goo blog サービス終了のお知らせ 

吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

鹿島香取の秘鍵 No358

2013-08-13 01:03:01 | 神霊界考察
まず自分自身にとってもいくつかの整理が必要でまだ混沌としている話がある。
この整理の糸口が見つからず放置されたままであったが
禮月様の『奇妙な夢の内容 No332』へのコメントで糸口を得た気がする。
まずこの奇妙な夢というのは
「八十八の秘密の扉を開示せねば封印は解かれぬぞ」というものであった。
そしてこの「八十八の秘密の扉」を開く秘鍵が地蔵菩薩にあることが分かった。
この考察の続きが『地蔵菩薩考察 No335』であるが
『奇妙な夢の内容 No332』で結論付けた久那土の神の感応のためには
『大地母神』の理解が必要とされていることまでが分かった。
調査の結果ここでいう大地母神は今回の神業に限っては「幸の姫神」ということになる。
「幸の姫神」は道祖神と呼ばれることもあるが
「久那土の神」と「幸の姫神」とが揃って初めて道祖神の効力が現われるようだ。
そして道祖神とは行くべき道を指し示す神力を発揮するが
その役割を記紀の記述では猿田彦大神が担っている。
「久那土の神」と「幸の姫神」が封印された後世では
それゆえに「猿田彦」と「天鈿売」の夫婦神でもって道祖神と為している。


ところで禮月様の奇妙な夢の舞台は琵琶湖だったそうだ。
それ故にここで出てくる神は猿田彦と水の女神だ。
琵琶湖の猿田彦といえば白鬚神社であろう。
この神社の祭神は比良明神=猿田彦であるが白髭神社と呼ばれているのは、
これはたぶん古来の呼び名の比良(ひら)が白髭の(しら)に転じたものだと思われる。
渡来人の信仰の影響も受けているようだ。
それでもなお比良を司る久那土の神の存在を感じ取ることができる。
比良明神とはクナド神といってもよいだろう。
安曇の奉斎する琵琶湖比良山にも登らねばなるまい。
石山寺縁起によると良弁が導かれたという比良明神は6千年も前からこの比良山?に住んでおり
琵琶湖が7度まで葦原になったのを見てきたという。

そして大地母神になぜ琵琶湖の水の女神が出てくるのかが疑問であるが
乾いた大地に水の恵みがあってこそ豊穣な土地となることの龍王の黙示だと感じ取れる。

さて今回の関東圏の神業において最も考慮の必要性があったのは
東国三社の一社である茨城県神栖市の「息栖神社」であったが
事前の啓示も虚しく何の成果も出すことが出来なかった。
この息栖神社はもともとは利根川の水際に面して建っている神社なので
今回の利根川関東圏神業の要となるはずであった。
この神社の特色は忍潮井という海水を押しのけて真水が沸くという
日本3大霊水として名高い井戸が存在し水の女神の神徳があること。
それから息栖神社の祭神が岐神=船戸神 及び
鹿島神宮の神を先導する役目を担った天鳥船神となっている事だ。

しかし参拝した結果では神霊界の門が閉ざされていて降臨を促すことが出来なかった。
もはや忍潮井も機能していない。水の女神の感応も無かった。
さらに気になったのは、この神社の元々の社が別の所にあったのではないかという事だ。
忍潮井も本当に水が湧いた歴史を持つのはここではなさそうだ。
本来なら主祭神とされる海の港の船戸神を起源とする岐神の霊気に
満たされた社であること望まれるが、残念なことにそうではなかった。
自ら清掃作業を行う宮司にも初老の疲れが感じ取れた。
やはり岐神を主祭神として祭祀するのは困難極まりないのであろう。

少し話が戻るが、良弁と比良明神との関係は、
東大寺の縁起では何故か良弁と三宝荒神となっている。
しかし私見では良弁が降臨させた三宝荒神は比良明神を筆頭とする三柱であると思われる。
そもそも役行者(役小角)が感得したという原始の三宝荒神そのものが
「久那土の神」と「幸の姫神」の夫婦神とその子神である「猿田彦神」という話も伝わる。

これら縄文時代からの古い神々は現在の神霊界の仕組みが違う時代の
生命の繁殖に関わる生殖神でもあるので今の日本人の観念とは倫理が違うようだ。
御神霊の実體を隠して別の三宝荒神などのイメージで祭祀する手段も必要な措置
なのかもしれない。
自分にとっては今までの祭祀の範疇から外れている。

