吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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ムカデが意味するところの警告 No366

2013-11-30 10:53:30 | 神霊界考察
八大龍王神は仏像としては龍を背負う人の姿で現されるが
私がいう八大龍王神は龍体そのものだ。
しかしもともとは龍樹の「ナーガールジュナ」が
龍の守護を受ける聖仙あるいは菩薩であるように
龍の守護を受ける人の姿をした龍族聖仙を指すのであろう。
この日本には密教的儀軌によりその地に長く留まる龍体が複数ある。
それにはもともと国防等の目的があったのだが
時代が変わりその目的が陳腐化してしまったために
その役割を終えた龍体も多い。
私には八大龍王神たる龍族聖仙と龍体とが一体のものであるか
主従の関係にあるのかは理解しかねているのだが
不動明王の場合は変化身として倶梨迦羅龍王となるとされている。

日本においては役小角と八大龍王神の関係においても
空海と八大龍王神との関係においても仏教を核として
純粋な祈願により龍体は従っている。
空海は帰国の時に暴風に会い、
中国将来の不動明王像に祈願して不動明王が
波切不動という龍体となり空海を救ったという伝承があるが
これは間違いなく仏縁あるいは神縁により
龍宮の主たる八大龍王神が救いの手を伸べている。
前回記載した成田山新勝寺での国防祈願のときに
不動明王像に祈願して八大龍王神が顕現していると同じだ。

従って密教的な儀軌によりその地に長く留まる龍体の開放には
不動明王の力を借りるのがいいのかもしれない。
ただ私の場合は不動明王との仏縁が今のところないので
少彦名神との縁によりて水の女神に頼り祈願している。
具体的に云えば少彦名神・豊玉姫神・玉依姫神・善如龍女神に祈願している。
また指導的存在として神宮皇后・武内宿禰公に頼っている。

※以前は白山菊理姫と十一面観音を拠りどころとしていたのだが
現在はある理由により中断中。

ところがもっと古い時代の八岐大蛇の龍体の封印が
最近いくつかの場所で解けてきている事が分かった。
このあたりのことは過去ブログにも記載している。
『素戔嗚尊と八俣大蛇 No320』

八大龍王神と八岐大蛇の龍体にどういう縁があるのか
非常に説明が困難というか自分にも確信が持てないのだが
自分にはこの調査と報告が義務的なものに感じられている。
三輪山・日吉大社・松尾大社・麻賀多神社等での一連の神事での経緯により
約束とされた気もする。

とはいうものの、
この事に関しての警告は継続していて例えば
『自宅の庭に蛇の抜け殻が No317』に記載しているが
自宅でムカデに刺されたのは2008年9月となっている。
『Xの悲劇 No313』で記載した警告は2011年11月となっている。
そして今回再び警告を受けている。
自宅の庭でありえない怪我をしてしまった。
病院に行く必要のある怪我など学生時代以来のことだ。
不注意といえばそれまでなのだが
自分にはそれが警告であることが直感的に理解できた。
ところがその場所では警告の徴(しるし)を見つける事が出来なかった。
でも自分の怪我に治癒後にその徴がでてきた。
  
大ムカデにかまれたような二つの刺し傷のような跡が最初あったが
治癒後にはまるでムカデのような傷跡がどうも数字の7に見える。

ところでこれらの警告は悪意のものではなく
ある意味では善意のものともいえる点に注意が必要だ。
霊的な悪意は一撃必殺で起こり警告などない。
特に数字の7にはタリスマン的な悪意の封印の意味がある。
過去にも何度かこのことについては記載している。
『七の封印について フレンチ・ブルーダイヤモンドの封印 No236』
『七の封印について 空海の東寺 No260』

前回自宅の中でムカデの警告を受けたのも琵琶湖の霊的な歴史を調査中で
しかも協力してもらっている東京の友人宅で就寝中にムカデが出たけど
ガサガサという音で間一髪難を逃れたというメールを受けたばかりの時だった。
その事件以降、毘沙門天の加護の可能性を検証していたのだが
今回の出来事も含めてやはり毘沙門天の警告だという思いが強くなった。
このあたりのことは
『麻の六芒星の復活 No257』に記載しているように
信貴山の千手院の毘沙門天に感応した知人が
2年前にとうとう毘沙門天にかしずく為に得度した経緯等にもよる。



さて今後、縄文時代よりの神霊である八岐大蛇の祭祀を
あるいは封印をどうするのか?ということになるが
難しい問題ではある。
しかし誰かが糺す必要があるのも事実だ。

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初心に戻って六殿宮参拝 No365

2013-11-24 23:43:11 | 神霊界考察
初心に戻って雁回山の六殿宮の少彦名神社に参拝してきた。
この神社は道君首名公と少彦名神を初めて結びつけた神社だ。
詳細は『少彦名神考察HP』の『少彦名神考察に至る背景』を参考にしていただきたい。

 六殿宮の少彦名神社 

この摂社の前にある御神木は
天社宮の御神木とは反対で左回りとなっている。
  

『渦とスパイラル No074』でも述べているが
スパイラルの回転方向によって全く正反対の氣を持つようになる。

この雁回山の六殿宮は熊本霊ライン構成の五山のうち花岡山に強く影響している。
  
上記写真は六殿宮の参道の写真であるが
この参道の直線の先に花岡山山頂の仏舎利塔が見えるが
筆者はこれを偶然の結果ではないと考えている。
六殿宮の裏山からは熊本市内が西の端から東の端まで一望出来る。
熊本城を望む

六殿宮創建時には武蔵国の六孫王大権現を勧請したという伝承がある。
武蔵国の六孫王大権現は源経基のことであり
下総の平将門と常に敵対しており平将門の乱や藤原純友の乱を追討し
最後には源経基は鎮守府将軍になっている。
従って関東から東北にかけての将門信仰とは相反するものがある。

源経基は清和源氏の初代となっている。
源経基の父が清和天皇の第六皇子貞純親王であったことから
「六孫王」と名乗ったとされる。
京都府京都市南区壬生通八条角に嫡子の源満仲が建立したという六孫王神社がある。
神として祀られることになったのは臨終に臨み
「霊魂滅するとも龍神となり西八条の池に住みて
子孫の繁栄を祈るゆえにこの地に葬れ」と
遺言されたからだとされている。
確かに源氏二十一流の中で最も繁栄している。

しかしなぜ源経基は龍神信仰を持ち自ら龍神とならんとしたのかという疑問が沸く。
源経基の生涯を紐解くと二十代のときのしょぼい人格と実績の人物が
神として祀られることがとても不思議に思える。
源経基は21歳の時武蔵介として現地に赴任すると、
早速在地の豪族である足立郡司で判代官の武蔵武芝とひと悶着起こし
経基らは兵を繰り出して武芝の郡家を襲い略奪を行っている。
このときに下総の平将門が私兵を引き連れて武芝を救出している。
経基はあわてて京へ逃げ帰って将門の謀反を朝廷に訴えているのだが
将門の謀反は事実無根と認められて逆に経基の方が拘禁される。
しかし将門は京への忠誠心を無くし次の年には将門は関東を制圧して
新皇と自称し関東に独立勢力圏を打ち立てようとするが
平貞盛、藤原秀郷ら追討軍の攻撃を受けて、
新皇自称後わずか2ヶ月程度で滅ぼされてしまう。
この時に源経基は征東大将軍藤原忠文の副将の一人に任ぜられるが
遅れて出発し何の実績も上げず京に引き上げている。
藤原純友の乱では941年に追捕凶賊使となり、
小野好古とともに藤原純友の乱の平定に向かうが、
ここでも小野好古が平定した後に到着する。
それでも武蔵・信濃・筑前・但馬・伊予の国司を歴任した結果
最後には鎮守府将軍となっている。
将門を討った藤原秀郷は近江三上山の百足退治の伝説の俵藤太としての方が有名であるが
琵琶湖の龍神が美女となって俵藤太に近江三上山の天敵のムカデ退治を願い出て
快諾した俵藤太がムカデと対峙して弓を射るがなかなか倒せずに
最後の1本の矢に唾をつけ八幡神に祈念して射るとムカデの左目を射て
無事退治することができたという話だ。
大津市瀬田2-1-8に龍王宮秀郷社があるが諏訪乙姫龍神と藤原秀郷が祀られている。
この神社の由緒書きによるとムカデとは平将門のことだそうだ。
琵琶湖の龍神は褒美として俵を与えたので俵藤太の名前が付いたそうだし
平将門を倒す秘訣も教えたことになっている。
また三井寺にある弁慶の引き摺り鐘は
もともとは琵琶湖の龍神の褒美のひとつだったといわれている。
http://www.shiga-miidera.or.jp/pickup/2009/pickup02.html
http://www.hunterslog.net/dragonology/ryujatan/kinki/touta_kane/01.html
将門の調伏は寛朝大僧正が朱雀天皇より平将門の乱平定の密勅を受け、
弘法大師が敬刻開眼された不動明王と天国宝剣を奉持し
今の成田山の場所で不動明王の祈願をしたといわれている。
平将門が討たれた背景には風の流れの変化がある。
「将門記」によれば戦いの序盤においては、将門が「風上(順風)」にあり、
敵方である藤原秀郷・平貞盛は「風下(咲下)」にあった。
轟々と吹き荒れる強風は、両軍の「盾」を軽々と吹き飛ばしてしまったため、
両軍ともに「盾を捨てて合戦した」ほどである。
木々の枝は風に鳴り、地鳴りとともに砂埃が舞い上がる。
強烈な追い風(順風)が将門に味方したのである。
官軍は瞬く間にその数を減らし、3,000もいたはずの兵が、
いつの間にやら300にまで激減してしまっていた。
悠々と本陣へ帰還しようとしていた将門の背後から、
そのときとんでもない突風が吹きつけた。
今までの風が急反転。風上は風下に変わり、
そしてその風が一本の矢(神鏑)を乗せてきた。
この矢が将門を射抜き将門は倒れるのである。
まさに神風であるがこの神風をあやつるのは弘法大師の時代から龍神である。
『龍神信仰 2 No159』

