吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

阿蘇神社の御神霊が未然に食い止めたのか? No438

2016-05-27 21:47:17 | 神霊界考察
知人の巫覡から西原の白山姫神社と
阿蘇大橋崩落 阿蘇神社楼門崩壊の関係を指摘されたので
その件について述べたい。


確かに送られてきたこの地図と線を見る限り相関が感じられる。

この件に関してまず
以下地図をクリックして拡大してよく見ていただきたい。



上記地図の放射線図の起点は熊本市東区沼山津4丁目3-187の
少彦名神を祭祀する竹内神社である。
この竹内神社と西原の白山姫神社の感応により
布田川断層の龍脈の龍を鎮める必要性を感じたのだが
参拝した神社群を地図上に鳥居マークで示している。

参拝した神社群は竹内神社を起点として20°~30°の間にある。
これらの神社群の第一の存在理由は
布田川断層の龍脈の龍を鎮めてひいては阿蘇山噴火を鎮めることにある。
阿蘇の龍神祭祀については『阿蘇神界と火山神 No397』で述べているが
阿蘇山が大噴火すれば過去に経験のない惨事となる。

今回阿蘇大橋が崩落し阿蘇神社楼門が崩壊したが
それは20°~30°の角度の範囲からそれて32°程度となっている。
自分にはその事が偶然ではなく
阿蘇神社の神霊がエネルギーを反らすことによって
阿蘇の噴火を未然に食い止めたように思える。



記載途中



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益城の災難 No437

2016-05-20 23:07:07 | 神霊界考察
熊本大地震で2度の震度7を経験することになった益城だが
二度目の追い打ちで完全に心が折れてしまったという人が多い。
一度目の地震で途方にくれながらも
なんとかどこかひと部屋を片づけて生活スペースを確保したり
近隣宅に避難したりしたのだが
その日の夜にさらに激しい地震が襲ったのだ。
弱った大黒柱には致命傷だったし
そのショックは倍増してのしかかって来た。
益城ほどではないとしても熊本県民皆が打ちひしがれた。

以下のデーターを見ていただきたい。
気象庁の各種データー資料の震度データベース検索で
震度6以上のものをピックアップしたDATAとなる。
地震の時系列は7⇒6⇒5⇒4⇒3⇒2⇒1という順で
7が最初の地震となる。
そして二つの巨大地震は7と4となる。


益城・西原の激しい震域は緑三角の位置となる。
7と4の地震の震央からは益城も西原も少し離れている。



3時間弱の間に7⇒6⇒5という順で地震が来てそれで収まったように見えた。
ほぼ益城の断層のエネルギーは解放されているだろうと誰もが思っていた。
これが前震で本震が今から来るという予想は全く無かったと言っていい。
ニュースで今回の地震が日奈久断層帯の東端だと聞いたときに
自分が以前より恐れていた布田川断層帯でなかったのでホッとしたのも事実だ。
断層帯が重なり合うところで起きた場合は
一つの大地震で両方の断層の重なり部分のエネルギーが解放される可能性が高い。

しかし次の日の深夜M7.3の地震が再び熊本を襲った。
前日は車中でまどろんだ程度であったし
もう来ないだろうと自宅に戻って疲れで熟睡したところを襲ってきた。
携帯の地震警報は昨日に引き続き地震後に鳴るので意味をなさなかった。
照明を付けて寝ていたので目を覚ました時はまだ明るかったのだけど
起きてすぐに停電になり真っ暗な中で物の割れる音や地鳴りの音が激しく続いた。
揺れが続いている間は金縛り状態で揺れが収まってから手探りで外に出た。
携帯に津波警報が出たのでとりあえず車で独鈷山の駐車場に緊急避難した。
避難しながら今回の地震は立田山断層ではないかと考えていたが
ネットで確認してみると再び益城あたりとなっていた。
今回の地震は過去に例のない連鎖地震であり本来起こるなら
最初の地震時に同時連動するのが一般的だと思われる。
余震というものは本震による増えた歪の解消となるようなものだが
今回は余震とはいっても誘発された地震のようだ。
地下の断層のエネルギーは表層に影響を及ぼすが
表層の剪断応力が別の方向にある地下の断層に影響を及ぼすとは
考えづらい。

