吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

刀のお守りで有名な八代の龍王神社 No168

2010-09-29 22:11:52 | 日記
前回龍王神社についての記事を記載したのが2010-04-03で
参拝したのが03-29だからほぼ半年ぶりに参拝してきたことになる。

今回は祈願が成就したので神恩感謝の参拝をしてきた。
前回も今回も同じ月曜日に行ったのだが
前回は八代に行った際に龍神の導きで急遽参拝することにしたので
時間があまり無かったのだが、配慮があり
9時半に番号札を取ってから用事を済ませたりして
刀の守護守りを宮司から戴くことが出来たのは13:15だった。
(こんなに少ないの久しぶりと宮司が言っていた!)
今回は神恩感謝祈願ということで待ち時間を覚悟していたが
9時に番号札を取ってから結局7時間以上待った。
その間に妙見宮や少彦名神社等に参拝して来ることが出来たが。
初めて友人と興味本位で参拝した15年くらい前は、
それほど待つこともなくお札を戴けたが
現在は信仰者が多くて待ち時間も半端ではないとのことだった。
土曜日などは10時間近く待つこともあるらしい。
筆者は行列に並ぶことが嫌いなので実に忍耐が試された。
だいたい一人あたり15分から20分ぐらいの換算になりそうだ。
長い待ち時間の間に隣の人からいろんな情報を仕込むことが出来る。
初めて行くとまず基本は刀のお守りを頒布していただくことになる。
この刀守りの冥加金は弐千円となっている。
何も買わなくてもかまわないのだろうが、そんな人はいない様だ。
前後に坐るおばさん共にお守りの刀がこんなに曲がったと云って見せて頂いた。
それは一つはくの字になっていてもう一つはCの字になっていた。
15年前に形状記憶合金ではないかと思ってお湯につけて見た事を思い出した。
手ぬぐいが効果高いから買った方がいいとそのおばさんからアドバイスを受けた。
せっかくこれだけ待つのだからということで出費が増える人が多い。
宮司はなかなかに気さくでおしゃべり好きである。
しかし手抜きは無いようで一つ一つにきちんと龍神の氣を入れている。
さすがプロだけあって単にお守りに氣を入れるだけでなく
その人の願いが叶ったところをイメージとして刷り込みも行なっているようだ。
そこが祈願において筆者に欠けている能力だと痛感した。
これを続ける宮司のモチベーション維持能力には頭が下がる。
見ていると痛いところに「手当て」をしてもらう人が多い。
驚いたことにこの宮司さんには昼休みが無い。
昼には飲み物と金柑のようなものを奥様が持って来られた。
宮司の話によると宝くじが当たったとかetcで相当にお布施も多い様で
伽藍はどんどんすごいことになって来ている。
現在本殿は修復中で写真は撮らなかったが拝殿の上の龍瓦の写真を添付している。
この龍瓦は熊本城しゃちほこで有名になった製作所と同じように見受けられる。




※ 現在は受付について変更がありますので以下の写真をご確認ください。
『修正 刀のお守りで有名な八代の龍王神社 No348』

※ 場所についての地図を知りたい方は以下の更新されたブログをご確認ください。
『刀のお守りで有名な八代の龍王神社の白龍 No377』

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八代の八大龍王神を祀る浅井神社 No167

2010-09-29 21:43:32 | 日記
妙見信仰発祥の地とも云われる浅井神社は
八王社とも呼ばれ八大龍王神を祀る古社であるが
大クスが存在しておりすばらしい氣を発している。
場所が少し分かりにくいが代陽小学校の校庭の南隅になる。
個人の駐車場の隙間から学校を通らずに入ることが出来る。
是非、縁がある方には参拝していただきたい。
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武内宿禰や蘇我氏に繋がる須賀社 続編 No166

2010-09-25 01:36:56 | 日記
いくつか蘇我氏に繋がる須賀社をこのブログでも記載しているが
式内社 但馬國二方郡 式内社須賀神社は
もともとが菅神という謎の神霊を祭祀しているが
後述するようにこれは蘇我氏に繋がる神社だと思える。
玄松子の記帳 式内社 但馬國二方郡 須賀神社
この方のコメントで
「須賀社でダントツに多いのは、福岡県に130社だが、
高知県29社、千葉県24社、茨城県23社、
山口県21社、静岡県20社、東京都19社と続くことから
兵庫県と福岡県の多さが目立つ。
出雲そのものより、東と西へ少し離れた場所に点在するのは面白い。」
そう書かれているが、
理由は須賀社が武内宿禰がらみの神社だからだと筆者は判断している。
ちなみにこの式内社須賀神社から直線で10km程度のところに
武内宿禰を祭る宇倍神社がある。
またこの須賀神社で菅神としての候補される道中貴命という人物であるが
八代大明神とも呼ばれておりこの八代は
同じく祭神が道中貴命の但馬國朝來郡の足鹿神社が参考になるが
八代という言葉はその地方の地名と川の名前にもなっている。
これは熊本の八代でも考察しているが武内宿禰と羽田八代と八大龍王神に通じる。
ちなみに菅=スガ(菅・須我)は菅=スゲという植物同じと辞書に出ているが
足鹿=アシカは奈良時代には「みち」と呼ばれていたそうである。
それで道中貴命は足鹿神社と繫がることになる
語源は「葦鹿」で「葦(アシ)の生えているところにいるシカ」の意味であるという。
つまりアシもスゲでありアシカも須我に通じる言葉ということになる。

須賀社⇒菅神⇒八代大明神⇒道中貴命⇒足鹿神社
菅と八代から蘇我氏系の神社であると推察される。


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龍神と霊能力 No165

2010-09-23 22:04:42 | 日記
岡本天明氏の日月神示についての
八大龍王神の関与については前回考察したが
霊能者の龍神の関与については他にも実例がある。
数年前山形の鶴岡でレンタカーを借りて
湯殿山に賽神の調査に出向いたことがあった。
運転していると途中でナビがなぜかリルートしたので
道をUターンするために脇道に迷い込んだところが南岳寺だった。
ここには長南年恵という霊能者が祀られている。
彼女は神水による病気治しを得意としたので淡島大明神として祀られているようだ。
この時は少彦名神がらみの神社を調査している最中だったので
それで呼ばれたのかとも思ったが
どうも龍神が関与する霊能力を持つ女性だったようだ。
大本教の重鎮である浅野和三郎が彼女の能力について著作しているらしい。

女性霊能者では地元熊本にも
「千里眼」と呼ばれた御船千鶴子がいる。
彼女は信仰心が霊能を導いた訳では無かったようで
信仰の道に入らずに自殺してしまう。
だいぶ昔の話になるが宇城市の霊的背景を調べていて強い感応があった。
この宇城市の地域は霊的に特殊な作用があるようだ。
太古に龍神信仰があったのではないかと思う。

宇城市松橋に神栄寺という真言宗系の寺がある。
海鳥社 から1994/06に
「まっぽしさんの悩みに打ち克て」という本が出ているが
著者はこの神栄寺の松永照治住職である。
もと黒髪からこの地に転居したらしいがやはり龍神の神力を受けているように感じる。
八大龍王神も祭祀されているように見受けられる。

熊本市の龍神橋のそばに日本神社というめったに無い名前の神社がある。
ここを創建したのがまっぽしさんで有名だった井沢モト女史である。
http://heitate.blog37.fc2.com/blog-entry-659.html
http://heitate.blog37.fc2.com/blog-entry-662.html
幣立宮先代宮司の春木氏によれば
動物霊である狐が憑いていたとの考察であるが
筆者にはそうとばかりいえないものが感じられた。
もともと憑依体質であり狐が離れた後に
幣立宮で八大龍王神が憑いたのかもしれない。

