吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

大和神社参拝記 No124

2010-05-24 16:31:46 | 日記
2010年05/22に大和神社に参拝してきた。
この大和神社の創建の由緒に関しては、
崇神天皇の時代に三輪に祭られていた神々をある意図を持って分散させていて
その宮中より別けた神のうちの一柱が大和神社の神と云われている。
祭神は大国魂大神となっている。
この神の祭祀に当たっては最初崇神天皇の皇女で
尾張の大海媛を母とする渟名城入姫命が斎祀ったが
髪が抜け体は痩せて祭ることができなくなった。
それで代わりに市磯長尾市に祭祀させたとある。
市磯長尾市は椎根津彦(珍彦)⇒倭国造の末裔である。
さて今回大和神社参拝で分かったことだが
渟名城入姫命は摂社の渟名城入姫神社で祀られているし
御旅所坐神社=大和稚宮神社のある中山大塚古墳は
渟名城入姫命の塚と記載されている。※写真参照
当然後を引き継いだ市磯長尾市も摂社の増御子神社で祀られている。
ところが大和神社の参道にある摂社の増御子神社の由緒看板には、
知恵の神として猿田彦神、天鈿女命となっていて
市磯長尾市の名前は無かった。これには驚いた。
大和神社は遣唐使に始まる渡航の安全祈願社となっているが
その由来は神武天皇の水先案内を務めた椎根津彦の末裔の
市磯長尾市が大和神社の祭主となったからなのは明白である。
御朱印を貰った際に増御子神社について聞いてみたら
いただいた由緒略誌には増御子神社の祭神として市磯長尾市の名前が出ていた。
いつから増御子神社の祭神に猿田彦神が加えられ、
代わりに市磯長尾市が消されようとしているのかははっきりしないが、
こうして祭神が変わってゆくといういい例だと思う。

ところで中山大塚古墳は南側を大きく削られそこに歯定神社が創られている。
祭神は少彦名神である。
なぜ古墳を削ってここに少彦名神が祭られているのかについては、
由緒は無いから断定は出来ないが想像はつく。
ここに参拝する前日大阪で偶然歯神社というところを通ったが
ここの由緒は、淀川の氾濫をこのお社の御神体であった巨石が
歯止めしたことから、「歯止めの神さま」となったそうだ。
この奈良の歯定神社も歯止がいつからか歯定になったと思っている。
問題は何を歯止めしようとしたのかということだ。
古墳を削ってまで祭祀していることと少彦名神が祭神であることから
答えは必然的に決まってくる。
髪が抜け体はやせて死んだ渟名城入姫命の疫病を恐れて
それを歯止めするために少彦名神を祭ったのであろう。

時代がいろんな情報を消しあいまいにしていく。
自分は祭神入れ替わりだけは糺していきたいと思っている。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本という特殊性を語るとトンデモ類になる? No123

2010-05-17 21:12:10 | 日記
別に日本が優れている神の国であると
主張したい訳ではないが
世界史的に見ても日本というこの小さい島国が
世界大戦を起こして敗戦し
荒廃の中から驚異的な復興を果たしたのは事実である。
ドイツも第一次大戦で負けた後に驚異的なインフレーションと
デフレーションを体験しておりその点においては類似性がある。
18世紀に日本は鎖国の中で独自文化を花開かせ
東南アジアが植民地化される中で日本は独立性を保っている。
確かに他にも独立性を保った国としてはタイがある。
日本は古くは中国の元による侵略から逃れている。
その点は朝鮮諸国にはない特殊性といえよう。
たぐいまれな国家であるということは歴史を吟味すれば分かる。
ところがこれが神霊界を通しての日本という国の特殊性を言うと
トンデモになってしまうわけだ。
しかし経済大国の座を中国韓国に渡しつつあるのに
世界がリスクに見舞われるとなぜか円が買われて
日本国だけが円高となってしまう。
リーマンショックでは最も被害が少ないはずの日本企業の
株価がUSA・EUよりも下がり
それにもかかわらず円に関しては
日本だけが超円高となってしまった。
やはりこの日本国は特殊だとしかいいようがない。