現在の気象庁の震源データーは上記のようになっている。
特異点は1と4になるが
不可思議な現象でこのことは特別な意味を持つように思える。
たぶん熊本霊ラインの起点となる御坊山・城山・独鈷山・万日山方向に
何かが引きずり出されて地震が起こったように感じる。

気になるのは上記データーととは別に
TVなどで報道されていた震源震央データーが別にあるということだ。



この二つの震源を重ね合わせると以下のようになる。



この図によると本震を引き出したのは菊池市のある場所ではないかと思える。
この場所も筆者には心当たりがある。
龍神に絡む祭祀の問題がそこにあると判断する。
この件に関しては昨年からの警告。啓示によって気にしていた問題だ。


このラインの詳細について知人から送られてきた図も添付しておく。


これらは霊的な啓示の話なので非科学的な話となる。
『熊本霊ラインは増幅作用を持つ』ので
もし地震エネルギーの霊流が7⇒4や3⇒1の方向により
熊本霊ラインに流れ込んだとすれば非常にやっかいだ。
細心の注意を持って様子を伺いながら祈っているが
こういう事態では一人の人間の祈りでどうこうなるレベルではない。
とはいっても熊本霊ラインの向かう先は京都となる。
日本の象徴たる京都には琵琶湖というアキレス腱がある。
熊本霊ラインの主催としてこの件に関しては
不断の思いで祈っていく覚悟でいる。


---------------------------------------------------------------------------------------------
※熊本霊ラインの詳細については以下参照していただきたい。
「熊本霊ラインと中央構造線」

まず霊ラインはただ神社仏閣が直線に並んだり夏至の太陽線に向かえばいいというような
単純なものではなさそうである。
そこに「天地人」の三つの象が揃ってこそ大いなる機能が働く。
「天」とは天空から見ての狂いの無い夏至や星座方向への直線性である。
「地」とは龍の氣とも云われる断層や水脈、河川の大地を流れるエネルギーである。
「人」とはそのライン上の山頂や経絡のポイント上の神社仏閣などで執り行われる神霊祭祀である。
この三つが揃った時に神霊的結界が結ばれ人の思いが天と地とに届く。

「熊本霊ライン数値関係」で検証したが、「天」に関しては夏至方向に向かっていたラインを加藤清正が
京都の二条城あるいは京都御所または糺の森方向に造り替えたと考えている。
それゆえに国土地理院の地図上で結んだ山頂頂点が自然ではありえない程に完全に直線になるのだろう。
「地」に関してはもともとこの五山は中央構造線上というだけでなく長さ14kmにわたる立田山活断層上に位置する。
1889年(明治22年)に起こった熊本地震(M=6.3)は立田山断層起因と云われている。
また1854年(安政元年)の肥後大地震 
1778年(安永7年)と1769年(明和6年)の肥後川尻大地震ほか
18世紀には 1723年(亨保8年)1707年(宝永4年)1706年(宝永3年)と5回の大地震の記録がある。
17世紀にも 1695年(元禄8年)1665年(寛文2年)1661年(寛文元年)1650年(寛永3年)1625年(寛永2年) と5回の記録
16世紀の1507年(永正4年)の熊本地震もこの活断層起因の可能性がある。
熊本市は地下水が豊富で砥川溶岩層に沿って水脈が広がるがこのレイラインの地下には地下水脈もある。
さらに「googleで観る熊本霊ライン 熊本市街」を観て頂きたいが、國龍神を祭る立田阿蘇三宮神社から
御坊山小島阿蘇神社に向かって流れる白川はまるで龍のうねりのようである。
この白川は太古より暴れ氾濫を繰り返してきたがその鎮守のために立田阿蘇三宮神社は建てられたのではないかと思う。
熊本霊ラインは活断層 地下水脈 そして白川の流れという三つの「地」のエネルギーを集結しそれに
金峰山からの荒ぶる氣までもが流れ込んでいる。
道君首名公はこの金峰山からの氣をコントロールするために味生池を造り加減したが
それを加藤清正は取り払い独自の防衛ラインとしたようだ。
「人」に関してはこの五山は聖地として現代までストーンサークルに始まり 妙見 観音 天台宗池辺寺 法相宗来迎院  
真言宗独鈷山 阿蘇神社 天子宮 稲荷神社 聖徳太子堂 祇園信仰 日本山妙法寺仏舎利塔と
数々の神社仏閣が建てられており深い祈りの歴史を持っている。
熊本霊ラインは発信用のアンテナみたいなもので「人」の祈りは前後の山が導波器と反射器の役割をはたし
直線的に増幅され指向性を持って発信されている。

