壱岐国(嶋)の式内社(神社)は大社7座小社17座の計24座のとされている。
その中の名神大社の一社として月讀神社が知られる。
この月讀神社も『延喜式』作成の平安時代以降は場所が不明となり
江戸時代に平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社の調査を行った橘三喜が
清月という地名の山神社を式内名神大社の「月讀神社」に比定したものであり
残念なことに月讀神社の正確な場所は忘れ去られてしまったことになる。
月讀神社は九州を除くと全国に十数社しか存在しないようであるが
数の少なさには何か理由があると思われる。
前回麻氐良布神社と道君がらみで田主丸を調査した際には
久留米周辺だけで10社ほど見つけている。
しかし熊本県では1社も見つけていない。
なぜか熊本県では素戔嗚尊を祭る神社も少ない。
由緒書きによると鎮座年数記載部に西暦487年に天月神命を祀るとある。
天月神命は先代旧事本紀の天神本紀によると
饒速日命に従って天降った三十二人の武将の一人と考えられ
壱岐県主(いきのあがたぬし)等の祖となったと記載されている。
月讀神社の右手に赤い鳥居があり月弓命が祀られていた。
『古事記』で黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命が禊で黄泉の汚れを落としたときに
最後に生まれ落ちた三柱の神を特別に三貴神と呼ぶ。
イザナキの左目から天照大神
イザナキの右目から月読命
イザナキの鼻から須佐之男命
が生まれたことになっている。
月読命と書く場合は月を読むということから月齢を読む意とされるが
黄泉から帰ってきた際の禊で生まれたのがツキヨミであれば
月黄泉を連想させるのでこの発音には違和感がある。
月弓命が本来の御神名であれば今の自分にとってはしっくりくる。
そして月弓神であれば農耕神などではなく防衛神としての役割となろう。
先ほど述べた天月神命を含めた三十二人の武将も先代旧事本紀(806‐936頃)三に
「誘欺防拒、而令二治平一、令下三十二人並為二防衛一、天降供奉上矣」とある。
という訳で今回は月讀神社にて斎姬山門五音大神の国防祈願の支援を祈願をしてきた。
※ただ壱岐という場所柄ゆえに月弓神からは朝鮮半島百済の弓月君のことも頭をよぎる。
その中の名神大社の一社として月讀神社が知られる。
この月讀神社も『延喜式』作成の平安時代以降は場所が不明となり
江戸時代に平戸藩の命を受けて壱岐島の式内社の調査を行った橘三喜が
清月という地名の山神社を式内名神大社の「月讀神社」に比定したものであり
残念なことに月讀神社の正確な場所は忘れ去られてしまったことになる。
月讀神社は九州を除くと全国に十数社しか存在しないようであるが
数の少なさには何か理由があると思われる。
前回麻氐良布神社と道君がらみで田主丸を調査した際には
久留米周辺だけで10社ほど見つけている。
しかし熊本県では1社も見つけていない。
なぜか熊本県では素戔嗚尊を祭る神社も少ない。
由緒書きによると鎮座年数記載部に西暦487年に天月神命を祀るとある。
天月神命は先代旧事本紀の天神本紀によると
饒速日命に従って天降った三十二人の武将の一人と考えられ
壱岐県主(いきのあがたぬし)等の祖となったと記載されている。
月讀神社の右手に赤い鳥居があり月弓命が祀られていた。
『古事記』で黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐命が禊で黄泉の汚れを落としたときに
最後に生まれ落ちた三柱の神を特別に三貴神と呼ぶ。
イザナキの左目から天照大神
イザナキの右目から月読命
イザナキの鼻から須佐之男命
が生まれたことになっている。
月読命と書く場合は月を読むということから月齢を読む意とされるが
黄泉から帰ってきた際の禊で生まれたのがツキヨミであれば
月黄泉を連想させるのでこの発音には違和感がある。
月弓命が本来の御神名であれば今の自分にとってはしっくりくる。
そして月弓神であれば農耕神などではなく防衛神としての役割となろう。
先ほど述べた天月神命を含めた三十二人の武将も先代旧事本紀(806‐936頃)三に
「誘欺防拒、而令二治平一、令下三十二人並為二防衛一、天降供奉上矣」とある。
という訳で今回は月讀神社にて斎姬山門五音大神の国防祈願の支援を祈願をしてきた。
※ただ壱岐という場所柄ゆえに月弓神からは朝鮮半島百済の弓月君のことも頭をよぎる。