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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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柴燈護摩法要で知った修験道の考察 No448

2016-10-27 14:32:28 | 神霊界考察
菊池龍門の光柳院の第一回柴燈護摩法要に参加した。
本来は有資格者が果たすべき行らしいが
主催者の諸々の都合により
まず会場作りより素人の私が手伝うことになった。
風邪で体調不良だったりブヨに挿されてとんでもない目にあったりしたが
なんとか無事役目を終えることが出来た。

色々と無知だったので後学のために
要領・装束等のメモ書きを残しておく。

燈護摩法要は基本的には導師が神降ろしに始まる加持祈祷は全て行うのだが
水祓い・法斧・宝剣・法弓・点火の儀式と
四方結界の守護の役割を行者(行者役)が執り行う。
中央が不動明王,東方が降三世明王,南方が軍荼利明王,
西方が大威徳明王,北方が金剛夜叉明王の守護で
その化身の役割を行者が担うことになる。

装束
頭襟・兜巾(ときん)大日如来の五智の宝冠を表している。
黒色なのは法身不変の意味。
十二因縁にちなんで上から見ると放射状に12等分されている。
一カ所だけ三角形に切れ込んでいて神事においてはそれを下に向ける。
布頭巾 剃髪していないので頭髪を隠すためのもの
白衣
鈴懸(すずかけ)九枚の布でできていてこれは金剛界九界を表す。
袴(はかま)八枚の布で出来ていて胎蔵界八葉を表す。
袴の後ろ三つのひだは三悪(地獄・餓鬼・畜生)を表わし前のひだの六つは六波羅蜜を表す。
つまり三悪道を背中に覆い六波羅蜜の修行に赴くという意味となる。
手甲(てこう)
脚絆(きゃはん)
貝の緒 もとは腰の右に巻く十六尺の緒を貝の緒と呼び
左に巻く二十一尺の緒を曳周(ひきまわし)と呼んでいた。
両緒を結ぶことによって修験者が金胎一致、理智不二、定慧不二となり成仏しうること。
及び父母を陰陽和合の結果、赤子として誕生する事を表している。
半袈裟 首からさげる略式の在家用輪袈裟のことであるが、
衣装の袈裟は当初は糞のように捨てられたボロ布をつなぎ合わせて作ったところから
糞掃衣(ふんぞうえ)とも言う。
現在日本で使われている袈裟は新品の布で作るがこの名残りでわざわざ小片にした布を継ぎ合わせて作るのが一般的。
よく見る天台山伏の姿にこの袈裟に梵天を付けたものがある。
胸前左右に二つ梵天(房)の付いた二条、
背の中央にも二つ梵天の一条を垂らしてその末端を威儀線の紐で固定する。
山中でこけたときにこの梵天が身を守るという実利もある。
念珠 山伏が用いるのはイラタカ念珠。
最多角,伊良太加,刺高とも書く。角のある108の珠を用いた数珠で,修験者が使用する。
通常は数珠をもむときには音をたててはならないとされているが,
修験道では悪魔祓いの意味で読経や祈禱の際に
この数珠を両手で激しく上下にもんで音をたてる。
〈いらたか〉とは,角が多い意だという説もあるが,
一般には,もみ摺る音の高く聞こえることに由来するとされ,
《木葉衣》は,梵語の阿唎吒迦(ありたか)の音を転じて名付けたと説く。
錫杖 菩薩の錫杖は二股六環で檀・戒・忍・進・禅・慧の六波羅蜜を表す。
これを振ることにより、六道輪廻の眠りを覚まし、一仏界に帰入する意味がある。
法螺貝釈迦如来の説法でありこの音を聞くものは煩悩を滅し悟りを得る。
また法螺の音は獅子吼とも呼ばれ百獣の王の声であり全ての動物を服従せしめる威力を持つ。
今の世の中は便利になったものでネットでも購入できる。
しかし当然ながら手に取ってみる訳ではないし音の良し悪しも分からない。
私はYAHOOオークションに出展されている方より
石垣島産38.5cmサイズのものを購入した。
法螺貝立偈文
我今吹大法螺聲 遍至三千大千界  經耳衆生滅重罪 悉階得入阿字門
がこんすいだいほうらしょう へんじさんぜんだいせんかい 
きょうにしゅじょうめつじゅうざい しっかいとくにゅうあじもん 

本来は尻にあてる引敷も必要だけど今回は割愛 
引敷の意味は何の動物の物であっても獅子の毛皮であると観念する。
その畜類の王の獅子の上に座すという事で
行凡聖不二・煩悩即菩提の極地を表している。
実はこれが一番欲しいものなのだけど。
とても残念だか高価なために今回は割愛。