さてここからが先ほど禮月様の奇妙な夢というコメントを通して
私に伝えられた神霊界からの啓示となる。
たぶん今回私が神事をスルーした「息栖神社」主祭神たる岐神のルーツは
琵琶湖の比良明神を勧請し祀った白鬚神社と接点があるはずだ。
たぶん関与したのは角大師とも呼ばれる元三大師であろうと思われる。
例えば西暦951年に向島の白鬚神社等には、
琵琶湖湖畔に鎮座する白鬚神社の御分霊が祀られている。
ここに祭祀したのは慈恵大師良源こと元三大師である。
白鬚神社=比良明神=猿田彦=久那土神と幸姫神の夫婦神=賽の神=道祖神=岐神
という流れで封印されていた岐神を庶民が祀る道が開けたものと思われる。
元三大師はそれほど偉大で影響力を持った人物だ。
ならば自分の神業においても元三大師の例が参考になるはずであるが
現在もなお元三大師そのもののへ信仰が存在している中で
角大師は祟ると手がつけられないとの話もありこれはこれでなかなか手が出せない。
ただ岐神=地蔵菩薩としての祭祀方法の可能性はありそうな気がする。

「久那土の神」と「幸の姫神」は岐神や塞の神とも呼ばれることがあるが
もっと古い呼び名としてミシャグジ シャクジという呼び名もある。
これらミシャグジ シャクジは石に寄り付く石神である。
このミシャグジ神は蛇体であるとも言われるが石神としては陰陽石の場合が多い。
物部系神道では石神は敵視され徹底的に破壊された歴史もある。
シャグジ石神は遅くとも室町時代までには道祖神と習合した地蔵として
シャグジに将軍の字を当て、将軍地蔵(勝軍とも書く)として武士の信仰を集めている。
縄文時代からの古い神々は教義を持たない素朴で恐ろしい信仰として
道祖神や地蔵などにまぎれこみ祟り神として信仰されてきた歴史がある。
もう少し具体的に話すと岐神や塞神は幽世と現実界の境目に居ます神であり
生と死の境である黄泉比良坂や村や街の土地の結界を司り
少しでも障りがあるとそこから災禍や疫病が流れこみ
村や街を全滅させる力をもった祟神として恐れられてきた歴史を持つ。
それは自分たちを守護する神霊への信仰とは別のものとして存在する。
恐れられた場所は村はずれの辻や村から山に入る際の谷道や峠道などだ。
そして大抵そういうところは古戦場だったりもする。
自分は幼いころ大分県竹田市の久戸谷という久戸谷隧道(トンネル)のすぐそばの
日の影でじめじめとして裏山が迫る防災地域に住んだことがあるが
そこは夜が得体の知れない恐ろしさを持って迫りくる処だった。
今考えると久戸谷という地名もクナド谷という意味なのだろう。
そういうわけでそういう得体の知れない恐ろしさというものも理解できる。

話が変わるが茨城から帰ってからすぐの今年7月に
熊本県山鹿市の平山地区というところを車で走らせていて
ふと感じるものがあったので写真を撮ったことがある。


  
向こうに奇岩群が眺められるが太古にはあの岩に対する信仰があったようだ。
次の週に久しぶりにこの岩のふもとまで行ってきた。

  
まるで後方に地蔵を従える陽石だ。
山鹿地方に住む縄文人は間違いなく地域のシンボルとして崇めていたはずであろう。
現代にも伝わる猿田彦神は佐太大神とも呼ばれるが、
大隅半島の佐多岬、愛媛県の佐田岬などの岬に名を残すほか
長崎鼻や大角鼻、爪木ノ鼻、猪の鼻など鼻という名でも残されている。
これは猿田彦神の道を指し示す神力の御先とか先頭とか突端とか先導とかに
あやかり付けられた名前だ。
同様に陽石も猿田彦神のシンボルとなっている。
今後の道を示す何かを伝えられるために呼ばれた気もする。
とりあえず課題として検討していきたいと考えている。

古い神々はある意味ではとても恐ろしくその祭祀方法も簡単ではない。
物部神族が封印せざるえなかったのも理解できる。
まさに『論語』の「鬼神を敬してこれを遠ざく」
「その鬼にあらずしてこれを祭るは諂ふなり」。
祖神でもないものを霊験あらたかなことに目がくらんで祭祀しても
先祖祭祀の礼に外れているということだ。

そのことは十分に分かってはいるのだが
封印が解けようとしている今、
黙って見過ごすことも道理に反するというものであろう。


コメント (30)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする