吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

自宅の庭に蛇の抜け殻が No317

2012-05-29 00:59:55 | 神霊界考察
ちょうど知人に龍蛇の話のメールを何回かしたところだったが
我家の庭で偶然にも蛇の抜け殻を発見した。
風水的に問題があるところに南天を植えたのだが
その南天にその抜け殻はかかっていた。




蛇の抜け殻なんて何年も前に山で見て以来のことだけど
自分の庭で見つかるのはやはり偶然なのか、
それとも何らかの啓示なのだろうか?

まあ金運向上の効果にでも期待することにしよう。

そういえば「螂蛆食蛇、蛇食蛙、蛙食螂蛆、互相食也」という文章がある。
ムカデは蛇を食おうとする 蛇はカエルを食おうとする カエルはムカデを食おうとするという
ムカデ・蛇・カエルの三すくみのことだが、
2008年のことになるが知人から東京の自宅で深夜枕元に大ムカデが現れたと警告メールがあった。
その数日後に今度は熊本の筆者の自宅で
なんと太ももをムカデに刺されるという珍現象が起こった。
9月のことでジャージを穿いていたのだけど
狭い隙間から侵入して登っていき一気に刺されてしまった。
未だに太ももをあの無数の足が這うゾッとする感覚が忘れられない。
ムカデを自宅で見たのはもちろん初めてだ。どう考えてもあり得ない話だ。
ちなみにこの時には琵琶湖と三上山の大蛇とムカデの話を調べていた。


  

眷属神の警告や啓示は時として起こりそうで普通は起こらない現象を通して
知らされることがあるという例だった。




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加藤清正が作り上げた熊本霊ライン詳細図と東山魁夷のゑびす No316

2012-05-22 23:15:24 | 神霊界考察
前回の記事の付録として熊本霊ライン詳細図を添付する。
3600×2200のサイズなので実寸表示で確認していただきたい。
引いたラインがそれぞれの山頂をほぼ正確に通過しているが
これを偶然だと考えることは出来ない。
夏至のラインよりほんの少し北にずれているが
それぞれの山頂の盛り土で加工できるレベルである。
この加工が出来たのは平安以降では清正だけである。
なぜこんな加工をしたのかは筆者HPに記載しているので
そちらを参考にしていただきたい。
http://reyline.web.fc2.com/P3/P3.htm


『熊本霊ライン詳細図』


熊本城内の本丸を通過している。
本丸に登城すると分かる人は分かる仕組みだ。


例えば 東山魁夷という日本画家がいる。
東山魁夷 熊本城でググっていただければ記事が幾つか出るが
天守閣跡から見た肥後平野の景色が魁夷の運命を変えている。
熊本城で感応した故に画家の道を目指したのだ。
東山魁夷の「風景との対話」(新潮選書)には、
焼け跡の整理で熊本城天守閣跡に登城した帰途に心が高ぶったことが書かれている。
「私は酔ったような気持ちで走っていた。
魂を震撼させられた者の陶酔とでもいうべきものであろうか。
つい、さっき、私は見たのだ。輝く生命の姿を」
「なぜ、今日、私は涙が落ちそうになるほど感動したのだろう。
なぜ、あんなにも空が遠く澄んで、連なる山並みが落ち着いた威厳に充ち、
平野の緑は生き生きと輝き、森の樹々が充実したたたずまいを示したのだろう。
今まで旅から旅をしてきたのに、こんなにも美しい風景を見たであろうか。」

しかし彼の霊的感受性は確実に道君首名公が工夫した神秘までも
捕らえていたことをお伝えしたい。
この感動ゆえに画家になることを決意した彼の
雅号の魁夷が意味するのは「夷=えびすのさきがけ」であるが
この熊本霊ラインには少彦名神がゑびす神として
祭祀されてきた経緯があるからだ。

熊本城まわりで今に残るえびす神社を参考までに報告したい。
実はこれらの社の創建の歴史はほとんど不明であるし
移設されている可能性もある。
ただ偶然かおおよそ直線状に並んでいる。



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熊本霊ラインと金環食北限 No315

2012-05-22 09:59:40 | 神霊界考察
熊本霊ラインというのは御坊山・城山・独鈷山・万日山・花岡山・茶臼山等を
直線で結ぶラインであり、もともと夏至の方向線だったものを
加藤清正が京都御所方向に造り替えた結界ラインのことだ。
国土地理院の地図で定規を片手に確認すると
あまりにも三角点が直線なので偶然でないことが判るかと思う。
『熊本霊ライン 清正の築城』

