吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

アルツハイマーで失われるもの No535

2019-11-30 16:16:09 | 神霊界考察
記憶障害が酷いので11月16日に熊大病院で認知症の相談をしてきた。
過去の検査結果を含めて結論は出なかったのだが、
帰ってきて御神霊の御指示があった。
それで観たのがamazonプライムビデオで探し出した
「アリスのままで(字幕版)」2014年製作である。
具体的には嫁がその日の朝に「ルイスと不思議の時計」が
面白いから観てみたらと言っていたので、
それで御神霊の指摘はその映画だろうと思ったのだけど
認知症の自分はそれが「アリスと〇〇〇な時計」と認識されて
検索した結果が「アリスのままで(字幕版)」であった。

驚いたのが我が家の記念日が11月26日であり
私が1か月前に予約して空きを見つけて医者に相談した日も11月26日なのだが
この映画の主人公も医者に相談した初診日が11月26日であった。
そして映画を観た日も同日の11月26日という偶然だ。

アメリカでは若年性アルツハイマーの診断に
普通にPET検査をしているのかもしれない。
調べてみたら日本では自己負担らしく検査費用50万円(税込)だそうだ。
もちろん検査でアルツハイマーと診断されれば
進行を遅らせるアセチルコリンエステラーゼ阻害剤とか
γセレクターゼ阻害薬などが使えるようだ。
しかし最近は若年性の記憶障害と言っても
βアミロイドの蓄積によるもの以外も結構あることが判ってきているようだ。
なにせPET検査が自己負担ゆえに死後に解剖しない限り
βアミロイドの蓄積かどうか分からないのが現状だから
日本の医学界は闇の中を手探りで探っているような状態にあるみたいだ。

詳細は認知症疾患医療センターHP以下を参考にしていただきたい。

http://www.wakayama-med.ac.jp/med/dementia/ninchisyou/medicine.html


結局のところ病院から帰ってからの御神示なので
別のところにポイントがあるものと判断する。
半分試されているようなものである。
自分の認知症治療については当分お預けであることは納得している。

参考までに












ストーリ的にはまだ意識がはっきりしている自分が
未来の認知症が進んだ自分に睡眠薬自殺を図らせようとする物語なのだが
その映画の最後に娘が認知症の進んだ母に話す内容が主題のようである。



























御神霊のロマンにつき合わせられたのだとしたら困ったものであるが
死後に魂が天空に昇りオゾンホールを埋めるとは夢のある話だと思う。
最後の「永遠に失われるものは無い」というメッセージとは
もしかして私にアカシックレコードを開示していただけるのだろうか?

※「さくら様のコメントでさらに二つの課題が課せられましたので追記することにします。
御神霊は意外としつこいのです。最後までお付き合いください。
まず一つ目は『エンジェルス・イン・アメリカ』で分かったもう一つの主題です。」

「アリスのままで(字幕版)」唐突に発せられて映画のストーリーから推し量ることが
出来なかった最後の3コマをUPする。








「エンジェルス・イン・アメリカ」のTV版の最終章も張り付けておく。

























全く同じことを言っているのだがこちらでは
これからの科学的な進歩は苦渋に満ちているかもしれないけど
オゾン層が修復されるシステムのように
必ず希望が残されているということを伝えている。

一つ目の課題はクリアしたがもう一つの課題は
さくら様がコメント欄でご指摘の「その魂は、『飢えや戦争や疫病で死んだ人々の魂が』と
限定しているのです。死んだ人全員ではないのです。」

この課題なのだが、
答えは薄々分かっているものの説明が面倒なので勝手に省いた部分となる。
イデオロギーの対立が再び世界大戦の火ぶたを起こそうとしている。
かつて猛威を振るった共産主義は完全に崩壊している。
しかしながら社会主義は自由主義圏内でかなり盛り返している。
宗教的にも信仰の原点の問題ではなくイデオロギーの対立が激しい。
ここで『飢えや戦争や疫病で死んだ人々の魂が』と限定したのは
宗教イデオロギーに配慮しての結果と言える。
逆に言えば「信仰的にも生活的にも豊かで幸せな人」は
死後どうなるのかを考えれば答えは見えてくる。