八大龍王が祭祀される菊池龍門ダムには八方ヶ岳の水が流れ込むが、
龍門ダムと反対側に流れた水も菊池川に注ぎ込む。
この龍門ダムの八方ヶ岳の向こう側にあたる
鹿本郡内田村(現山鹿市菊鹿町)に
古田シズヨという女性が生まれている。
この古田さんは昭和24年3月に八方ヶ岳で霊的体験をする。
その後昭和48年に自分は竜宮乙姫の神霊を宿していると自覚して
龍宮乙姫と名乗り宗教団体を設立する。
その霊的背景にも八大龍王神が関与しているようだ。

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龍神信仰 7 建仁寺の双龍 No164

2010-09-23 01:49:04 | 日記
龍神に興味を持ち出してからいくつか不思議な写真が撮れているが
京都で風神雷神の図で有名な建仁寺の双龍を見学した時に
友人が撮った写真に青い霊玉が写り込んだ。
これが何なのか分からないが強い氣を感じる。
あと少し位置がずれてちょうど龍が持つ宝珠と重なったなら
青い霊玉だと納得できたのだが。
だからといって偶然ライトが写り込んだとは思えない。
印刷してみるとやはり青い宝珠を意味するように思える。
作者の小泉淳作氏は現実主義の方で龍の開眼の霊力を持つとは思えない。
小泉淳作氏龍を描く
知人の見解では十勝でのこの絵の作成にヒントがあるという。
十勝は日本を龍体として目の位置になるそうだ。
その十勝のエネルギーが写ったのだろうか?

途中 一時休憩....
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龍神信仰 6 No163

2010-09-21 22:31:34 | 日記
道君首名公が造った熊本の味生池に悪龍が住み着き
この龍を真言宗の弘法大師空海が亡ぼしたという伝承がある。
この際に頭は今の龍角寺石碑のあたりに落ち
胴は今のヤマダ電機からヒライ工場あたりの
七色蛇畑に落ちたということだ。
七色蛇畑では七種類の穀物を育てる限りは
いつも豊作になると言われている。
また20140426に吉田比呂子さまからの情報で
以前「池の上小学校」の授業で地元の伝説を調べた事があり、
当時地元のどちらかの神社で
「谷尾崎は龍の尾が落ちたからこういう地名になった」と
説明がなされていたそうである。
これで頭 胴 尻尾の落下位置が分かった。
独鈷山は天台宗系の寺があったということだが
戦前には独鈷山山頂にはこの龍の霊を鎮める為に
観音像が祀られていたそうである。

それとは別の伝承では天台宗の真澄が味生池の悪龍を改心させたという。
そしてそれ以来その龍は独鈷山の八王子神社より下には降りないで
衆生を救うと約束したそうである。
いわゆる悪龍伝承であるが、龍の話はともかく
この地で真言宗と天台宗のしのぎ合いがあったことは間違いない。

また近くには綿津見神社で八大龍王神を祭る神社もある。
八大龍王神は水霊である水龍であり
綿津見神は海神であるとすると龍蛇神という違いが気になるが
実際にいくつもの神社で混同されていて区別は意味をなさなくなっている。

※参照資料として
慈眼寺 (上勝町)のウイキペディア情報より
寺伝によれば平安時代初期の延暦年間(782年 - 805年)四国を巡錫中の空海(弘法大師)が、
邪気の漂う不思議な鍾乳洞を発見した。
洞窟の入口で数日間、加持祈祷を行ったところ悪龍が洞窟より出て空海を襲った。
空海は法力で悪龍を洞窟の壁に封じ込めた。
また、十一面観音を刻んで洞窟の前に堂宇を建立し安置した。
これが慈眼寺の開創と伝えられている。