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呉氏骨=おしほねの行方 No436

2016-05-20 23:05:00 | 神霊界考察
香春岳と英彦山との関係については
過去特別に言及していなかったように思うので
少しだけ繋がりについて述べたい。

『香春神社の相克 No416』で書いているが
筆者が呉氏骨と漢字変換されて驚いた忍骨命は
英彦山の山頂に降臨したという伝承がある。
地図で見ると香春岳と英彦山は田川郡という
古い時代から同じ行政区のようだ。


現在の英彦山神社の主祭神は
正哉吾勝勝速日天忍穂耳命になっているが
香春二ノ岳に祀られる忍骨命は天忍穂耳命と
同体とされる説もある。

この英彦山であるが『彦山流記』に
甲寅歳 震旦国 天台山 王子晋之旧跡東漸とある。
※八幡宮寺成立史の研究 P123

また熊野縁起最古の『長寛勘文』に記載された「熊野権現垂迹縁起」にも
熊野権現の垂迹来歴について
甲寅の年、唐の天台山の王子信=王子晋(中国の天台山の地主神)が、
英彦山に天降った。
その形は八角形の水晶の石で、高さは3尺6寸。
そのような記載がある。
※八角形の水晶は実際に存在しグラウンディングと呼ばれ
大地に足を着けるという意味を持つ。

ここに出てくる王子晋は、中国古代の周の霊王の太子であり太子晋とも言われている。
姓は姫、名は晋、字は子喬とされていて
中国では地主山王元弼真君=桐柏真人王君と呼ばれている。
特筆すべきは姫姓王氏の祖とされていることだ。

  

呉音霊の主体とされる姫氏の呉太伯が江南から日本に来たという話と
天台山の地主神である姫姓王氏の王子晋が日本に降臨したという話は完全にかぶっている。
時代は姫氏の呉太伯は紀元前12世紀・紀元前11世紀頃となる。
王子晋は周の霊王の第一子であり紀元前565-549となる。

熊野権現の垂迹が中国の天台山の地主神の王子晋という話は初めて知ったのだが
これがどこから出てきた話なのかが重要だ。

まず天台山といえば最澄の興した天台宗と大きな繋がりがあり
入唐八家と呼ばれるのは最澄、空海、常暁、円行、円仁、円珍、宗叡であるが
その中では最澄、円珍が天台山に赴いているし
他にも円載、成尋、栄西、道元などが天台山で学んでいる。
この中で善慧大師成尋は熙寧5年(1072)に入宋しており
天台山に参詣した時の見聞として以下のように記している。
国清寺には地主山王元弼真君なる祠があり礼拝した。
真君は周の霊王(前571~前545)の子で、王子晋といい、
寺は王子の邸宅であった。
王子晋は仙人となり数百年の時を経て
智者大師に謁見して受戒して地に付属した。
あたかも日本天台の山王のようである。

※ここでいう日本天台の山王とは
最澄が比叡山延暦寺の地主神として祀った山王権現のことだが
日枝神=ひえの神=日吉神が実際どういう御神霊なのかについては
一般には大山咋神とされる。
でも山王とは最澄が作った言葉ではなく
本来は地主山王元弼真君のことである。
最澄の祭祀した神霊の中に山王眷属という表現があるが
裏において王子晋が祀られている可能性は十分にある。

比叡山には山王院堂が存在している。
実際に天台山で修行した円珍の住房という事になっている。
円珍は山王三聖を形成したという。
大比叡神・小比叡神・比叡山王で三聖である。