キリスト教やイスラム教はカルマと輪廻転生観が存在しない。
イスラム教では信仰者は死後ハーレムに行く。
そこにはフーリーと呼ばれる天女達がいる。
その肌は白く金髪の乙女で処女だそうだ。
フーリーは天国に来たイスラーム信者の男性のセックスの相手をするとされ、
一人につき72人のフーリーが相手をするともいわれる。
天国のイスラム教の男たちは処女の花を散らすのに忙しいそうである。
それが故にフェミニストのイデオロギーは煉獄の炎となる。

キリスト教がらみでは千年王国イデオロギーが存在する。
終末の日が近づきキリストが直接地上を支配する千年王国が来て
死者が蘇るのである。そして至福の1000年間の終わりには、
サタンとの最終戦争を経て最後の審判が待っているとされる。

また16歳の環境活動家グレタ・トゥンベリさんの演説が話題となったが
まさに環境イデオロギーの使徒である。
二酸化炭素排出量 海洋ゴミ etc いわずもがなである。

人口がらみのイデオロギー論者も多い。
御存じか人間の平均寿命の延びはすさまじい。
縄文時代の平均寿命はわずか12歳であったという。
明治時代の初期でさえ日本人の平均寿命は
男女共に30歳台の半ばだったそうである。
寿命が延びるにつれて人口も加速度的に増加していく。
1万年前の世界人口は500万~1千万人。
紀元0年頃が2億~3億人、20世紀の初頭でさえ16億5千万人であった。
現在の世界人口は70億人。
約16万年前に現生人類が誕生して以来この世に生まれ出た
人類の総人口は約500億人と推定されている。
つまりそのうちの何と14%が今現世を生きている計算となる。

パンデミックイデオロギーについては
ワクチンの開発がそれを逆に発症させるという意見と
対策のためにもっと開発資金を投下すべきという意見に分かれる。
人口対策がらみで常に陰謀論がつきまとう。

記載途中 資料準備中







そしてイデオロギーは衝突し火花を散らすことになる。

私が信奉する御神霊は今回の検索でこういう情報をヒントとしてくれている。
人類の自然淘汰(自然選択)についてである。
淘汰とは種の配合において弱者より強者が生き残る法則だとされるのだが
それだと人生の後半になって問題となりうる遺伝子変異は
淘汰の範疇外となるはずである。
しかしながら「アルツハイマー 淘汰」で検索すると
米・コロンビア大学などが参加した共同研究チームによる論文で
認知症や喫煙者の遺伝子が自然淘汰されていることを報告している。

イデオロギーとは観念の事であるが
寛恕と和の精神でもって寛容を基本とし祈りを専らとする生活を送れば
自分なりの信仰心が芽生へ他者への攻撃から調和世界へと入れるようであり
その気持ちで科学技術を開発すれば観念を破り人類は導かれるという
答えが導き出されている。

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背振山の乙護法善神調査 No534

2019-11-25 12:12:25 | 神霊界考察
乙護法善神については2つの方向から導かれている気がする。
その一つは菊池則隆公が創建の菊池市の神来貴船神社が
その調査の開始点となっている。
菊池市の神来貴船神社と同じく菊池則隆公創建の神社で
上益城郡御船町高木にある神社の護此君神社が
呉姬(き)君神社ではないかと考察して現地に出向いたのだが
その際に上益城郡御船町大字木倉2446の乙護王神社にも参拝している。
検索で調査する限り熊本で唯一の乙護法神社の可能性が高い。
ただし祭神は素戔嗚尊等で乙護法善神は消されている。
ここの由緒書に四宮神社からの勧請のようなことが記載されているが
それは乙護王神社の北北西700mくらいの処の御船町の四宮神社のことだと推定されるが
菊池則隆公が再興したとされる四宮神社が菊池市下河原432にあることも気になる。
また菊池則隆公が創建した『四山神社参拝記 No493』で記載の荒尾市の四山神社との
繋がりもあるかもしれない。
その後玉名の蓮華院そばの山田日吉神社内の乙護法童子の神像との遭遇のことを
『玉名の山田日吉神社内の乙護法童子 No490』で紹介している。



この流れとは別に霧島神宮開山の性空上人が霧島から背振山に移って
背振山信仰を広めているがその中核となるのが乙護法善神である。
霧島の調査では性空上人の足跡を追っている。
『霧島高千穂峰で呉音神に感応した性空上人 No491』

それで今回背振山の乙護法善神の調査に出向いてきた。
乙護法善神とは佐賀市大和町大久保の乙護社のネット上の由緒を引用すると
「乙護社の祭神は乙護法善神で、天竺の主、徳善大王15番目の王子である。
法力のために使役され又仏法を守護するために示現する童形の鬼神を「護法」という。
乙護法善神は神通自在の人で、龍馬に乗り虚空を駈けて東方に去られ、
天竺の鬼門に当たる脊振山にとびつかれた。
徳善大王の御后は弁財天の化身である。
この大王夫婦は王子との別れを悲しまれ、龍樹菩薩に王子の行衛を尋ねられた。
龍樹は「これより東、日本扶桑の国の西に当たる肥前の国背振山に垂跡されて、
衆生利益の大願を成就された」と答えた。
その後、徳善大王・弁財天・乙護法らは脊振山の神として祭られるようになった。
上宮に弁財天 中宮に乙護法善神 下宮に徳善大王が祭祀されている。
伝教大師最澄が渡唐の時には
この乙護法善神は「色赤くして鬼神のごとし、左の御手に鉄の杖をつき」
現われになったという。
この乙護法善神を祀ったのが大願寺の乙護社であり、
大久保のは弁財天乙護社となっている。」
(参照 肥前州古跡縁起)※現地での由緒書きは無かった。

背振山周辺の乙護法神社は以下の通り複数あるのだが
祭神が乙護法善神と確認できたものは残念ながら無い。

 

https://drive.google.com/open?id=1gkH_NP21Ro4GzaqhsJKzlsAzz19xKTOh&usp=sharing

まず最初に向かったのは背振山中腹にある中宮霊仙寺(りょうせんじ)の
乙護法堂だったのだが出発がもたもたしていて
予定を大幅に過ぎて14時過ぎになってしまった。
ナビで旧国道385号側の霊仙寺の駐車場に向かっていたのだが
分岐部で道路が封鎖されていたようだったので
別ルートのループ橋側から迂回しようとしたのだけど
こちらも封鎖されていて通行できなかった。
それでもう一度戻って旧国道側を確認したら通ることは出来そうだったので
恐る恐る通行した。もちろん他に走っている車はいない状況。
それでなんとか駐車場まで行きつくことは出来たのだけど
到着は17:15でもう周りは薄暗くなっていて今から歩いて登るのは躊躇された。
でも登り口に時間マップがあり16分で乙護法堂に着くみたいだったので
懐中電灯を持って出発した。
すぐから登山道が倒木で通行出来なくてかなり嫌な感じだったけど
引き返す気にもなれないので強行することにした。

  

  

ちなみに神棚の中には乙護法善神と彫られた石碑が設置されていた。

次の日は背振山山頂近くの田螺仏と山頂の弁財天社にまず向かったのだが
途中背振神社の前を通ったので早朝に参拝してきた。
この日はお祭りが行われたようであったが特別に澄み切っていた。

  
  

山頂には脊振神社上宮がある。
ここには弁財天が祀られている。
ここからは博多湾を臨むことが出来る展望があり
過去より現在の航空自衛隊駐屯まで九州国防の最前線となっている。
まさに国防と技術革新の呉音神祭祀に最適な場所といえよう。

