筆者ブログでは呉音霊祭祀者として姫氏のことを過去記載しているが、
それは周王朝の呉太白からの繋がりであり
姫氏のみが呉音霊を祭祀していたと断定している訳ではない。
筆者の感応は古代長江文明の発展と呉音霊に繋がりがあり
左回りに呉音霊は日本にも渡来して文化をもたらしているという事で
今まで姫氏を中心として推察が展開されていた。
春秋時代の呉系の人々が多数渡来しているのは間違いがなく
従って呉音霊は呉系の人々が祭祀していたと推察するが、
それ以外の祭祀を否定するわけではない。
仮に時代が100年下るが徐福が日本に渡来していたと仮定して
彼らが呉音霊祭祀をしていた可能性はあるであろうか?
まず徐福は山東省出身なので長江の河口域の江蘇省の北に位置する。
紀元前3世紀の当時でいえば斉国の琅邪郡となる。
ところが近年に江蘇省連雲港市贛楡県金山鎮にある徐阜という村が
清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており
徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明したと喧伝されている。
春秋時代の斉といえば徐福と縁があるかはともかく
周建国の功臣太公望によって立てられた国で姓は姜、氏は呂である。
この斉国=姜斉は中国の戦国時代の紀元前386年に
田氏が姜姓呂氏の斉を滅ぼして新しい国を建てていて斉=田斉となっている。
これは春秋の呉と戦国の呉の違いのように別物である。
『蘇我日向は貶められた名前なのか? No441』で春秋の伍子胥について記しているが
伍子胥の伝説をまとめた「執念―東周列国志(楚呉越)」を読んでいたら
そこに紀元前512年に呉の名臣の伍子胥により
徐国が滅ぼされたことが記載されていた。
徐国は泗洪湖あたりに建国されていたらしい。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E5%9B%BD
秦の始皇帝は徐福を徐一族の長と見ていて
それ故に信用優遇したのかもしれない。
さて炎帝神農は姓は姜である。
姜水で生まれた炎帝が姜姓を名乗り
姫水で生まれた黄帝が姫姓を名乗ったということである。
日本では神農が古くより信仰されてきているが
言音霊祭祀は姫姓のみでなく姜姓にも繋がっているかの検証が必要だと考える。
呉音霊と確実につながるのは盤牛王=盤古であるが
これは戦国時代の呉以降に出てくる神名であり炎帝神農から派生した可能性もある。
盤古神
炎帝神農
蚩尤
『川上村の神秘 No409』でも紹介したが梓ちかほさん著『神秘な夢の扉』に
川上村誌記載の村の伝説が記載されているが
そこに興味深いことが書かれている。
この地域は古来より梓山と呼ばれる地域であり高天原という山と戦場ヶ原があり
ここで古代に神々の戦いがあったという伝説が伝わっている。
その神とは盤古神と建御名方神であり盤古神は戦に負けて
大深山(御墓山)に逃げ盤古神の妃神は秋山の大岩山の岩穴に逃げ込んだそうである。
戦いの血は隈なく流れたので血隈川と呼ばれていたがそれが今の千曲川であるそうだ。
そしてこの地で梓ちかほさんが感応したのがチベットより日本の富士山まで遠い旅を
してきたという「みんや」という姫神だとのこと。
今回チベットを調べていて中国での伝承によると古代チベットには
炎帝神農や蚩尤に縁があるという姜姓のものが住んでいたという。
ミンヤという姫神は姜姓の可能性が高い。
盤古神については三国時代に呉の徐整が編集した神話集『三五歴紀』に
はじめて記述されたとされる。
地域は呉でありまさに呉音霊が関与している。
盤古神話を最初に記述したという徐整であるがこの徐家というのは
徐福=徐市と繋がるのではないかと感じている。
つまり徐福が盤古神の神話を日本に持ち込んだ可能性がある。
「天地混沌如鷄子、盤古生其中。萬八千歳。天地開闢、陽清為天、陰濁為地。
盤古在其中。一日九変。神於天、聖於地。天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈。
如此萬八千歳。天数極高、地数極深、盤古極長。
後乃有三皇。数起於一、立於三、成於五、盛於七、處於九。故天去地九萬里。」
天地は最初には卵のように混沌であり、盤古がその中に生まれ、1万8千歳生きた。
彼は天と地を分けて、清い陽気が天となり、濁る陰気が地となる。
盤古は天と地の間に立ち、1日9回身体が変化し、
それとともに天が1日に1丈高まり、地が1日に1丈厚くなり、盤古も1日に1丈伸びる。
このようにして、1万8千歳を経ち、天が極まり高くなり、地が極まり厚くなり、盤古は極まり身体が伸びた。
のちに、三皇が生まれた。
数は一から始まり、三に立ち、五に成り、七に盛り、九に拠る。
ゆえに、天と地の距離は9万里である。
それは周王朝の呉太白からの繋がりであり
姫氏のみが呉音霊を祭祀していたと断定している訳ではない。
筆者の感応は古代長江文明の発展と呉音霊に繋がりがあり
左回りに呉音霊は日本にも渡来して文化をもたらしているという事で
今まで姫氏を中心として推察が展開されていた。
春秋時代の呉系の人々が多数渡来しているのは間違いがなく
従って呉音霊は呉系の人々が祭祀していたと推察するが、
それ以外の祭祀を否定するわけではない。
仮に時代が100年下るが徐福が日本に渡来していたと仮定して
彼らが呉音霊祭祀をしていた可能性はあるであろうか?