この熊本霊ラインについては吉田一気のHPを参考にしていただきたい。
http://reyline.web.fc2.com/P3/P3.htm

さてこの霊ラインは霊的攻防の結界ラインであるが
今回の金環食の北限というのが、
このラインと重なることが意味を持つように思われたので報告しておく。



『熊本霊ラインとの重なり具合』

左部分の金環食北限と右の部分のgoogleマップ上に記載した
熊本霊ラインの延長線が重なることが理解していただけるかと思う。
この金環食が5月21日と夏至に近いので方向性が一致するのだろうか?
月との関係でこの金環食ラインは出来ると思うので
太陽の軌道と一致する訳でないような気もする。

さて熊本市内では日食は小雨が降って見る事が出来なかった。
ちなみに福岡市も雨天で日食は見る事が出来ていない。


天気図等を確認してみるとこの熊本霊ラインの北側部分は
曇っていた地域が多いことが分かった。
世紀の天体ショーを見逃した残念な地域である。
しかし、別の観点から捉えるとそれで良かったのかもしれないとも言える。

これからは与太話なのだが
2009年の7月にも日食がありこの時には写真撮ったり
投稿したりしたのだがこれ以降運気と体調が大幅に下がってしまった。
もちろん偶然というかこじつけなのかもしれない。

今回関東では広い範囲で金環食が観測出来ているので
今後の日本の運気の変動を確認していきたいと思っている。





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宝船と少彦名神の神徳 No314

2012-05-15 11:54:38 | 神霊界考察
宝船について『少彦名神考察』の記事で考察したのは2007年のことだった。
http://reyline.web.fc2.com/sukuna/sukuna.htm
最近は全く更新していなかったが、宝船についての補足をこのブログでしたい。


宝船  ガガイモ  

左の絵は京都五條天神社の嘉賀美能加和宝船である。
少彦名神は天之羅摩船(あめのかがみぶね)という舟に乗って
到来したといわれており
少彦名神を祭る京都五條天神社でこの宝船は頒布されている。
また右の写真はガガイモのサヤである。
このガガイモは一寸法師と同一視されることもある少彦名神の舟である。
このガガイモであるが芋ではない。
花の後の実が芋のように見えるからイモと名付けられている。
割って内側を見ると鏡のように光るので鏡芋と呼ばれたのが最初で
それがなまってガガイモになったと云われている。
従って嘉賀美能加和宝船とはガガイモの舟に乗った
少彦名神の神徳を宿した宝舟ということになる。

ガガイモの鏡

さて大阪の玉造稲荷神社のHPの『稲荷信仰』のページに
最古の宝船(多加良富年)として嘉賀美能加和宝船が載せられている。
「七福神がのるようになったのは江戸時代になってからのことである。」とあるが
もともと宝船は少彦名神がもたらした稲作に由来するので
ゑびす神が最初から乗っていた訳である。※ゑびす神=少彦名神の神徳

この玉造稲荷神社であるが
豊臣秀吉が大坂城の鎮守神として祀った神社だそうだが
伏見稲荷の分社では無いらしい。
昨日ここの参道に入ろうとした自動車が
子供達をはねるという痛ましい事故が起こった。
このところ連続して集団の中に車が突っ込むという事故が発生しているが
これには恐ろしい警告が隠されている。



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Xの悲劇 No313

2012-05-08 23:35:54 | 神霊界考察
日本社会への霊的な関与の存在は数多くあるし
自分がこれから記載する内容もどこからの警告とは明言しないが
このブログを精査すれば分かる人には分かるかと思う。

さてこの警告は自分の場合はたびたびXの記号にて示されるので分かりやすい。
もちろん今から記載することが、一般人から見たら
『ちょっとおかしいのでは?』と思われる内容であることは十分に認識している。

まあ例をあげると言ってもすぐになかなか出せるものではないが、
例えば一例として以下の写真を参考にしていただきたい。
    『拡大するとどこがクロスか分かると思います』

海沿いの道を車で走っていてふと目についた神社である。
駐車場が無かったので先の空き地に停めて歩いて戻って参拝した。
写真を拡大して観てもらえば分かるように鳥居の上で左右の樹がクロスしている。
参拝してみると、強い警告を啓示として受けた。
ふと振り返ってみるとよりクロスが強調されていてメッセージの正当性を理解した。

それから半年後に友人にお願いしてこの神社に御神酒をあげてもらったのだが
その時にはこのクロスの警告は消えていた。

右側の樹が存在していないし、御神氣そのものも消えている。
この社は島根県松江市美保関町の美保神社の摂社なのだが
調べてもらったらやはり少彦名神を祀る社だった。
ゑびすの根源となる神、
あるいは事代主命の背景の神格が少彦名神であることを確信した場所である。

さて昨年の11月に受けた警告であるが
国道で未成年の普通車が時速100Kmオーバーで対向車線を越えてきて
正面衝突事故を起こした。
とっさにハンドルを切ったのだけどエアバックが開いて
何がなんだか分からない状態で停止した。
正面衝突と言っても自分の軽車両を跳ね飛ばした後に
相手の車はコントロールを失い80m先で田んぼに落ちてしまった。


