先日『加藤清正公製作の七つの鎮宅霊符神鈴』のブログ記事で
鎮宅霊符神鈴の写真を載せているが
そもそも何故、熊本博物館に行くことになったのかの話も
忘れる前に記録に残しておきたい。
今年5月に菊鹿のアイラトビカズラ(優曇華)の花を観に出かけた。
2020年(令和2年)4月に国特別天然記念物のこのアイラトビカズラが
無知な作業員によって半分ほど伐採されたということがニュースになったからだ。
実はアイラトビカズラの花を観たのは初めてとなる。
最近は毎年咲いているという話ではあるがなかなかタイミングが合わなかった。
優曇華の花は3000年に一度しか花が咲かず
その時には金輪王が現世に出現するというのだから
アイラトビカズラが優曇華というのは付会の類となるが
中国の長江流域が原産地と伝えられていて
この地域の常春油麻藤と同じ種類であることは間違いない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/80/4aa30ab2db39332f3ad9c1e0d56a6463_s.jpg)
この日の帰りについでにすぐ近くの藤田妃見子(ひみこ)女史が岩戸開きした
日向(ヒムキ)の天の岩戸岩陰遺跡の女神像にも参拝してきた。
この話は過去に『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178』でブログ記事にしている。
この参拝からしばらくして天の岩戸岩陰遺跡は実際は縄文時代の墳墓ではないかと思い始めた。
それで以前撮った現地の写真を観てみると確かに人骨も出たと記載されている。
ただその時にネット上で調査した内容にはなぜか人骨の記載はなかった。
大切なのは藤田妃見子(ひみこ)さんが岩戸開きした後に
考古学調査がなされていることにある。
産廃物が捨てられたりしていて地元民もあまり近寄らない数メートル登った崖から
この重要な縄文遺跡を良く見つけ出したものである。
(もともと地元では天岩戸という伝承があったらしいが。)
藤田妃見子女史はこの岩穴に天照大神=龍宮の乙姫=豊玉姫=人魚姫が
1万2千年前に幽閉されたと霊視している。
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集でも
佐治芳彦氏著作の『龍宮乙姫の謎』でもこの岩戸開きの話は出ても
そこが縄文時代の天岩戸岩陰遺跡で人骨が出てきたとは書かれていない。
ただ『龍宮乙姫の謎』のP160にはその岩戸開きした岩窟から
鹿の骨が見つかったとだけは記載されている。
藤田妃見子女史が感応した龍宮の乙姫とは
この発掘された縄文人骨の主の御魂ではないかと感じている。
1万2千年の時を隔てて霊力を発揮するとはまさに神ががる巫女だと思う。
そしてこの乙姫は私の興味にも答えてくれた。
人骨がどのような状態で出てきたのだろうという興味に対してである。
そしてその人骨の性別は当然に女性でなければならない。
ある日この人骨そのものかもしくはそのヒントが熊本博物館にあると感じた。
私にまで何かを伝えてきたのである。
その何かが何であるかは潜在意識は知っているものの
顕在意識はまだ理解できていない。
とにかくそういう状態で熊本博物館に出向いた。
そこで以下の写真を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/df/92d8343bb908291b05f16674a9c85531_s.jpg)
この写真は私にはインパクトがあった。
この写真からでも伝わる強力なメッセージとは
御魂の慰撫の必要性である。
この人骨はいまだ物ではないのである。
御神霊に対して慰撫と鎮魂の祭祀が求められているようである。
ただしこの人骨が1万2千年前のものであるかは不明である。
この岩戸に初代龍宮乙姫とその後の巫女の2重の封印が為された
可能性についても考慮する必要があるのだが
私へのメッセージをこの人骨が発していると仮定した場合は
以下の様な仮説が成り立つ。
この人骨の御魂は藤田妃見子(ひみこ)女史の岩戸開き以降、
彼女に神懸りしていたのであるが、
藤田妃見子(ひみこ)女史が逝去された後に
元の遺骨(依り代)に戻ろうとして遺骨の場所が変わり
そのためにいまだ彷徨える可能性がある。
確かに私は龍宮の豊玉比咩信仰を持ち毎日祭祀する身ではあるが
残念なことにこのことを解決する手段を知らない。
考古学的発見とされる墳墓の人骨等は文部科学省に属するものと思われ
信仰の対象から剥奪されてしまう。
それが国家を危うくするとしてももちろんそれは迷信という事であり