まず徐福は山東省出身なので長江の河口域の江蘇省の北に位置する。
紀元前3世紀の当時でいえば斉国の琅邪郡となる。
ところが近年に江蘇省連雲港市贛楡県金山鎮にある徐阜という村が
清の乾隆帝の時代以前に「徐福村」と呼ばれており
徐福にまつわる伝承や遺跡があることが判明したと喧伝されている。
春秋時代の斉といえば徐福と縁があるかはともかく
周建国の功臣太公望によって立てられた国で姓は姜、氏は呂である。
この斉国=姜斉は中国の戦国時代の紀元前386年に
田氏が姜姓呂氏の斉を滅ぼして新しい国を建てていて斉=田斉となっている。
これは春秋の呉と戦国の呉の違いのように別物である。
『蘇我日向は貶められた名前なのか? No441』で春秋の伍子胥について記しているが
伍子胥の伝説をまとめた「執念―東周列国志(楚呉越)」を読んでいたら
そこに紀元前512年に呉の名臣の伍子胥により
徐国が滅ぼされたことが記載されていた。
徐国は泗洪湖あたりに建国されていたらしい。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E5%9B%BD
秦の始皇帝は徐福を徐一族の長と見ていて
それ故に信用優遇したのかもしれない。
さて炎帝神農は姓は姜である。
姜水で生まれた炎帝が姜姓を名乗り
姫水で生まれた黄帝が姫姓を名乗ったということである。
日本では神農が古くより信仰されてきているが
言音霊祭祀は姫姓のみでなく姜姓にも繋がっているかの検証が必要だと考える。
呉音霊と確実につながるのは盤牛王=盤古であるが
これは戦国時代の呉以降に出てくる神名であり炎帝神農から派生した可能性もある。
盤古神
炎帝神農
蚩尤
『川上村の神秘 No409』でも紹介したが梓ちかほさん著『神秘な夢の扉』に
川上村誌記載の村の伝説が記載されているが
そこに興味深いことが書かれている。
この地域は古来より梓山と呼ばれる地域であり高天原という山と戦場ヶ原があり
ここで古代に神々の戦いがあったという伝説が伝わっている。
その神とは盤古神と建御名方神であり盤古神は戦に負けて
大深山(御墓山)に逃げ盤古神の妃神は秋山の大岩山の岩穴に逃げ込んだそうである。
戦いの血は隈なく流れたので血隈川と呼ばれていたがそれが今の千曲川であるそうだ。
そしてこの地で梓ちかほさんが感応したのがチベットより日本の富士山まで遠い旅を
してきたという「みんや」という姫神だとのこと。
今回チベットを調べていて中国での伝承によると古代チベットには
炎帝神農や蚩尤に縁があるという姜姓のものが住んでいたという。
ミンヤという姫神は姜姓の可能性が高い。
盤古神については三国時代に呉の徐整が編集した神話集『三五歴紀』に
はじめて記述されたとされる。
地域は呉でありまさに呉音霊が関与している。
盤古神話を最初に記述したという徐整であるがこの徐家というのは
徐福=徐市と繋がるのではないかと感じている。
つまり徐福が盤古神の神話を日本に持ち込んだ可能性がある。
「天地混沌如鷄子、盤古生其中。萬八千歳。天地開闢、陽清為天、陰濁為地。
盤古在其中。一日九変。神於天、聖於地。天日高一丈、地日厚一丈、盤古日長一丈。
如此萬八千歳。天数極高、地数極深、盤古極長。
後乃有三皇。数起於一、立於三、成於五、盛於七、處於九。故天去地九萬里。」
天地は最初には卵のように混沌であり、盤古がその中に生まれ、1万8千歳生きた。
彼は天と地を分けて、清い陽気が天となり、濁る陰気が地となる。
盤古は天と地の間に立ち、1日9回身体が変化し、
それとともに天が1日に1丈高まり、地が1日に1丈厚くなり、盤古も1日に1丈伸びる。
このようにして、1万8千歳を経ち、天が極まり高くなり、地が極まり厚くなり、盤古は極まり身体が伸びた。
のちに、三皇が生まれた。
数は一から始まり、三に立ち、五に成り、七に盛り、九に拠る。
ゆえに、天と地の距離は9万里である。