吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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縄文神 サイの神のおさらいです No151

2010-08-29 08:52:47 | 日記
蘇我氏は勾玉と縁が深い一族で蘇我氏が勢力を無くすと同時に
勾玉が作られなくなっている。
出雲の勾玉は玉造温泉として今に名を留めている。
さて三種の神器は「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「天叢雲剣」であるが
これらを各氏族に当てはめると八尺瓊勾玉=蘇我氏 天叢雲剣=物部氏
八咫鏡=邪馬台国系の氏族に当たるのではないかと勝手に考えている。
良くわからないが鏡はもしかすると天忍日命や道臣命に繋がる大伴氏かもしれない。
また八尺瓊勾玉を献じたのは
丹波国の桑田村の甕襲(みかそ)という人物という話もある。
出雲での氏族の結束が三種の神器であり、
天皇とはその氏族から輩出された司祭担当ではなかろうか?
だとすると天皇が祭祀していた神とは、どういう神霊だったのかという疑問がわく。

出雲大社の宝物館の勾玉は翡翠硬玉製だが、
このヒスイは越の国で産出したことが今では分かっている。
世界的に見ても翡翠硬玉の産地は少なくて
ビルマ(ミャンマー)のカチン州マンダレーが有名であるが中国国内では産出しない。
しかし長らく日本でヒスイが産出されることは忘れ去られていて
再発見は明治になってからである。
越の国は今の北陸あたりで糸魚川市長者ケ原遺跡の発掘調査で、
縄文中期の硬玉性大珠の加工跡が確認されている。
ここに非常に重要なポイントがある。
蘇我氏が勾玉と縁があると言ったが、この勾玉は縄文由来の祭祀具である。
縄文式土器に火焔土器や遮光器土器があるが、縄文神の信仰を雄弁に語っている。
縄文神の信仰をたどり調査した結果
間違いなく縄文神は封印されてきた歴史を持つように感じている。

女神アラハバキ(荒覇吐、荒吐、荒脛巾)と
男神サイ(岐神 来名戸祖神、八衢神、塞の神)は
縄文神系と言われており、猿田彦神や白鬚神に繋がっていると思っている。
また祓戸四神の内の一神である瀬織津姫も縄文の女神と伝える人々がいる。
筆者は今のところ瀬織津姫について見識を持っていない。
ただ同様な話がある白山菊理媛神については自分なりの信仰を持っているが、
この白山神は寛恕と和の神でありここで述べている縄文神の範囲にはない。
同様に道主貴であらせられる宗像三女神の一人である市杵嶋姫も
縄文神の範囲と思っていない。
市杵嶋姫は弁財天(弁才天)に習合されることもあるが、
女神アラハバキも弁才天に姿を変えて信仰されてきたという話もある。
従ってそういう意味での繋がりがあるのかもしれない。
瀬織津姫神を日本神名辞典で調べると禍津日神・八十禍津日神に比定されている。
全ての災厄の元となる神らしい。
これに対抗し穢れを払い、禍を直す神として直毘神が生まれている。
瀬織津姫神は恐れられさんざんな言われ方をされているように思えるが、
確かに封印された縄文神の性質を持つのかもしれない。
ただ筆者が今論じている縄文神とは間違いなく祟り続ける神であり
祟り神に落とされた神の事ではない。
その区別は重要だと思っている。
日本の神道のある部分には間違いなく
ミトラ教由来のマイトレーヤ信仰 、ユダヤ教、原始キリスト教の
理念が混じりこんでいるし、もちろん道教、仏教、儒教の理念も混在している。 
神道とは器であるからそれは大きな問題とはならないが、
それゆえに一神教にならずにいると思っていた。