全くのお構いなしである。
そこに宮内庁書陵部の天皇陵墓参考地と文部科学省との軋轢がある。
あとはこの人骨が女性であることの検証が残る。
もし男性であったとしたらこの記事は無かったことにしたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/53/f5fbabc5a5ac9f336a58678932bb6c5f_s.jpg)
※参考文献
竜宮乙姫の謎 : 日本列島の母なる神 佐治 芳彦(著)
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/65/30/77afebd67fc65bd2c65713bfb31cdcad_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/88/13d5c333e7aa674ee655438c77f2e244_s.jpg)
鎮宅霊符神鈴の写真を載せているが
そもそも何故、熊本博物館に行くことになったのかの話も
忘れる前に記録に残しておきたい。
今年5月に菊鹿のアイラトビカズラ(優曇華)の花を観に出かけた。
2020年(令和2年)4月に国特別天然記念物のこのアイラトビカズラが
無知な作業員によって半分ほど伐採されたということがニュースになったからだ。
実はアイラトビカズラの花を観たのは初めてとなる。
最近は毎年咲いているという話ではあるがなかなかタイミングが合わなかった。
優曇華の花は3000年に一度しか花が咲かず
その時には金輪王が現世に出現するというのだから
アイラトビカズラが優曇華というのは付会の類となるが
中国の長江流域が原産地と伝えられていて
この地域の常春油麻藤と同じ種類であることは間違いない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5f/a9/e586f83104523477fc45a94078b41c59_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/80/4aa30ab2db39332f3ad9c1e0d56a6463_s.jpg)
この日の帰りについでにすぐ近くの藤田妃見子(ひみこ)女史が岩戸開きした
日向(ヒムキ)の天の岩戸岩陰遺跡の女神像にも参拝してきた。
この話は過去に『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178』でブログ記事にしている。
この参拝からしばらくして天の岩戸岩陰遺跡は実際は縄文時代の墳墓ではないかと思い始めた。
それで以前撮った現地の写真を観てみると確かに人骨も出たと記載されている。
ただその時にネット上で調査した内容にはなぜか人骨の記載はなかった。
大切なのは藤田妃見子(ひみこ)さんが岩戸開きした後に
考古学調査がなされていることにある。
産廃物が捨てられたりしていて地元民もあまり近寄らない数メートル登った崖から
この重要な縄文遺跡を良く見つけ出したものである。
(もともと地元では天岩戸という伝承があったらしいが。)
藤田妃見子女史はこの岩穴に天照大神=龍宮の乙姫=豊玉姫=人魚姫が
1万2千年前に幽閉されたと霊視している。
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集でも
佐治芳彦氏著作の『龍宮乙姫の謎』でもこの岩戸開きの話は出ても
そこが縄文時代の天岩戸岩陰遺跡で人骨が出てきたとは書かれていない。
ただ『龍宮乙姫の謎』のP160にはその岩戸開きした岩窟から
鹿の骨が見つかったとだけは記載されている。
藤田妃見子女史が感応した龍宮の乙姫とは
この発掘された縄文人骨の主の御魂ではないかと感じている。
1万2千年の時を隔てて霊力を発揮するとはまさに神ががる巫女だと思う。
そしてこの乙姫は私の興味にも答えてくれた。
人骨がどのような状態で出てきたのだろうという興味に対してである。
そしてその人骨の性別は当然に女性でなければならない。
ある日この人骨そのものかもしくはそのヒントが熊本博物館にあると感じた。
私にまで何かを伝えてきたのである。
その何かが何であるかは潜在意識は知っているものの
顕在意識はまだ理解できていない。
とにかくそういう状態で熊本博物館に出向いた。
そこで以下の写真を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/df/92d8343bb908291b05f16674a9c85531_s.jpg)