さて熊野権現垂迹縁起の王子晋縁起説であるが
この比叡山から派生したとするならば
もう少しはっきりとした形で
山王神=太子晋=地主山王元弼真君の祭祀が残っていても
いいように思える。

では他の姫姓王氏の伝承の候補としては
都怒我阿羅斯等と姫氏呉太伯の伝承を上書きした
天日槍の伝承等が考えられる。

現在のところはっきりとは論証出来ないが
熊野権現には姫氏が関与していると感じている。













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呉音神祭祀の神籬 No43六

2016-05-19 20:49:58 | 神霊界考察
呉音神祭祀には神籬が必要とされる。
筆者が神籬とする筆者宅の御幣は真言密教のものであり
作り方はネット上でも公開されていないようだ。
福岡の香春に近い不動院の星祭りで配られている五色の御札と同じ構造の物となる。
作り方は以下写真を参照して奉書紙3枚を重ね合わせて
四つ折りにして切った後に二つ折りにして折り曲げて展開していただきたい。
この御幣の作り方に関しては一時的なUPですのであとで削除します。
必要な方は拡大してから各自保管されてください。



   

型紙

  呉音霊祭祀神籬

呉音神祭祀神籬

清瀧権現顕現神籬
 八大龍王神神籬形代






















コメント対応用
古代渦文明は「巳」文明?? (すずたま)
2017-03-13 21:49:38

吉田調査中
Raはラーで己=蛇と関係するのか?
一般に太陽神ラーは日ではないのか?



石の右上の巳状の文字がRāのヒエログリフといえるのか?

手の形の図象もあるようだ。意味はまだ不明。

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緊急 西原村の白山姫神社 寄付のお願い No435

2016-05-11 13:28:07 | 神霊界考察
西原村の白山姫神社は
『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』
このブログの愛読者皆さまは十分ご存知だと思います。

一昨日参拝しようと車で向かったのですが
道路が通行禁止のままで諦めました。

 白山姫神社まであと1km
西原村入り口から益城方向(木山川)

本日『西原村の白山姫神社』のHPが更新されているのに気づきましたが
かなりの危機的状況にあるようです。

震災前の神社(ストリートビュー)

この神社は中央構造線(日本の脊髄)を制する要の神社であり
ここが崩落すれば、もしもの次の被害は九州を超えることが
十分に考えられます。

ホームページで御奉賛のお願いがなされています。
よろしければ吉田一氣からも御奉賛をお願いいたします。
皆様の御多幸を祈願しております。

『詳細は白山姫神社HP参照してください。』

社務所 〒861-2404 熊本県阿蘇郡西原村河原860
鎮座地        西原村大字河原字門出750
電話 096-279-4722(FAX兼用)
※番号非通知の場合、着信しませんので、ご注意下さい。

郵便振込 01740-1-36127(白山姫神社)


宮司 緒方宏信(平成3年に宮司に就任。現在、熊本県神社庁阿蘇支部の副支部長です。)
禰宜 緒方 功 (宮司の父親で、昭和48年から白山姫神社 禰宜です。)


西原村内の兼務神社

小森神社    西原村小森386番地
阿蘇四宮神社  西原村河原2352番地
龍神社     西原村布田1717番地
鳥子三之宮神社 西原村鳥子2608番地
宮山神社    西原村宮山439番地
新所菅原神社  西原村小森3337番地




※もしもとは?
南海トラフ地震は近い将来起こるので地震に備えた方が
いいと研究者が口を揃えて警告している。
実際2016年4月1日11時39分ごろ三重県南東沖で発生した
M6.1の地震は東南海のプレート境界型地震であり
また長周期地震動が観測されたことから、
南海トラフ地震との関連性が指摘されている。
予想最大値であれば日本の大都市機能は壊滅的な
被害を受けてしまう。

筆者は今回の熊本大地震は
大難を小難に振り替えたものという位置付けをしている。
考えていただきたい。
あまり想定していなかった東北で地震が起きて
反対側の九州で今回は地震が起きている。
でも現在まだ本州の中央部で起きていないのは
時間的猶予を与えられているという事。
一人でもこの小さな神社に意識を向けていただきたい。
御神霊はそういう思いに応える存在だということです。





