吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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徐福伝承から考える呉音霊祭祀 No470

2017-08-19 22:37:34 | 神霊界考察
筆者ブログでは呉音霊祭祀者として姫氏のことを過去記載しているが、
それは周王朝の呉太白からの繋がりであり
姫氏のみが呉音霊を祭祀していたと断定している訳ではない。
筆者の感応は古代長江文明の発展と呉音霊に繋がりがあり
左回りに呉音霊は日本にも渡来して文化をもたらしているという事で
今まで姫氏を中心として推察が展開されていた。

春秋時代の呉系の人々が多数渡来しているのは間違いがなく
従って呉音霊は呉系の人々が祭祀していたと推察するが、
それ以外の祭祀を否定するわけではない。

仮に時代が100年下るが徐福が日本に渡来していたと仮定して
彼らが呉音霊祭祀をしていた可能性はあるであろうか?
まず徐福は山東省出身なので長江の河口域の江蘇省の北に位置する。
紀元前3世紀の当時でいえば斉国の琅邪郡となる。
ところが近年に江蘇省連雲港市贛楡県金山鎮にある徐阜という村が
清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており
徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明したと喧伝されている。

春秋時代の斉といえば徐福と縁があるかはともかく
周建国の功臣太公望によって立てられた国で姓は姜、氏は呂である。
この斉国=姜斉は中国の戦国時代の紀元前386年に
田氏が姜姓呂氏の斉を滅ぼして新しい国を建てていて斉=田斉となっている。
これは春秋の呉と戦国の呉の違いのように別物である。

『蘇我日向は貶められた名前なのか? No441』で春秋の伍子胥について記しているが
伍子胥の伝説をまとめた「執念―東周列国志(楚呉越)」を読んでいたら
そこに紀元前512年に呉の名臣の伍子胥により
徐国が滅ぼされたことが記載されていた。
徐国は泗洪湖あたりに建国されていたらしい。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E5%9B%BD

秦の始皇帝は徐福を徐一族の長と見ていて
それ故に信用優遇したのかもしれない。

さて炎帝神農は姓は姜である。
姜水で生まれた炎帝が姜姓を名乗り
姫水で生まれた黄帝が姫姓を名乗ったということである。
日本では神農が古くより信仰されてきているが
言音霊祭祀は姫姓のみでなく姜姓にも繋がっているかの検証が必要だと考える。

呉音霊と確実につながるのは盤牛王=盤古であるが
これは戦国時代の呉以降に出てくる神名であり炎帝神農から派生した可能性もある。

 盤古神
炎帝神農
蚩尤

『川上村の神秘 No409』でも紹介したが梓ちかほさん著『神秘な夢の扉』に
川上村誌記載の村の伝説が記載されているが
そこに興味深いことが書かれている。
この地域は古来より梓山と呼ばれる地域であり高天原という山と戦場ヶ原があり
ここで古代に神々の戦いがあったという伝説が伝わっている。
その神とは盤古神と建御名方神であり盤古神は戦に負けて
大深山(御墓山)に逃げ盤古神の妃神は秋山の大岩山の岩穴に逃げ込んだそうである。
戦いの血は隈なく流れたので血隈川と呼ばれていたがそれが今の千曲川であるそうだ。
そしてこの地で梓ちかほさんが感応したのがチベットより日本の富士山まで遠い旅を
してきたという「みんや」という姫神だとのこと。

今回チベットを調べていて中国での伝承によると古代チベットには
炎帝神農や蚩尤に縁があるという姜姓のものが住んでいたという。
ミンヤという姫神は姜姓の可能性が高い。

盤古神については三国時代に呉の徐整が編集した神話集『三五歴紀』に
はじめて記述されたとされる。
地域は呉でありまさに呉音霊が関与している。
盤古神話を最初に記述したという徐整であるがこの徐家というのは
徐福=徐市と繋がるのではないかと感じている。
つまり徐福が盤古神の神話を日本に持ち込んだ可能性がある。




「天地混沌如鷄子、盤古生其中。萬八千歳。天地開闢、陽清為天、陰濁為地。
盤古在其中。一日九変。神於天、聖於地。天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈。
如此萬八千歳。天数極高、地数極深、盤古極長。
後乃有三皇。数起於一、立於三、成於五、盛於七、處於九。故天去地九萬里。」

天地は最初には卵のように混沌であり、盤古がその中に生まれ、1万8千歳生きた。
彼は天と地を分けて、清い陽気が天となり、濁る陰気が地となる。
盤古は天と地の間に立ち、1日9回身体が変化し、
それとともに天が1日に1丈高まり、地が1日に1丈厚くなり、盤古も1日に1丈伸びる。
このようにして、1万8千歳を経ち、天が極まり高くなり、地が極まり厚くなり、盤古は極まり身体が伸びた。
のちに、三皇が生まれた。
数は一から始まり、三に立ち、五に成り、七に盛り、九に拠る。
ゆえに、天と地の距離は9万里である。















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二ホンカワウソとユーラシアカワウソ No469

2017-08-19 10:46:37 | 神霊界考察
長崎 対馬で確認されたカワウソが絶滅した可能性が高いという
二ホンカワウソなのか韓国に生息するユーラシアカワウソなのかで
話題となっている。
実は二ホンカワウソかユーラシアカワウソなのかは
DNAの違いだけで外見上の違いは無いそうである。
問題はなぜそういう細かいところにこだわるのかということになる。

私が知るカワウソくんは二ホンカワウソなのだろうか?