数多くの神々を祀る古代エジプトでも
太陽神ラーを信仰する者、別の太陽神アメンを信仰する者と
オリオン星を信仰する者、シリウス星を信仰する者の対立があっていて
多神教でありながら各自は一神教を志向している。
人類本来の本能は、一神教を志向するように感じている。
やはり日本だけが特殊であるような認識を持つに至っている。
日本には八百万の神々を各所に配置し、
ありがたい神様として名を問わない信仰形態がある。
例えば西行法師の「西行法師家集」に載る
『なにごとのおわしますかは知らなねども、かたじけなさに涙こぼるる』
という歌であるが
これは伊勢神宮に詣でた時の歌であるから
伊勢の神様がいることは分かっていながらの歌である。
また昔話の「大工と鬼六」でも名前を当てられて鬼は卒倒して消えている。
本名(諡)は軽々しく人に教えないまた呼ばないのは当たり前で
だから諡を「忌み名」といっている。
特に神霊に関しては、庶民は詮索せずに
海の神様、山の神様、水の神様、火の神様と呼ぶのが慣例となっている。
本来今の私が行っている作業のように神名を明らかにして役割を見極めるのは
小賢しいことなのだ。
神々を総括してありがたい存在として、
八百万の神々とする日本の多神教は、
原始的どころかその維持に古来から意図的な配慮が成されている。

この原因について筆者はあることを感じている。
それはひとつの神のみを信仰し
それを一神教として広めようとすると祟られるということだ。
では何に祟られるのか?誰が祟られたというのか?
もちろん祟るのは封印された神である。

例えばキリスト教は教科書的には、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが
1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたということになっている。
布教と植民地支配は両輪で彼ザビエルは
「スペインの基地を作るために地理的条件を考えると天草が最高だ。」と報告している。
同様にペドロ・デ・ラ・クルスも1599年2月25日に
ローマのイエズス会本部ジェズ教会に宛てた文章に
「軍隊を送る前に,キリスト教の領主の土地を
艦隊の基地として使用できるようにする。このためには天草島が非常に適している。
なぜならばその島は小さく、軽快な船で取り囲んで守るのが容易であり、
また艦隊の航海にとってよい位置にある。」と報告している。
その天草で実際に布教活動をしたのは
イエズス会のルイス・デ・アルメイダ神父であり、
この布教活動が1637年12月11日に天草四郎率いる天草の乱と繋がった側面もある。
そしてこの乱では3万人以上の死者が出たが以降キリスト教は深く潜伏し、
隠れキリシタンとなっていった。
また日本に対する植民地支配策は東インド巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、
日本よりも支那の支配を薦めており、日本は結局難を逃れている。
神霊の実在を信じないものには、これはただの歴史の流れであろうが、
筆者にとって、この天草に広まったキリスト教が
なぜここまで完膚無きまで叩き潰されたのか、
その神霊界の動きが気になっている。
この天草の乱は、基本的には島原・天草一揆である。
過重な年貢負担に窮し、さらに飢饉の被害で始まった一揆であり、
宗教的な戦争では無かった。
しかし数多くのキリシタンが加担していて、
それがキリシタン弾圧の口実ともなっている。
歴史的には秀吉、家康によりキリスト教は禁教化されていき、
それで広まらなかった訳だが、
神霊的な背景にはひとつの神のみを信仰し
それを一神教として広めようとすると祟られるという例となっている。

熊本の宇土に入ったキリシタン大名の小西行長が神社や寺院を
全て破壊しまくっている事から
宇土から八代にかけての神社は後年に再建されたものばかりである。
八代の中央構造線と熊本の中央構造線である金峰山南側の
立田山断層(熊本霊ライン)とに挟まれた
この地域で起こったことは増幅されて日本へ影響するが、
小西行長の行為によりキリスト教が日本国中に広がる可能性があったといえる。
小西行長とイエズス会が協力してもしスペインの基地を天草においていれば
日本の歴史は変わったはずである。
例えば韓国では宗教人口は総人口の53%を占め、非宗教人口は47%である。
このうち、仏教が22.8%、プロテスタントが18%、カトリックが11%、儒教0.2%となっている。
プロテスタントとカトリックを加えたキリスト教全体では29.2%で
キリスト教信者数は約1376万人となっていて
仏教より信者の数が多く、第一位の宗教である。
この韓国のキリスト教が広まるきっかけとなったのは、
キリシタン大名小西行長の求めに応じて
イエズス会司祭グレゴリオ・デ・セスペデスが朝鮮に出向いたからである。
小西行長の布教活動は、当然九州に浸透していったが、
これにことごとく対抗したのが加藤清正公である。
小西行長は朝鮮出兵では和平交渉に尽力しているし
財での慈善事業を行うなど尊敬すべき点も多いが、
結局彼の人生は清正との対立の中で敗者となってしまう。