※20160512 荒ぶる存在はよほどの怒りなのか 
残念なことに銀行振込みの差し戻しとなりました。
これはかなりショックです。
詳細はネット記載の肥後銀行の以下口座に
振込みしたのですがエラーとなりました。
現実的には何か間違いがあるのでしょうね。
霊的には大問題だと感じています。

銀行振込 肥後銀行 大津支店 普通預金 1466534
シラヤマヒメジンジャ

-----------------------------

振込資金返却のお知らせ

いつも住信SBIネット銀行をご利用いただき、ありがとうございます。

2016年5月12日付の振込について、振込先金融機関から資金が返却されました。
振込先の口座番号、受取人名等をご確認のうえ、
あらためてお手続きいただくようお願いします。
詳しくは、当社WEBサイト振込結果照会画面にてご確認ください。


筆者談 どうもシラヤマヒメジンジャとすべきところ
シラヤマヒメジンジヤとしたために
差し戻しとなったようです。

----------------------------

※20160513 『通りすがり』様に
西原中学校方向から迂回すれば神社に行けます
というコメントをいただいたので
本日無事に参拝してきました。
それから布田川の調査を行いました。
後日機会があれば記事にしたいと思います。

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香春の呉音霊の足跡は国東半島の姫島から何処へ No434

2016-05-11 10:04:43 | 神霊界考察
香春の呉音霊との邂逅については
『呉音霊を考える No402』のブログ記事で記載したように
白山権現姫神社が起動したことをスタートとしている。
しかしそのことを知ったのは10年後である。
現実的には菊池の八大龍王神社からの帰りに
菊理媛神と菊池との関係を考察していて
『きくりひめ』と呼ぶか『くくりひめ』と呼ぶか
『きくち』と呼ぶか『くくち』と呼ぶかを
音読検証していて呉音霊の感応に繋がったのが最初である。
その時の記事で「神霊界的には呉音で呼ぶか漢音で呼ぶかで
全く別の神霊界に繋がる場合があるので要注意である。」
と記載したのはそういう理由による。

この呉音霊の導きにより白山権現姫神社の働きを
理解したという経緯となっている。

おおまかにはこういう流れなのだが
バックボーンとしては
『宇佐の呉橋を彷徨う呉音霊は懐かしみ通り抜けるのか? No419』
で記載したように
「呉音霊の祭祀は葦北の矢城山祭祀で出てきた古い龍神に導かれている。」
この龍神がどういう来歴の龍体なのかは
今からの詳細解明が必要だが
筆者HPの『加藤清正公と八大龍王神』
初筆となっている。
矢城=八城=八代であり矢城=八木=八岐でもある。
土地の龍体としては八代の八竜山 竜峰山 竜ヶ峰などの龍の名前に
つながる龍体だと考えているがまだ確証は得ていない。
広島の友人でもある巫覡とともに矢城山祭祀を執り行ったのが
2014年7月27日のことだった。
その後8月になって友人は熊本からの帰りに
広島の太田川上流の湯の山明神(湯の山温泉の)に参拝して
大朝鳴滝温泉に泊っているのだが、
その時以来大雨となり
とうとう3日後に太田川の下流の広島市安佐南の八木で
大雨による山津波が発生して死者74人の大災害となっている。
もともと広島市安佐南区の八木は
香川景光が13世紀に地頭職となり、
現在の城山(八木5丁目)に八木城を築いたことが始まりのようだ。
天文元年中迫に大蛇が顕れて
香川勝雄がこれを殺したとする伝承がある。
斬った蛇の首が飛んで落ちた場所に、
沼が出来て蛇王池といわれたが、今は田畦となったと伝えられる。
山中に龍王3社があり、その大蛇の頭胴尾を3つに分けて祀る。
この宮に雨乞いすれば必ず雨があるという。
ただ「八木蛇落地悪谷」の名前は
古い時代の山津波被害から付けられて
それで上記伝承が生まれたものかもしれない。
余談だが筆者と友人は8月に広島の八岐大蛇伝承地を参拝する予定だった。
ところが私が8万円を入れた財布を紛失してしまい
この話は流れてしまう。
『広島の少彦名神を祭る着天神社 No136』の記事の安芸太田町加計から
広島市まで太田川に沿って南下したことがあったが
八岐大蛇の神霊の荒ぶる氣が強いと感じていたからだ。