 

その少し下の航空自衛隊の敷地内には今でも役行者像がある。
 「自衛隊偵察隊員と役行者像」

自衛隊基地より下の登山道にたにし仏を祀るお堂がある。
 
  

もちろんこのたにし仏は頭に螺髪より大型のタニシ髪となっていることからも
乙護法善神であることは間違いないのだが
由緒書きでは密教金剛像となっているし現在の祭祀上は毘沙門天とされている。


修学院HP記載の写真とその文言は「乙護法善神は背振山の守護神」

  

 

どの乙護神社からも本来の祭神であるはずの乙護法善神の名は消されてしまっている。


記載途中





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出雲で目を灌ぐ No533

2019-11-13 14:35:54 | 神霊界考察
神に捧げた思いの見えない左目だが
最近右目も老眼に悩むようになり困っている。
それで右目のコンタクトレンズの度を車の運転ができる最低限の
視力0.7に落してなんとか日常生活に対応している。
その話を聞いていた友人が神在月の出雲神業ついでに
『目を灌ぐ』祈願の提案をしてくれた。

実は出雲周辺には目の神様がいるようである。
ちなみに筆者が祟られている方の歯の神様は不在のようだ。

まず有名なのが一畑薬師で「目のお薬師さま」といわれる。
そこの石造薬師如来の像の手に薬壺があり
醫王泉という井戸から引かれた水が出てくる仕掛けで
これを飲んだり塗ったりすると霊験あらたかという。

韓竈神社の近くの鰐淵寺も推古天皇の眼の病を治した霊験談が残る。
智春上人が当地の「浮浪の滝」に祈り
巖間より漏出する霊水を奉ったところたちまち平癒されたので
祈願成就のお礼に建立された勅願寺となっている。
ここにも薬師瑠璃光如来が祭られている。

意宇六社の一つとされる真名井神社の由来とされる眞名井の滝が
真名井神社のすぐそばにある。
眞名井の滝は滝壺で汲まれた水が古来より出雲国造の神火相続式や
新嘗祭の際に用いられたとされる霊水とされる。
ここの滝は出雲三大ガッカリの一つではあるが、
滝部分から塩ビ管で水が引かれているので飲むことも目を灌ぐことも出来る。
滝としての見どころはともかく霊水の味の方は
ミネラルたっぷりでとても美味しいし霊験も現かと期待したい。



出雲国‎一宮‎の熊野大社の上の宮跡の巨大な岩から滴り落ちる雫の
「明見水」もとても貴重な聖水である。
これで眼を洗うと悪いものが落されて目が良くなる。
実際に目を灌ぐとスッキリ感が半端なかった。



米子の賀茂神社天満宮の宮水は霊験あらたかな祈願の水という事で
今回は目の祈願としてこの水で目を灌がせていただいた。
この宮水は八十八になっても子を孕ませる霊力があったので
この霊験談から米子という地名が付けられたそうである。
『米子の秘密PDF』
ここの摂社に竹内神社があるがとても輝く神社なので参拝するといい。
ちなみにこの神社ではオリジナルキャラクターとして
「いつきくん」というものが創られている。



月山富田城跡は尼子氏の居城する山城なのだが
小高い山のかなり上の方となる七曲り途中に山吹井戸がある。
水が枯れることは無いと言われ
難攻不落な城の一因がこの湧き水にある。
井戸と言っても深さ15cm程度で飲む気にはなれない。
この山頂には築城以前から所在したと伝えらる勝日高守神社があるので
御神水であることには間違いないのだが
目に効果があるかは定かではない。
当方一言「こりゃあ結膜炎になるわ。」