そういう意味で加藤清正公に味方した神霊が、
キリスト教の布教に対抗したように思われる方もいらっしゃるかもしれないが、
筆者なりの調査の結果では、どうも違うようである。

このひとつの神のみを信仰しそれを一神教として広めようとすると
日本で祟られる呪いはもっと根源的なものである。
筆者はそれを表面的には封印されている縄文神の呪いであると感じている。

蘇我氏は、縄文神の呪いを封印するために仏教を選択しようとしたように思う。
もともとこの封印は結界師である天皇家の役割であった。
ところが、世俗にまみれ権力志向の中で天皇の巫覡としての力は弱まり、
代役が求められるようになってきていた。

ひとつの神のみを信仰しそれを一神教として広めようとすると祟られ滅びる例として
物部氏の衰退も上げられる。
物部氏は蘇我氏との間で神道VS仏教の宗教戦争に敗れたといわれているが、
この話にはいくつもの謎が隠されている。
ただ強大な軍事力を持つ物部氏が戦に負け敗退したことだけは事実である。
ここに物部神道は滅び去ったといえる。
残る中臣神道は、中臣氏が藤原氏と名を換え藤原不比等が信仰の拡大を捨てる事で
祭祀つまり政(まつりごと)から宗教色を取り払い、
律令政治としたことで生き残った。

また一向宗もあれだけの勢力となりながら石山本願寺で織田信長に破れ去った。
この歴史も調べていくとどうも祟られているとしか思えない節がある。

あるいは古くは皇極紀3年に富士川のほとりに住む
大生部多(おおふべのおお)という多氏の一族が
「常世神」(とこよのかみ)を広めている。
「常世神」とは常世虫に対する信仰のことである。
家の家財を投げうちて虫を祭る者が多く、
秦河勝は民が惑わされるのを許さず、大生部多を討ったとある。

第二次世界大戦で敗戦を喫しあらひと神である天皇が人間宣言を行ったのも、
そう思ってよくよく歴史を調べると
まさに祟られて滅びの道を強制的に進まされたとしか思えない。

また弘法大師空海が三輪に三面大黒の結界を仕掛けることをしながら
決して自らの教団である真言宗をある規模から拡大させようとしなかったのは
縄文神の霊力に対して自らの限界を知ると同時に
この祟りを正面から受けないためであったと筆者は考えている。

日蓮の場合は途中で竜に助けられると同時にそのことに気づかされて
縄文神信仰をさらに強めている。
その秘密は身延山(七面山)に隠されているようである。

では縄文時代からの古代日本人が信仰していた縄文神とはどんな神なのかというと
筆者は想像の範囲から超えて話が出来ないが以下のニ柱の神霊の存在を感じている。
遮光式土器で表される全てを産み出す神=女神アラハバキ
火焔土器で表される燃やし消し去る神=岐神

出雲では、「神在祭」という神事が行われる。
海でお祓いをしに十数名の神官達が稲佐の浜に到着。
1時間あまりの儀式を終えた後、
あがったセグロウミヘビ(海蛇)を持って神官達は出雲大社へ向かう。
これによって出雲に八百万神を迎えることになる。
1週間留まった末、また八百万神はそれぞれの国へ帰っていく。
つまり竜蛇神信仰があるわけだが、
『古事記」に、垂仁天皇の皇子の本牟智和気御子(ホムチワケ)は
出雲にゆき「檳榔(アジマサ)の長穂宮」に住んだ。
ある夜、肥長比賣(ヒナガヒメ)とむすばれたが、
その姫をそっと見ると蛇であったのでホムチワケは逃げ出した。
ヒナガヒメは「海原を光らして」追いかけてきた、とある。
ナガの語源はもともとサンスクリットのナーガからきたもので
蛇をさすといわれている。

また綿津見神(海童神)の娘である豊玉姫神は彦火火出見尊(火遠理命)との間に
鵜葺屋葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)をもうけるが、
豊玉姫神の出産時の姿は鰐であったとなっている。

また三輪山の神は巳様と呼ばれる蛇であり
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)は
蛇巫女として巳様に仕えたようだが、
この巳様が大物主神であるとの伝承がある。

この爬虫類を竜神・竜蛇神・蛇神とみなし、祭祀する信仰は、
やはり縄文時代からのものであろうが縄文神信仰とは別に受け継がれてきている。
しかしながらこの竜蛇神は、眷属神的な働きをもたらす神霊であり
呪い祟る縄文神の根源的な存在ではなさそうである。

この縄文神の呪を祓い日本を祝福された国にするには
どうしても蘇我氏の封印を取り去り
蘇我氏の祭祀を学び古来の儀式により
縄文神の呪を解決するしか方法が無い様に思う。
弘法大師空海からの啓示もそのことを示唆している。
そうすれば日本各地に封印された龍神は全てが本来の力を発揮するはずである。

自分はこの十数年間、自らを犠牲にしてこの問題に取り組んできた。
各人の協力もあって神霊界を大きく動かしたことは事実である。
ホームページも立ち上げたが残念ながら賛同者はゼロである。
自分の第一弾の役割は果たし終えたと思っている。
ただ縄文神の祟りの増殖は一筋縄ではいかない。

今の神霊界の新たな問題として靖国問題もある。
以下参考までに
『日本の国家開運の枷』
今年65回目の8月15日の「終戦の日」に靖国神社に15万人を超える
参拝者があったそうだ。
靖国神社は明治期からの戦没英霊の鎮魂の神社となっている。
祭神が戦没英霊であり日本の神社としては、
少し一般の神社とは趣が違うという印象であろう。
そして中国・韓国からは侵略の象徴として靖国神社は敵視されている。
今回、民主党政権の内閣は参拝を見送った。
ところでもし中国・韓国からの圧力に負けて仮に
この靖国神社の祭神を
朝鮮から日本に渡来した天日槍などに替えたとしたら
どういうことが起こるだろうか?
神霊界の存在を否定する人であれば
単なる屈辱の問題として片付けることも出来るだろうが、
神霊界が実在すると確信する自分としては、
とんでもない状態になるということを伝えたい。
靖国神社が日本国の愛国者の象徴と思う人々と
祀られる英霊が造り出してきた
ものすごい思念はその時行き所がなくなってしまう。
それは神霊界の乱れによる国家的祟りとなってしまう。
実は日本の過去において、時の政権等により
そのようなことが過去より多々行なわれてきているのだ。
これが今の日本に非常に多大な影を投げかけている。
自分は微力ながらもそれを糺していくことを自らの宿命としている。
封印された歴史と封印された祭神を開くことは
非常に作用反作用が大きいので細心の注意と時間が掛かる。
封印した側の霊的攻撃と封印された側の祟りの
両方を被ることを覚悟しなければならない。
ただまさに今しなければならない事だと自分は判断している。
今の繁栄の裏には隠された歴史があり、
日本が世界の規範となる為には避けて通れない道である。
第二次世界大戦後65年が経ち日本は平和な国となったが
未だに世界から祭祀の自治すら認められていないような状況にある。
一般的な日本人の平和への思いは、
世界でも類の無いぐらい純粋なものであるし
国連等でも日本人はリーダーに任命されれば
世界にもっと有意義に貢献出来ると確信している。
それがなかなか認められないのはもどかしいものがある。
それを霊的世界からも解明したいという想いがある。
日本の古い縄文神の歴史の封印から新しくは明治時代の
皇国史観による改竄による
神霊界の乱れと混乱と封印を解き放ち
封印された魂の開放を行い日本神霊界を強固なものにしたい。
現在宗教団体とは別の独立した神霊の導きによる
多人数の霊的感応者らによる神社やパワースポットでの
祈りのパワーが強くなってきて来ているが、
その背景は日本神霊界が少しずつ糺されているからである。


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30 コメント

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蘇我のこと (虹色巫女)
2010-09-15 00:13:15
最近いろんなシンクロありすぎて先祖のことがまた再び気になって検索していたら吉田一気さんのサイトに辿り着きました。トンデモ古代史の関さん本以来、さらにすごく深い考察のある氏の文章にびびびときました。3歳の頃より私と家の守護となっておられる父方祖母が蘇我宗家の出であることを数年前に知って、古い記憶を辿って親戚に連れられてお参りしたことのある香椎のインニャク神社+武内神社にも最近時々お参りにいってます。蘇我が封印してしまったものetc何かどうにかできないものかと思いついたことから実践してみている日々です。もともと代々お巫女体質でここ20年くらいいろんな冒険やってきましたが、あらためて古代史本など読んでみたら、あまりにも現在の私や家族の嗜好~行動にシンクロがありすぎ、これはもう私が直系だとかうんぬんぬきにして祖母のサポートでここまで感応するのならもっと真剣に「わたしにできる平和活動」やらねばと 勝手に使命をもってしまってますが、正直あまりに膨大すぎてときどき1人ではめげて途方にくれます。それでも先日飛鳥で出てきた斉明天皇の陵の件でふとおもいついて 赦しと癒しの祈りを捧げたところ感応がありました。もしもこちらの研究会など発足の折にはお知らせください。この手の話はほとんどしたことがなく、ぜひ九州での蘇我関心系の方と意見交換などしたいです。また時々チェックに参ります。今後ともよろしくおねがいいたします
返信する
虹色巫女さまへ (吉田一氣)
2010-09-16 01:04:40
コメントをいただきありがとうございます。
現実界中心で生きていくべきだとは思っているのですが、
これだけ混迷するとなんとかしなければいけないという気になります。
日本人は勤勉で努力してきたし、
自我を殺して忠節を尽くす民族なのに
ここまで世界で苦労する原因を不思議に思って探ってきました。
その結果、
日本の過去の歴史はまだ死んでいないということに気づきました。
見えなくても記録から抹消されていてもそれが太古であっても
歴史に刻み込まれたものは陳腐化せず
まだ残っていて未来に影響を及ぼし続けていると確信させられました。
それは先祖供養や感謝業レベルでは乗り越えられないカルマであり
聖徳太子や空海等の数多くの賢者も
次の世代に自分たちの経験を記録すると共に
結局はそれを再封印してから
未来の日本人に託すことを行なってきたようです。
そして2000年の大峠を越えていよいよの時となった今
普通の一般人もそういう感応を受けるようになって来ました。
細かいことを知らずに霊的影響と指導を受け
不可思議への興味本位で神社とパワースポットめぐりを
している方が多いようなのですが、
自分自身の覚悟を決めるためにもルーツを探ることを
おろそかにしてはならないと思っています。
虹色巫女さまは、福岡出身なのでしょうか?
蘇我氏の気配は九州にも強く残っています。
封印をひとつひとつ解いていっていますので
今後ますます虹色巫女さまを守護する神霊の加護は
強くなると思います。
牽牛子塚八角墳が斉明天皇の陵なのか若干の疑問はありますが
蘇我氏の秘密と乙巳の変の真実を知る女帝だと思います。
福岡県朝倉郡恵蘇宿の御陵山に陵墓があります。
この恵蘇宿とはどういう由来で付けられたのか気になっています。
機会がありましたらぜひ恵蘇八幡宮にも参拝されてみてください。
返信する
恵蘇八幡へ (虹色巫女)
2010-09-17 20:25:40
その場所は家族で行きつけのスポットの沿線上ですので、近々恵蘇八幡へお参りして参ります。
的確なコメントをいただき 確信することができました。ありがとうございます。
みなさんがそれぞれ先祖関連にフォーカスしてすすめるとすんごくいい感じになりそうな気がしてます。
今後また報告にうかがいます。