それが何故なのかという疑問は突き詰めていくと
やはり神霊界の動きを抜きにしても
陰謀論というトンデモの世界に足を踏み入れることになる。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蘇我氏と鳥 No122

2010-05-16 11:48:10 | 日記
以前 蘇我氏は日月星の三光信仰があり
ツキヒーホシと鳴く三光鳥と呼ばれる鳥がいて
この三光鳥が斑鳩とも呼ばれるから
蘇我氏の地に斑鳩という名前を付けたと論じた。
さて蘇我氏がらみでは
一須賀古墳群がある大阪府南河内郡河南町に
一須賀神社(一志賀 壱須何)がある。
蘇我の枕詞は真菅でスゲ スガであるが
このイスカがやはり鳥名で言うと
「交喙=イスカ」ではないかと感じている。
このイスカから飛鳥が導き出せる可能性もある。
しかし吾須賀(吾菅)という可能性も大きいと思う。

続く

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎 軍艦島の祭神が金比羅さまの訳 No121

2010-05-16 00:44:17 | 日記
長崎の軍艦島の廃墟ツアーが一時話題となったが
この島で唯一の神社は端島金比羅神社である。
友人からなぜ宗像や厳島や住吉でなく金比羅神社となっているのかと
疑問を投げかけられた。
実はこれには石炭の運搬先の京阪神が関係してくる。
瀬戸内海の海運の神様と言えば、
宮島厳島神社と大三島の大山祇神社と琴平の金比羅神社等がある。
海運会社によって信仰する神社が違うが
軍艦島の出入り業者はたぶん金比羅信仰をしていた経緯が
あったのだろうと推察する。
厳島は平家が信仰し 大三島の大山祇神社は源氏が信仰したが
金刀比羅宮が中立であったことも関与しているかもしれない。
海運会社や運搬品による信仰のすみ分けがどうなっていたのかは
浅学で知り得ていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪の天神社 No120

2010-05-13 00:25:29 | 日記
大阪近郊には菅原道真公が大宰府への左遷の際に立ち寄ったという
伝承のある天神社が多い。
①綱敷天神社 大阪市北区 船の艫綱を円く円座状に敷いて紅梅を愛でた。
②露天神社 大阪市北区曽根崎二丁目 道真公が都を偲んで涙を流した。
③服部天神宮 菅公が左遷の際に当社に参拝し持病の脚気が治った。
④長岡天満宮 京都府長岡京市 「我が魂長くこの地にとどまるべし」と
名残を惜しまれた縁故
⑤佐太天神宮
⑥天神社(福島 下の天神) 大阪市福島区玉川
菅公が左遷の際に当社に参拝し海路の平穏を祈ったといわれている。
⑦おちつき天神 大阪市天王寺区
⑧湊の天神さん 堺市堺区

菅原道真公の伝承にあやかったものが多いようだが
このうちいくつかに少彦名神の感応がある。
もともと大阪には天神の少彦名神を祭る要素があって
それが菅原神社に置き換わったものと思われる。
今後機会を見つけて回ってみたいと思っている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続 貶められた民族の怨念 No119