さてガラパゴス諸島がなぜ動物研究にとって興味深いかというと
ガラパゴスは大陸と陸続きになった歴史を持たない。
そのために在来の生物は飛来したか海を渡って漂着したものの子孫に限られる。
また多くの固有種が見られることが多いから興味深い。

さて人類はというと世界中に広まり混血していった歴史を持つ。
こういう中で島国の日本はやはり特殊な環境にあったと言える。

一般論としては
約二万年前に日本が大陸と陸続きであったころに人と動物が流れ込み
約一万年前に日本は大陸から切り離されたらしい。
大陸と地続き時代の旧石器時代の遺跡としては
出雲市の砂原遺跡で12万年前のものと見られる石器が出土しているし
岩手県遠野市金取遺跡からも8-9万年前の石器が出土している。

私の個人的な考えとしては、環境団体がガラパゴスを守るように
日本も特殊な環境において生じた生態系と日本人の文化を守っていきたい。



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JAL123便の航空機事故33回忌と警告 No468

2017-08-16 22:32:01 | 神霊界考察
以前の記事『呉音霊の威 No410』
呉音霊がらみだと確信する1985年8月12日のJAL123便の墜落事故から30年目の節目の
2015年8月12日に起こった中国天津での天津浜海新区倉庫爆発事故のことを記載した。
今年はJAL123便の墜落事故の33回忌にあたるので
何らかの霊的メッセージがあるだろうと考えていた。

そもそも呉音霊とJAL123号機との繋がりは
『川上村の神秘 No409』の本文とコメントを読んでいただきたい。

そして今回のメッセージは分かりやすい形で現れた。
2017年08月12日 ANA37便の羽田-大阪行きのトラブルだ。
スコーク7700で急降下し左回りで羽田に戻っている。
搭乗者の方の恐怖はかなりのものであったろうかと思う。
ネットでも今回のトラブルとJAL123便トラブルとの不思議な一致について
論じられているが違いはJAL123便が右回り旋回で墜落したのに
今回のANA37便は左回り旋回で無事羽田に帰還している。

このブログでは呉音霊と文明の左回り現象について何度となく触れているが
今回の霊的メッセージは左回りの約束事の暗示である。
左回りの約束事については過去の『呉音霊から考える倭国文明の流れ No413』の記事を
参照にしていただきたい。


筆者は今回のメッセージがこのように分かり易く
同じ航空機のトラブルで出てくるとは考えていなかった。
今回のように同時刻頃の同じ空域でのトラブルを起こすような
分かり易いメッセージを神霊界から受け取ることは稀であり
現在このメッセージが人為的なものなのか
それともよほど強い霊的メッセージなのかを調査中である。

まずこの霊的メッセージが8月12日であることの意味を
日中平和友好条約が結ばれた1978年8月12日に起因すると考えていたが
今回の事故で修正を余儀なくされている。
今回のメッセージが航空機トラブルであることが困惑の原因である。
実はこのトラブルを追加すると8月12日のトラブルは以下のように3件となる。
そして1958年8月12日の事故は筆者が調査している呉音霊 盤古神等の
右回りの祟りとの繋がりが稀薄である。

1958年8月12日 ANA下田沖墜落事故 
全日空の羽田発名古屋行きのダグラス DC-3型機が静岡県の伊豆半島下田市沖に墜落。
乗員乗客33名全員死亡。
1985年8月12日 JAL123便機墜落事故 乗員乗客520名死亡
2017年8月12日 ANA37便 緊急着陸

1958年8月12日 ANA下田沖墜落事故も含めて考えるとこの3件の事故は別の要因も内包していると思える。
共通する事項としてはトラブル発生点から推察するに
4000メートル~5500メートルの高さがある「横田ラプコン」を越えるために
一度房総半島(千葉)方面に離陸して、
急旋回と急上昇を行わなければいけないことが起因しているように思える。



横田空域に関してはこのようなコメントも散見される。
「パイロットは必ずその大きく発達した積乱雲は避けて飛ばなければならないんですが、
避けようと思って軍事空域(横田空域)の中を飛行させてもらうように許可を申請しても
断られることがあります。」

また陰謀説の信ぴょう性は分からないが
今回の霊的メッセージは33回忌以降もJAL123便墜落事故を風化させるなと
言ってきているので隠された真実があることは間違いなかろう。