この写真は私にはインパクトがあった。
この写真からでも伝わる強力なメッセージとは
御魂の慰撫の必要性である。
この人骨はいまだ物ではないのである。
御神霊に対して慰撫と鎮魂の祭祀が求められているようである。
ただしこの人骨が1万2千年前のものであるかは不明である。
この岩戸に初代龍宮乙姫とその後の巫女の2重の封印が為された
可能性についても考慮する必要があるのだが
私へのメッセージをこの人骨が発していると仮定した場合は
以下の様な仮説が成り立つ。
この人骨の御魂は藤田妃見子(ひみこ)女史の岩戸開き以降、
彼女に神懸りしていたのであるが、
藤田妃見子(ひみこ)女史が逝去された後に
元の遺骨(依り代)に戻ろうとして遺骨の場所が変わり
そのためにいまだ彷徨える可能性がある。
確かに私は龍宮の豊玉比咩信仰を持ち毎日祭祀する身ではあるが
残念なことにこのことを解決する手段を知らない。
考古学的発見とされる墳墓の人骨等は文部科学省に属するものと思われ
信仰の対象から剥奪されてしまう。
それが国家を危うくするとしてももちろんそれは迷信という事であり
全くのお構いなしである。
そこに宮内庁書陵部の天皇陵墓参考地と文部科学省との軋轢がある。
あとはこの人骨が女性であることの検証が残る。
もし男性であったとしたらこの記事は無かったことにしたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/32/82/4845aa97a69bced1cee51222c59025a1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/61/a3/121b7b387778f169806a8d0a4fd456aa_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/21/53/f5fbabc5a5ac9f336a58678932bb6c5f_s.jpg)
※参考文献
竜宮乙姫の謎 : 日本列島の母なる神 佐治 芳彦(著)
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/65/30/77afebd67fc65bd2c65713bfb31cdcad_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/09/22/475772e82775e837628b17424f10cbab_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/88/13d5c333e7aa674ee655438c77f2e244_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/00/b5/2984e51185cbcf97294c3b231009a1f7_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/63/6e/9d90fe83a94770ec983cfa04b41df3b1_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/17/4c/47d28f08efb949f2ade276eb4f6a49f8_s.jpg)
ほぼお昼12時頃にたどりつきました。
ある角度から、人魚豊玉姫像を撮りますと、光のシャワーが降り注ぐように撮れました。その時、湿度が高く空気中の水分が多かったのです。
直前まで、雨が降ったり止んだり、、
洞窟に着いたとき正午であり、日・太陽が射したのです。白いキラキラ・・空気はどんより水分で重く。
人魚豊玉姫像の右手は、高く掲げ三叉矛(三本の指)を表しています。そして、どちらかというと聖母マリアの雰囲気なのです。
このあたりは、カクレキリシタンの雰囲気も感じ、、初めての訪問でしたが、私のよく知る場所でした。
川の感じとか、鄙びた感じとか。
それで、全く予定してなく、ナビを見て知ることになった裏に位置する「吾平山」に行きたいと強く思い、その吾平山近くに、菊鹿のアイラトピカズラが存在します。
私は、小学生の頃から、優曇華の事が気にかかり、金輪王の絵を描いたりしていました。
山鹿の豊玉姫との出会いから、世界情勢の変化で祈願登山したりと、何かしら祈願をすることをちょくちょくキープしています<(_ _)>
この記事が書かれましたので、久しぶりに他人様の山鹿の豊玉姫を訪問したブログを何個か読みました。