2010-05-07 10:26:59 | 日記
日本の中で民族の貶められた怨念と言っても
今となっては良く分からないことが多いように思えます。
九州で言えば縄文人に土蜘蛛・熊襲・隼人などの怨念が感じられます。
神功皇后は筑後山門地方の土蜘蛛と呼ばれる田油津姫を征伐していますし
景行天皇の九州征伐や川上梟帥の征伐等、
数々の理不尽な殺戮が繰り返されたのでしょう。
渡来人系の民族の念も強く感じられます。
例えば未だに日本には新羅や百済の系統の記憶が残っています。
百済系の平家は、赤旗を掲げ
新羅系の源氏は、白旗を掲げました。
源氏は平家のことをクダラない奴と呼び
平家は源氏のことをシラジラしい奴と呼んだとか。
またネット情報によると呉人や呉系楚人や越人も
日本に多く入り込み独自の文化体系を残しているようです。
また騎馬民族も入り込んでいるのでしょう。
そして滅ぼされたり貶められた民族の念は未だ消えていないようです。
各地の神社にはそういう浮かばれない霊を鎮める役割もあったのでしょうし
天皇は国家形成の中で貶められた民族の怨念を鎮める役割を
持っていたと思われます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貶められた民族の怨念 No118

2010-05-04 23:17:45 | 日記
日本国の将来を霊的な見地から案ずるに
貶められた民族の怨念を浄化することを
抜きにしては将来を語れないと感じている。
日本人の勤勉さと想いは貶められた民族の怨念によりかき消されている。
それは縄文時代より始まる。
そして天皇は古来よりその怨念を鎮める役割を担ってきた。
ところがその役割を忘れたときに
怨念の渦は日本を巻き込み不幸のどん底へと叩き込んでいる。
天皇の祭祀とは国民にとって最も重要な政(まつりごと)なのだ。

続く

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神武天皇の道案内 No117

2010-05-04 22:41:28 | 日記
神武天皇の東征では、先鋒を務めた人物が
大伴氏の祖となる日臣命であり
功績により名を与えられて道臣命と名乗っている。
また熊野国から大和国への道案内をしたのが
鴨県主の祖となる八咫烏である。
豊予海峡とされる速水乃門で水先案内をしたのが
倭氏の祖となる宇豆彦命=珍彦=椎根津彦で
後に倭国造となっている。
それぞれ出世し子孫繁栄している。
さて倭氏であるが、
祖である宇豆彦命は海神族系であると云われ
綿津見神の豊玉彦命が祖霊であるという。
神武天皇の母は玉依姫命で豊玉彦命の娘なので、
東征にあたっては母方の海神族の力を
大いに借りたということなのだろう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

籠神社の祭神 No116

2010-05-03 22:27:20 | 日記
前回記載の三輪考察で
「大國魂神は渟名城稚姫命が最初に祭祀しているので尾張氏系であるが
その後に市磯長尾市宿禰(いちしのながおちのすくね) が
祭祀したので宇豆毘古(椎根津彦)=海部氏系統の祖神とも言える。
海部氏も尾張氏も彦火火出見尊を祖とする海人族系と考えられる。」
と記載したが籠神社の祭神は
彦火明命(=天火明命=天照御魂神=天照国照彦火明命=饒速日命)となっている。
実は以前籠神社を参拝したときに
ここの祖神は倭宿禰命=宇豆毘古=椎根津彦だと感じている。
(これより古い話は神話にもなるのだが)
だとすると祭神は彦火火出見尊=海神族となろう。
問題は饒速日命と繋がるかである。
あるいは饒速日命が海神族であるかということである。
物部氏の祖が饒速日命であることは動かしがたいのだが、
物部氏は海神族とは思えない。
どう考えても海部氏と饒速日命を結びつけるのには
無理があると自分には感じられる。

ただ家系図的には、彦火火出見尊が豊玉姫と婚姻して
海神族の血が入ることになったので
物部氏と尾張氏・海部氏が同族であったことを完全に否定出来る訳ではない。

また物部氏と尾張氏には協力関係があったとも言われており
尾張氏が祀る彦火火出見尊と物部氏が祀る天火明命が同一神であると
された可能性もある。
住吉大社は尾張氏の系統の神社であるが、
もちろん海神族としての系統の神社であり
尾張氏には海神族の自覚はあったものと思われる。
では熱田神宮はどうなのかという話にもなるが
その内にもう少しまとめたいと思う。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする