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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178

2010-10-29 14:56:22 | 日記
水の女神といいながらなかなか海の女神から
水の女神への進展が出来ていない。
そんな中で龍宮を検索していて
『龍神と霊能力 No165』
で記載した古田シズヨという女性が
龍宮乙姫と自覚するに至ったという日向の岩戸が
熊本の鹿本にあると知って昨日急遽確認に行ってきた。
現地で分かったのだが日向はひむきと読む。
実は今回弓梓弓と水の女神を記載し始めてから
ベッドの下から2007年の雑誌が偶然出てきて
そこに龍宮乙姫=古田シズヨの記事が載っていたのがきっかけだ。
豊玉姫の御魂を宿したムー大陸からの使者という肩書きが付いていた。
私にとってはトヨタマヒメの産屋は宮崎の鵜戸神宮なのだが
鹿本⇒現在の菊鹿町は龍門八大龍王神の水の流れる菊池川系なので
気になったので現地を確認してきた。
古田シズヨさんがこの岩戸開きをしたのは
昭和48年10月07日AM11:30だそうだ。
その後の昭和50年に熊本県文化課によって現地調査が行なわれて
縄文前期の曽畑式土器他 石斧、石鍬、石皿などの石器類、
貝輪・骨角器、鉄器、玉類など縄文時代の中期、後期の遺跡が出土している。
彼女が縄文時代の神霊に感応したのは間違いない。
その古代霊は人魚の形をしていて角があったそうだ。
この人魚は八尋鰐そのものであろう。
この古田シズヨさんは藤田妃見子と改名したらしいが
彼女によると素戔嗚尊の乱暴が切っ掛けとなって天照大神が岩戸に閉じこもったように
豊玉姫は日子穂穂手見命=山幸彦の乱暴にあったのちに岩屋に閉じ込められたそうである。
神霊的にはアマテラス=トヨタマヒメだという。
縄文の古代霊であるトヨタマヒメの封印を解き放つことにより
神霊の母性が目覚めるという。
ちなみにこの天岩戸には人魚の記念碑が置かれていたが
頭の王冠は日月星のデザインとなっていた。
思わぬところから日月星のデザインが見つかったが
彼女が受けた神霊系統が暗示されているようである。


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弓梓弓と水の女神 断片集⑥ No177

2010-10-28 09:34:39 | 日記
前章では神霊界の水平性と垂直性を論じてきたが
人間界でもそれに対応するように
女性原理から男性原理の展開が行なわれている。
これに伴い母系家族制度から父系家族への転換が見られる。
海を照らす海照大神から天を照らす天照大神が主流となり
饒速日が王となって天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と呼ばれた。
この時に三輪の太陽神も男神となったが
もともと記紀の伝承では大國主命のもとに海を照らしながらやってきて
三輪に祭られた大物主神が三輪の主祭神となっている。
実際のところ大物主神は大いなる物部の主であって
海を照らしながらやってきた神ではない。
そこには隠蔽と錯誤が見られる。
もともと三輪には縄文時代より神霊を祭祀していたが
この神は海に繋がる海神であった。
そこに物部が入りこんで大物主神を祭祀したが
海照大神を天照大神と同じものとして祭祀しようとした天皇家に
災いが及び天照大神は笠縫邑から最終的に伊勢に遷宮し
海照大神は倭大国魂神として大和神社に祭られることになる。
では大田田根子が祭祀することとなった三輪山は
どうなったのかということだが、
ここには一連の事件を背負って狭井神=賽神が封印されている。
この件については三輪山と三笠山の考察で説明した通りである。
こうして天皇家は古代神の封印をなしとげ
万世一系の天皇皇位継承の奇跡が為される。

さて賽の神は出雲の根源神とも冨家伝承では云われる。
出雲では竜蛇神が信仰され龍宮信仰が根づいているが
この賽の神とはどういう素性の神なのかが疑問である。

三輪の狭井神社に参拝すると分かるのだが
この神社は河の神であり水の神である。
これはたぶんに少彦名神の神力の現われであり
薬井戸もまさにその通りなのだが
少彦名神と賽の神の繋がりは現在謎のままだ。