きっと源経基はその秘密を知り龍神の力を得ようとしたのだろう。
そしてそれはたぶん成功している。
経基を始祖とする清和源氏の繁栄が如実にそれを物語っている。










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福井の九頭竜湖の女性遺体遺棄事件と熊本の竜門ダムの女性遺体遺棄事件との相関 No364

2013-11-12 23:20:34 | 神霊界考察
とうとう熊本まできたかという気がしている。
何が来たのかと言うと、
表現を変えて西端までの封印が解けたと言いかえたい。

まずこの件のスタートとなる記事は
『素戔嗚尊と八俣大蛇 No320』
『八岐大蛇の封印のほころび No322』を読んで頂きたい。
それからコメント欄に以下のコメントを残している。
「間違いなく越の八岐大蛇は福井九頭竜のことでもあると思います。
九頭竜湖の事件も同じ封印解除の暗示だと思います。
八岐大蛇から抜き取られた天叢雲の神格は
八岐大蛇が完全復活すればそちらに取り戻されることになろうかと思います。
これから滋賀をスタートとしてまだまだ開示現象が
続いていく可能性を感じています。」
つまり熊本でも八岐大蛇の封印が解けると同時に生贄が求められた訳だ。
古事記によると一年に一人の生贄を八岐大蛇に差し出していて
最後の一人となった生贄が奇稲田姫だったのだが須盞嗚尊に八岐大蛇は退治されてしまう。


今後私の神業は急展開しそうな気配がある。
須盞嗚尊の神業の前に
豊玉姫 少彦名神 道主貴 神宮皇后・竹内宿禰の偉業の顕彰と
地球を修理固成された八大龍王神 善女龍王神への
感応を高める必要を感じている。
そうすれば縄文神由来の八岐大蛇の本質の見極めが出来るはずだ。
コメント (14)
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天皇への敬愛と崇敬とは No363

2013-11-03 20:15:16 | 神霊界考察
強制するわけではないが天皇に対しての国民の思いは
敬愛と崇敬であるべきであると思っている。
敬愛とは尊敬し、親しみの心を持つことであり
崇敬とはあがめ敬う事である。
いうまでもなく天皇は日本国家の象徴である。
このことはかなり熟考しないと本質を理解しえないが
その本質とは我々国民は天皇から國を預からせていただいているということに尽きる。
三権分立で國を治めているけど
それは天皇の授権によるものということになる。
天皇陛下から総理大臣と最高裁判所長官が任命を受けるのだが
それはそういうことなのである。
その他の国事行為も然りである。
ということはどういうことを意味するのかを
国民はもう少し考える必要がある。
もちろん形骸化したものであることは誰もが知っている。
それでも国民の気持ちとしてその儀式を尊んでいる。

我々国民は天皇から國を預からせていただいている以上は
例えば今回の原発事故などの人災を起こした場合には
まず国民は天皇に対してその不始末を申し訳なく思い
それを詫びる必要があるという事である。
逆に天皇は宮中祭祀で国家と国民の安寧と繁栄を祈願し
それでも天災が起こった場合は
天皇は責任を感じると同時に国民を慰撫し救済を願うのである。

それが日本国民が選択した日本国家の象徴たる天皇制という事であろう。
天皇に対する不敬といってもこの本質を理解していないと
単なる失礼となってしまう。

天皇を崇敬する心には、
國を預からせていただいているのに
こんな始末で申し訳ありませんという
謝罪の気持ちが併存するのがあたりまえなのだ。
国民にこの気持ちがあればこそ
天皇は国民の心情に思いを馳せ
祭祀での天皇の祈りが神霊界を貫くのだ。

日本国民にとっての天皇に対する原罪意識とは
まだまだ自分は尽くせる筈という思いと
こんな始末で申し訳ありませんという謝罪の気持ちで
さらに頑張ることにある。
これにより国民は結果として奇跡の力を得るのだ。
自分はそれをまざまざと見てきた。