※ちなみに当方生まれも育ちも福岡、祖母の実家は香椎宮裏印ニャク神社の近くだったそうです。余談ですが熊本には7年程前菊池川流域の町おこしetcで単身赴任し、そのとき竜神様とさらに仲良しになったようです。
返信する
虹色巫女さまへの返信2 (吉田一氣)
2010-09-18 00:38:02
そうですか。
虹色巫女さまとは菊池の龍門ダムの龍神様のご縁なのですね。
龍門ダムの龍王神社には近年参拝させていただいたのですが
その時フラッシュバックのように記憶が遡り驚いたことがあります。
昭和45年に私は菊池の高瀬に住んでいたのですが
目と鼻の先のアパートに住む男性がこの龍王神社の創建者でした。
当時より病弱で体調を壊して学校から早引きした際に
偶然会ったこの不思議な男性からパワーをいただいた記憶があるのですが
その時からここの龍神さまとは縁があったようです。
この龍王神社の由来石碑見て
あの男性が荒木アパートに住んでいた天鳳院光竜元氏だと思ったのです。
もしかすると自分の神霊感応能力は
この時に戴いたものなのかもしれないと感じています。
ところで恵蘇八幡のそばの麻氏良布神社の山に
蘇我入鹿が鬼となって現れ
喪の儀式を見守っていたという伝承がありますが、
恵蘇八幡宮の東1kmにもともとは蘇我氏を祀ったと思われる須賀神社があります。
返信する
須賀神社 (虹色巫女)
2010-09-19 00:08:26
スガ=蘇我神社があるんですね。それは知りませんでした 探して行ってみます。昨日久々うきはの友人から連絡あり、橘宮の近くにある(偶然・数日前にその真浦にあるの知りました)行きつけのレストランに行って近辺の史跡巡りにこうと誘っております。
☆龍門ダムは一級河川流域会議イベントで上中下の流域まちづくりNPOと初キャンプ交流をした記念の場所です。流域学=バイオリジョンという考え方で川の上中下の意識をつないで流域活性化をしていく手法はとても壮大でスピリチュアルなものを感じました。(←いろんな出来事ありました)
その近くにある竜神フリークにはかなり名高い龍王神社!
なるほどですね。
まだ行ったことないのですが、神々好き環境系の知り合いが設立した菊池川源流森づくりNPO活動などの折に出かけていけたらと思ってます。こちらもまだ一度も現地に顔出したことがなく。菊池川竜神さんつながりでもしもご関心ありましたらネット検索してみてください。→「NPOいのち一番の森」
荒木さんというお名前、玉名で借りていた家の大家さんと同じです。竜神さんと関係あるのかもですね。話がそれてしまいましたが。
返信する
昨日恵蘇八幡行ってきました。 (虹色巫女)
2010-10-05 17:07:34
父母と買い物がてら朝倉の恵蘇八幡へ行ってきました。神社隣接の歴史公園は寂れてましたが、家族で散歩しながらわいわい「陽気」を広げてお祓いしました。丘の上の古墳にオリジナル玉串持参で「和解」のお祈りしましたら、斉明天皇が目の前で泣き崩れ胸の内をすっかりうちあけられたようなさわやかなイメージが伝わってきました。そのとき一瞬わさわさと風が吹き抜けカラスが少し騒ぎましたが、これだけ雨雲があるのに雨は降りませんでした。帰り道父が空を見て「あの雲は宇宙戦艦大和のようだ」というので観察してたら、特大雨雲の龍雲が上空に出てきて我らが進む方向へついてくるかのように、比良松交差点直前で目と口の形まで出てきて、太陽がちょうど「龍が口にくわえた黄金の珠」の位置でお出ましとなり、天の岩戸が開いたやうに神々しく輝いてました。以上大変印象深い秋の1日となりました。現世御利益的にもさっそくいくつかの素敵なことがあったのでまた時折参拝に出かけようねと恵蘇八幡は新しい我が家の定番スポットに。お奨めいただき感謝です。
返信する
虹色巫女さまへ返信 (吉田一氣)
2010-10-06 20:26:58
恵蘇八幡神社参拝お疲れ様でした。
龍神の御神氣をいただけたようでうれしく思います。
やはり蘇我氏にも縁がある地なのでしょう。
私も参拝してみたいと思います。
返信する
静かなところにおりくるモノ (ニキ)
2016-08-03 21:15:32
吉田様のこの記事が読むたび心に響くので、何度も読み返してしまいます。
私の父方の祖父はパラオ諸島で戦死しており、靖国神社の記載などはなるほどと呻ってしまいます。

先日、葛飾八幡宮の千本公孫樹に会いに行ったのですが、帰り際、枝に腕を引き込まれ引き止められました。基本、神社さんでは用事が済むとポイされるので、何事かと。何となく竹生島の黒龍神木が心配のあまり来たような気配がしました。
その後帰宅したら、黒雲から虹が出て、東の空(関東平野の方)にぐんぐん伸びて橋がかかり、二重虹になる光景を見せられ、その瞬間、すべてが止まった気がしました。
色々な気配が遠のき、圧倒的な静寂が場を支配する。
震えが止まりませんでした。
昔、強大なものは静かな場所におりてくると聞いたことがあり、それがまた善悪を超越している感じでさらにゾッとしました。
これはちょっと障りなのか護りなのかよくわからんと思いました。

最近気になる映画が「ガンダム TheORIGIN」
国を乗っ取られたり、成り代わったり、本当に話が意味深です。笛のお兄さん(関俊彦さん)が本物シャアで、馴染み深い赤い方のシャア(池田秀一さん)は成り代った方。目から鱗でした。(マニアックで失礼…)勧善懲悪ではなくそれぞれの事情が複雑に交錯していて・・・ってすべて人間ごとですが。

なんだか色々急かされている気がして落ち着きません。
返信する
吉田一氣 (ニキさまへの返信)
2016-08-04 00:25:15
古い記事ですが読んでいただき幸いです.
「善悪を超越している感じでさらにゾッとしました。
これはちょっと障りなのか護りなのか
よくわからんと思いました。」
この感じはとても良く分かります。
大神霊との観応は誰にでも有る訳ではないので
その演出に素直に感動すればいいと思います。
特に竹生島の黒龍神は
『偉大なる、しゅららぼん』ですから
最後は丸く収まると思って
信じていけばいいと思います。
返信する
それでも世界は美しい (ニキ)
2016-08-04 22:14:32
吉田様

失礼ながら上記のコメント返しを拝見し、私が思っているよりもずっとユニークでユーモアあふれる方なのかなと思ってしまいました。
しゅららぼんて・・・(笑)。そういえば竹生島では木々が水蒸気を吐き出し、葛飾八幡では優しい風が吹いていました。まさにしゅららぼん。

ご返信ありがとうございます。
あれが観応なのか・・・。すばらしい光景だったので感動に打ち震えつつ、やっぱ怖い(笑)。不安はなかったんですけどね、圧倒的で。
自分にとっての確信てなんだろうと思い、今、思考を止める練習と視覚での観察を心がけているのですが、早々に視覚に見せ付けられました。
自然の中で遊ばせてもらうことが多いので観応のような機会にはよく出くわすのですが、何しろ弱視で乱視なので視覚以外の感覚で補完してることが多分にあるんですね。「額の目で見るな」と注意されてしょんぼりします。

それにしてもお見通しですね。しゅららぼんのお話、はじめて知りました。ガンダムが気になってついコメントしてしまったのも繋がってたのか・・・。

能天気なコメントですが、人間ごとでどんなことがあってもそれでも世界は美しい。だから最後は丸く収まる。そう確信しています。
ちびっこが必死で何とか頑張っていると、大神霊の何かに触れたのかもしれませんね。神霊の力を示すのに最も効果的なのは無力な奉祭者をもつことだとも聞きます。奉祭者の方はたまらないと思いますが。

しゅららぼんとのご縁をありがとうございました。そういえば、私、5歳のときに家族で琵琶湖で泳ぎの練習をしました。ひえ~。

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