吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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老体に鞭打って英彦山 求菩提山 高千穂峰等 神霊界探訪してきました No519

2019-06-21 22:11:16 | 神霊界考察
今回のブログは考察ではなく単なる報告になりますが、
やむにやまれず老体に鞭打って
1.英彦山(大南神社・玉屋神社・高住神社含む)参拝
2.求菩提山登山 狗ヶ岩屋調査
3.霧島の高千穂峰登山(天逆鉾) 霧島六社権現参拝
4.田主丸にて道君首名公後胤の竹野長者及び金光上人の調査
5.韓国宇豆峯神社等の神霊界探訪と祈願をしてきました。

来週から記事をUPしたいと思います。
英彦山はコース時間の3倍掛かりました。
朝4時半に登り始めて、車に辿り着いたのは夕方の18時半。
10時間山中を歩いたところでとうとう足が一歩も進まなくなるし
沢沿いで迷うし喉はカラカラで死ぬかと思いましたが
最後のところで高住神社の天狗に助けていただきました。
その代わりに車にたどり着いた瞬間に電話が掛かってきて
うちの嫁が自宅で原因不明のアナフィラキーショックになりました。
それで嫁が救急車で病院に運ばれる騒ぎとなりました。
まあ結果としてはお互い無事に助かりました。
今回は神霊界に無茶苦茶干渉して
国家国防神としての呉音神祭祀の要望とその想いを
一氣貫通してきました。

明日は夏至ですので4時起きで熊本霊ラインの祭祀をします。
それから来週は最後の〆として宇佐神宮に呉音神祭祀の件で祈願してきます。

記事の更新が進んでいなくて申し訳ありません。




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夫婦ゑびすの原型 道君首名公夫婦の古碑 No518

2019-06-07 13:43:12 | 神霊界考察
15年ほど前にいただいた玉名市歴史博物館の企画展パンフレット
『大宰府と肥後の寺院 兼任国司道君首名の役割』の
最後のページに記載されていた田主丸門ノ上にあるという
道君首名夫婦の古碑の写真が気になっていた。
  



多分、羽犬塚の夫婦恵毘須像も高良大社の市恵比須社の夫婦像も
櫛田神社の境内の夫婦恵比須神社も人吉の札の辻夫婦恵比寿神社も
その原型がこの道君首名公夫婦の古碑にある。

なんとかに田主丸門ノ上にあるという道君首名夫婦の古碑を
探してみようとは思っていたものの
ネット上には情報が全くなく場所も遠地なのでそのままになっていた。
最近やっと「2018/06/23付 西日本新聞朝刊」の情報を見つけ出し
現地に赴いてきた。

 

この道君首名公夫婦の古碑は近年移転している。
そしてとなりに由緒不明の石碑が追加されていた。
とても残念なことに門ノ上公民館の空き地に適当に
移設させられたような状況と言える。
本来なら鳥居と社を設置し御神体として祭祀すべき存在である。

なぜここに道君首名公夫婦の古碑があるのかというと上記添付資料の通りで
その夫人が出家し田主丸にて首名公の菩提を弔ったからである。
後胤は竹野長者と呼ばれている。
また越の道君一族は大彦命の孫の彦屋主田心命の後裔としているが
田主丸の地名も彦屋主田心命から取られたものであろう。
田主丸と呼ばれた菊池丹後入道がどれだけ真意を知っていたのかは不明である。
道君首名公の存命は663年-718年5月18日(養老2年4月10日)であるが
首名の孫である道広持が835年(承和2年)に
道君から当道朝臣と改姓されたことが記録に残っている。
また首名が没して約150年後の865年(貞観7年11月2日)に
後胤に贈従四位下が贈られている。

田主丸竹野地区の道君首名公の血縁の当道朝臣の一族から
1155年(久寿二年)金光上人を輩出している。
金光上人は浄土宗の開祖法然上人の高弟であり
東北陸奥に浄土宗を広めた僧として有名である。
高良山で出家し13歳の時に比叡山に登り円証の名を貰っているが
32歳の時に田主丸の石垣山観音寺の別当として故郷に戻り赴任している。

ひとつ前の記事の法然上人の師である『皇円大菩薩』は
1169年7月9日に没しているのでほぼ面識はなかろうと思える。

田主丸の石垣山観音寺の由緒等から探ると
まず行基菩薩の伝承がある。
 
次に慈覚大師円仁が唐での赤山法華院や五台山で修行からの帰国時に
この石垣山観音寺に立ち寄り「円成院」の院号を名づけ
「法相宗」から「天台宗」 に改宗させている。
こういう歴史が残る寺に金光上人は赴任したのだが
この寺で牛鬼を退治したとの伝承が残っている。
この牛鬼退治の伝承では以下のブログが詳しい。
『石垣の牛鬼 「耳納山」の由来』

なるほど筆者の道君首名公との感応が
牛鬼伝承や塵倫鬼に繋がりその追悼を願われているのは
こういう歴史があるからなのだろう。

※夫婦ゑびすの過去記事は以下参照
『道君首名公と道祖神信仰 No125』
『天社宮の夫婦像 HP』
『肥の國の夫婦ゑびす考察 No381』
東北に道祖神像が多いのには金光上人の影響があるのかもしれない。


越の道君一族は大彦命の孫の彦屋主田心命の後裔を名乗っているが
大彦命の兄弟に少名日子建猪心命(日本書紀では少彦男心命)がいる。
武内宿禰の父とされる人物が屋主忍男武雄心命であるが
屋主忍男武雄心命と少名日子建猪心命は同一人物の可能性がある。
健軍神社の祭神の健緒組命とも繋がっているはずである。
『熊本の健軍神社の神話 No367』
『健軍神社の主祭神の健緒組命について No394』
『謡曲 「高砂」の意味するところ 2009/10/17 (Sat) 10:23:23』
『少名日子建猪心命と少彦名神の関係については』
コメント (20)
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