吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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奈良の南外れにある玉置神社の暗示 No489

2018-06-19 15:01:10 | 神霊界考察
日曜日に友人からLINEのメッセージが入り
奈良の玉置神社になぜか惹かれるので
行ってみたいと書かれていた。
なんでもYouTubeを見ていたら玉置神社が出てきたので
それでこの神社の事を知ったらしい。
応答するために過去の玉置神社参拝写真を探していたら
偶然に興味深い写真を見つけた。

熊野權現御垂跡縁起に中国天台の太子晋=王子喬が出てくるなら
熊野本宮とともに創建された玉置神社にも痕跡が残っている可能性がある。
しかし王子社=熊野九十九王子の信仰に埋もれてなかなか核心に迫れないでいた。
五代王子=五体王子の五も呉に繋がるのではないかと推察しているが
報告出来るような情報は無い。

王子晋については以下を参照願いたい
『呉氏骨=おしほねの行方 No436』
『王子晋信仰から見えてきたもの No481』

さて玉置神社の興味深い写真とは以下の地蔵像?である。

目が四つあるように見えるが
眉毛と睫毛の二重の掘りがそう見せるのではないかと思い
似たようなものを探したが見つけることが出来なかった。
同時に四眼の仏も探したがやはり見つからなかった。

五眼であればいくつかの候補がある。
五大明王の一尊金剛夜叉明王 金剛山法起大菩薩

仏の意匠として見つからないということは
以前コメントで話題となった方相氏の可能性を感じる。
この方相氏は春秋の呉との関係はあまり分からないのだが
太子晋の系統の周との繋がりは深い。
中国の百度検索によると
「周の礼記に出てくる鬼神」であり以下のようなことが書かれていた。
方相氏是旧时民间普遍信仰的神祗,为驱疫避邪的神。
是周礼规定的司马的下属,最高官阶为下大夫。
掌蒙熊皮、黄金四目、玄衣朱裳、执戈扬盾为国家驱疫。
葬礼时,方相氏则驱方良。
宫廷里,方相氏驱疫的仪式叫大傩,唐朝成为为军礼之一,隶属太卜属。
大傩每年有三次,分别于季春毕春气、仲秋御秋气、季冬送寒气。
除夕夜逐疫是最隆重的一次。
日本奈良时代以前,傩从中国传入日本,叫做追傩式,由神道教神社负责。
日本每年除夕和立春会举办追傩式。

意味的には「方相氏は掌として 、熊皮を蒙り、黄金なる四つの目あり、
玄衣と朱裳もて戈を執り、盾を揚げ、百隷を帥いて時に儺し、
以って室を索め疫を殴う」
方相氏は周王朝時代より追儺をつかさどっているようだが
特徴としては驚きの黄金の四眼を持つようだ。



またこういう記載も見つけた。
方相氏,上古嫫母之后。黄帝巡行天下,其妻亡于道。黄帝令嫫母监护,立为方相氏。

方相氏は嫫母(ぼぼ)の後胤であるが、黄帝が国を巡回中に
嫫母を見出して後妻にした。その血統が方相氏となる。

また『物原』に黄帝の次妃である「倭人の嫫母」によって石板鏡が発明されたとされている。
嫫母の別称として丑女と呼ばれていたらしい。

この黄帝はこうていと読み
姫水のほとりに生まれたことに因んで姓は初となる姫姓、
氏は軒轅氏、または帝鴻氏とも呼ばれる。
ちなみに蚩尤はこの黄帝と戦い破れて惨殺されたとされる。


さてこの記事のコメント欄でさくら様が玉置神社の白い石が
卵を意味するように感じると書いているが、
私も似た感想を持っている。
以前三輪山では石垣に挟まる白い石だと思ったのが
神蛇のお供えの卵だったことがあり白い石と卵が頭の中でシンクロしている。
ではこれが卵だとするとある神話が思い浮かぶ。

『川上村の神秘 No409』
国常立尊と盤古神と日本の呉音霊との繋がりを探っている。

また国常立尊を祀る宮崎の秋元神社の調査でも以下の記事をまとめている。
『高千穂神楽と地主神 No446』
『日本における呉の太白の祭祀 No429』

ここでは国常立尊と呉太伯と日本の呉音霊との繋がりについて
牛斬の都怒我阿羅斯等が呉系であるということ。
都怒我阿羅斯等と神社で祀られる牛像に何がしらか関係があること。
神霊の炎帝神農氏 兵主神の蚩尤 盤古神には
深い関わりがあると結論付けている。

ではこの玉置神社はどうであろうか?
神話に出てくる卵というと卵生神話が思い出されるが
盤古神は卵から生まれ卵を割った人物であり
そして盤古神の体から大地自然が生まれ出る。
天地開闢の際に出現した神であるということから
日本の国常立尊と中国の盤古神は同体であるとされてきた。
玉置神社の玉とは万物創生の卵のことなのかもしれない。


禮月さまから四つ目の人物について中国で漢字の発明者とされる
蒼頡 倉頡(そうけつ)も四つ目であるとご指摘をいただいた。
この件は以前にご指摘されていたのだが
この蒼頡も黄帝に仕える史官であったそうで
方相氏とほぼ同じ時代となるが何らかの繋がりがあるのかもしれない。

   倉頡

ところで黄帝がどうしても蚩尤を倒すことが出来なくて天を仰いだ時に
九天玄女が天界より降臨し、又授かった剣が軒轅夏禹剣といわれている。
この剣には日月星と山川草木が刻まれていて天界地界を統べる象徴とされる。

実物は不明だが剣のイメージではツバに饕餮紋が刻まれている。
    


どうでもいい話ではあるが以前観た香港映画の「HERO(英雄)」で
剣の新しい書体を生み出す場面に心惹かれたことを思い出した。
文字に神を宿し新しい剱という文字が生み出されるのだが
それは秦が攻める中で剣の奥義を極めるという命がけの作業であった。

  テンで書體に神霊が宿る
  秦始皇帝と剱の文字

剣の奥義を極め剱の書體をあみだした残剣の剣にはなぜか饕餮紋らしき文様があり
軒轅夏禹剣を暗示させる。

残剣が極めた剱の奥義は天下泰平のために
私怨を捨て剱を収め平和を維持することだったようだ。
そういえば武という書体は戈を歩めるという意味なのだが
なぜかそれは戈を止めるとも読める。
















 書に向かうということは命を預けること

 今までの剣の書体







コメント (45)
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