吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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入鹿・将門の首塚 No211

2011-01-25 22:54:17 | 日記
前回「大宰府 観世音寺」で玄の首塚について
大宰府にある胴体の塚とは別に遠く奈良にあるということを記載したが、
古い首塚としては飛鳥寺にある蘇我入鹿の首塚が知られている。
談山神社の多武峯縁起絵巻に飛鳥板蓋宮で首を刎ねられる蘇我入鹿の図がある。
刎ねられた入鹿の首は、飛鳥寺まで飛んでいったという伝承となっている。
しかし入鹿の首塚は高見山山頂にも存在する。
検索すると高見山の三重県側の麓(松阪市飯高町舟戸)にも入鹿の首塚があるそうだ。
そこには能化庵という入鹿の妻と娘が尼となって首塚を護ったという寺院跡がある。
首塚といわれる五輪の塔は和歌山街道の難所の高見峠に
鎌倉時代に入鹿の祟りを恐れ旅の安全を願って建立されたものと思われる。
全ては伝承であり真実は闇だが首塚は祟る想いが強いが故に現世まで残っている。
関東では平将門の首塚が有名だ。
将門の昭和の復権はNHK大河ドラマ『風と雲と虹と』に負うところが多いが
古代の朝敵は1309年に神田明神に合祀されている。
ところが1874年に教部省の指示により神田明神の祭神から外され将門神社に遷座となる。
そして1984年になって平将門神は再度、神田明神に合祀されている。
神田明神は少彦名神大國主命を祀る古社であるが
1309年に合祀したのは疫病等の災いが続くので将門公の祟りを鎮めるために
時宗の真教上人が追悼し神田明神に合祀している。
筆者のブログで何度も記載しているが少彦名神大國主命には
疫病の祟りを鎮めて国を安泰に導く力があると信じられている。
将門の首は京都の神田明神(京都市下京区四条通新町西入下ル・新釜座町)にも祀られているが、
関東からこの地まで首実検のために運ばれてきたためだ。
この地で最初祟ったということで空也上人が供養したとの伝承を持つ。
将門の首塚は他にもあり掛川市には十九首塚が今もある。
この将門伝説と祟りの話は現代にも続いている。
その中でも神田明神の氏子は成田山に参詣しないというものがある。
成田山が平将門の乱平定のため939年に朱雀天皇が寛朝大僧正に命じて
調伏祈願させたことに由来するからだ。
関東の人間にとって平将門は自分たちを救う英雄だったのだろう。
また成田山の地は将門の本拠地である。
そういうわけで成田山新勝寺は衰退してしまう。
江戸時代になってからは復興のために
成田山の空海作といわれる本尊不動明王像の
「出開帳」を江戸で複数回行っている。
それにからみ歌舞伎の初代市川團十郎が成田山に参詣し跡継ぎの誕生を祈願して
後の二代目を授かっている。
二代目は、「不動の申し子」ともいわれ十歳の初舞台で不動明王を演じている。
こういう訳で「成田屋」の屋号を用いるようになり
江戸での「出開帳」の際に『成田分身不動』を公演するなどして成田山を宣伝している。
現在の成田山の人気はこの成田屋に負うところが大きい。

さて平将門の祟りであるが、祟りというよりもその想いが江戸の発展に結びついたのかもしれない。
ただ神田明神と成田山は特殊な関係に今もあるようだ。

ところで今週TVでレッドクリフⅡを観たのだが
赤壁の戦いの勝敗を分けたのは風の向きが変わって
曹操の船団に対して向かい風となったためだ。
それで火攻めの効果が出て次々と炎上し奇跡的に勝利する。
今の中国では宗教的な奇跡は問題あるので
観天望気で風向きが変わることを予想したという説を取っている。
しかし『三国志演義』によると10月に東南の風を吹かせるために
諸葛亮は祭壇を作り祈祷することで風を吹かせている。
元寇の際も加持祈祷で神風が吹き難を逃れたという話がある。
平将門の最後は寛朝僧正の加持祈祷により
突風がおこり将門の馬が棹立ちになり無防備になった瞬間に
矢が目に命中し絶命したという。
風が勝敗を左右しているが神霊的には龍神の力によるものと思われる。

成田山のすぐそばに麻賀多神社がある。
この神社には蘇我氏忌部氏が祭祀してきた八大龍王神が裏で祀られている。
『麻賀多神社が蘇我系なら継ぐ神霊は八大龍王 No011』
空海が乗る遣唐船を救った龍神は真言宗では波切不動明王とされているが
これは不動明王とのプロトコルを使って八大龍王神の力を借りている。
寛朝僧正の不動明王の加持祈祷もこの千葉の八大龍王神が動いて決着をつけている。
密教の調伏加持祈祷で八大龍王神が動いたのだが、
ところがこれが大きな因縁となって現在まで残ってしまった。
非は朝廷側にもあったのかもしれない。
神田明神の少彦名神の封印と首塚から鬼門方位の成田山の不動明王の封印をも
破るものが将門信仰にはあるようだ。