第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺
寺伝によれば、大宝年間(701-704)役小角が小岳修行のため庵を結んだのが始まりで、
のち、弘仁六年(八一五)、弘法大師がこの山に
悪龍(大蛇)が棲んでいて、
人や農作物に火を吐いて苦しめているのを知った。
大師が開山のために登って来られると、悪龍(大蛇)はこれを阻もうと満山を火の海としたが、
大師が摩慮の印(水輪の意)を結び、真言を通して登り賜うと火は衰えていき
悪龍の激しい抵抗にも
虚空蔵菩薩(四尺五寸)と三面大黒天の加護によって
最後には悪龍を岩窟に封じこめてしまわれたといわれている。
ここの岩頭に空海自ら三面大黒天を刻み安置して
被害を受けていた民家の大衆安楽、五穀豊穣を祈ったという。


※この独鈷山の悪龍伝承の続編は
『肥後の志水甚吾の雨龍鎮護と独鈷山 No303』にて公開している。
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龍神信仰 5 リメイク記事 No162

2010-09-21 22:20:03 | 日記
龍神の中でも筆者は最近八大龍王神への興味と感応が強くなっている。
幣立宮・八代浅井神社(八王社)・龍門ダムの神龍八大龍王神社
・西原の揺ヶ池の八大龍王社・高千穂の八大龍王水神社 
などによく参拝している。
ただ龍神の偉大なる力を直接頼みにしたいということは分かるが
信仰の基本が確立しない内に龍神信仰に陥ることは、
老婆心ながらも注意させていただきたい。
幣立宮の場合は妙見神の眷属として八大龍王神は祭祀されているし
竜門は十一面観音と愛染明王の眷属として祭祀されている。
役の行者が秩父今宮神社に八大龍王神を祭祀しているが
伊邪那岐大神・伊邪那美大神の眷属としての祭祀のようだ。
天河の龍泉寺の八大龍王神も役の行者が祭祀しているが、
こちらは大峯山(金峯山)の蔵王権現の眷属としての祭祀のようだ。
龍神は地球を修理固成した偉大なる力を持つ現世界の王といわれるが
神霊界の王という訳ではない。
喩えて言えば伊邪那岐大神・伊邪那美大神が日本を造りし時に使われた
天の沼矛が龍神の始まりである。
筆者の場合は信仰する白山大神に対して祈る際に
大いなる白山大神の神力をもって
封印された八大龍王神の力を解き放ち
地球の再生健全化に役立つべく
これからの困難を乗り越える力と為さしめたまえと祈っているが、
今八大龍王神の力を縦横無尽に使いこなすことが出来る大神霊こそが
白山大神と信じている。
白山神の妙理権現の本地は十一面観音なので神龍八大龍王神社では
まず十一面観音に参拝している。
龍神祝詞というものがあるが、龍王を称えて最後に
六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給へと恐み恐み白すで括る。
この大願は「白山大神の眷属として龍神に地球の再生に縦横無尽の力を
発揮してほしい」という願いであってほしい。
9割をそういう願いで祈り最後に自らのお願いもあればすれば良い。
祈りは具体的に例えば宝くじに当たりたいなら
「宝くじに当たってその資金を元手に雑貨屋を夫婦で始めたいと思います。」
など少しでも具体的にお願いして欲しい。
病気平癒祈願も「癌が治りますようにではなく。」癌が治ることにより
何をしたいかを祈願して欲しい。
龍神に対してはなるべく具体的祈願が聞き入れやすいと思う。

過去の記事で以下記事も併せて読んでいただけると幸いである。
「悪竜伝説」
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/de989dec37cf835e0be41a1116a3abec

「神龍八大龍王神社の功徳」
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/42a7361ae5d797d0b01cea9bae636658

※この八大龍王神と同根とされる神霊は縄文神と繋がりがある。
特に西原や高千穂ではその氣が強い。
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龍神信仰 4 No161