今この記事を読むと産鉄地域という事であり
もしかすると呉音霊との繋がりもあるのかもしれないと思う。


さて今回の本題になるが
『香春の呉音霊 No403』のブログに記載しているように呉音霊の足取りは
国東半島の姫島の比売語曽神社とは
語曽=呉楚で中国呉楚の姫氏ということを
意味しているというところまでとなっている。
それ以降の流れとしては広島の呉(呉音のくれ)に足跡があるが
それ以降の足跡を見いだせていなかった。

本日すずたま様紹介の菊池氏についてのブログを読んでいて
再びヒントを戴くことが出来た。
この件については筆者次ブログで考察していきたい。

ところで白山権現姫神社と西原村河原の白山姫神社についてのみ
ということでお願いしたいが
この白山は『日本における呉の太白の祭祀 No429』
で示す諸塚太白山大司大明神社と同じく
太白山=呉太伯からきている。
そして姫は呉太伯が偉大なる姫氏ということを指し示している。











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亀趺は贔屓で兄弟の椒図は海若に繋がる No433

2016-05-03 10:08:08 | 神霊界考察
先日菊池氏十三代武重公の墓に参詣したのだが
墓石が亀の甲羅の上に配置されていた。

 
この亀の甲羅の上に墓石が載る構造は亀趺碑と呼ばれる。
江戸時代に流行したと聞いていたのだが
武重公が亡くなったのは14世紀なのでこの墓は後世に作られたのか
もしくは亀趺碑の初発ということになる。

ところで菊池氏と八代の妙見宮との関係については
不勉強で良く知らないのだが
菊池市隈府を拠点とした懐良親王の霊廟は八代市にある。
八代神社妙見宮といえば九州三大祭りの『ガメ』で有名である。



この妙見宮の前にも亀趺碑があり亀趺についての説明書きもある。

 

龍の六番目の子供でピーシーとあるが
どんな伝承なのかを調べた。
まずこの子供は贔屓と呼ばれており
皆も四字熟語で良く知る『依怙贔屓』の贔屓である。
贔屓が碑を体で支えることから自分の気に入った者に対して援助することを
贔屓と呼ぶようになったそうである。
伝承については明時代の『竜生九子不成竜』の話が伝わったことになる。
ウイキペディアに竜生九子の詳細が載っているので説明は省く。

妙見宮説明書きに書かれているように
形状は亀で重きを負うことを好むこということからは
『升庵外集』の説が参照にされていると思われる。
贔屓はピーシーという発音とあるが一般にはビシとなる。
この九匹は中国奇獣の寄せ集めなので単体でも有名な奇獣もいるが
今回はその中で椒図について述べたい。
椒図は門番としての役割があり
門の扉などの取っ手部分やノック用の金具に
彫刻されている。
 

この顔つきにはこのブログ読者であれば
見覚えがあると思うが『海若』のことが『椒図』となっている。

芥川龍之介も椒図という言葉の響きに何かを感じたようで
椒圖志異ノートを作成し「椒図道人」という号を使っている。
明の陸容が撰した『菽園雑記』には
龍生九子、不成龍、各有所好。屬聶鴉吻之類也。
椒図、形似蟝螂。性好閉。故立門上。とある。

海若についは
『八代の九千坊河童と海若との関係 No338』
『毘沙門天の謎 No333』
『毘沙門天の海若と鬼瓦とキールティムカ No340』
で詳細を記載しているが
深沙大王と繋がる黄河の精である海若=河伯のことである。
深沙大王については
『美具久留御魂神社の「白雲宮」と二上山の「深蛇大王」 No291』
『玄奘三蔵の原罪 No334』

亀からはじまるこの物語は
ネバーエンディングでどこまでも続いていくような気がしている。



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