2009年に千葉の成田山に出向いたのだが八大龍王神は
妙見宮に清瀧権現として1732年より祭祀されていた。
将門が神田明神に合祀された1309年にはこの八大龍王神は
日蓮ゆかりの千葉県市川市の法華経寺で祭祀されていたようである。
日蓮はやはり平将門を国の敵とも考えていたようで
「一乗妙法蓮華経は諸仏正覚の極理・諸天善神の威食なり
之を信受するに於ては何ぞ七難来り三災興らんや、
剰え此の事を申す日蓮をば流罪せらる争でか日月星宿罰を加えざらんや、
聖徳太子は守屋の悪を倒して仏法を興し秀郷は将門を挫いて名を後代に留む」
と言っている。

平将門は妙見信仰を持ち関東に広めている。
これゆえに平将門一門の霊威は強力で鎮魂は完成していないようである。
『日月神示の岡本天明氏の自動書記開始の麻賀多神社 No006』
で八大龍王神の八と封印の七について論じているが
この七が平将門の施した七の封印に基づくものであると気づいた。
この七の封印は徳川の天海僧正も気づいたようである。
天海僧正は江戸に独自の北斗七星封印を作り上げている。

話が前後するが歌舞伎の市川家は成田山を正月の初詣では
日本二位の人出とするぐらいに有名にしたが
その分不動明王の加護を受け続けないと祟られる存在となってしまった。
海老蔵の目力というものは成田山の不動明王由来であろう。
逆にいうと市川家は怨念封印に一役買っているということになる。
絶えることなく繁栄して頂きたいものである。

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頭塔・首塚 (さくら)
2021-12-24 14:29:22
三輪の巳杉の智慧から、この首塚、頭塔、熊山遺跡を調べなさいと降りてきてます。
三輪山で滑り、回転し頭から崖に突っ込んだことも関係あるのかも。
巳杉の智慧は開示して良い。
一人で抱え込まずに、開示した方が良い。
私の写真に、青龍窟豊玉姫(牛岩)と日光が十字で、上部にあお翠の如意宝珠が写りました。

東大寺の在る方角にある、頭塔。
それと、頭塔によく似たピラミッドの岡山の熊山遺跡。
背景を読むと、醍醐山の清瀧権現と吉備の神秘にもつながるとのことです。吉備・岡山と気比・福井のことだと感じます。福井の若狭咩・豊玉姫。光る金の鈴と瑞のしずく神。児島から飛来する光る幣。

岡山の熊山遺跡は天辺に宝珠を乗せています。
最上部は宝珠形で、四方に火炎型の突帯を付けている。
ネットのツイート
岡山熊山遺跡から出土したソグド陶製火炎宝珠は春日信仰御神体鹿の火炎宝珠と一致。鹿飾りはサマルカンド・ソグド王馬飾りと一致。火炎宝珠は河北省響堂山石窟第七窟東突厥帝国ソグド仏教火炎宝珠とも一致。岡山熊山遺跡は東突厥帝国鉄生産基地。

筒状の管3つ、四方に火焔の装飾が付く宝珠のような形

本遺跡は「熊山戒壇」と称されていたが、近年の趨勢は、戒壇ではなく、和泉大野寺土塔・大和頭塔と同じく仏塔であろうという見方に統一された感がある。

この遺跡は先年盗掘に遭い、中央地下1尺7寸5分のところに大基石があり、その下から瓦製宝珠円筒形容器が発見され、瓦容器中三彩小壺の存したことが報じられた。三彩小壺は今は失われ、その内容は明らかでないが、それが舎利ででもあったら、この遺跡が仏塔であったことが証せられたであろう。

熊山には、奈良期に行場が開かれ、石積の仏塔が建立される。これは和気清麻呂が協力援助したことが推定される
返信する
新春のニュース (さくら)
2022-01-04 08:09:26
滋賀石山寺にて、御餅とミカンで作る仏塔の事が紹介されました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee25dbb7a2e175d4bd29314836ce391ce0ac381c
※同寺では毎年、境内のお堂や石仏の前など100カ所以上に鏡餅を飾る。本尊の如意輪(にょいりん)観音に供える鏡餅は、釈迦(しゃか)の遺骨である舎利を納める塔を模しており、同寺に古くから伝わる独特の飾り方だという。
高さ約45センチの大きな鏡餅がお目見えした。寺では、古くから伝わる独特な方法で餅を飾っている。1月3日まで見ることができる。
12月30日飾り付け
餅4個、みかん4個を円形に並べて、5段積み上げる。さらに餅を5個重ねて串柿と昆布、橙(だいだい)を置く。午前8時20分ごろから、約10分かけて慎重に供えられた。

※ココ滋賀石山寺は、私には息長丹生真人と八大龍王神とのご縁が有りましたところで、如意輪観音の為に特殊な鏡餅をお供えすることが気になります。
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