車から降りてみて驚いた。
くっきりとタイヤ痕がXマークを示していた。
なかなかタイヤ痕でこうクロスマークは描けまい。
当然相手車両にもクロスマークが出ているのではと思い探したら
路側帯にクロスマークが浮き出ていた。
ちなみに奥側のタイヤ痕は今回の事故とは別の事故で出来たタイヤ痕。
以前の事故のタイヤ痕とのコラボで出来たX
相手車両は右側に見える田んぼに落ちたのではなく
店の駐車場をすり抜けてから車停めブロックを破壊して田んぼに落ちている。
     
右側はタイヤがバーストしていてホイール痕となっている。
それにしても80mもブレーキ痕残しながら止まらないとは。
警察官がそれにしても貴方よく助かりましたねと言っていたのが記憶に残っている。
自宅で車に乗せていた小型PCを開いたら
液晶が蛇の暗示する割れ方をしていた。


   『2匹の蛇』

さらに昨日まで左右一緒だった神棚の向かって左側の榊が枯れていた。


警告はこれだけに終わらなかったのだが
これは自分への警告というだけでなく熊本霊ライン崩壊の警告でもあった。


2014年追記
Xの警告メッセージは続いているが
この写真の警告は強力すぎて手におえない。

このブログのこの記事を見ておられる方なら記憶にある写真だとは思うが
カラスに襲われる白ハトの羽がXの警告となっている。
ちなみに放たれた白いハトが白いカモメと黒いカラスに交互に襲われたことそのものは
ウクライナの紛争に関する警告だと判断するが
このXの警告はそういう類の警告とは違うようだ。







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縄文蛇神・龍蛇神の555と水の女神の龍神の888 No312

2012-05-07 13:54:56 | 神霊界考察
前回の記事でブログ読者のうららさまが撮影された写真を
コントラストを修正して貼り付けておいたが
やはり啓示通りの888の暗示が出てきた。
一見個人的な話なのだが、
このブログを始めた理由にもつながるので報告したいと思う。

返信でうららさまにコメントを記載しようとして出てきた数字は1888だった。

888の暗示

前回『555ナンバーの啓示 記載断念』
555の啓示を記載しようとしてその時は5550の数字が出てきた。
あまりにもトラブルが続き対処できないので途中で記載を断念したが
このブログを記載することの最終的な願いというものが
555と888の和合ということにある。
現在までのところ自分では荷が重いのだが
伝えられることは伝えてゆきたいという思いはある。

この中でまず今回の888がらみで
吉田一気がうららさまのブログに対してコメントした内容を転載する。


http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/4b6c4f6cdaafe337ff738d6413133027
さらなる調査記を投稿させていただきたいと思います。
まず、うららさまの本名であるおざさ様記載の「近つ飛鳥・遠つ飛鳥の由来 2009-07-19」
http://blog.goo.ne.jp/goo3820/e/a1eab196ca3f94b5f0b2d219fc0e4ee5
ここで出てくる神社が柴籬神社ですが
まず柴籬神社はドラゴライン線上に近いところにあります。
丹比神社はそれから少しはずれていて、その代わり
おざさ様自宅の真南にあたります。
祭神は両神社ともに反正天皇を戴いています。
反正天皇は多遅比瑞歯別尊とも言われていますから
多遅比=丹比=多治井の氏神社です。
ドラゴライン上の北に位置する屯倉神社には神形石がありますが
これは羽曳野市飛鳥の鉢伏山で取れる石英安山岩です。
そして丹比神社の東の参道は鉢伏山に向かっています。
この鉢伏山には何か大きな秘密がありそうです。
丹比神社の北北西400mのところには黒姫山古墳があります。
これで「黒姫山 丹比 蛇 鉢伏山」で検索したら
「神々が動いている」の黒姫大蛇伝説がヒットしました。
http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/blog-entry-118.html
ここからいくつかのヒントをいただきました。
①「多遅比」とはサンカでいう田地火。つまり蛇のマムシのことである
② 黒姫は「水の女神」と深いつながりがある。
③ 黒姫は「蛟龍」と深いつながりがある。
④ 太古に地上を創ったのは、彼ら、彼女ら蛇神たちである。

なるほどこの文章は吉田一気が今年2月に記載を断念した
『555ナンバーの啓示 記載断念』とクロスするものがありそうです。
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/c3553cea04b5f743498bb3cdd143e057
「記事抜粋:蛇神は日本古来の縄文時代からの神霊の御神氣を持つように感じた。
縄文神を以前より久那斗神=賽神と荒覇吐神に繋がるとしてきたが
その本質は蛇神であろう。
つまりは脱皮と再生の神であり
他の神々を招き入れる根源神的な要素を持つようだ。
どうも飛鳥時代以降、蛇神は邪神扱いされ
ヨコシマな神となされてきた歴史がある。」以上