そもそも山伏とは山伏問答によると以下の通りらしい。
「山伏とは山に伏し野に臥して修行する意なり。
山は三身即一、伏とは無明と法性の義、
なれば眞如法性の山に入りて無明煩悩の敵を降伏するの義なり。」

「修験道の修とは苦修錬行。験とは験得の儀なり。
即ち、深山幽谷に分け入りて修行を積みてその験得を顕す道なり。」

修験道の本尊は「本尊は金胎両部の曼荼羅なりとはいうものの
修行専念の本尊は大日如来の化身たる不動明王なり」


今回の柴燈護摩の神事では点火の儀で炎がなかなか燃え広がらなかった。
火が付いたら付いたで今度は風が急に吹き出し
手に負えないぐらいの熱風が吹き荒れた。
おかげで貸し出していた太鼓の雨除け用タープも
鈴懸も火の粉で穴だらけになってしまう始末だ。

先にも書いた通り修験道の本尊は
「本尊は金胎両部の曼荼羅なりとはいうものの
修行専念の本尊は大日如来の化身たる不動明王なり」
といわれているが
基本的に浄化は火と水の作用であり修験道においては滝行も重要らしい。
神道では火と水が十字に組んででカミ=神というくらいで
水の女神をないがしろには出来ない。

今回この地での神事の参加には
八大龍王神と善女龍王神の降臨に特別な意味があったと思う。

式衆として柴燈護摩業に参加してその神事中に理解したのだが
今回は近年の柴燈護摩業で忘れ去られていた水の女神の
顕現を特に意味するものだった。


『空海と遣唐使船』
醍醐寺の守護女神の清瀧権現の伝承を記載しているのだが
ある御神霊がよほどこの記事に引かれたのか
導きによって今回の柴燈護摩業に参加してこの記事を書く流れとなった。

それで前回の記事の続きとなるが、まずは清瀧権現について復誦する。
伝承では准胝・如意輪観音の化身で清滝権現を名乗る神女が中国に降臨。
もとの名は青龍で、唐の青龍寺に住んでいたが、
ここで密教を学んだ弘法大師に乞うて三昧耶戒を受け、
津妃命の名をもらって、帰国する大師を護りつつ渡日し、
笠取山の東方の高嶺を居所と定め、
水にちなんで名を清滝と改めたという。
清瀧権現は日本に飛来し複数の寺を巡った後、
900年(昌泰3年)ころに醍醐寺開祖・理源大師聖宝により
現在の安置所である醍醐寺山頂に降臨し留まった。
以後同寺に伝えられる真言密教を守護する女神となったそうである。
弘法大師空海の御遺告によると、
清瀧権現は善女龍王のことであり密教守護のため出現した8寸の金色蛇で
9尺の蛇の頂上に位置するとある。

そしてこの現在に続く柴燈護摩業というのも
先述の聖宝理源大師が初めて行ったといわれている、
それで醍醐寺をはじめとする真言宗の
当山派修験道の法流を継承する寺院で行われる事が多いらしい。
理源大師聖宝は空海の孫弟子に当たり
天智天皇の後胤である葛声王の御子となっている。
16歳のとき、空海の弟の真雅僧正について出家得度したが
はねっ返りだったようで真雅僧正からは追放されている。
若い頃は空海や真雅より役行者にあこがれたようである。

まず修験道開祖の役小角は
ある時に北の方角に霊光を見て
その光を追って摂津国の箕面山の大滝に至り、
その滝の上の竜穴(御壺)の中へ入って、
そこで龍宮の宝珠を継承した龍樹菩薩から大いなる法を授けられて
悟りを開いたという伝承がある。
これに沿う形で修験道中興の祖の理源大師聖宝も
寛平七年(895)に大峯山中にて
金剛蔵王菩薩の姿をとって現れた役行者小角に出遇い、
龍樹菩薩に引き合わされて、
「恵印法流」という秘法を伝授されたとされる。
この不思議な伝授は「霊異相承」と言われている。
「恵印法流」は正式には、「最勝恵印三昧耶法」といい、
山派修験道の特徴、核心とも言える修行法となっている。
今なお修験恵印総曼荼羅というものが継承されているらしく
不二一乗の世界観をもって大日如来による秘奥の説法を示すものらしい。

「恵印法流」という秘法の中にこの柴燈護摩業も入っている。

つまり龍樹菩薩⇒役小角⇒理源大師聖宝という流れがここに継承されている。
しかし私見では龍宮の大龍菩薩⇒善女龍王⇒空海⇒清瀧権現⇒理源大師聖宝の
流れがあると感じている。
つまり龍宮の清瀧権現より宝珠を授かり柴燈護摩業の理を理解したのだと思う。

清瀧権現は龍であることと龍女であることから
とても貶められているように思える。
伝承では准胝・如意輪観音の化身とされてまずここで一ランク落とされている。
弘法大師に乞うて三昧耶戒を受けたとあるがこれも
『玄奘三蔵の原罪 No334』にも記載しているが
大乗の教えそのものが龍宮の大龍菩薩⇒龍樹菩薩という流れにあるはずだ。

柴燈護摩業の浄化とその功徳も火と水の作用であるべきだが
水の理が消し飛んでいる。

今回の縁は龍門ダムの龍神との縁 光柳院住職が女性であること
龍宮の神秘と清瀧権現の秘密を解き明かそうとしているのが
吉田一氣であること等が重なったものと感じている。


思えば結界内に入る導師以外の式衆が四方結界の守護の役割を
担うのだが今回女性が3人だった。
これも水の女神の縁という事であろう。
中央が不動明王  女性 主催者
東方が降三世明王 男性
南方が軍荼利明王 女性
西方が大威徳明王 女性
北方が金剛夜叉明王男性

直前まで雨が降っていたこともなかなか檀に火が付かなかったことも
直前まで体調が最悪であったことも右手をやけどしたことも
一連の因果の範疇にあるものだったと思う。
今回百人程度の祈願の護摩木が昇華したが
功徳はいかばかりであったか私自身も試されていると感じている。



 右の煙の龍とで阿吽の形
 青田赤道クエッ
 清瀧権現

考察ついでにもうひとつ学んだことについても記載したい。
この柴燈護摩法要で法斧文言に山岳抖擻とか抖擻修行という言葉が出てくるのだが
この抖擻とはどういう意味を持つのか調べてみた。
もともとは衣食住に対する欲望をはらいのけ、身心を清浄にすること。
また、その修行のことらしいが
修験道では日本各地の霊山と呼ばれる山々を踏破することの意味となっているようだ。
不思議な修行だ。
もともと山岳には神霊が宿るものとされてきて
その御神霊の神力を預かることを求めて山に入ると思っていたが
それとは別の山岳抖擻あるいは抖擻修行という
山峰の踏破に何らかの神秘があるらしい。
この抖擻で思い当たったのが千日回峰行の事だ。
釈迦は苦行では涅槃には到達できないと言っていたが
千日回峰行とはどういうものだろうか。
調べてみると
比叡山寺の「千日回峯行」
金峰山寺の「大峯千日回峰行」の二通りある。
「千日回峯行」比叡山寺
7年間にかけての修行で、3年間は1日30kmの行程を100日間、
4年と5年目は1日30kmの行程を200日間、
6年目は1日60kmの行程を100日間、
7年目は1日84kmの行程を100日間と1日30kmの行程を100日間を修行される。
その5年目に9日間の堂入りがあり、1日1回のお供えのお水を汲みに外に出る以外はお堂に篭もる。
その9日間は「四無行」で一切、飲まず、食わず、寝ず、横にならずに決められたお経をとなえる。
もし、「千日回峯行」の途中で修行を辞めたいとなったときは、
短刀で自害するか、紐で首を吊って自害しなくてはならない。
装束も白装束、つまり死に装束で修行することから死を覚悟しての不撤退の修行となる。
始祖は相応和尚 近年では箱崎文應 酒井雄哉 藤波源信 光永圓道 
※達成者は大阿闍梨

「大峯千日回峰行」金峰山寺
山を歩く期間は5月3日から9月22日まで143日であるため 、
千日回峰行が終わるまで約9年かかる。
標高364メートルの金峰山蔵王堂を0時半に発ち、提灯と杖を頼りに24キロの険しい山道を登り、
8時過ぎに標高1719メートルの大峯山頂に至る。
同じ道を下って15時半に帰堂、自ら掃除洗濯、翌日の準備をして19時に就寝23時半には起床。
標高差1355 メートル程度あり仮に健脚者の一度限りの行程としてもハードである。
1984年に柳澤眞悟(やなぎさわしんご)が達成 
「比叡山千日回峯行」に倣い上記の箱崎文應の指導の下に作法を決めて
柳澤眞悟が大峯千日回峰行を初めて実行。
※箱崎文應も実際に大峯山天井返しと呼ばれる難行や、全長90kmの大峯奥駆け五十度などを達成
柳澤眞悟は1948年に長野県茅野市にて生まれる。
25歳で吉野山金峯山寺に入寺。35歳で「大峯千日回峰行」を戦後初めて満行。

次に1千日回峰行達成したのが 慈眼寺住職の塩沼亮潤で1968年生まれで1999年31歳で満行。
2000年に9日間の「四無行」を満行。。
TVで観た酒井雄哉大阿闍梨に触発されて大峯千日回峰行に臨んだとのこと。

YouTubeに酒井雄哉大阿闍梨のドキュメントと
塩沼亮潤大阿闍梨の話の動画がUPされていたので食い入るように観た。
これは大変な行であることが実感できる。
特に食事は一日二食、少量の精進料理であり
合計2000kcaiにも満たない一日の食事であれだけの運動量をこなすとなると
生理体系まで換えなければ無理と思える。
特質すべきは同じ工程の昨日と今日での違いを
強烈に感じるようになるそうである。
一木一草の成長まで感じるようになるそうだ。
体調も何もかも同じように観えて
実は同じでないことを感じるそうである。
抖擻修行により感覚が研ぎ澄まされていくことは間違いなさそうだ。
これは生の充足を感じることに他ならない。

自分は繰り返しそのものが根気が無くて出来ないし
体力もないしそういう気力も備わっていない。
繰り返すと回数も忘れ
すぐにマウスが回転かごを回す状態になる。
それゆえに超この達成者は超人的ですごいと感動した。
到達した者が持つ相当な加持・行力を感じる。
しかしこの二つの行の対比で奇妙なことにも気づいた。
この違和感については残念ながらここには記載できない。


どうも記事の途中で書きたいことを
ついついコメント欄に流出させてしまうので
若干書きづらい点が出てくるのだが
記事を書き上げてUPしようとするといつもの如く
結局繁忙に埋もれてしまうのでご容赦願いたい。

さて涅槃寂静 釈迦の悟りについて
即身成仏との違いを感じている。
それでネットで釈迦のことを検索していたら
なぜか玉名市の蓮華院誕生寺奥の院の柴燈護摩がヒットした。
例年11/03にここでは護摩業が行われているらしい。
この寺には行ったことはないのだが
いろいろとあって正直新興宗教の類だと思っていた。
なぜgoogleでヒットしたのかは
過去の私の柴燈護摩の検索履歴に由来するものだろうとは
思っているのだが誕生寺といっても
釈迦の誕生のことでは無かったので無視していた。
ところが法螺貝で検索していて
再び蓮華院誕生寺奥の院の柴燈護摩がヒットした。
さらにバスに乗ったら蓮華院誕生寺奥の院のチラシが偶然にも
そのバスには吊り下げられていた。
それで法螺貝の音色のこともあったしこの柴燈護摩を見学に行ってきた。


分かったことはこの誕生というのは釈迦の誕生では無く
皇円大菩薩の誕生を現わしているということ。
この皇円上人は扶桑略記の作者であること。
由緒記載によると50年100年の修行での悟りを期待しても無理なので
この皇円上人は龍になって長寿を得て修行を継続しようと思い
静岡県の桜が池に90歳にして龍に化するべく御入定したということ。
そして760年を経た昭和4年に川原是信僧正に御霊告を授けて
川原是信大僧正がこの寺を再興したということ。
この川原是信というのは1896年生れで
熊本荒尾の当時有名なまっぽしさんの一人である。
奥の院は昭和53年に建立されている。
飛龍の鐘という37.5tonもある世界一の大梵鐘が有名だ。
皇円上人は比叡山の僧であるが
蓮華院は西大寺系の真言律宗の寺となっている。
蓮華院の創建は1275年となっているが
1274年に起こった蒙古襲来で天皇の命を受けて真言律宗の開祖の叡尊上人が
大阪四天王寺で百座仁王会を修したり
京都の石清水八幡宮で尊勝陀羅尼を読誦して
敵国退散の祈祷を行いその祈祷が功を奏したのを記念して
九州熊本の玉名に創建されている。
この叡尊上人は霊力が強かったと思われるが
1217年に醍醐寺の阿闍梨叡賢に師事して出家している。
真言宗を学んでいたが西大寺の僧になるのは35歳の時だ。
以前の記事で蒙古軍が博多の沖に来襲して来た元寇の役の時には
空海手彫りの波切不動明王を博多志賀の島に安置して
敵国退散の祈祷を行っていると記載しているが
これにはこの叡尊上人がどうも関わっているように思える。
この波切不動は神護寺⇒醍醐寺⇒熱田神宮⇒山王院⇒高野山南院に移動しているが
山王院に移したのは後三条天皇と言われている。
それを高野山南院に移したのは維範大徳。

どうも醍醐寺の龍神の縁で呼ばれたようだ。
近いうちに醍醐寺に行く必要を感じている。




コメント (12)
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