このシステムが今後残るのか
それとも外国の王室のように
完全に形骸化するのかは国民が本質をどれだけ理解しているかによる。
正直なところ私は近年深い失望を感じている。








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ADHDとnarcolepsy症状のSOREMPと霊的感応 No362

2013-11-03 00:28:24 | 神霊界考察
霊的感応といっても科学的に原因を探れば脳の幻覚と結論付けされてしまう。
遠くから眺めれば霊的感応であり近くで臨床研究すると脳の幻覚ということになる。
自分の場合も厳格に言うとそういう結果となる。
自分は3歳児の時点で注意欠陥・多動性障害(ADHD)の症状が顕著に現われている。
小学校時代を通して担任からこのような子供は教師生活の中で始めてというほど
落ち着きが無いと言われてきた。
そして小学校高学年から譫妄症状に悩まされた。
ミクロ決死圏という映画があったが、体の中に違う生物が潜んでいるように感じたり
食べ物に毒が入っている様に感じたりという幻覚症状だ。
そしてさらに入眠時幻覚と金縛りがほぼ毎日出現した。
通常であればノンレム期を経た後で発生するレム睡眠が入眠直後に発生する
入眠時レム睡眠 (SOREMP) というもので
何度眠りなおしても金縛りと強烈な悪夢に落ち込んでしまう。
まあ悪夢のスタートは意識がある感じで
枕元に人が座っていたり幽霊に襲われたりというものである。
それが夢と隣りあわせとなって夢の中では
井戸や崖から滑り落ちたり釘が目に刺さったりetc
それと目覚めようとしても金縛りによる恐怖に苦しめられた。
あと目覚めたときにどちらかの手の感覚が全くなくなっていて
他人の手のように感じられたりするのも恐怖だった。
怖いと思うとその観念でさらに深みに嵌るので
目覚めたときに大声をあげていることもたびたびあった。
その体験も1年もすると試行錯誤により解決方法を少しづつ身につけてきた。
それは単純な方法で、呪文や般若心経を唱えながら
左手の小指を少しづつ動かすことにより金縛りから解脱した。
意識ははっきりしているつもりだけど実は半分しか覚醒していないので
呪文や般若心経が思い出せないことに気づくと
そこが夢の世界の入り口だと判るのだ。
そしてだんだんと自分の現実と幻覚の境目についての理解度が深まった。
この症状の克服は寝る前の30分の座禅と寝てからの自己催眠術でほぼ克服出来た。
禅宗においては座禅中に出てくる仏や光などの高貴なものが現われても
それを魔境といって無視するが、禅の修行によってずいぶん救われたと思う。
明晰夢へのコントロールもかなり熟練した。

中学時代にはADHDもかなり克服して安定した生活が出来るようになった。
ところが高校に入ると再び学業に全く身が入らなくなってしまった。
興味はあるのだが授業も自宅でも教科書を開くことが出来なくなってしまった。
原因はやはりADHDの一症状だと思う。
将来にものすごい不安があったがどうにもならないので
とにかく手当たり次第の読書をすることにした。
高校3年間を通して自分ほど読書に時間を費やした人はいないのではないかというぐらい
読書三昧の日々だった。

そして大人に近づくにつれ
幻覚と霊的感応の紙一重の差というものも経験的に理解していった。
結局のところ実生活で役立つものあるいは実生活に則した幻覚を分けて
霊的感応として選別するようにした。
とにかく簡単には信じない事、徹底して検証することを心がけることが肝要だ。
大言壮語的なものはすべて幻覚として片付けることが肝要だ。
禅宗を信仰する限りは所詮はこれらの霊的感応は禅魔・魔境でしかないものだ。
まずはこのことを心において霊的感応はすべて疑ってかかったほうがいい。

あと自分は網膜中心静脈閉塞症により左目の中心部の視力を失っているが
左目の漆黒の闇の中を凝視すると
ちらちらとした光のカーテンが見えている。
さらに凝視するとパラパラマンガのようにいろんな情景が見えてくる。
この情景には予知的なメッセージが感じられる場合がある。
しかしこれも抽象的であり読み解く力が必要とされる。
これは水晶球占いと手相占いの技術が役立つと自分は感じている。

今年の秋に熊大病院の精神科でいろんな検査をしてもらったが
その結果、注意障害ADDの診断となった。
それで成人に対しては昨年承認されたストラテラという薬を試しに服用してみている。
このような精神薬が自分の脳細胞にどう作用していくのか
はっきりとは理解できていないが
霊的感応を促進したり抑制する効果については作用が感じられたら報告したい。


事後の報告
『霊的感応と幻覚 No368』

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