継続執筆中です。



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弓梓弓と水の女神 断片集⑤ No176

2010-10-25 09:54:59 | 日記
水の女神と我々庶民とのかかわりは
いくつかの伝承系に分かれるが
柳田國男が収集した民間伝承に
「竜宮入り」と「椀貸し」と名付けた伝承がある。
これらの特徴は日本列島の幅広い地域に渡って残っていることだ。
竜宮入りに関しては熊本から岩手までの間に残ると記されている。
そして竜宮と椀貸しの違いは
古い伝承である竜宮の方は例えば、山の湖に
薪や斧やなんらかの大切な物を投げ込んだ樵が
水の中の竜宮城で接待を受け帰る際に贈り物を戴くが
その贈り物は大切にされている間は富を授けるが
祭祀を忘れてしまいその途端に
全てが消えてしまうというような話となっている。
椀貸しの方は人間が竜宮を訪れることは無くなってしまったが
その代わりに接待用の椀が貸し出されるという話だ。
誰でも借りたい人には、器や椀や盆を親切に貸してくれる。
例えばかつて兵庫県には有名な椀貸し沼があったという。
同様な話は富山にも山梨にもある。
柳田國男によるとそういう伝承にあやかった話か
実際に借りた椀を返さなかったものを
何回かいくつかの家庭で見せられたことがあるそうである。
ちなみに椀貸し伝承によると借りた椀を返さない人のせいで
椀は貸し出されなくなったという落ちとなっている。

民間の伝承では、恵みをもたらす竜宮が
垂直系の大祓え祝詞では
罪穢れを吹き溜めるところとしての竜宮となってしまった。
竜宮は閉ざされ民への恵みを忘れた。

神霊界は現実世界との間でバランスをとる作用がある。
垂直性と水平性においても
故意に強調された記紀には問題があるとしても
正直に言って日本においての垂直性の移行は
平安期において必然だったのかもしれない。
万葉集では山に神霊を詠む歌が多いそうである。







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弓梓弓と水の女神 断片集④ No175

2010-10-22 22:13:35 | 日記
少彦名神は瓢箪から生まれたという伝承がある。
瓢箪はうつぼであり弓のケースである靫(ゆき)である。
天皇の疫病の際に天神に弓のケースである靫(ゆき)を懸けるのは
少彦名神の病気治しの神徳にあやかるためである。
由岐神社に祭られる称靫明神とは少彦名神のことである。
さてこのうつぼとはうつぼ舟を現している。
うつぼ舟はまれびとが海の彼方から漂着する手段である。
少彦名神は実際の高級神霊なので垂直性も水平性も持つ大神なのだが
水平性としては龍宮の大神として
海の彼方より現われ海の彼方に帰っていく。
そしてこの場合は女性神である。
また垂直性として高皇産霊神あるいは神産巣日神の子供として
高天原より降臨した少彦名神は男性神である。
この垂直性を持つ場合もエレメントは水であり雨だれ雫であり
丈E=霊という字の雨滴が現すように天界神霊の祖である。


少彦名神を祭る酒列磯前神社参拝で感応があったので
真実の姿を示していただくように祈ったことがある。
酒列磯前神社の下に広がる海岸は阿字ヶ浦と呼ばれ
白亜紀の断層が露出しているらしい。
参拝後にここの防波堤の上から海岸を見ていた嫁が
「ナルト」があると指差した。
ナルトとは渦巻きのことだが取りに下りてよく見ると
それは異常巻きのアンモナイトの化石のようだった。
そんな希少なものが簡単に見つかったのも不思議だが
拾ってハッと驚いた。
そして全てを理解した気がした。
それは偶然を超えた蛇だったのだ。
少彦名神の真実の姿は蛇だったことに気づいた。

ここでいう蛇とは
実体ある動物としての蛇では無い。
蛇の実体とは例えば哺乳類の基となっている脊椎のことだ。
人間を削いでいくと脳と脊椎と神経系というシンプルな構造になるが
この構造体が蛇の神霊のエネルギーが三次元界の生命に
転写された姿という事を表している。
しなやかでありそこに無限のエネルギーと発展を秘めている。
そして脊椎を登る蛇がクンダリーニである。
あくまで蛇とは象徴でしかないことを理解して欲しい。




