熊本大地震で2度の震度7を経験することになった益城だが
二度目の追い打ちで完全に心が折れてしまったという人が多い。
一度目の地震で途方にくれながらも
なんとかどこかひと部屋を片づけて生活スペースを確保したり
近隣宅に避難したりしたのだが
その日の夜にさらに激しい地震が襲ったのだ。
弱った大黒柱には致命傷だったし
そのショックは倍増してのしかかって来た。
益城ほどではないとしても熊本県民皆が打ちひしがれた。
以下のデーターを見ていただきたい。
気象庁の各種データー資料の震度データベース検索で
震度6以上のものをピックアップしたDATAとなる。
地震の時系列は7⇒6⇒5⇒4⇒3⇒2⇒1という順で
7が最初の地震となる。
そして二つの巨大地震は7と4となる。
益城・西原の激しい震域は緑三角の位置となる。
7と4の地震の震央からは益城も西原も少し離れている。
3時間弱の間に7⇒6⇒5という順で地震が来てそれで収まったように見えた。
ほぼ益城の断層のエネルギーは解放されているだろうと誰もが思っていた。
これが前震で本震が今から来るという予想は全く無かったと言っていい。
ニュースで今回の地震が日奈久断層帯の東端だと聞いたときに
自分が以前より恐れていた布田川断層帯でなかったのでホッとしたのも事実だ。
断層帯が重なり合うところで起きた場合は
一つの大地震で両方の断層の重なり部分のエネルギーが解放される可能性が高い。
しかし次の日の深夜M7.3の地震が再び熊本を襲った。
前日は車中でまどろんだ程度であったし
もう来ないだろうと自宅に戻って疲れで熟睡したところを襲ってきた。
携帯の地震警報は昨日に引き続き地震後に鳴るので意味をなさなかった。
照明を付けて寝ていたので目を覚ました時はまだ明るかったのだけど
起きてすぐに停電になり真っ暗な中で物の割れる音や地鳴りの音が激しく続いた。
揺れが続いている間は金縛り状態で揺れが収まってから手探りで外に出た。
携帯に津波警報が出たのでとりあえず車で独鈷山の駐車場に緊急避難した。
避難しながら今回の地震は立田山断層ではないかと考えていたが
ネットで確認してみると再び益城あたりとなっていた。
今回の地震は過去に例のない連鎖地震であり本来起こるなら
最初の地震時に同時連動するのが一般的だと思われる。
余震というものは本震による増えた歪の解消となるようなものだが
今回は余震とはいっても誘発された地震のようだ。
地下の断層のエネルギーは表層に影響を及ぼすが
表層の剪断応力が別の方向にある地下の断層に影響を及ぼすとは
考えづらい。
現在の気象庁の震源データーは上記のようになっている。
特異点は1と4になるが
不可思議な現象でこのことは特別な意味を持つように思える。
たぶん熊本霊ラインの起点となる御坊山・城山・独鈷山・万日山方向に
何かが引きずり出されて地震が起こったように感じる。
気になるのは上記データーととは別に
TVなどで報道されていた震源震央データーが別にあるということだ。
この二つの震源を重ね合わせると以下のようになる。
この図によると本震を引き出したのは菊池市のある場所ではないかと思える。
この場所も筆者には心当たりがある。
龍神に絡む祭祀の問題がそこにあると判断する。
この件に関しては昨年からの警告。啓示によって気にしていた問題だ。
このラインの詳細について知人から送られてきた図も添付しておく。
これらは霊的な啓示の話なので非科学的な話となる。
『熊本霊ラインは増幅作用を持つ』ので
もし地震エネルギーの霊流が7⇒4や3⇒1の方向により
熊本霊ラインに流れ込んだとすれば非常にやっかいだ。
細心の注意を持って様子を伺いながら祈っているが
こういう事態では一人の人間の祈りでどうこうなるレベルではない。
とはいっても熊本霊ラインの向かう先は京都となる。
日本の象徴たる京都には琵琶湖というアキレス腱がある。
熊本霊ラインの主催としてこの件に関しては
不断の思いで祈っていく覚悟でいる。
---------------------------------------------------------------------------------------------
※熊本霊ラインの詳細については以下参照していただきたい。
「熊本霊ラインと中央構造線」
まず霊ラインはただ神社仏閣が直線に並んだり夏至の太陽線に向かえばいいというような
単純なものではなさそうである。
そこに「天地人」の三つの象が揃ってこそ大いなる機能が働く。
「天」とは天空から見ての狂いの無い夏至や星座方向への直線性である。
「地」とは龍の氣とも云われる断層や水脈、河川の大地を流れるエネルギーである。
「人」とはそのライン上の山頂や経絡のポイント上の神社仏閣などで執り行われる神霊祭祀である。
この三つが揃った時に神霊的結界が結ばれ人の思いが天と地とに届く。
「熊本霊ライン数値関係」で検証したが、「天」に関しては夏至方向に向かっていたラインを加藤清正が
京都の二条城あるいは京都御所または糺の森方向に造り替えたと考えている。
それゆえに国土地理院の地図上で結んだ山頂頂点が自然ではありえない程に完全に直線になるのだろう。
「地」に関してはもともとこの五山は中央構造線上というだけでなく長さ14kmにわたる立田山活断層上に位置する。
1889年(明治22年)に起こった熊本地震(M=6.3)は立田山断層起因と云われている。
また1854年(安政元年)の肥後大地震
1778年(安永7年)と1769年(明和6年)の肥後川尻大地震ほか
18世紀には 1723年(亨保8年)1707年(宝永4年)1706年(宝永3年)と5回の大地震の記録がある。
17世紀にも 1695年(元禄8年)1665年(寛文2年)1661年(寛文元年)1650年(寛永3年)1625年(寛永2年) と5回の記録
16世紀の1507年(永正4年)の熊本地震もこの活断層起因の可能性がある。
熊本市は地下水が豊富で砥川溶岩層に沿って水脈が広がるがこのレイラインの地下には地下水脈もある。
さらに「
googleで観る熊本霊ライン 熊本市街」を観て頂きたいが、國龍神を祭る立田阿蘇三宮神社から
御坊山小島阿蘇神社に向かって流れる白川はまるで龍のうねりのようである。
この白川は太古より暴れ氾濫を繰り返してきたがその鎮守のために立田阿蘇三宮神社は建てられたのではないかと思う。
熊本霊ラインは活断層 地下水脈 そして白川の流れという三つの「地」のエネルギーを集結しそれに
金峰山からの荒ぶる氣までもが流れ込んでいる。
道君首名公はこの金峰山からの氣をコントロールするために味生池を造り加減したが
それを加藤清正は取り払い独自の防衛ラインとしたようだ。
「人」に関してはこの五山は聖地として現代までストーンサークルに始まり 妙見 観音 天台宗池辺寺 法相宗来迎院
真言宗独鈷山 阿蘇神社 天子宮 稲荷神社 聖徳太子堂 祇園信仰 日本山妙法寺仏舎利塔と
数々の神社仏閣が建てられており深い祈りの歴史を持っている。
熊本霊ラインは発信用のアンテナみたいなもので「人」の祈りは前後の山が導波器と反射器の役割をはたし
直線的に増幅され指向性を持って発信されている。