吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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龍神信仰 2 No159

2010-09-19 23:48:25 | 日記
考えてみると自分の龍神との縁は38年近くになるが
おかげで九死に一生を得るようなことが何度となくあった。
特に若い頃はそれ故にさらに無謀になり
バイクでの事故 車での事故多数で
よく死ななかったということばかりだった。
学生時代は神風と呼ばれていたが今考えると鳥肌立つ。
ところが龍神を意識したことは一度も無かった。
それがなぜ龍神信仰を持つようになったかというと
少彦名神を探求していて福岡の志賀島の志賀海神社に参拝してからだ。
ここは綿津見神=海神を祭祀する安曇氏の本拠地なのだが
「龍の都」とも呼ばれている。
それ故か元寇の際に真言密教僧侶が元軍降伏を志賀海神社隣の
火焔塚で祈祷しているのだが
その際に龍神を守護神として封じていたのだ。
この龍神は空海が最初に建てた寺と呼ばれる
宗像の鎮国寺に祭祀されていた龍神と同体であると後日分かった。
鎮国寺に祀られている龍神は由緒通りであれば
弘法大師空海の遣唐使船の難破を救った
波切不動尊の変化した龍体ということになるが、
実際は古来から志賀海神社で祀られてきた龍神であった。
空海は後日このことに気づいたのか
この龍神を八大龍王神として手厚く祭祀している。
また民間にも神泉苑での降雨祈願での善如竜王として伝承が残っている。
平安京の正門にあたる羅城門の東西に東寺と西寺が創建されて
東寺は嵯峨天皇により空海に弘仁14年(823年)に下賜され、
西寺は守敏僧都に下賜された。
ところが京で旱魃が続いた際に神泉苑で空海と守敏の法力比べが催され
空海がインドより勧請した善如竜王の神力により守敏に勝ったという。
この善如竜王は善女竜王となり清滝権現となり八大龍王神と繋がっていくが
この龍神は志賀海神社で祀られてきた龍神で
日本の危機を二度以上救っている。
歴史上はっきりしている史実としての一度目は元寇での神風である。
二度目はバルチック艦隊との日本海海戦である。
まさに「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ」であったが
秋山真之参謀はまさに龍神の神力を目の当たりにしたはずである。
戦艦三笠は三笠山から付けられた名前であるが
この三笠山は蘇我氏の祭祀であるし戦艦三笠は現在も横須賀市に記念艦として残っている。
そして何度も言っているが須賀は蘇我を表している。
そしてこの蘇我氏はこの龍王神の力を以って日本国を建国している。
こういう由緒を持つ龍神との感応が八代と志賀海神社であったので
興味を示したのが最初だ。

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