霊的感応を換金されている方を何人か見受けられました。直接的なお金儲けではなくても、宣伝効果を兼ねて書いている様なものもありますね。
この天岩戸岩陰遺跡で見つかったのかもしれない、
熊本博物館の人骨の事を検索していました。
記事の写真を見て、「歯が綺麗なのです」
羨ましい。それと、面長か、頭長かどちらかと思います。
それで、玉蝉で、「閑」から知り得た縄文遺跡の事を思い出し、あれも縄文人の「歯」が関係しました。
それと、日本最古の人骨も「歯」が綺麗です。
栃木宇都宮大谷寺なのですが、、、
何故か、京丹後の大谷古墳がヒットし、女性首長のようですので、張り付けておきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E5%8F%A4%E5%A2%B3_(%E4%BA%AC%E4%B8%B9%E5%BE%8C%E5%B8%82)
次に、栃木大谷寺にある「縄文人最古の人骨」
雨上がりのペイブメント様より
https://blog.goo.ne.jp/sasuke-botan-06/e/d07123bef0d1dc8aace4803022b7cfc9
※二つ張り付けたリンク先を読みますと、この記事中の人骨は、女性のような気がしますね。
少し気になったのは、女山(ぞやま)神籠石の古墳の山の高さは△158なのです。
(多分、女性首長だと思うのですけど、、女をゾとしているのも疑問であり、象王権現のゾかな?
菅原道真公の子孫の左座家(そうざ)も気になっているのです。)
これは、妙観山(独鈷山)△158と同じです。
この事は、タチバナの契りの時にずっと考えていて、結論が出ていないことになります。
それで、個人的に物凄く仰天したのが、、、
山鹿の天岩戸岩陰古墳調査記の写真にあった
鹿角です。
あれっ、私の持ってるのと一緒っぽい。時空超えた?
菊池川流域文化財調査報告書PDFより、写真ではなく、絵になります。
横穴式古墳が多数あるのと、十字の紋章のような石器も気になっていました。
若狭野古墳の特徴、三段式。横穴式古墳。
その日は、やけに「杖」が気になっていました。
パワーヨガを終えて、そこで、目に留まった山歩き用の杖を買おうかどうか、物凄く迷ったのです。
結局買わなかったのですが、、、
記事の中の「依代」と言う言葉を見て、「御杖代」と言う言葉を思い出していました。
倭姫と天照大神の関係です。
それと、丹生大明神告門で、色々な場所で忌杖刺します。
当時は意味も分からず、毎日声をだして読んでいました。
今、その文章を読み返しますと、少し意味がわかるようになっています。
常春油麻藤の特性 メモ
生薬名: 牛馬藤
http://dream-garden.co.jp/works/airatobikazura.pdf
アイラトビカズラ 学 名:ムクナ センペルビーレンス この菊池川流域から発見された
古代の土器に付着していた
籾痕のDNAを調べたところ
揚子江流域と一致した・・・
古代製鉄の地域でもある
ムクナ豆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%83%A1
跡見群芳譜より
http://www.atomigunpofu.jp/ch2-trees/tobikazura.html
※中国では、全草を薬用にする。種子は食用にし、油を採る。塊根からは澱粉を採る。茎の皮の繊維からは麻袋を作り、紙を漉く。
2007年『ムー』6月号の菅田正昭氏筆の特集記事を
本日コンビニのコピー機にてデーター化して
とりあえず添付させていただきました。
御拝読していただけると幸いです。
この記事は消す可能性があるのでお早めにお願いします。
でも、こんなん書いてもなぁと思って削除したのですが、、、なんだか、怖いですよ(-_-;)
古田さんって、お名前が気になっていました。
フルだよなぁって、、
妃見子(きみこ)さんだとばかり思っていましたが、「ひみこ」さんだったのですね。
申し訳ないのですが追記添付事項を読ませていただいて、、色々と被りすぎてますね(-_-;)
古田さんの写真のお姿は、あえて言うと、母方祖母に似ています。
熊本博物館の事について、書いていこうと思っていたのです。
・神来貴船神社
・山鹿温泉 山鹿装飾古墳 本当は今年7月に菊鹿温泉に泊まる予定でした。
岩戸というのもね。
多分吉田様熊本博物館の在住時に、私たち(私とはいせ様)は大阪で岩戸神社において対決していたのです。
まぁ、そんなことは今更なのかもしれないですね。
もう~どうします?
まぁお互い頑張りましょう\(^o^)/
菊池川流域文化財調査報告書
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16332
それにしても立派な歯ですが、こうして何千年としっかり残っているものなんですね。すごいな~
先日、土蜘蛛さんの慰霊および調査で茨城県袋田の滝に行って来ました。山なのに潮の匂いがしてなんだろうと思っていたら、一帯はパンゲア大陸やゴンドワナ大陸の頃の海の底が隆起して山となって地層が露出している地域。化石も出るそうで、さざれ石みたいに砂利が固まったような岩そこここにあり、流石ジオパーク!と思っていました。
袋田の滝付近も観光地化が進んでいて、以前の自分なら「自然破壊!」と憤っていたと思いますが、今はそういうこともちょっと傲慢な気がして、現状をまずは受け止めて思いを馳せることも大事かなぁと思っています。
地層のエネルギーはやはりすごいので、そういうところには征伐祈願の伝承が残っているのが興味深いです。
犬歯を抜歯なんですね・・・
確か、お骨を拾う時に、「喉ぼとけ」の説明を受けたことを覚えています。声変わりしたり、二次性徴の目印です。
喉ぼとけは、甲状軟骨であり、その上部に位置するのが、舌骨。
一緒に入れたチタンのモノは骨と一緒に残っていました。
この記事を読む限り、吉田様は山鹿の豊玉姫の巫女神霊と感覚で解りあえるようで、、、
伝達、メッセンジャーの役割をえているのでしょうね。
藤田女史が亡くなったのが、2006年ですから単純に言えば、約14年間彷徨ってられるという事なのでしょう。
女性なので、女性に神がかるのが一番良いわけですが、変性男子として男子でも良いのです。
過去の偉大な神霊伝達能力のある男子たちもそのようにしていますね。
私はそのような仕組み変性を最近知ったばかりです。
何人か、潜在意識で呼び出しがかかりその地に出向いているのでしょうが、、上手くその人の心魂の上昇度合い、波長が合わないと
依り付けないという事ですね。
もう、吉田様の元にキタレてますね。
今まで、ハートと散々言ってましたので、、
同じ神霊系統だと思います。
2020イツキ一月に「ルート化=解脱の問題点」での記事を書いた見解は、こちらの豊玉姫・乙姫さんからのご指示だったのではないでしょうかね。
私も「ルート化」の記事に、「豊玉姫神の願い」とコメントを書きました。
しかし、ほんとこのあたりから世界情勢が一気に変化したのです。隔世の感を感じます。
何故、「金」を欲しくなったのか、、、意味がわかりました。
龍宮乙姫の護符を見て、やっと分かりました。
それで、大金背負って、本気で買いに行った事を大変喜ばれたように感じています。
金よりも、プラチナ(白金)の方が価格がサガっていますので、どうしてですか?と聞いたり、、
景気や経済指標と同じ動きが、プラチナの価格変動の動きと言われました。
金は別格だそうです。
私は金を買いに行き、「星」と「十字」の証をもらえた事が不思議だったのです。
この報告書の最後に公式の天岩戸岩陰遺跡出土人骨の
保管用の写真が添付されていますが
本来はあったはずの喉仏と脊椎が収集写真からは消えてしまっています。
そのことと実際どこに保管されているのかがとても気になりますね。
ところで龍宮乙姫像の別バージョンが
滋賀県高島市の風車街道沿いにあるようです。
https://plaza.rakuten.co.jp/ginkai/diary/