連休に友人が来熊したので佐賀・背振山・糸島・朝倉・田主丸等を回ってきた。
背振山については『背振山の乙護法善神調査 No534』では時間的に
余裕がなく未調査だった背振山積翠教寺修學院に参詣してきた。
パンフレットを見ると分かるように乙護法善神や徳善大王の由来のことは
戦国の戦乱や廃仏毀釈により忘れ去られている。
552年に弁財天が降臨したという伝承と
乙護法善神が不動明王の化身という伝承から
近年まで弁財天と不動明王が背振神社や修学院では祀られていたようである。
従って修学院の本尊は不動明王になっている。
ただ今回戴いた御朱印では吉田扶希子(著)の「脊振山信仰の源流」を
参考にしたのか徳善大王と改められている。
さすがに由緒のどこにも書かれていない徳善大王では意味が分からないので
御朱印を戴いた人向けに別の由緒書きが用意されていた。
また本尊の不動明王とは別に現在は乙護法善神を祀っている。
話が前後するが佐賀には印鑰神社が2社あるので
今回は道君首名公の霊的ガイドもいただきたかったのでまず最初に参拝してきた。
この地域に肥前国分寺と国分尼寺があったとされる。
ちなみに久留米市大善寺町夜明の印鑰神社に道君首名公の塚があり
印鑰神社と道君首名公の関係を裏付けている。
高良大社の麓や志賀海神社参道にも印鑰神社がある。
また印鑰神社の南端は熊本県八代市鏡町にある神社で蘇我石川宿禰を祀る。
北端は道君氏のおひざ元の能登半島七尾市府中町223にある。
国府といえば一般的には総社神社が有名であり
熊本市には総社神社はあるものの印鑰神社は無い。
どうも武内宿禰公と道君首名公の両方の接点と関係しているようなのだが
その歴史的経緯は不明である。
天気も安定してきたので背振山の神霊の様子を感じる為に一社麓の
乙護法神社に参拝したが気は熟していたので
背振神社は後回しにして一気に背振山山頂に向かった。
雪も残りかなり冷えてはいたものの青空も出てきていて
人払いされている中の背振山山頂で国防神降臨と
少彦名神の疾病祈願をさせていただいた。
駐車場まで降りている際に複数人の登山者にお会いしたが
話では麓から3時間だそうで登山中小雨が降り頻る中を
カッパ姿で登られていた。
唐津に泊まったのだが次の日は朝倉の麻氐良布山に向かった。
駐車場は麻氐良布神社下宮の参道途中にあったが
山頂までの登山道は国道地理院の地図が間違っていて容易には見つからなかった。
下宮に向かって右側からアプローチ出来る山道があるようになっているが
実際は下宮の左手から柿畑を真っすぐに登る登山道しか存在しない。
登山道は良く整備されていていつものクロックスで問題なく登れる。
国土地理院の地図を見ながら右手の竹藪の中で悪戦苦闘していたら
地元の方に呼び止められて正しい登山道を教えてもらった。
山頂の上宮に参拝出来たのは御神霊の配慮と思われる
この麻氐良布神社の上宮の古い写真があったが
説明書きによると平成10年に瓦をふき替えている。
それ以前の写真であろう。
三つ巴紋の瓦が使用されている。
現在の屋根も写真に撮影しておいた。
やはり三つ巴紋の瓦である。
しかし床下に放置されていた未使用の瓦に興味深いものを見つけた。
菊花紋章が貼り付けられている。
これはどういう意味を持っているのであろうか?
