吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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日本国家鎮魂の奈良の毘盧遮那仏 No401

2015-05-17 18:48:25 | 神霊界考察
奈良の大仏は聖武天皇の発願で
745年に製作がはじまり752年に完成しているが
この大仏は毘盧遮那仏とされる。
『華厳経』から日本国家鎮魂の仏として導き出されたという。
毘盧遮那仏については真言密教第五祖の善無畏三蔵が
724年に『大毘遮那経(大日経)』を漢訳しているが
当時顕密双方で最新の仏ということになる。
ちなみにこの善無畏三蔵が『虚空蔵求聞持法』も漢訳している。
毘盧遮那仏はvairocanaヴァイローチャナ光明遍照と呼ばれ
もともとはインド神話でアスラ(阿修羅)族の王 
光の神とされる存在とされる。
日本においては天照大神 大日如来と習合垂迹されている。

インド神話のヴァイローチャナは悟りにおいてインドラ神に後れを取り
戦いにおいてもインドラ率いる神々の軍と世界の覇権を巡って戦い
その結果負けて戦死したとされる。
戦いの理由はヴァイローチャナの娘のシャチーをインドラに強奪され
陵辱までした後結ばれたからだという。

またvairocanaとvirocanaとを区別する場合は
vairocanaはvirocanaの息子とされる場合もある。
この息子とはバリbaliのことでマハーバリで知られてている偉大なる王である。

しかしながら華厳経において
ヴァイローチャナが宇宙の真理を全ての人に照らし
悟りに導く最上階の仏にまでどうやって昇華したのだろうか?
この経緯は謎であるが、
奈良の大仏の偉大なる大きさは世界の遺産と言っていい。
この毘盧遮那仏が真言密教では無限宇宙の全一絶対たる
大日如来のこととされている。
こうなると宇宙最高神ランキングを競い、
ゼウスやヴィシュヌやヤハウェなどと肩を並べるような
権威付けという感も濃い。

『阿字観』等で大日如来に感応出来る真言密教の高僧であれば
種子の成長の真実も知っていようが、
まあそれは秘密なのだろう。

さて話しが戻って知る人ぞ知る息子マハーバリは父の仇討でインドラ軍を倒し
天界・空界・地上界の三界を掌握する。
マハーバリの治世は喜びに満ち世界はあまねく光り輝いて富にあふれ、
三界のどこにも飢える者はなかったという。
しかし最高神ヴィシュがインドラの母の願いを聞き入れ
マハーバリを騙し討ちすることになる。
小人のヴァーマナに化身したヴィシュヌに
三歩分の土地を分け与えるとマハーバリは約束してしまう。
ヴァーマナは巨大化し、1歩目で大地を跨ぎ、2歩目で天を踏み、
そもはや3歩目を踏み降ろす場所を無くしたヴァーマナの前に、
マハーバリは3歩目の領地として最後に残された領地である
自身の頭を約束として差出し踏み殺されてしまう。
その律儀に感心したヴィシュヌは
冥府黄泉の国を支配することを許すという。

  

どうも日本の素戔嗚尊や西洋のルシファーにも繋がるストーリーだ。

ところで弘法大師空海の伝承では
大日如来が出てくる話をあまり聞かない。
空海を助ける神霊は不動明王であったり八大龍王神であったり
虚空蔵菩薩であったり大黒天であったりする。
特に空海が日本で広めた不動明王との縁は深かったように思える。
不動明王はアチャラナータといい、シヴァ神の異名とされる。
インド神話(ヒンズー教)では暴風雨神ルドラであり
ヴァイローチャナよりはるかに強大な破壊神である。
不動明王は右手に利剣 左手に羂索を持つ像が一般的であるが
空海が持つ金剛杵(ヴァジュラ)はルドラ=シヴァもしくはインドラの持つ武器なので
空海が招来した不動明王はまさにルドラ=シヴァを暗示したものになろう。
インドラはヴァイローチャナとの関係で流石に敵対しているので
ヴァイローチャナ≒毘盧遮那仏=大日如来をTOPに据える以上は
通説のインドラ由来の武器を持つとは考えづらい。
ここまで考えてくるとあることに気付く。
シヴァ神は別名のひとつがマハカーラで日本では大黒天とされる。
空海招来の不動明王と大黒天とは微妙な関係だ。

