吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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縄文神霊の系統 No558

2020-10-18 16:02:01 | 神霊界考察
縄文は遥かなり。
自分としてはあまり気にしたことも調べたこともない日本の縄文時代。

文明を創りそして壊す御神霊である斎姬山門五音大神が
弥生時代への変遷に影響を与えたのは間違いないが
縄文の文明をどう創り上げたのかについては実はあまり
考察や調査をしたことが無かった。

『呉音霊から考える倭国文明の流れ No413』
『呉言霊から分霊され右回りの鬼子になった摩多羅神 No471』
長江文明⇒倭国⇒朝鮮⇒遼河文化⇒黄河文明⇒上海というように
左周りに回って文明を開化させているとは記載しているが
具体的には記載していなかった。

それは自分の調査の起点が1978年に大々的に報道された
長江文明の発見という驚きからで
この流れの中に最も古い縄文時代をはめ込めるだけの詳細な情報を
その時点では持っていなかったからである。

今年『豊玉姫は熊本博物館に保管されているのかも?』で以下のように記載している。
藤田妃見子女史が感応した龍宮の乙姫とは
この発掘された縄文人骨の主の御魂ではないかと感じている。
1万2千年の時を隔てて霊力を発揮するとはまさに神ががる巫女だと思う。

そして『金の神座(みくら)の神籬』
「ハミト大神&ハズキ大神」と名付けた謎の日本の女神が
藤田妃見子女史が感応したという天の岩戸岩陰遺跡の女神の乙姫に
繋がりがあるのではないかと思って縄文の調査を開始した。

これと並行してこの龍宮の乙姫が自分の信仰する龍宮の豊玉比咩信仰と
繋がるかもしれないことをさくら様が感じ取られたからである。
『豊玉姫は熊本博物館に保管されているのかも?』のさくら様コメントの
2020/10/02 08:45:47 『名告りそ』で匂わせているが
さくら様が宣言された「喜んで、謹んでお受けいたします。」とは
縄文の豊玉比咩の祭祀の事と見受けられる。

ところで縄文神は封印されているので
簡単に手を出すと命を取られるから準備せよと
自分の崇敬する御神霊から警告を受けた。

それで豊玉姫が本当に縄文と繋がるか等の審神も兼ねて
メルカリかyahooオークションで一回限り購入する縄文の書籍に
『縄文の豊玉姫』と記載があれば
それを信用して準備を進めることにした。
とはいうものの考古学者が書く書籍に
豊玉姫が出てくるとも思えないので購入書籍には厳選が必要である。
google検索してみると「豊玉姫の来迎と縄文書紀」という書籍が見つかったが
メルカリかyahooオークションには無かった。
それで5冊まとめて1500円という格安転売をメルカリで見つけたので
これを即購入した。



月と蛇のイメージからは弁財天や宇賀神はイメージされるが
海の女神の豊玉姫は感じられなかったので
最初に開いた本が謙虚なタイトルの『縄文人に学ぶ』上田篤というもの。
このP117には『縄文人とみられる海神の娘の豊玉姫と結ばれる』という記載がある。
また『縄文の思想』瀬川拓郎 P162には隼人の祖である南九州の海民の縄文起源の
神話に由来するという事で古事記の海幸彦と山幸彦と豊玉姫の説話が載っている。
結論として最初に手に取った2冊共に縄文の豊玉姫の記載があった。



文明を創りだす妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神について
現在までの筆者の理解を取り急ぎ記載しておく。

※認知症の記憶障害ですぐに記憶の外になるので記載作業は大変だ。

日本には旧石器時代と新石器時代の二つの痕跡があるが
ここではひとまず旧石器時代の検証は置いて
新石器時代に絞って話を進めたい。
この新石器時代は縄文時代に繋がっているのは確かなようである。
新石器時代の古代人はシベリアのバイカル湖周辺から
日本へ渡来したと考えている。
この新石器人の波状的な一行は日本だけでなく
長江流域にも渡来しているはずである。
つまり斎姬山門五音大神が同一民族を数千年の時間を経てそれぞれの地域に
導いたのではないかと私は考えている。

ただ縄文人が信仰し祭祀していたのは民族の指導神霊というよりも
火焔型土器にて表現される火の神と土偶に表現される出産を司る母神霊だと感じている。
※もっとも現在のところ遮光器土偶の具体的な考察には至っていないが。
縄文時代の円錐形の自立できない土器を尖底土器というらしいが
この土器に火が回り神霊が宿った姿を崇めていたのだと思う。
わざわざ火をつけなくても神霊が宿るように縄文中期の火焔型土器などは
最初から炎がデザインされ底が平となっている。
もちろんヘビの形象も重ね合わせていることが見て取れる。
つまり実際に火を付けて土器に宿る火の神というものを
祭祀の都合上神籬化して火の神を宿す作業の手抜きを図ったとも云える。
またこれを実際に使った形跡もあるが
これは良い火の神と悪い火の神を聖別して
良い火の神を火焔型土器につけて使用したのかもしれない。

縄文人の火の信仰を霊視していて
『角ガッパ 補足写真 No405』添付の日本での呉音霊イメージと
再びクロスオーバーしてしまった。
旧訳聖書のエゼキエル書の第一章13・14に以下の文言がある。
『この生きもののうちには燃える炭の火のようなものがあり、
たいまつのように、生きものの中を行き来している。
火は輝いて、その火から、いなずまが出ていた。
生きものは、いなずまのひらめきのように速く行き来していた。』
まさにこのイメージなのである。
縄文の火炎には燃える炭の火のイメージが残るが
そこには土器の製造過程かあるいは溶岩か
時代的にあり得ない製鐵も絡んでいると感じられる。


コメント (35)
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金の神座(みくら)の神籬 No557

2020-10-02 22:05:18 | 神霊界考察
神座(みくら)とは特定の御神霊の降臨する定まった場所のことで
降臨するごとにその場所は浄化されていき
他の雑霊や悪霊が近寄れなくなっていくし御神霊も降臨もし易くなる。

神籬(ひもろぎ)とは御神霊を迎え入れる依代の事で
一般的には四方に結界を作り榊を立ててそれに幣を取り付けたりする。
複数回降臨させる神事を行い特別な聖域となると神座と表現される。
和室にある床の間はもともとはハレの空間であり
歳神様を迎える『神の座』を設置するものであったのだが
禅宗と茶道の影響により『上座』に落されてしまっている。
ちなみに神棚では神社を模した社内に神社札を納めて神籬としている。

さて本題の金の神座の神籬について経緯を話したい。
藤田妃見子(ひみこ)女史が岩戸開きした日向(ヒムキ)の
天の岩戸岩陰遺跡の女神像に参拝したのが5月で
その時の感応解析により熊本博物館に出向いたのが8月末になる。

斎姬山門五音大神の祭祀において
金の神座に神籬を設置するように指導されたのが
いつの事なのかはよく覚えていないが
調べてみると熊本博物館に出向いた後で
ブログコメントにこのことを記載したのは
2020/09/02 23:18:27であるから8月末という事で良いと思う。

問題は金の神座に神籬を設置するように指導した御神霊は
このブログにて「ハミト大神&ハズキ大神」と名付けた謎の
日本の女神という推定なのだが
この女神とじつは藤田妃見子(ひみこ)女史が感応した
天の岩戸岩陰遺跡の女神の乙姫に繋がりがあるのではないかと思って
調査している。

それで『龍宮乙姫 黄金 金の神座』でGoogle画像検索していて
偶然に見つかったのが
「友愛グループ女神ノ海を主催していた故藤田妃見子(竜宮乙姫)さんが
建立したという滋賀県高島市の風車街道沿いにある黄金の像」の写真だった。
写真の情報によるとこの像は乙姫像ではなくて『琵琶湖母神像』となっている。

その後の経緯であるが
『ハミト大神とイツキヤマト大神 No543』に
金の神座(みくら)の神籬の写真を載せたのが2020/09/06 02時頃。
その経緯となる筆者コメントが以下のとおりである。

「とりあえず金色のものを神籬の下敷きにしました。
さくら様の返信に気を良くしたので
この写真も明日にでも添付しておきたいと思います。」

私が何に気を良くしたのかというと
さくら様のこのコメントに対してであった。

さくら様:「金色のたまゆら」の紹介ですね。
オリンよりも、魂の形の音の出るモノの方が
ベストだという考えでしょうか・・・オリンは蓋が無いのです。
上部に音が流れる。
たまゆらは、下部に音が流れる。
鈴の形は、下にラインが入りますので、
たまゆらは鈴に近いという事になります。

私はさくら様が鈴に想いを馳せておられて
仏具と神具の違いを理解しておられることに気を良くしたのです。

さらに滋賀県高島市の風車街道沿いに龍宮乙姫像の別バージョンが
あることをさくら様に伝えたのが2020/09/19 22:25:51のことになる。

早速さくら様が足を運んでくださったようで
その詳細は以下コメント文の通り


 熊本の乙姫女神像

 風車街道の金色の琵琶湖母神像

全くの部外者である自分としては
『琵琶湖母神像』が『乙姫女神像』と同一神霊なのかどうか断言しかねるが
『乙姫女神像』設置が昭和61年で『琵琶湖母神像』設置が平成元年と
その間4年経過しているのだが、『琵琶湖母神像』が金色に輝くことを鑑みると
その間に藤田妃見子女史は金の神座の本質を理解したことになろう。

しかし琵琶湖に何を感じられ『琵琶湖母神像』を設置したのか疑問が残る。
さくら様の御指摘によると筆者が過去に記載した『鹿島香取の秘鍵 No358』に
以下のような記載がある。

『奇妙な夢の内容 No332』で結論付けた久那土の神の感応のためには
『大地母神』(≒地蔵菩薩「大地を母胎とするものが元の意」)の理解が必要と
されていることまでが分かった。
ところで禮月様の奇妙な夢の舞台は琵琶湖だったそうだ。
そして大地母神になぜ琵琶湖の水の女神が出てくるのかが疑問であるが
乾いた大地に水の恵みがあってこそ豊穣な土地となることの龍王の黙示だとも感じ取れる。
以上

この時には追及していなかったが琵琶湖に原初人類の発祥を感じ取った人物に
大石凝真素美(おおいしごり ますみ,1832 ~1913)がいる。
彼は琵琶湖の竹生島は人類発祥の(母神の)地であると主張している。

大石凝真素美の『真訓古事記』には「若し鰓エラを取り置きする術を知りて
今なお龍宮に往来する道有らば我は龍宮に通ひたく思ほゆる」とある。

龍宮の乙姫に想いを寄せる大石凝真素美であるが
中村孝道(1818~1844)が創り出した水茎文字が琵琶湖の湖面に表れるといい
実際に出口王仁三郎を連れて琵琶湖の沖島に行き水茎文字を読んだということが
今や伝説となって知られている。
もちろんこの話は教派神道において有名な話であるので
藤田妃見子女史も見識はあったはずである。

『琵琶湖母神像』の場所は湖西線 近江今津と新旭の中間の県道333風車街道沿いで
目標としては江若交通の水鳥観察センター前というバス停がある。
またgoogle地図で検索するなら目の前にはDog Runや定食店がある。
  










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