかの時間的猶予を下さい。
返信する
とりあえず、いま感じることは (すずたま)
2016-11-03 01:02:53
私は仏教について難しいことを全く一切知りません。
なので大日如来とは何かも知りませんが・・・「太陽神霊」そのものなのかな、その仏教的表現かな、くらいに、ごく単純に思いますけれど。
日本人であれば有り難いお天道様、くらいの素朴さです。
「神」というものの最も素朴な象徴が、あのお日様だと思ってますし。
神道であれば天照大神(正確には天照日大神)でしょうか?

ともかくそれは、あらゆるすべての命、万物に、等しく生命エネルギーと慈しみを遍く惜しみなく与え続ける存在。
そこからも、すでに大日如来という言葉そのものに、大乗仏教的な要素を感じます。

釈迦の個人の悟りは、それがいかに深遠であろうと玄妙微細の静寂の境地であろうとも、太陽とかお日様という温かい無尽の慈愛の要素を感じられない。

密教については無知無関心でまいりましたが、「密教は大日如来直伝の教え」と聞けば、にわかに関心を持ってしまいます。

私の父は貧乏仏画家でしたが、仏教についての講釈は、いかに釈迦が凄い人かという話くらいで、それは大体般若心経の宇宙的なスケールの大きさの話に終始し、それは現代物理学の最先端に匹敵するとか、仏教は宗教ではなく哲学である、とか「色即是空・空即是色」こそ、その神髄、とかいった話でした。

私は高校位から内心霊的なことに関心があったのですが、そっち系は父にとっては邪道みたいでした。
また龍神信仰は神通力(超能力)の世界、又密教は呪術の世界、として危険領域扱いでした。
父が、というより、仏教関係者のある層の傾向かと思われます。とくに高僧といわれるような層にそういうタイプの人がいるようです。
(父が仏教を学んだ師は与謝野鉄幹のお兄さんの、ある高僧だったらしいです。)
私は長じて仏教哲学より、心霊学・神霊学的な方向に興味を持ち、父は「危ないねえ…」と心配していました。

私は父の死後数年たった10年くらい前にある非常にリアルな夢を見て、簡単に言うと、どうもある前世で自分は山伏とか修験系の行者に拾われて育てられた落人の子らしい、といったもので、時代背景は鎌倉~室町あたり?落人といっても北条氏の生き残りかなにかの女子供が山に逃れた一行のひとりで、その修験者は顔もはっきり覚えている端正な中東系の貌で、小柄で繊細な容姿に似合わず、一帯でかなりの親分らしく、三河万歳?(そんなものはあとで調べて知ったのだけど)みたいな庶民の芸能系の連中の大元締めみたいなこともしているみたいでした。
私はその人にくっついて山野を走り回りましたが、空の飛び方?(幽体離脱して意識を飛ばす方法?)も習った。夢の中では手を引っ張られて飛びました。
今でも調子がいいと晴れやかな上空を飛ぶ夢よく見ます。
夢の中でのある日、10代半ばの頃、修験ではない正統?仏教のお坊さんに出会い、懇々と諭された。あの男(育ての父の行者)はキチガイの類だから、一緒にいてはよくない、正しい仏教を学べと。私はその言葉を新鮮な真実のように思い、黙って育ての親の許を出た…

夢から覚めて考えるうち、育ててもらった恩義に報いなかったことにハタと思い当たり、その夢のあと一週間泣きました、たかが夢で!

あとで、育ての父をキチガイと言ったのは、今生での父だったろうか?と思いました。

その父が死ぬ間際、一週間病室に寝泊まりし、付き添いました。
死後の生命などを云々すること自体を否定し悟ったことをいっていた父は、初めて経験する死に向かっての刻、不安でいっぱいなのがわかり、私は手を握ってその不安に寄り添いました。(その時の経験が元でホスピスで働きたいと思うようになりましたが、残念ながら年齢的に無理な看護の世界のようで、しかたなく介護の世界に行きました。)

龍宮が実在する、ということは、こころでわかる。

龍神は私たちの世界のすぐ隣にいることも。

龍宮と大乗仏教の関係なんて、生まれて初めて聞いたのに、なぜかおぼろげにわかるのです。

大日如来のいます太陽界と、それに対応する、龍宮を内部に秘める地球界・・・?
無知なまま、そのようにぼんやりと感じております。

ながながとつまらぬことを書いてもうしわけございません。早い話が高遠な仏教哲学では、身近な死にすら対処できないということです。
衆生の悲しみ・孤独にすら寄り添えない悟りも哲学も、私には無用です。

答えにはなってないと思いますが、とりあえずの感想です。

さくら様の云われる「金輪王」ですが、太陽神界の大日如来から名指されたこの現界の王、くらいにぼんやり考えていますが違うのでしょうか。
返信する

コメントを投稿

神霊界考察」カテゴリの最新記事