東寺に残る三面大黒天は空海自らが彫ったものという。
四国88霊場第12番札所焼山寺にも大師爪彫りの三面大黒天があるということになっている。
千葉の鋸山日本寺にも大師爪彫りの三面大黒天があるということになっている

成田山新勝寺の御本尊不動明王は
弘法大師空海が自ら一刀三礼の祈りをこめて敬刻開眼したものといわれる。
神護寺護摩堂の不動明王像も空海作だったが現存しない。
金閣寺にある石不動明王も空海作とのこと。

封印には大黒天を使い、救済には不動明王という使い分けがなされている。
大黒天の背後にシヴァの霊力があることには異論がない。
しかし空海が招来し祈願する不動明王の実体は何であろうか?
火炎を背負うのに水の氣が強い御神霊だ。
大日如来の加持身という通説を特に否定するつもりは無い。

福岡の志賀島に元寇の退散祈願をしたという火焔塚がある。
空海が長安にいるときに恵果より材木を与えられて、
空海が自ら彫り恵果によって開眼されたという
空海にとって最も大切だったと思われる波切不動明王を
高野山よりここに持ち出して祈願したらしい。
この火焔塚は国家鎮魂の大聖地であるが
この地で祈るときに感じる神霊は人型ではあるものの
艶めかしい龍王神である。
先達がこの龍王神を倶利伽羅龍王と呼んでいるので
私もそう呼ばせていただきたいと思う。

不動明王の変化身ではなく逆にこの倶利伽羅龍王が
空海が感応した不動明王の本当の姿だと思っている。




      







この龍体は乙姫ではなかろうかとも思われる。

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キリスト教の原罪と弘法大師空海 No400

2015-05-11 15:48:57 | 神霊界考察
金星の女神についての考察を前回より記載している。

『十一面千手観音』を手に入れたので
そのことを記事にしたが
この十一面千手観音像がきてから導き出されたのが
『バビロンの女神イシュタル』であった。
そしてこのイシュタルのレリーフが何度も出てくるのは
虚空蔵菩薩もしくは金星神を暗示していることを示したが
もう一歩核心に踏み込むように導かれているようだ。

キリスト教(ローマカトリック)のもっとも原点というか根源にあるのが
原罪意識と他力本願である。
これは人類は生まれながらにして明星であるルシファーに従い
禁断の果実を食べた血統にあるということだ。
そしてこの禁断の果実とは『知恵の実』のこととされる。
簡単に言えば人類を他の動物と分ける一線が『自我を認識する知恵』であるが
これを神の教えに背き食べたことが人類の罪と寿命という事になる。
その人類が持つに至った知恵というものは、
少なからず遺伝していくので全人類が背負う罪ということだ。



原罪についての話は旧約聖書 創世記に載る話だが
その後のキリスト教においてはその原罪について無数の解釈がある。
この解釈次第で宗教教義の根底が変わってしまうものといえる。

余談ではあるが仮の話を二つすると
まず禁断の果実を食べる前の人類は
DNAの97%が人と同じだというゴリラみたいなものだと仮定してみる。
それで人の一生とゴリラの一生を比較したときに
極論ではあるがゴリラの一生の方が大自然とともにあり
神に祝福されているかもしれないという推論が成り立つ。

話が跳ぶが、我家の隣家の猫は本能に従って
夢の生活といえる食う・寝る・遊ぶと
夜の生殖活動を謳歌しているみたいだが、
人間はそういう神の楽園の生活というものを
禁断の果実を食べることにより失ってしまい
人に知恵と能力の差が生じ、それにより人が人を差別し、
貧富の差をもたらし 悩み
挙句の果ては戦いに明け暮れ
生老病死を恐れて生きる種族となってしまったが、
それが我々が望む好ましい結果なのかということだ。

はっきり言って知恵や科学は
暴走し人類そのものを滅ぼす可能性がある。
類人猿500万年の歴史の中で文明を得た人類は
さらに今から500万年存続できるのかは疑問だ。
『やらかしてしまう』可能性が高い気がする。