後記
例えば2011年8月12日及び2012年8月12日には福島で震度5弱の地震が起きている。
この年の3月11日に東日本大震災が起きているので話題性は全くなかった。
メッセージとは通常このようなものである。

http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20110812032200.html?xlarge_image=1


http://www.tenki.jp/bousai/earthquake/detail-20120812185632.html?xlarge_image=1


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新海誠の映画「君の名は。」で展開される組紐と霝と生命誕生の神秘 No467

2017-08-04 16:55:22 | 神霊界考察
私の周りではこの映画を見たことがある人間はいないので
昨年流行ったことぐらいしか知らなかったのだが
何かの話か予告編かで落ちる彗星の名前が『ティアマト』と聞いて興味を惹かれていた。
先週レンタルDVDが借りれたのでさっそく観てみた。

『ティアマト』はメソポタミアの神話で原初の海の女神の名前である。
原初の龍ともされている。
物語ではティアマトはマルドゥクに心臓を矢で刺されて死ぬのだが
ティアマトの死体は二つに引き裂かれてそれぞれが天と地になり
乳房は山になりその眼からはチグリス川とユーフラテス川の二大河川が生じる。
こうして母なる神ティアマトの体は天地創造の基となったとされる。

この「君の名は。」で出てくるティアマト衛星も二つに分かれ
一つが長野県に落下するという設定である。

さてこの「君の名は。」で展開される神霊的な要素で
筆者のブログの内容とつながる部分がいくつかあるので報告する。

まず『吉田一氣の信仰と祈り』
私は「海原を母として生命は誕生している」と記載しているが
この映画「君の名は。」では原始生命が誕生する神秘にさらに彗星を加えている。
これは実際チュリュモフ・ゲラシメンコ彗星での有機物の発見などの科学的な後押しがある。

また『霝しずくの不思議』
狩野芳崖の「悲母観音」について言及しているが
霝しずくからの生命誕生はそのまま「君の名は。」の生命誕生のイメージとなっている。
そのイメージをカットを元に順に説明する。


プロローグ 全てを結ぶ組紐の縁
先祖から伝わる組紐の失われた伝承
組紐は赤い糸
組紐で繋がるもう一人の自分? 変性男子 あるいは配偶者?
組紐は遺伝子を伝えたティアマト彗星でもある
ティアマト彗星より遺伝子が生まれ落ちる
遺伝子は精子的存在 Xは染色体的なイメージ
母なる地球と遺伝子のしずく
しずくは波紋
組紐の進化
組紐は龍体となる
龍は母なる海を泳ぐ
龍の着床
精子の着床
生命の誕生
生命の分化
出産
エピローグ へその緒でもある組紐の分離

いくらか説明を加えるとストーリーの設定で
この糸守という地域には1200年前にも彗星が落ちてその跡地に湖が存在している。
この時に生き延びた先祖より第二回目の彗星落下を予知し子孫が生き延びるための知恵として
祭祀の伝承と組紐の伝承が伝わっている。
ただその本質的な意味は火災により資料が燃えて失われている。
二人の主人公 男子高校生の立花瀧 女子高生の宮水三葉は
霊的には巫覡と巫女的な役割となっている。
両方とも名前が示すように水のエレメントであり三葉はミヅハノメと思われる。
宮水三葉は巫女で宮水神社での祭祀は龍神祭祀となっている。
  

この二人の設定に関して私なりの解釈は
立花瀧と宮水三葉には映画を見る限りでは
遺伝的な繋がりも先祖に血縁的な繋がりも生まれ変わり的な繋がりも表現されていない。
入れ替わりによる恋愛感情が芽生えることが唯一の繋がりであるようなので
主人公の宮水家は女性に巫女の特殊な性質が遺伝されていて
御神霊の力により村人を守るために時間という次元を超えて
自分の子供を産む配偶者とに結ばれている赤い糸を辿り
入れ替わることも出来るという解釈をした。

この二人は体が入れ替わるのだが
過去の類似作品の『転校生』などと違い
入れ替わりには3年のタイムスリップがあり
本当の主題としては彗星の被害で大災害となる次元を変えて
みんなを救うという話である。

問題はあまりにも私が課題としていることとの類似にある。
ここには水の女神たる御神霊の強い啓示が隠されていると考えるべきであろう。

この物語には友と主人公の勇気が示されているが
実際の霊的な啓示による行動では危険が回避された場合は
本人も回りも回避されたがゆえにそれを知ることが出来ずに
杞憂や無謀で処理される結果となるので
そこで霊能者は信仰が試されることになる。

※それとは危険の回避が勇気と努力の結果であることを指す。
今回の映画でもより深い祈りにより危険回避できて
彗星が落ちなければ単なる犯罪者となる訳で
常に霊能者は信仰に対する覚悟が試される。
自分が全ての責任を被る覚悟が回避の結果を生むが
その本人でさえ危機が回避されたときに
自分の成果とは認識出来ない顛末となる。
つまり究極の自己犠牲が試される訳である。



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