それで飛散した瓦を丹念に調べていくと
江戸期以前のものと思われる古い十六花弁の菊花紋の瓦を見つけ出した。
どうも古い時代は十六花弁の菊花紋瓦だったのが
昭和か大正時代に不敬にあたると言う事で吹替えたものと思われる。
この神社は式内社で本来は麻氐良布山の雷神を祀るものと見受けるが
表向きの祭祀は伊弉諾尊 天照大神 素盞嗚尊月夜見尊 蛭子尊を祭る。
九州において雷神の祭祀といえば
雷山 天拝山 麻氐良布山などがあげられるが
これらの山域での祭祀神が
火雷神(ほのいかづちのかみ)雷神(いかづちのかみ)八雷神(やくさいかづちのかみ)と
どうつながっていき最終的に賀茂別雷命に一本化されるのかは
今のところ未考察である。
ただ葵とハート形にヒントがあるのではないかとコメンテーターの
さくら様はおっしゃっている。
雷神については『天拝山の雷神と雷山の地主神である雷大権現 No463』の記載以降
2年半調査しているがまだ成果を得ていない。
麻氐良布山は特別な神域である様でここの山頂には麻氐良布神を頂点として
筑前の式内社の十九社が祀られている。
ここで祈れば筑前全体に響き渡るのであろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さくら様がこのブログのコメント欄に以下のコメントを残している。
2020/02/26 20:51:46
「とりあえず、乙護法童子は頭におりんを乗せている・・・
これは、妙音太子だということで、今までの経験を生かすと、
竹の音に反応して、、金の輪(りん)で、
女性から人気であり、笑いが好きだという私の感触です。
大和町尼寺の印鑰神社は上、下、二つに分かれていますので、
これも、上賀茂、下鴨か、、、両部と言う思想か、、、」
この件に関して2020/03/01 10:03:10に筆者が返信している。
「乙護法善神のオリンからよくぞ妙音太子を感得されたと敬服いたしました。
天竺の妙音太子の父親は乾闥婆王とされています。
乙護法善神と徳善大王の話ととてもよく被っています。
乾闥婆王は天界の楽師ですが香音天で食香神でお香を食します。
以前『大阪四天王と呉音霊との繋がりについて No 482』で
「あさのこう」について皆さんが考察された事がありましたね。
この「あさのこう」は麻のお香という事でも宜しいかとは思いますが
あれ以降線香のお香を供えています。
試した結果今は薫寿堂のお線香「珈琲園」を使っています。
でも何故お香なのかという疑問もありましたが
乾闥婆王との繋がりがあるとすると納得出来ます。
現在のところ『天照大神本地』のみの根拠となりますが、
とても興味深いです。」
この『天照大神本地』についての解説本があったので
添付しておく。
ここで天照大神の本地を乾闥婆王にあてたという事は
天照大神を男神としていることになる。
久留米では伊勢天照御祖神社が天照國照彦天火明尊を祀っている。
記載途中
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今回の武漢発症のコロナウイルスは『神の手ウイルス』として
良い見本を示している。
発症前に人に移すウイルスの恐怖がどのようなものであるか学ぶことができた。
このウイルスもRNA型のウイルスだが
H5N1の鳥インフルエンザとは正反対の性質もある。
コロナウイルスの死亡率は高齢者で高く若年層で低く死亡率は2%程度であるが
H5N1の鳥インフルエンザは5割の死亡率で
なおかつ若年層の死亡率が高いという特徴があった。
日本で備蓄されるRNA型に効果的だとされる富士フィルム富山化学の
抗インフルエンザウイルス剤「アビガン」(ファビピラビル)が使用されると
今ある最大危機とされるRNA型のH5N1亜種の鳥インフルエンザに効くものに対して
潜在するウイルスに耐性が出来てしまう可能性が高くなってしまう。
特に今回のコロナウイルスは一度治ってから再び発症する二重発症という特徴を持っている。
この潜伏の際にウイルスは特別なウイルスに変異している可能性が高い。
アビガンが大量に使われるといつの日かRNA型のH5N1亜種の鳥インフルエンザが
アウトブレイクを起こした際に
アビガン耐性コロナウイルスの特徴を持つ可能性が否定できない。
http://www.chemotherapy.or.jp/journal/jjc/06505/065050736.pdf
このアビガンは200万人分が日本政府により備蓄されているが
副作用も問題となっていて死亡率が高い特別の場合用とされている。
これがマスク同様に中国に配られると政府にとっては在庫が掃けて良いとしても
運悪く次の危機が直ぐに訪れた場合には対応が出来ない。
自分の祈願の本丸たる本当の危機がもう少し先に見えてきている。
背振山については『背振山の乙護法善神調査 No534』では時間的に
余裕がなく未調査だった背振山積翠教寺修學院に参詣してきた。
パンフレットを見ると分かるように乙護法善神や徳善大王の由来のことは
戦国の戦乱や廃仏毀釈により忘れ去られている。
552年に弁財天が降臨したという伝承と
乙護法善神が不動明王の化身という伝承から
近年まで弁財天と不動明王が背振神社や修学院では祀られていたようである。
従って修学院の本尊は不動明王になっている。
ただ今回戴いた御朱印では吉田扶希子(著)の「脊振山信仰の源流」を
参考にしたのか徳善大王と改められている。
さすがに由緒のどこにも書かれていない徳善大王では意味が分からないので
御朱印を戴いた人向けに別の由緒書きが用意されていた。
また本尊の不動明王とは別に現在は乙護法善神を祀っている。
話が前後するが佐賀には印鑰神社が2社あるので
今回は道君首名公の霊的ガイドもいただきたかったのでまず最初に参拝してきた。
この地域に肥前国分寺と国分尼寺があったとされる。
ちなみに久留米市大善寺町夜明の印鑰神社に道君首名公の塚があり
印鑰神社と道君首名公の関係を裏付けている。
高良大社の麓や志賀海神社参道にも印鑰神社がある。
また印鑰神社の南端は熊本県八代市鏡町にある神社で蘇我石川宿禰を祀る。
北端は道君氏のおひざ元の能登半島七尾市府中町223にある。
国府といえば一般的には総社神社が有名であり
熊本市には総社神社はあるものの印鑰神社は無い。
どうも武内宿禰公と道君首名公の両方の接点と関係しているようなのだが
その歴史的経緯は不明である。
天気も安定してきたので背振山の神霊の様子を感じる為に一社麓の
乙護法神社に参拝したが気は熟していたので
背振神社は後回しにして一気に背振山山頂に向かった。
雪も残りかなり冷えてはいたものの青空も出てきていて
人払いされている中の背振山山頂で国防神降臨と
少彦名神の疾病祈願をさせていただいた。
駐車場まで降りている際に複数人の登山者にお会いしたが
話では麓から3時間だそうで登山中小雨が降り頻る中を
カッパ姿で登られていた。
唐津に泊まったのだが次の日は朝倉の麻氐良布山に向かった。
駐車場は麻氐良布神社下宮の参道途中にあったが
山頂までの登山道は国道地理院の地図が間違っていて容易には見つからなかった。
下宮に向かって右側からアプローチ出来る山道があるようになっているが
実際は下宮の左手から柿畑を真っすぐに登る登山道しか存在しない。
登山道は良く整備されていていつものクロックスで問題なく登れる。
国土地理院の地図を見ながら右手の竹藪の中で悪戦苦闘していたら
地元の方に呼び止められて正しい登山道を教えてもらった。
山頂の上宮に参拝出来たのは御神霊の配慮と思われる
この麻氐良布神社の上宮の古い写真があったが
説明書きによると平成10年に瓦をふき替えている。
それ以前の写真であろう。
三つ巴紋の瓦が使用されている。
現在の屋根も写真に撮影しておいた。
やはり三つ巴紋の瓦である。
しかし床下に放置されていた未使用の瓦に興味深いものを見つけた。
菊花紋章が貼り付けられている。
これはどういう意味を持っているのであろうか?
それで飛散した瓦を丹念に調べていくと
江戸期以前のものと思われる古い十六花弁の菊花紋の瓦を見つけ出した。
どうも古い時代は十六花弁の菊花紋瓦だったのが
昭和か大正時代に不敬にあたると言う事で吹替えたものと思われる。
この神社は式内社で本来は麻氐良布山の雷神を祀るものと見受けるが
表向きの祭祀は伊弉諾尊 天照大神 素盞嗚尊月夜見尊 蛭子尊を祭る。
九州において雷神の祭祀といえば
雷山 天拝山 麻氐良布山などがあげられるが
これらの山域での祭祀神が
火雷神(ほのいかづちのかみ)雷神(いかづちのかみ)八雷神(やくさいかづちのかみ)と
どうつながっていき最終的に賀茂別雷命に一本化されるのかは
今のところ未考察である。
ただ葵とハート形にヒントがあるのではないかとコメンテーターの
さくら様はおっしゃっている。
雷神については『天拝山の雷神と雷山の地主神である雷大権現 No463』の記載以降
2年半調査しているがまだ成果を得ていない。
麻氐良布山は特別な神域である様でここの山頂には麻氐良布神を頂点として
筑前の式内社の十九社が祀られている。
ここで祈れば筑前全体に響き渡るのであろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さくら様がこのブログのコメント欄に以下のコメントを残している。
2020/02/26 20:51:46
「とりあえず、乙護法童子は頭におりんを乗せている・・・
これは、妙音太子だということで、今までの経験を生かすと、
竹の音に反応して、、金の輪(りん)で、
女性から人気であり、笑いが好きだという私の感触です。
大和町尼寺の印鑰神社は上、下、二つに分かれていますので、
これも、上賀茂、下鴨か、、、両部と言う思想か、、、」
この件に関して2020/03/01 10:03:10に筆者が返信している。
「乙護法善神のオリンからよくぞ妙音太子を感得されたと敬服いたしました。
天竺の妙音太子の父親は乾闥婆王とされています。
乙護法善神と徳善大王の話ととてもよく被っています。
乾闥婆王は天界の楽師ですが香音天で食香神でお香を食します。
以前『大阪四天王と呉音霊との繋がりについて No 482』で
「あさのこう」について皆さんが考察された事がありましたね。
この「あさのこう」は麻のお香という事でも宜しいかとは思いますが
あれ以降線香のお香を供えています。
試した結果今は薫寿堂のお線香「珈琲園」を使っています。
でも何故お香なのかという疑問もありましたが
乾闥婆王との繋がりがあるとすると納得出来ます。
現在のところ『天照大神本地』のみの根拠となりますが、
とても興味深いです。」
この『天照大神本地』についての解説本があったので
添付しておく。
ここで天照大神の本地を乾闥婆王にあてたという事は
天照大神を男神としていることになる。
久留米では伊勢天照御祖神社が天照國照彦天火明尊を祀っている。
記載途中
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今回の武漢発症のコロナウイルスは『神の手ウイルス』として
良い見本を示している。
発症前に人に移すウイルスの恐怖がどのようなものであるか学ぶことができた。
このウイルスもRNA型のウイルスだが
H5N1の鳥インフルエンザとは正反対の性質もある。
コロナウイルスの死亡率は高齢者で高く若年層で低く死亡率は2%程度であるが
H5N1の鳥インフルエンザは5割の死亡率で
なおかつ若年層の死亡率が高いという特徴があった。
日本で備蓄されるRNA型に効果的だとされる富士フィルム富山化学の
抗インフルエンザウイルス剤「アビガン」(ファビピラビル)が使用されると
今ある最大危機とされるRNA型のH5N1亜種の鳥インフルエンザに効くものに対して
潜在するウイルスに耐性が出来てしまう可能性が高くなってしまう。
特に今回のコロナウイルスは一度治ってから再び発症する二重発症という特徴を持っている。
この潜伏の際にウイルスは特別なウイルスに変異している可能性が高い。
アビガンが大量に使われるといつの日かRNA型のH5N1亜種の鳥インフルエンザが
アウトブレイクを起こした際に
アビガン耐性コロナウイルスの特徴を持つ可能性が否定できない。
http://www.chemotherapy.or.jp/journal/jjc/06505/065050736.pdf
このアビガンは200万人分が日本政府により備蓄されているが
副作用も問題となっていて死亡率が高い特別の場合用とされている。
これがマスク同様に中国に配られると政府にとっては在庫が掃けて良いとしても
運悪く次の危機が直ぐに訪れた場合には対応が出来ない。
自分の祈願の本丸たる本当の危機がもう少し先に見えてきている。