このことを深く突き詰めたのが
知恵という禁断の果実を食べた人類というものの
根底に横たわる原罪という意識である。

加えて言えば旧約聖書の予言者は
人類が知恵によってもたらされた文明により
逆に滅ぼされることを感じ取ったのかもしれない。

これは明けの明星ルシファーの導きによるもので
人間は知恵を得る代わりに
この瞬間に神を裏切り不幸を得たことになるという結論が
論理的に導き出せるのかもしれない。
だとすると神学的には
破滅の道を歩み始めたということになる。

それをイエスキリストがわが身でもって
この原罪を贖罪しバプテスマの効果を
確立したことは実に偉大なことだといえる。
バプテスマの効果とは洗礼によって原罪を封印し
その信仰により奇跡を得る他力本願のことである。

さて弘法大師空海に話が飛ぶが、
延暦16年12月1日=797年12月23日に空海24歳で著した
『三教指帰』に以下の一文がある。

ここに一の沙門あり、余に虚空蔵求聞持の法を呈す。
その経に説くに、もし人、法によりてこの真言一百万遍を誦さば、
即ち一切の教法の文義暗記することを得と。
ここに大聖(仏陀)の誠言を信じて飛焔を鑽燧(サンスイ)に望む。
阿波国大滝嶽にのぼりよぢ、土州室戸に勤念す。
谷、響を惜しまず。明星来影す。

また空海の遺言の『御遺告』にはさらに
土左ノ室生門ノ崎ニ寂暫ス。
心ニ観ズルニ、明星口ニ入リ、虚空蔵光明照シ来リテ、
菩薩ノ威ヲ顕シ、仏法ノ無二ヲ現ズ。とある。

一般に空海が二十歳頃の修行中に
この明星が口に入る神秘体験をした場所は
室戸崎尖端の東側で国道55号に面した断崖の洞窟で
御厨人窟(みくろど)であると考えられている。

この虚空蔵菩薩と明星が口に入るということと
知恵が増すということを兼ね合わせて考えると
これは金星の導きにより「知恵の木の実」を
空海が口に入れたということであることは容易に想像がつく。
つまりアカシックレコードへのアクセスである。

これ以降空海は超人的な能力を発揮し
人々を感化し最終的に仏教の神髄を得るために
遣唐使船に乗込むことになる。

ちなみに禁断の実はAPPLEで表わされることが多いが
リンゴではないことが解っている。
それで本当はいちじくかブドウではないかといわれているが
それは金星=明星の比喩なのかもしれない。
占星学のRex Billsのルーラーシップブックによれば
金星の支配下にあるのは桃 梨 イチジクとなっているらしい。

空海は、延暦23年(804年)入唐し 大同元年(806年)10月 帰国するが
帰国後空海が広めた真言密教にはキリスト教の要素が組み込まれている。
ネストリウス派の景教が広まっており
空海は大秦寺の般若三蔵や景浄に教えを乞うたものと思われる。

ここで空海は自分の修した虚空蔵求聞持法が禁断の果実であり
原罪にも繋がっていると知ったはずだが
空海のその後の行動にもその影響があるはずだ。

さきほども述べたが
真言密教にはキリスト教の要素が入っていると云われ
空海は景教徒の景浄から洗礼を受けたといわれており
空海自身も一般に対して高雄山寺で灌頂儀式を行っている。
また真言密教には十字を切る動作がある。
空海の遍照金剛というのは洗礼名だといわれている。

しかし前述のように求聞持法により
明星との結縁があったことを考えると
キリスト教をそのまま受け入れたとは考えられない。
虚空蔵菩薩は空海をどう導いていったのか?
あるいは空海は自らをどう正当化したのか?

ちなみに虚空蔵求聞持法の超能力の効果については
空海の行動と言動により推察できる。
「御遺告」によれば、空海は唐において
6月に青竜寺に入って8月の阿闍梨の伝法灌頂までの3ヶ月で
真言密教の全てを習得している。
しかし最澄が空海に最初の結縁灌頂もしくは受明灌頂を受けた時に
「真言の全てを伝授される伝法灌頂を受けるのに何ヶ月かかるのか?」と
質問してその答えは「3年かかります」ということだったそうだ。
最澄の能力を持ってしても3年掛かるという。
自分は3か月でマスターしたがあなたは3年かかりますよと言ってのけている。
でもこれは皮肉ではないと思う。
つまり3ヶ月で真言密教の全てを習得したという空海の脳の情報処理能力は
通常の12倍の早さだったということになる。
そしてその能力を自他ともに認めさせることが出来たのだろう。

さらに話がそれるが、最澄も空海も僧侶としての資格は
東大寺戒壇院で得度受戒して得ている。
戒壇院は東大寺と大宰府の観世音寺の二戒のみである。
これが官による唯一の官僧資格取得方法とされる。
その後は最澄の建てた延暦寺にも戒壇院が出来て
争論の元となっている。
この顕教の戒壇院で得度受戒に対して
密教では灌頂によって法教が継承されている。
さて日本で最初に灌頂を行った人物は最澄である。
805年に高雄山の神護寺で行っているのであるが
この同じ高雄山の神護寺で空海も灌頂を行っている。
神護寺は和気清麻呂によって建てられている。
神護とは宇佐八幡の神意に基づいて建てた寺という意味を持つ。
この神護寺に空海は固執し後に自分の寺としている。
空海が最初に建てた宗像の鎮国寺と宇佐の神護寺には
深い意味があるようだがこの話は別の機会としたい。
灌頂はもともとインドの国王即位や立太子の際の儀式であったのだが
これを仏教に取り入れたのは龍樹だとされる。
龍樹については『八大龍王神の根源 No054』 『玄奘三蔵の原罪 No334』で神髄を述べているが
法華経で説かれる大乗仏教の衆生救済の菩提心と
般若心経で説かれる母性あふれる「智慧」というものが
形作られたのはインドの龍樹による功績といえる。
龍樹も金星の導きにより「知恵の木の実」を口にしたということだ。
そしてその後の龍樹を高度に導いたのが龍宮の大龍菩薩ということになる。

空海は龍樹由来の大乗仏教に
水の女神の龍宮意識を感じ取り
それにより金星由来の禁断の果実を口に入れた罪悪?を
災劫弭化する方法を得たのだろうと考えられる。

つまり表現を替えれば灌頂というシステムによる
免罪符を得たということになる。
それほど灌頂あるいは洗礼には霊的な力があるということなのだろう。
残念ながらそれ以上のことは
灌頂を経験したことのない自分には計りかねない。

真言密教のややこしいところは
『龍宮海蔵』の龍樹菩薩の系統に
真言密教の別の解釈である即身成仏の論拠たる
龍猛菩薩の瑜伽密教が流れ込んでいることにある。

しかしながら法華経の提婆達多品に述べられている龍女成仏の事例のように
「知恵の木の実」を口にした者への免罪符は
龍女が献上した(龍宮より持ち出された)
価値三千大千世界の宝珠をあるものに献上したことにある。

空海や龍樹が「知恵の木の実」を口にしたということを
先に述べたが、実は釈迦自身は生まれたときにすでに
明星の「知恵の木の実」を口にしていたと考えられる伝承がある。
釈迦は生まれてすぐ七歩歩いて右手で天を指し、
左手で地をさして「天上天下唯我独尊」といい
難陀・優婆難陀の二龍潅水という海水産湯を授かったということが
そのことを暗示している。

灌頂は以上のように本来龍宮由来の宝珠の力によるものなので
四大海の海水を用いる。
もっとも須弥山の四方にあるといわれる四大海がどこを指すのかは
秘密である。

禁断の果実である『知恵の実』を口にする事は
自我の目覚めに他ならないが
それは持って生まれた本能との決別を意味する。
しかし『知恵の実』はそれのみで『理性の実』でもある訳ではない。
自我は苦しみをもたらしその苦しみを他へ伝染させる。
それを断ち切る手段を釈迦は絶望という悟りにより得たが
成仏した龍女が渡した価値三千大千世界の龍宮の宝珠のなかには
仏性の種子が人類の数だけ入っていたはずだ。
衣裏繋珠の例えにもあるように釈迦の道とは違い
大乗仏教の道は一人一人が戴いた宝珠を頼りに絶望することなく
悟り=成仏に至る道だ。