さてなぜオザサ様が撮られた写真に写る
必要があったのかということですが、
美具久留御魂神社より示されたオザサ様の『トヨの女媛』の役割を
多治井の氏神も承認したということでしょう。


記載した記事の抜粋は以上だが
実はこの記事の中に隠れる神霊は555系統と888系統との
二つに分かれている。
888系統は眷属神も統制がとれていて
水の女神・小童神・龍神・八大龍王神として顕現する。

一方の555は封印の歴史を持つ。

話が飛ぶが昨年の交通事故後以来病院に通っていたが
本日が症状固定日となった。
最後の通院だったのだが病院の目の前で横から割り込んできた車が
1888ナンバーだった。



まあ記載の後押しをされているような気がした。
今後ブログ内容を再検討していきたいと思う。


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天皇家における土葬と火葬の違い No311

2012-05-03 00:14:13 | 神霊界考察
先日のニュースで「宮内庁は、天皇や皇后が逝去した際の埋葬方法について、
天皇皇后両陛下の意向を受けて、土葬から火葬に変える方向で
具体的に検討を進めることになりました。」とあった。
調べてみると仏教思想の影響により火葬の導入がなされたのは
聖武天皇(756年没)から孝明天皇までらしい。
明治・大正・昭和天皇は国家神道の作法により土葬となっている。
ここで気になったのが天皇の火葬は仏教式であり
土葬は国家神道式と捉えられていることだ。
一般人について、現代の法律では土葬は条例で禁止されている地域はあるものの
選択の余地が無いわけではない。
確かに日本人の場合は葬儀は仏教式が多いが
それでも設備が整っていない時代は、一般人でも土葬が常であった。
現代では火葬が手軽であるが江戸時代までは逆に土葬が手軽で
一般人の場合は手軽な方に従っているということになる。
キリスト教圏では映画などでもおなじみだが現在でも土葬が主流らしい。
こちらは明確な教義に基づく。
さて仏教と火葬はどう結び付くのかというと
ブッダの遺骸がマルラ族の手によって火葬されたことによるらしい。
ブッダがそれを望んでいたのかどうかは分からないが
初期仏教の教義によれば死ぬ前も無であり死後も完全消滅=無という考えであるから
解脱したブッダにとってはどうでも良かったものと思われる。

さて宗教的には土に還るか煙となって天に登るかの違いがある。
キリスト教では死後も最後の審判で復活するまでは待機となるらしいので
天に登るとは考えないのだろう。
ところで国家神道では天皇は天津神系に属する。
なぜ天津神系の天皇が死後に土葬なのかという疑問が残る。

葬儀にうるさい儒教では死後に魂魄は二つに分かれ
魂は陽極で軽く天に登り魄は陰極で重く地に帰すと考えられていたが
そのうちに魄を死体ととり違えるようになってしまった。
映画で有名になったキョンシーは魂が抜かれた後の魄ということらしい。
しかし魂魄は陰陽二霊であって
本来は肉体とは切り離して考えるべき性質のものである。

記紀では黄泉のイザナミの姿が描かれているが
蛆がたかり、体には8体の雷神がまとわりついていて
その姿はまさに土葬だったと考えられる。
イザナギは巨大な岩で黄泉比良坂を塞いで黄泉と高天原を切り離したので
黄泉は封印されたままのはずである。
しかしスサノヲは母をしたい黄泉に向かうので封印を解いたとも考えられる。
その後に神の時代から人間の時代になっても
死後は黄泉に戻るという考えが残されたようだ。
そういう意味で神道は土葬を理想とすると言っていいのかもしれない。
一般人が死後に燃やされて天に昇るという考え方は不遜であるようだ。

資産家であり神道信仰者であれば
土葬ということも視野に入れていいかとも思う。
死後の世界で土葬にすれば良かったと悔いても取り返しが付かない。

我々の肉体にはDNA・RNAだけでなく霊的な学習情報が波動的に取り巻いている。
オーラとして見える霊的情報エネルギー帯は本来は死後大地と調和する。
これが獲得情報的生命進化の母体となっている。
これらの貴重な体験情報が1200度の高温で燃やされて完全消滅するのは
おしい気もする。
尤も自分はこの世に未練は無いので死後は火葬でさっさと消えて構わない。
しかしハイレベルな学識を持ち死後もその能力をまだまだ活かしたいと
自分の研究や子供や社会に未練がある人は
死後も生命進化に影響を与えられる可能性がある土葬も十分検討に値するだろうと思う。

不気味な話だが土葬と同様理論で
惨殺されて地中に埋められた人間は残留思念が残り不浄霊として祟ることが多いというが
上記理由で納得できる。


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