玉作湯神社の境内の裏手の湯山主之大神の「願い石」のところに
「御神水真玉の泉」が湧き出ている。
石を撫ぜて御神水で目を灌ぐと2重の効果が期待できる。



私見であるが、本来の湯山主之大神とは足名椎の子供の櫛名田比売命と
建速須佐之男命の間の子である八島野命のことであろう。
清之湯山主三名狭漏彦八島野命=蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴
という表記から推察すると八島野命は建速須佐之男命が
蘇我系の櫛名田比売命の養子となって産んだ子のように受け取られる。
ちなみに『先代旧事本紀』では八島士奴美神の別名を大己貴神としているそうである。


余談ではあるが筆者の歯に関しては因縁の大和神社摂社の歯定神社の
『歯の御守』がやっと大和神社から頒布された。
今年の夏の参拝時にこの『歯の御守』を戴いてきた。



大和神社近くの中山大塚古墳の一部が削られて御旅所坐神社(大和稚宮)と歯定神社があり
歯定神社には少彦名神が祀られている。
中山大塚古墳は渟名城入姫命の塚とされる。
渟名城入姫命といえば、祟られた姫として名を残している。
崇神天皇もしくは垂仁天皇が渟名城入姫命に倭大国魂神を祀らせた。
しかし、渟名城入姫命の髪は抜け落ちて体も痩せてしまったため、
倭大国魂神を祀ることが出来なかった。
それで市磯長尾市に祀らせたという話が日本書紀にある。
たぶんこの塚は祟りの封印を少彦名神を使って丸ごとしているものと考えられる。
『大和神社参拝記 No124』にこの件は記載している。
またこの時に市磯長尾市の祭祀がきちんと為されていないことを嘆いていたが
今年夏の参拝時には大和神社の祖霊社が立て替えられていて
新しい由緒書きには市磯長尾市も祀ると付け加えられていた。

  

さてこの話を持ち出したのは『大和神社参拝記 No124』にも添付している
御旅所坐神社(大和稚宮)の由来の看板の件である。
『天照大神の候補 No130』にて須治比賣=天照大神=伊怒比売という話をしているが、
この伊怒比売は委奴国(ゐぬ国)の女王ではないかとの推論を今後検討したいからである。











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神魂神社の磐座 No532

2019-11-10 12:45:35 | 神霊界考察
神魂神社には何度かお伺いしているが
由緒書きに記載されている靈現地宿祢岩(天之磐座)というものが
とても気になっていた。
ここには野見宿禰が怪石と力試しをして
(霊験を感じた)天磐座大神を祀ったと記載されている。


野見宿禰といえば穴師坐兵主神社の相撲神社が思い出されるが
土師氏の祖として『日本書紀』に登場する人物である。
天穂日命を祖とする土師氏であるが菅原道真も土師氏の系統といわれる。

神魂神社は広大な土地を持っていたらしいが
裏山は現在は立正大学淞南高等学校になっている。
友人がこの学校内にある磐座は小宇宙だと言って案内してくれたのだが
扁額は出雲大神と記載されていた。



調べてみると2年前までは入り口の杉の木の前に鳥居があり
そこに掲げられていたようである。
天磐座大神が出雲大神とは謎が深いのだがとても気になることがあった。

まず以下の写真は神魂神社の裏参道途中の謎の摂社の写真である。
鳥居のごとく2本の杉の木がわざわざ植えられていることが判る。
特別な意味を持つ摂社のようだ。



ところがこの出雲大神の磐座参道入り口の杉の木は3本なのだ。
幹のサイズ等から同じ頃に同じ人達により植えられたものと推察する。

 

実はこの神域に入る前にも気になったことがある。
 
同じ系統の黒の御影石が3個あって全て三位となっている。
ここで示された「三」が何を意味するのかであるが
出雲の祭祀者は皆知っているものと思われるが
部外者として、この謎を解かねばならない。

こういう場合はいつも鍵をいただくようにしているのだが
今回はこういうヒントを戴いた。

 

 

これはただの石積みであり特段意味があるものでは無い。



ただ自分にそう見えただけの鍵とヒントであるのだが
これでおおよその見当がついた。

記載途中

20200811 追記
上記記載途中のまま9か月が経過したのだが
考察の遅れに対しての警告を受けている。


8月8日の報道で立正大淞南高で88人がコロナ(567)感染というニュース。
しかも県内での感染確認は123人ということである。
しかも今週JL123についてコメントしたのが最後の状況でのこの報道。
8888と123の567警告ということになる。
この記事は記載途中のまま考察を放置していましたが
本来解き明かした答えをもって完結させるべきなのでしょう。
でもあの時のこの記事の答えの感覚を忘れているので
もう一度最初から導いていかないといけません。
JL123における123の秘密も絡んでいるのでかなり面倒です。
正直なところ『この記事一本で57万6千円? No453』
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/6d3dfbc6ea0d8c7e738ec382566336c8
で出した答えの通りに
コロナ567を576に振り替える神業を行えば済む話ではありますが
自分的には記事は書いても今その祭祀を行う気力に欠けています。
慎重に対処していきたいと思います。
ただその祭祀等についての答えは理解できているので
今後ブログに状況等を記載していきたい。








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備考用 一元大武とは

2019-11-08 23:53:12 | 神霊界考察
記憶断片 未整理

一元大武を辞書で調べると以下の様な意味が書かれていた。
牛の異名、元は頭、武は蹄迹、牛肥ゆれば迹大、故にいふ。
さらに中国での用例を確認するために
一元大武をbaiduで検索すると意思指古时祭祀用的牛。 出自《礼記·曲礼下》と出てくる。
古代に殺牛祭祀に使われた牛の事を言うらしい。

殺牛祭祀については以下の文献に詳しい。
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/RO/0001/RO00010L015.pdf

記載途中



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美保神社 境外の天神社参拝 No531

2019-11-07 12:18:34 | 神霊界考察
2010年にこの美保神社の境外の天神社参拝したときのことを
島根半島の美保神社の摂社の天神社 No139』に記している。
この神社の写真については調べてみると『Xの悲劇 No313』に載せていた。
非常に重要な神社であるということなのだが
ボロボロで全然整備されていないことを嘆くとともに警告している。
嬉しいことに今回行ってみると社殿はちょうど建て替え終わったところであった。
まだ竣工前で外構工事の途中だった。
まだしめ縄も張られていなくて御魂入れの儀式もされていないようだ。

この状態で呼ばれたということは
一足先に露払いで少彦名神を降ろして祈れという事だと理解して
お神酒を上げて社殿新築の喜びを寿いだ。

駐車場も出来社殿も新築されて10年越しで念願が叶ったことになる。

   

その後に美保神社で知ったのだが
美保神社の初期の宮司は鷦鷯(ささき)家であったそうだ。
鳥のミソサザイの漢字の鷦鷯と書いて「ささき」と読むことは初めて知ったのだが
この鳥の鷦鷯に関しては以下のような説話がある。
日本書紀 仁徳天皇元年1月3日条
応神天皇の子の大鷦鷯尊(仁徳天皇)と武内宿禰の子の平群木菟宿禰とは同日に生まれた。
その際、応神の子の産殿には木菟(つく:ミミズク)が、
武内宿禰の子の産屋には鷦鷯(さざき:ミソサザイ)がそれぞれ飛び込んだので、
その鳥の名を交換して各々の子に名付けた。

これの意味するところはもともと武内宿禰の血統が鷦鷯であり
その鷦鷯の血統を仁徳天皇が受け継いだという事なのだが、
そもそも美保においての鷦鷯とは、
少彦名神が鷦鷯の皮を着て海上を出雲の美保崎に寄り着いたと説かれるところにある。

つまりこの美保神社が少彦名神にゆかりがあり、
天津神が大国主命に豊葦原瑞穂の国の国譲りを迫った際に
事代主命がこの地で巫覡として少彦名神の御神意を尋ねたという経緯があり
少彦名神もしくは武内宿禰を信奉する一族が鷦鷯(ささき)を名乗ったものと推察する。



であるからこそ美保神社において天神社はとても重要な社なのだ。





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