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弓梓弓と水の女神 断片集③ No174

2010-10-22 13:01:57 | 日記
弓梓弓と水の女神 断片集③

古代における神霊界の認識の
垂直性と水平性であるが
まずは水平性とはどういうものであるかというと
まずは水平線から水平線に至る太陽と月の信仰である。
この水平線は地平線であるが
現実的には海洋ということになる。

太陽や月や星は天のものではないかと思っていたが
古代においてそれらは海の彼方からもたらされ
海の彼方に去っていく不思議な存在であった。

それでは垂直性とは何か?
雲 雨 雫 雷は天から降りてくるものだ。
特に雨は天から降り川となって海に戻るものであり
清めの作用があると考えられた。

古代において神霊といってもまずは霊界のことであり
人は死んだらどこに行くのかということだが
それは遠い世界であって、また水が海に注ぐごとく
霊は海の彼方に向かうと考えていたと考えられる。

現在も精霊流しは山の民は川に流し
海の民は海に流している。
あるいは熊野で流行し九州でも伝承が複数残る補陀落渡海
でも海の彼方を求めている。
それは仏教でいう西方浄土という考えや
南方海上の補陀落山からきていると
思っている人も多いが実は仏教に付会されている。
インド中国の仏教に精霊流しという発想は無い。

奄美・沖縄に残る伝承のニライカナイという世界は
東南の海の彼方にある他界である。
古来からの日本人の想いが純粋な形で残っている。

垂直性を持った世界観の中でいう天にある天国とは
水平性を持った世界の中では
海の彼方にある龍宮ということになる。

そして垂直性の世界観を標準とした時点で
キリスト教と同じく龍宮は悪魔の巣窟ということになってしまう。
イザナミが貶められたのと同じく
龍宮の聖なる龍は悪竜とされ貶められる。
天にいるのは男神としての天照大神とされた。

この水平性を持った民族というのが
一般的には縄文人と縄文人の後裔である。

ただ垂直性の確立に当たって
ユダヤ教及び原始キリスト教の模倣というか
あるいは表現を変えると和洋折衷であったために
記紀では完全に龍宮に封印が為されたわけではない。
天孫である日子穂穂出見命は、
(幼名が火遠理命で別名を山幸彦という)
龍宮の豊玉姫との間に鵜葺草葺不合命をもうけて
さらに鵜葺草葺不合命は龍宮の豊玉姫の妹の
玉依姫との間に神日本磐余彦尊を産む。

垂直性を正統とする記紀において
龍宮の海神とのくだりが何故残されたのか疑問があったが
感応によると真実の保全がなされたようだ。
つまりキリスト教で説かれるアダムとイブの母は
記紀を基に考えると龍宮の龍となるが
それはつまりエデンの園でサタンとして登場する蛇である。
キリスト教では原罪がとても重要な要素として
構成されているが、その罪とは実はそれは母なる教えである。
ちょっと考えても娘に貞操を教えるのは母の役割であり
イブがイチジクの葉で陰部を隠すシーンも
母としての教えであろう。

この蛇が母である話はエジプト神話にも残り
聖蛇ウラエウス女神となる。

日本とユダヤの関係は今回のテーマではないので
割愛するが、創世記の真実は日本から開示される。

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弓梓弓と水の女神 断片集② No173

2010-10-20 21:51:48 | 日記
弓梓弓と水の女神 断片集② 編集中

日本書紀や古事記では神の垂直性が語られるが、
この垂直性を持ち込んだのは、
アルタイ語系の民族の可能性が高いといわれている。
垂直性というのは天に神がいて地に人がいて
神が天下る天孫降臨という観念のことである。

しかしながら日本人は古代においては
水平性をもった世界観が主だったと考えられる。
おそらく縄文時代後期には母系性と水平性の世界観が
完成していたと考えている。
一般的にはこれらは南方的要素といわれメラネシアや
中国南部から到達したということになっている。