*********************************************************************

恵印灌頂  恵印法流は、醍醐寺三宝院を開いた聖宝(理源大師)が、
寛平7年(895年)、金峯山(大峯山)中で金剛蔵王菩薩に化身した役小角に導かれ、
役小角以降、途絶えていた大峯山を再興し、
龍樹菩薩から「霊異相承(れいいそうじょう)」をもって伝授されたことから始まる。

つまり密教においては灌頂がスタートとなる。

弘仁3年(812年)11月15日、高雄山寺にて金剛界結縁灌頂を開壇した。
入壇者には、最澄も含まれていた。さらに12月14日には胎蔵灌頂を開壇。
入壇者は最澄やその弟子円澄、光定、泰範のほか190名にのぼった。


灌頂とは曼荼羅諸尊の世界に仏弟子を引き入れ仏菩薩と結縁し、
密教の継承者とし大日如来の智恵の水を灌ぐことで自らの仏心を開く密教最高の儀礼。
古くはインドの王位継承のために周囲の四大海の水を頭に灌ぐ儀礼がのち密教化された。
わが国においては伝教大師最澄が延暦24年(805)に高雄山寺で灌頂を行ったことに始まるが、
翌大同元年(806)に弘法大師は密教の法脈と仏具・経典を携え唐より帰朝し本格的な密教を伝えている。
そして弘仁3年(812)には高雄山寺において弘法大師が金胎両部の灌頂壇を開き密教相承の灌頂が行われた。
以来、密教の相承には必ず灌頂が行われ、
現在に至る1200年もの間、密教の法灯がこの灌頂によって継承されている。

最澄は延暦4年(785)19歳のとき東大寺の戒壇で具足戒を受けた

空海とおなじ延暦23年(804)7月、遣唐副使の第二船に乗って出発

最澄は8ヶ月の入唐期間のうち6ヶ月をこの台州に留まり、
そのほとんどを龍興寺で過ごす。

805年 5月18日 遣唐第一船に乗船し、日本に向け出航。
恵果阿闍梨は延暦二十五年(八〇五年)十二月十五日に入寂してしまう。

大同元年(806年)10月、空海は無事帰国

本来の留学僧は二十年滞在のところを二年で帰国

「御遺告」によれば、6月に青竜寺に入って8月の阿闍梨の伝法灌頂までの3ヶ月

空海が最澄に行った灌頂は、結縁灌頂もしくは受明灌頂であったとされている。
最澄が望んでいたのは伝法灌頂であったとされ、
この時の灌頂が終わった後に最澄は空海に
「真言の全てを伝授される伝法灌頂を受けるのに何ヶ月かかりますか?」と質問したとされています。
それに対して空海の答えは「3年かかります」であった。
「3ヶ月ほどで終わるのかと思っていました。もし数年かかるのであれば、
暫く比叡山に帰って、後日学びに来たいと思います」と言って、最澄は落胆したとされている。

最澄の「法華一乗」と「真言一乗」は同じ大乗仏教であり、何ら相違ないという立場と、
空海の顕教と密教とは次元が異なるという思想により、双方は離別していく。






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バビロンの女神イシュタル No399

2015-05-06 09:12:56 | 神霊界考察
最近なぜかよく見かけると感じている写真がある。
それが以下の写真なのだが
バビロンの女神イシュタルという。
この神はシュメール神話の金星の女神イナンナに相当する。
獅子を踏み台にフクロウを従える
羽根と鳥の足を持つ天使の図柄だ。




以前 『イザナギVSイザナミとミカエルVSルシファー No253』
『麻の葉六角紋から八角紋への展開 No301』
金星の女神ルシファーについて言及しているが、
その歴史を遡ると
バビロンの女神イシュタル シュメール神話の金星の女神イナンナにたどり着く。
さてこの金星の女神には『冥界下り』という物語がある。
どうもこの金星の女神はキリスト教徒からは、「大淫婦」と呼ばれて蔑まれていたが
この物語がルシファーの堕天の物語に繋がるようだ。
太陽神ウトゥ/シャマシュ 月神ナンナ/シン 金星神イナンナ/イシュタル3人は血族で
シュメールでは月神ナンナの子は太陽神ウトゥと金星神イナンナとなっている。
日本では月読神 天照大神 素戔嗚尊の三貴神の話を思い起こさせる。
素戔嗚尊の『冥界下り』も類似している。

さて封印された国常立神は大本教の教義では艮の金神であるが
丑寅の守り本尊といえば虚空蔵菩薩となる。
虚空蔵菩薩の応作は明星天子でありその本体は金星とされる。

※天台大師智の法華文句巻 二下に「普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作なり」とある。
つまり封印された国常立神は金星神であるともいえる。
このイシュタルのレリーフが何度も出てくるのは
虚空蔵菩薩もしくは金星神を暗示していたようだ。

なるほど虚空蔵菩薩から思い出されたのが
阿蘇国造神社のことだ.

阿蘇の国造神社と熊本霊ラインとの関係については
『熊本霊ライン基点の御坊山の鯰と阿蘇国造神社の鯰 No361』で考察しているが
阿蘇の火山の鎮めの祈願では国造神社が要となるようだ。


 

しかし金星神を国常立神とするのは大本教由来で
一般的には素戔嗚尊が当てはまる。
ただ本来の金星神は女神であり
この神が『冥界下り』して台地母神となる話が元にあるはずだ。

ところでギリシア神話の金星の女神アフロディテ=ビーナスは
海神の血統となっている。
金星神に海神の血が血統として入り込んでいるのは
海原の神としての素戔嗚尊にもつながる話で重要なポイントだ。

阿蘇に出向いて祈願していたが
私の場合は熊本霊ラインを通じて
国造神社に働きかけた方が
効果が大きいということを示しているようだ。

                        
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十一面千手観音 No398

2015-05-04 00:24:12 | 神霊界考察
阿蘇の火口の遥拝からの帰り道のグランメッセ熊本で
骨董市があっていたので寄ってみた。
ここでネパールで作られたと思われる十一面千手観音に
興味を持った。
というのも袈裟の絡子環部分に不思議な図柄が彫られていたからだ。

  

角がある動物の顔だとは思うが
どうしても角があるサタンの顔をイメージさせる。



それでじっくり見ていたら店主が寄ってきて
いくらでもいいので買ってくれという。
とはいってもこちらも欲しいから見ていたわけではない。
それでネパール製の洋銀の像はネットで安く買えるので
高いお金は出せないと伝えた。
そしたら再びいくらでもいいから買ってくれという。

それでなんとなく買うことになってしまった。
前回の記事で書いたが阿蘇の火口では
十一面観音が祭祀されているからだ。

この像は阿蘇の十一面観音との縁があるのだろうか?
今後しばらく手元に置いて縁のあるなしを探っていきたいと思っている。
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阿蘇神界と火山神 No397

2015-05-01 23:06:45 | 神霊界考察
阿蘇の神界について話すことは恐れ多いが
日本だけでなく世界にとっても
非常に重要な神霊界であるとだけは伝えておきたい。
さて今回の私の祈願でも
祈りの対象を明確にすることは大切なことなのだが
阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していて
どうしても祈願は龍神界に感応してしまい
神界の蓋を開けるのはなかなか困難となっている。

前回の記事『霊的考察ではありませんが.... チリの噴火の巨人』
コメントでみなさんに火山の神について考察していただきましたが
阿蘇神社の祭神の健磐龍命は火山神とも云われるものの
阿蘇おんだ祭で神への供物の膳を頭の上に乗せて運ぶ女性の
(宇奈利と呼ぶ)人数は、
阿蘇十二神に火の神と水の神が加わった十四人となっている。
つまりこの火の神と水の神が火口の神だと考えられる。

阿蘇の中世の歴史を紐解くと
まず中国『隋書 倭国伝』581-618年には
「有阿蘇山、其石無故火起接天者、俗以為異、因行祷祭。有如意寶珠、其色青、
大如雞卵、夜則有光、云魚眼精也。
新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。」と記されている。
訳文は
「阿蘇山があり、そこの石は故無く火柱を昇らせ天に接し、
俗人はこれを異となし、因って祭祀を執り行う。
如意宝珠があり、その色は青く、雞卵のような大きさで、
夜には光り、魚の眼の精霊だという。
新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、
これを敬仰して常に通使が往来している。」

隋の時代にすでに倭国の自然崇拝の祭祀が
中国にまで伝わっていたことになるが
富士でも出雲でも宗像でもなく
阿蘇山のみ祭祀の記載があるという特殊性を理解していただきたい。
また如意宝珠については謎ではあるが
私は阿蘇の火口の寶池のことだと勝手に理解している。
というのも以前飛行機から火口の寶池を見た際に
エメラルドグリーン色の丸い眼のようだと思ったことがあるからだ。
それに火口と宝池とで火と水とのペアになる。

 


阿蘇山岳仏教の開祖は天竺インド出身の最栄読師であり
阿蘇山上で感応し十一面観世音菩薩を自ら刻んで本地としている。
これ以来阿蘇は観音の山であり山裾に寝観音を感得し
「三十七坊五十一庵」が建ち並び一大霊場となる。



また十一面観世音菩薩の伝承にはもうひとつ話がある。
木練上人と呼ばれる行者が
阿蘇の本当の主を知ろうとしたという話が
「彦山流記」に載っているらしい。
内容はネットからの拝借であるが
木練上人が阿蘇の本当の主を知ろうと
火口で般若経を一生懸命に唱えていると、
まずタカが現れ、更に僧侶・小竜・十一面観音が次々に現れたが、
その一つ一つを池の主ではないとしりぞけてお経を唱続けた。
やがて山は動き池は騒いで、九頭八面の大龍が出現した。
これぞこの火口の主と信じ目的を達成したと思って
山を降りようとするとにわかに大雨が降って、
川は洪水になり、渡れないので
山中の道を探して道に迷ってしまう。
すると一軒の小屋があり、一人の若い女人がいた。
女人に泊めてくれと頼むと快く承諾した。
この女人に着物を借りると上人に欲心が起こり
まだ知らない男女の交わりを試そうと女人を押えつけた。
女性は抗うこともなくまず口を吸えといったが、
上人は自分は日夜、口で秘密真言を唱える身だからそれはできないという。
しかし、女性はそれでは目的が達せられないというので、
しかたなく上人が口を吸ったとたんに舌をかみきられた。
上人は気絶してその場に倒れ、女性は大龍になって天に昇った。
上人が意識をとりもどしてあたりを見ると、
女性も家もなく山中に独り取り残されていた。
上人は犯した罪を悔い、不動明王に祈願し
舌をもとどおりにして下さいと一心に真言を念じた。
そうして念じていると四~五歳くらいの童子が現われて上人の舌をなでた。
すると舌は元どおりになり心身ともに安らかになった。

そのとき空から声があり「御岳に登って実体を拝すべし」という。
そこで上人はただちに御岳に登ると、
再び空から声があり「眼根に支障があるから本物を見ることが出来ないのだ」という。
そこで、上人は印を結びひたすらひたすらざんげの行をしていると
そこに現れたのが十一面観音の姿である。
上人が望んだ池の主の実体で
仏の慈悲によって人びとの幸せを広めようとする姿である。
上人は欣喜雀躍し、礼を言って山を去った。

さて阿蘇には龍神界と神界が重なり合って存在していると述べたが
三体の龍神が火口にはおられる。
過去より何人もの霊能力者が口を揃えて龍神様が居られますと言っている。
どなたが建てたのかは解らないが
山頂の阿蘇火口の山上神社の横には三体の龍神の石碑も建っている。

右  尊壽光王龍王神
中央 龍宮大霊最上尊
左  燈明蓮女龍王神



吉田一氣はこの三体の龍神を
国龍神 健磐龍神 龍宮乙姫として祭祀している。

もし封印された神が居られて
その封印解除により神界の蓋が開くとしても
そいう神業を私は主目的として進めようとしている訳ではない。
大難を小難に小難を無難に
まつり替えていただくことをのみを目的として祈願している。


※龍宮乙姫の真実について
『日本国家鎮魂の奈良の毘盧遮那仏』で自分の思うところを記載している。






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