2010-09-20 22:57:16 | 日記
龍神信仰は、太古から13世紀末まで国家守護に大きな役割を果たしたのだが
本格的な武士の時代になると封印されたために表に出なくなる。
武士の信仰は鎌倉時代は不動明王が多かったようだが
他に妙見神 摩利支天 毘沙門天 地蔵 八幡神 諏訪神 厳島神
武甕槌神 荒神 三面大黒天 愛宕権現 飯縄権現 神変大菩薩などがあげられる。
刀や鍔には竜神が彫られているもののそれは意匠であり
直接的信仰ではなかったようだ。
この時代に現れる竜伝説は怒り狂う祟り竜ばかりだ。
守るべき種族がほろぼされても尚守ろうとしあるいは祟る竜神が存在したのだ。
再び高級神霊界の龍が日本国家再建の役割を担うのは
明治になってからということになる。
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龍神信仰 3 No160

2010-09-20 13:35:57 | 日記
ある日アウトドア遊びの先輩である陶芸家から数年ぶりに電話があった。
デパートで個展販売をするけど、
以前言っていた龍の物語が出来上がったので
製作した龍を買いに来いという連絡だった。
その龍は桃龍といって天界に育つ幸せの桃の実を
心ある人々に配る役割を持つ龍だそうだ。
その子供が初めてのお使いを言いつかって喜んでいるシーンだそうだ。
でもこの桃を下界に降りた際に居眠りして失くしてしまうというようなストーリーの
子龍まで出来上がっていた。
成り行き上、祈りのシーンの母龍と
桃の実を抱き喜ぶ子龍の2体を購入することになった。
ちょうど八大龍王神と蘇我氏の関係を調べている最中だったので
縁があるのだろうと思って家に飾ったけど
これが自宅での龍神祭祀の切っ掛けとなった。

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龍神信仰 2 No159

2010-09-19 23:48:25 | 日記
考えてみると自分の龍神との縁は38年近くになるが
おかげで九死に一生を得るようなことが何度となくあった。
特に若い頃はそれ故にさらに無謀になり
バイクでの事故 車での事故多数で
よく死ななかったということばかりだった。
学生時代は神風と呼ばれていたが今考えると鳥肌立つ。
ところが龍神を意識したことは一度も無かった。
それがなぜ龍神信仰を持つようになったかというと
少彦名神を探求していて福岡の志賀島の志賀海神社に参拝してからだ。
ここは綿津見神=海神を祭祀する安曇氏の本拠地なのだが
「龍の都」とも呼ばれている。
それ故か元寇の際に真言密教僧侶が元軍降伏を志賀海神社隣の
火焔塚で祈祷しているのだが
その際に龍神を守護神として封じていたのだ。
この龍神は空海が最初に建てた寺と呼ばれる
宗像の鎮国寺に祭祀されていた龍神と同体であると後日分かった。
鎮国寺に祀られている龍神は由緒通りであれば
弘法大師空海の遣唐使船の難破を救った
波切不動尊の変化した龍体ということになるが、
実際は古来から志賀海神社で祀られてきた龍神であった。
空海は後日このことに気づいたのか
この龍神を八大龍王神として手厚く祭祀している。
また民間にも神泉苑での降雨祈願での善如竜王として伝承が残っている。
平安京の正門にあたる羅城門の東西に東寺と西寺が創建されて
東寺は嵯峨天皇により空海に弘仁14年(823年)に下賜され、
西寺は守敏僧都に下賜された。
ところが京で旱魃が続いた際に神泉苑で空海と守敏の法力比べが催され
空海がインドより勧請した善如竜王の神力により守敏に勝ったという。
この善如竜王は善女竜王となり清滝権現となり八大龍王神と繋がっていくが
この龍神は志賀海神社で祀られてきた龍神で
日本の危機を二度以上救っている。
歴史上はっきりしている史実としての一度目は元寇での神風である。
二度目はバルチック艦隊との日本海海戦である。
まさに「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ」であったが
秋山真之参謀はまさに龍神の神力を目の当たりにしたはずである。
戦艦三笠は三笠山から付けられた名前であるが
この三笠山は蘇我氏の祭祀であるし戦艦三笠は現在も横須賀市に記念艦として残っている。
そして何度も言っているが須賀は蘇我を表している。
そしてこの蘇我氏はこの龍王神の力を以って日本国を建国している。
こういう由緒を持つ龍神との感応が八代と志賀海神社であったので
興味を示したのが最初だ。

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龍神信仰 1 No158

2010-09-19 13:55:20 | 日記
眷属神という存在は神霊界の中でも
現世に近いところに位置するが、
狐 管狐 蛇 竜蛇 龍などが存在する。
これらは現実界の動物からの派生ではない。
従って猫の派生の化け猫とは違うようだ。
この中でも龍となると
日本の国土そのものが龍体であるし、
地球創生に関わるような霊体から
身近な守護霊体までいろんな派生がある。
全貌は分からないのだが
身近な龍の守護霊体については
高級神霊界からの派生の場合もある。
八大龍王とは、天部八部衆である龍衆龍族の王族が
守護霊体である龍をまとった姿である。
龍と敵対する種族として天部迦楼羅族がいるが
こちらは守護霊体である金翅鳥をまとっている。
これらは神霊界と現実世界の狭間に位置する。
しかしながらこの龍の本体は水から発生する生命の根源であり
DNA・RNAのラセンの秘密も龍の秘密に通じている。
そういう訳で龍神信仰といってもピンからキリまである。
明治に興った教派神道は龍神界関与の宗教と言われているが
古神道も含めて龍神界関与の宗教であると言っていいと思う。
縄文時代の信仰もやはり龍神界関与が強いようである。
そういう訳で現世に強い影響力を持つのが龍神なのであるが
大半の人間が煩悩を持ち色欲や性欲や食欲に始まり
金銭や権力にまで心動かされる以上は、
龍神界との接触が魂の成長にとって
好ましいものなのかどうかということについては一考の余地がある。
かといって純粋な宗教による救いには奇跡も不要なはずであるが
目の前の苦痛をそのまま受け入れることが出来るほど一般大衆は強くない。
曹洞宗の開祖である道元禅師は世俗と奇跡を切り捨て
遣明使留学僧でありながら帰国時に無持で
「只管打坐」というの教えだけを持って帰っている。
まさに鬼神龍神を避く強い信仰心である。
只管打坐 断じて行えば鬼神も之を避く
あっぱれな信仰ではあるが、文明には逆行する。
難しいところだと思う。
写真を添付したが
龍神が自分の守護に付くと権力や金銭をもたらし現世利益の効果は強いが、
それに溺れるといつのまにか、セミ茸の如く
自分の御魂を明け渡してしまうことにもなりかねない。

続く


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蘇我氏に繋がる大阪太子町の妙見寺 No157

2010-09-18 23:42:47 | 日記
大阪府南河内郡太子町に妙見寺がある。
言い伝えなどによれば598年(推古天皇6年)に
蘇我馬子が開基したということだ。
熊本八代の妙見信仰と三光の紋と武内宿禰とその子供の
蘇我石川宿禰・羽田八代宿禰の関係について
過去より筆者ホームページやこのブログで考察しているが
この熊本の八代以降の蘇我氏と妙見信仰の足跡を追いかけて
次に繋がるのが太子町の妙見寺ということになる。
蘇我氏と妙見信仰を結びつける数少ない足取りとなる。
ところが蘇我氏と三光の紋の関係はなかなか足取りが掴めない。
神功皇后の紋だとする話もあるが、
各地の三光の紋についての時代考証が出来ていない。
なんとか武内宿禰と蘇我氏の関係を明確にすると同時に
蘇我氏の来歴と蘇我氏が行っていた龍王を使った祭祀構造を
明らかにしたいのだが、なかなかこの封印は剥がれない。

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霊能人は歯が命 No156

2010-09-17 08:43:11 | 日記
霊能と歯にどう相関があるのかというと
歯を食いしばれないとパワーとしての霊能力が
十分に発揮できないことによる。
筆者は不摂生ゆえに満身創痍なのだが
先日下顎第二大臼歯を抜歯した。
歯の役割は物を食べるためだけではなく
歯を食いしばるという動作が
精神作用上で重要な役割を果たすということを痛感している。
食いしばる作用というのは
自らを外部から防御しながら自らのパワーを振絞る力をもたらす。
奥歯が無くなってしまうと途端にヘナヘナになってしまった。
インプラントにしようかとも思っているのだけど
骨が安定するまで待った後に35万円も掛かるといわれてしまった。
あーあ 選択の余地は安い入れ歯かな。
まあここしばらくは、あるいはこれからは
悟りにおける拈華微笑のごとく涼しげに生きることを
目指すことも指針だと思ってヘナヘナと生きてみたいなどと考えている。

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マスコミの責任とは No155

2010-09-09 23:49:10 | 日記
事実に忠実な報道であるべしというが
ある意図を持っているとしか思えない報道が多くて気になる。
本日以下の報道について首を傾げた。

尖閣諸島・久場島沖で海上保安庁巡視船と衝突した中国漁船の
船長の85歳の祖母が死亡した。
孫の逮捕を知り、悲憤のうちに8日午後、他界したと伝えている。
国外務省は衝突事件について、
「国民の強烈な反応を引き起こしている」(報道官)と強調。
容疑者祖母の死が同情を集め、日本への批判が高まる可能性もある。

以上のような記事をマスコミが報道していた。
一見客観的報道のようだがこういうのを事実に忠実なふりをしながらの
偏向報道というのだと思う。
まず悲憤とは暗に悲憤慷慨の四字熟語を意味しているが
「社会の不正などを憤って、悲しみ嘆くこと」という意味で
まるで公権力を振り回した日本国が悪いように聞こえる。
また記事によっては接触とかの表記もみられるが
中国側漁船がぶつかってきたというのが事実であり
日本のマスコミは正確に報道するなら
中国側が事実の報道を怠ったために
中国人民に誤解が広がり日本への非難となっていると伝えるべきであろう。
本当はどういう偏向報道が中国で為されたのかが記事にすべき内容だ。
ところがそういうことは伝えない。
この偏向報道を読んだ日本人は国家権力が弱いものいじめしていると
感じるのではないだろうか。
海上保安庁はそこまでする必要があるのだろうかと感じさせることに
この偏向報道の意図があるように感じてしまう。

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大王はダイオウなのかオオキミなのか No154

2010-09-06 22:41:59 | 日記
以前になんらかの情報で大王を考古学界では
ダイオウと呼ぶことで統一しているということが
頭に残っていたのだけど、
ダイオウと言っていたら友人からオオキミと指摘があったので
どこからの情報だったか気になっていた。
それがどこの情報だったか県立図書館で調べ物をしていて偶然分かった。
2004年に発行された「NHKスペシャル大王陵発掘 
巨大はにわと継体天皇の謎」という本にこう書かれている。
番組がオンエアされた時に一番視聴者からの指摘が多かったのが
大王は「ダイオウ」ではなくて「オオキミ」ではないかという点だったそうだ。
それに対して確かに七世紀後半の万葉集では万葉仮名で
「大王は神にしませば・・・」と書いて「オオキミ」と読ませているそうだ。
しかし五世紀に作られた鉄剣に刻印されていた
「獲加多支鹵大王」=「ワカタケル大王」の大王が
オオキミと読むのかについての証拠が無いと書かれている。
おそらく訓読みが無い時代に大王と書かれていれば「ダイオウ」であろう。
それで音読みで「ダイオウ」と古代史の学会では読んでいるそうだ。
NHKスペシャルの放送でも「ダイオウ」という読みに従ったとある。
情報源が分かってすっきりした。

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