ところでユダヤ教やキリスト教も垂直性を持っている。
日本には7世紀には原始キリスト教ミトラ教ユダヤ教が
伝わっていたと考えている。
恐れずにいえば、
垂直性は原始キリスト教やユダヤ教の教義を取り入れた結果であろう。
何の為にそれを取り入れ何を封印したのかが重要である。
キリスト教では主といわれる天の父はいるが
母はどこにいるのであろうか。
聖書の人間界の創造の話では女性は男性の骨から創られるが
天界には母は存在しないようである。
三位一体説でも「父と子と聖霊」であり母は不存在である。
記紀は垂直性を持った神話であるが
この話が日本に持ち込まれた時には陰陽二元論が確立していたのか
さすがに建前上おかしいと思ったのか、
イザナギとイザナミの話として
母イザナミは黄泉の國に降りて黄泉津平坂を塞ぐ岩戸で
封印されたことになった。
ちなみにこの岩戸は道返大神 岐神とも呼ばれている。
逆に記紀から古代キリスト教を推し量ると
存在しない母とは地に落とされ封印されたイザナミ=ルシファーとなる。 
ユダヤ教や原始キリストでは
なぜ母を封印して唯一絶対神を創造しなければ
ならなかったのかの疑問がある。
又なぜ日本でも垂直性を取り入れ母性を封印したのか
そこに謎がある。

江戸時代においても商人は母系だったと云われている。
丁稚でいちばん優秀なものを娘と結婚させあとを継がせたらしい。
そうすると番頭となった養子の息子はいうことを聞くし
娘は身近でめんどうを見てくれるし
嫁を貰う場合の様な継母のいじめ等もなくていいこと尽くめだ。

また平安時代においても妻問婚の話が残っている。

それがなぜある時から父系が重視されたのか?
父系には隠された秘密がある。
天皇は父系で万世一系であると言われるが
仮にもともとは母系であったものが
父系に鞍替えした可能性もある。

ところで記紀においてはせっかく作り上げた
父系神話が壊れてしまう。
藤原不比等は持統天皇の正当性の擁護のためか
天照大神に女性としての神格を与えてしまったので
話がややこしくなってしまった。



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弓梓弓と水の女神 断片集① No172

2010-10-20 13:30:15 | 日記
弓梓弓と水の女神について記載しようとしたが
説明が膨大で一度に書くパワーが無いことに気づいた。
それで草稿していくことにした。

大祓い祝詞の祓い清めの方法で述べられていることは
瀬織津姫、速秋津姫、速佐須良姫の三女神と氣吹戸主の
四柱でのリレーションによる清め祓いとなっている。
まずは川の神 瀬織津姫が山から川に集めて海に流す
河口にある港の神 速秋津姫が海の塩の力で飲み込む
風の神 氣吹戸主が根國底之國に吹き飛ばす
根國底之國の神 速佐須良姫が消し去ってしまう
という工程となっている。
ということは根の國底之國は
海の彼方の地底にあるということになる。

伊邪那岐は阿波岐原で黄泉の国の汚れを洗い流すために
禊ぎをしたがその時に住吉と綿津見の神が
生まれていることをみても阿波岐原は海岸であり
やはり黄泉の国は海の彼方にあることが分かる。

ところが一方で黄泉は黄泉比良坂で葦原中国とつながり
イザナギはイザナミとこの坂に道返の岩戸を置いて
死後の世界と現世とで対峙している。
この話では海というより地中に黄泉があるような感じである。
いったい海の彼方なのか地中なのかという疑問が残る。

ところで常世という言葉がある。
神代記や「伯耆国風土記」逸文で少彦名命が国造りの役割を終えて
常世に行ったという記述がある。
この常世は幽世とも云われ
人としての少彦名命が死んだという解釈も成り立つが
粟にはじかれて常世の国に帰ったという伝承からは
常世という世界から来て常世に帰ったという解釈も成り立つ。
古事記にはトコヨについて「爾、高天原皆暗、葦原中國悉闇。
因レ此而常夜往。」とあり
また「常夜の長鳴鳥」という記載もあるが
このトコヨが常夜であれは暗黒のイメージである。
これは後で述べるが故意のすり替えの可能性が高い。

日本書紀や万葉集による浦島子の物語によると
常世は竜宮城と同一視されている。
万葉集の高橋虫麻呂の歌「巻九1740」
海若 神之女尓 邂尓 
伊許藝 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 
常世尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携
わたつみの かみのをとめに たまさかに 
いこぎむかひ あひあとらひ ことなりしかば かきむすび 
とこよにいたり わたつみの かみのみやの うちのへの 
たへなるとのに たづさはり

また垂仁天皇の命で田道間守は常世の国の不老不死の理想郷に行き、
非時香具菓、今の橘?を取って来たという記載もある。

結論としては根の國底之國や常世國とは海の彼方の竜宮城のことであるが
ある時からそのパラダイスは地底にある暗い地獄、死後の暗黒界に
貶められた可能性があるといえる。


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八大龍王神の根源 追記 No171

2010-10-14 11:26:26 | 日記
2009年の12月10日に八大龍王神の根源について記載している。
『八大龍王神の根源 No054』
この時は中村元氏の龍樹の中論の解説を読んでいて
八大龍王神の根源とは龍樹が述べる八不であると感じたのだが
本日千葉県市川市の「法華経寺」と八大龍王神をネット検索していて
八大龍王神を日本で最初に奉斎したのは役行者=役小角で
箕面山で龍樹に霊的感応があり乱れた世を救う秘法を授かったという記事を見つけた。
役尊神(役行者・役小角)と八大龍王神
役小角と龍樹ナーガールジュナとの縁については勉強不足で
本日初めてそういう話があることを知ったのだが
自分の受けた感応が裏打ちされて驚かされた。
その秘法は忿怒の相の金剛蔵王権現と思われている節があるが
たぶんその秘法とは、八大秘法であり
不生不滅,不常不断,不一不異,不去不来の
この八不から八大は構成されていると理解出来る。

不生亦不滅 不生にして亦た不滅
不常亦不断 不常にして亦た不断
不一亦不異 不一にして亦た不異
不来亦不去 不来にして亦た不去

生ずることもなく、また、滅することもない。
常住でもなく、また、断滅でもない。
同一であることなく、また、異なっていることもない。
来ることもなく、また、去ることもない。

般若心経では不生不滅 不垢不淨 不増不減と云っているが
根源は同じ奥義に属する。
そしてこれを実際に布教する神力を八大龍王神がもたらすと思われる。
やはり八大龍王神の根源は現世利益の儚さを説いているのだ。
乱れた世を救う秘法とあるが、
確かに世の中から私利私欲が消えれば世の中の乱れは消えてしまう。
まさに真理である。

あーあ 真実を知るにつけ宝くじ長者の夢は遠のく。
『神龍八大龍王神社の功徳 No034』


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少彦名神の眷属について カエル篇 No170

2010-10-12 20:53:33 | 日記
少彦名神を調査しながら三輪から伊勢まで旅行した際に
偶然数々のカエルの実物と置物に出会った。
①一言主神社でアオガエル発見
②葛城 高天彦神社 カエルの磐座
③高野山途中に岩肌にへばりつく大きなカジカカエルのあるドライブイン
④高野山陀羅尼助薬屋に置かれるヒキガエル
⑤伊勢への山道を走っていると道に何匹踏み潰したのか分からない程の大量のカエル
⑥二見浦で無数のカエル置物と蛙岩 (猿田彦の眷属)
⑦吉野の蔵王堂納経所に置かれているカエルの陶器
⑧吉野西行庵そばのせせらぎに置かれていた三匹のカエルの焼き物
⑨神事後に三輪の狭井の池から三度のみウシカエルの鳴き声

これはカエルが少彦名神の眷属だからなのだろうかと考えた。
実は少彦名神を祭る神社でカエルが眷属と記載している所は
加太淡島神社だけかもしれない。
ただ大洗磯前神社には三匹のカエルの置物が拝殿前に置かれていた。
もしカエルが少彦名神の眷族とされたとしてその理由を考えてみた。

カエルの属性は
①両生類であり水生生物である
②カエルは農業に関係する
③カエルとタタラの関連?
④少彦名神の素性確認で多邇具久(たにぐく=蟇蛙ひきがえる)が最初に出てくる
⑤オタマジャクシから手足が出て出世する
⑥アオガエルはどことなく愛嬌がある
⑥カエルは太陽が復活する春に冬眠からさめ地上に姿を現す
万葉集巻5 800 山上憶良に以下の詩がある。
都智奈良婆―つちならば――このまま地上にいるのなら
大王伊摩周―大君います――大君がいらっしゃる
許能提羅周――この照らす――この輝く
日月能斯多波――日月の下は
雨麻久毛能――天雲の
牟迦夫周伎波美―向伏す極み――たなびく果てまで
多尓具久能―たにぐくの――蟇蛙が
佐和多流伎波美―さ渡る極み――渡り行く果てまでも
企許斯遠周―聞こし食す――全て大君が統治する
この詩に出てくる蟇蛙は「日月の下」の象徴だろうか。

あるいは民族の三すくみから派生した可能性も考えられる。
「螂蛆食蛇、蛇食蛙、蛙食螂蛆、互相食也」
ムカデは蛇を食おうとする 蛇はカエルを食おうとする カエルはムカデを食おうとする
ムカデの代わりにナメクジのパターンもある。
例えば中国では楚人呉人越人の三すくみを動物で現していていて
日本でも少彦名命の一族は蛙なのかもしれないなどと考えてみた。

しかし少彦名神の眷属については今後さらに調査していきたい。




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蘇我氏と阿蘇氏 No169

2010-10-09 10:54:40 | 日記
筆者は蘇我氏が古代において果たしてきた祭祀の重要性を論じてきた。
それは古代民族部族の呪いを慰める役割であったと感じている。
それこそ倭という集合民族から選出された天皇の役割であったろうし
その天皇の役割を蘇我氏は大きく補佐していたはずである。
これが崩れたのは藤原不比等の台頭による。
もともと政とはまつりごとという読みのごとく
祭祀を基本としていた。

蘇我馬子・蝦夷は聖徳太子と共に政教分離を図ろうとしていたと考えている。
一族が強固に団結している間は政は祭祀と一致しても特に問題が無いが
倭が大和となり民族集合勢力となるに従い
新しい律が求められるのは必然である。
聖徳太子は政治と祭祀の二つを切り離すことの出来ることが出来る
たぐいまれな能力者であるが、
その作業は注意深く行われたのだろう。
政治に関しては十七条憲法によって垣間見ることが出来るが
祭祀に関してはより強固な祭祀方法を模索していたようである。
今までの古代から引き継がれてきた神道だけでなく
中国よりもたらされた仏教道教儒教ミトラ教キリスト教のような
新手法を組み込むことを目標としているようだ。
中国では政権交代は天子の交代というだけでなく
民族の交代にまで発展することを何度も経験しており
古代民族の呪いを慰める祭祀手法も進んでいるものと
聖徳太子が捉えたとしても不自然ではない。
しかし同時にまた大和が神国だという意識も持っていたものと思われる。
蘇我氏は過渡期の中で政教分離を果たしながら
少しずつ政治の中核に進出していくことになる。
その政を不比等が律令政治に完全に作り替えた業績は偉大ではあろうが
国家のもともとの役割である祭祀が置き去りにされてしまった。
壬申の乱を祭祀の欠如と悟った国家は再び天皇による祭祀を行うようになるが
それは完全なものではなかったようである。
藤原不比等は権力志向であるが、蘇我氏をよほど恐れたと思われ
蘇我氏と聖徳太子の功績が封印されてしまったが
同時に祭祀の要の理論も消えてしまった。
そして蘇我氏聖徳太子は仏教の推進派という肩書きのみにされてしまった。
しかし日本国家が発展するためには、蘇我氏が確立しようとした
祭祀理論が必須だったように思える。
後にも残る仏教思想とは違う何かが封印されてしまったのだが
それが何だったのかを探っている。

しかしながらなぜ筆者が運命的に蘇我に関与する必然性があるのか
そこの謎が解けていない。
道君首名公-少彦名神-武内宿禰公と啓示を受けてきたが
自分の血縁である阿蘇氏と蘇我氏には繋がりがあるのだろうか?
蘇我氏はわれ蘇りたりという宣言に聞こえるが
阿蘇もやはり阿=吾が蘇るで蘇我と同意ともとれる。
阿蘇氏は龍の一族で阿蘇都媛の父は國龍神であり
夫は従兄弟に当たる健磐龍命となっている。
この阿蘇氏に繋がる龍神信仰と蘇我氏に繋がる龍神信仰に霊的な共通点を感じる。
太古において阿蘇氏の願いが蘇我氏の願いと同根なのだろうか?
また健磐龍命と同じとも云われる諏訪の建五百龍命であるが
諏訪にも龍神信仰が残る。
簡単に解けそうで解けない古代祭祀の謎がそこにある。
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