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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神と大元帥明王尊 No570

2021-07-28 23:56:36 | 神霊界考察
妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神の祭祀では
具体的には日本国の国防と技術革新及び
国防強化のために国内反日勢力の封印の祈願をしている。

日本の過去からの伝統において鎮護国家の祈願が為されてきているが
聖武天皇は国分寺・国分尼寺の建立して鎮護国家の祈願の基礎とされ
なかでも東大寺には盧舎那大仏を造立している。
ここでは『大方広仏華厳経』や『金光明最勝王経』を
鎮護国家の経典としている。

天台宗においては慈覚大師円仁により鎮護国家祭祀として
熾盛光仏頂如来を祭祀する「熾盛光法」が厳修されている。
また智証大師円珍が伝えた北極星を神格化した尊星王を本尊とする
「尊星王法」による国家安泰の祭祀が三井寺で行われている。

※智証大師円珍は分離した寺門派の祖となった人物であるが
赤山明神の神格を泰山府君から新羅明神≒神格化した張宝高(張保皋)としたり
妙見菩薩を尊星王に替えたり
円珍請来の五大尊像で分かるように
五大明王の北方の守護を金剛夜叉明王から烏枢沙摩明王としたりと
東密などに対する対抗意識が強く若干お騒がせな人物であるとの印象が拭えない。

真言宗においては東寺で後七日御修法(ごしちにちみしほ)が加持祈祷される。

しかしながら太平洋戦争の敗戦後鎮護国家の国防祭祀は
形骸化されてしまった感が強い。

ましてや神道においては国防を超えた「八紘一宇」が封印されたままである。

さて斎姬山門五音大神の祭祀に一言では説明できない訳アリで
「マハーカーラ大黒天」と「クベーラ毘沙門天」に援助願っているが
この縁が「アータヴァカ大元帥明王尊」に神霊的に繋がりそうである。
平安時代前期の僧の常暁が承和6年(839年)唐から持ち帰り
法琳寺に伝えたとされる大元帥法は天皇がいる宮中のみで行われ、
臣下がこの法を修めることは許されなかったとされる。

参考「鎮護国家と秘仏大元帥明王」

「ノウボウ・タリツ・タボリツ・バラボリツ・シャキンメイ・シャキンメイ・
タラサンダン・オエンビ・ソワカ」

文明を創りまた壊す御神霊である斎姬山門五音大神の国防神としての姿は
まさに大元帥明王と被っている。



 

 醍醐寺に伝わる賢信筆大元帥明王図 (まさに本質がうかがえる)

 ワシントンDCのフリーア美術館に彩色豊かな大元帥明王尊図がありました。

本質については『追記 咤枳尼天の日本仏教への影響  No390』
ジャッカルと蛇考察も参照していただきたい。
あとなまめかしく垂れ下がる肌色の手の意味はどう考えたら良いのか?
※記載途中

2021/09/03 03:11:43 さくら様への返信にて以下の事をコメントしている。
大元帥明王の役割については私の私見となりますが、
妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神は
もともと左回りに移動しながら文明を創造しそしてまた破壊する神霊だと感じて
そう説明しています。
創造と破壊とを考えた時に維持を司る神霊も存在するのではないか
と以前より考えていました。
斎姬山門五音大神に日本に留まっていただくために
ハズキ大神とハミト大神に祈願していますが、
もともと維持を司る御神霊と考えた時に
鎮護国家の御神霊である大元帥明王の感応がありました。
それで国防祭祀に取り込むことにしました。

なぜ吉田一気に大元帥明王の感応があったのかという事だが
『寒巌義尹(かんがんぎいん) の感応  No387』に記載している最後の文章と繋がってくる。

「寒巌義尹禅師から瑩山紹瑾禅師を通して玄翁禅師に伝えられた秘術は
今もうわさされる荼枳尼天の修法とは違う健全なもののようだが
それがどう伝承されているのかは筆者は知らない。
ただ「只管打坐」一本であり
内自性を見て動ぜざる厳格な曹洞禅宗にあって
咤枳尼真天を信奉するという特別な違和感を超えるものが
その秘術にはあることは確かなようだ。
邪悪なものを調伏し国家を守護する秘術であるといえよう。」

どうも私に与えられた課題があるようである。
蛇 ジャッカル 狐 犬 
やはり狗奴国にまで遡る秘密であろうか?

筆者コメント添付 醍醐寺に伝わる賢信筆大元帥明王図を観て
周囲に配置された女性陣の多さに何故と云う疑問が最初わきました。
その時に脳裏に閃いたのが釈迦涅槃図でした。

釈迦には釈迦の母の摩耶夫人(マーヤ)
釈迦の妻 は第1の妻:ヤソーダラー(耶輸陀羅) 
第2の妻:マノーダラー 第3の妻:ゴーパー
とか第一の妻との間に子供とか親族がいます。
もしかするとなまめかしく垂れ下がる肌色の手の正体は
釈迦如来なのかもしれません。
側から東密を窺うと原始キリスト教(景教)の影が
見え隠れしているように感じます。
憶測ですが大日如来をヤハウェに例えた時に
釈迦はキリストに例えられます。
キリストの犠牲の血が人類の贖罪をもたらし尊いとすれば
釈迦の死も大元帥明王を通して
国家をも守護する護法の力と還元されるという
発想が生まれたのかもしれません。
大元帥明王が明王中の明王であり
不動明王に匹敵する霊験を有するにはなんらかの
理由付けが必要でありそれが上記の話につながるのではないかと
今は想像しています。

はいせ様へ 1234kmには啓示が感じられますが何せ遠いですね。




さくら様コメントを添付
2021/12/02 20:43:16 大元帥明王尊
日経新聞11月30日の記事に
「法隆寺 塔本塑像四面具」と言う美術ライターの書かれた記事がありました。
その写真を見たときに、洞窟、岩窟の内部を表しているのです。
法隆寺五重塔は、釈迦の遺骨を祀る、寺の中心。
塔の初層四面を金越しに眺めると鍾乳洞のような風景が見えてくる。背景となるのは山岳だ。
世界の軸である聖なる山は仏教なら須弥山、道教なら蓬莱山とされた。
その山を中心に釈迦の誕生から涅槃に至る仏典の物語から抜き出した有名な場面が
群像と共に精巧に表現されている。

この写真を見たときに、醍醐山の大元帥明王尊の絵の事を思い出しました。

遺骨=オシホネ=忍骨命=生玉「能作生玉」
香春神社の祭神、最澄が渡国前に訪れる。
生島と足島。
生国魂神社はイクタマ、生玉を祀ります。
生玉は生卯で、玉卯のことだとコメントに記載しました。
生田神社。生玉をお祀りするようです。
ココは兎毛通という
唐破風(からはふ)の中央につく懸魚(げぎょ)。普通の懸魚より平たい。〔日本建築辞彙(1906)〕
があります。
長野の生島足島神社もこの兎毛通です。
https://blog.goo.ne.jp/momosi77/e/d08231decf915a6b15c74de43b294bdc
姫路城、西宮神社、書写山円教寺などもそうです。
阿比太神社もそうだと思います。

ということは、やはり、大元帥明王は釈迦の骨、生玉が修まっている絵なのでしょうね。
コメント (52)
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守護の石 翡翠のお勉強 No569

2021-07-19 14:49:55 | 神霊界考察
日本では縄文時代から大切にされてきたヒスイは
主に古代越の国と呼ばれた糸魚川および糸魚川周辺地域で産出される。
『万葉集』に詠まれた「渟名河の 底なる玉  求めて 得まし玉かも
拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜しも」
(巻十三 三二四七 作者未詳)の珠は翡翠の珠の事である。
そして渟名河で思い起こされるのが大国主神求愛の越の沼河比売である。
出雲の玉造では越の翡翠を求めたのであろう。
翡翠は産出も限られているが加工も難しいので
この時には技術交流もあったはずである。

しかし奈良時代に忘れ去られた翡翠が日本で産出されることが
再発見されたのは昭和14年の事である。
この発見に相馬御風が関わっていたのかは永遠の謎である。
『相馬御風の沈黙』

ただ日本での古代からの翡翠の加工については
奈良時代に藤原氏によって消された蘇我氏の歴史の一つである。
もともと蘇我氏は玉造工房を奈良県橿原市はじめ
いくつかの地域に持っていたと推察している。
有名なものは奈良の「曽我遺跡」で
古墳時代の5世紀後半~6世紀前半にかけて、
勾玉・管玉・丸玉・小玉などの玉製品を大規模に生産していたとされ、
「曽我遺跡」からそれらが大量に出土ししている。

道君氏は越の国の豪族であるが
570年(欽明31)に加賀に高句麗船が来着した際に
加賀の豪族道君が大王と詐称して高句麗の使節を迎えたということが
日本書紀に記載されている。
これをチクったのが江沼臣裾代である。
しかしながらなぜか朝廷から罰は与えられなかったようである。
『福井県史』によると道君は手取川の南側を支配し
それより北側は江沼臣の支配下ではないかというような事を書かれているが
道君が蘇我氏の系統とされたり
越道君伊羅都売が天智天皇の妃となっているし
道君首名公が 大宝律令の選定に携わるなど
地方一豪族としては破格の扱いと思える。
これは蘇我氏と越の翡翠と道君とに古代から深い繋がりが
あったためであると筆者は考えている。
ちなみに越の翡翠加工は五世紀半ばで中断されており
それ以降は蘇我氏に引き継がれたようである。

現代において最も品質の良い翡翠はミャンマーで産出される。
マンダレーのヒスイ市場は有名であるしカチン州パカンでは
2020年7月2日に大規模な地滑り事故で150人以上が被害にあったと
日本でも報道されている。
そして最大の翡翠企業のミャンマー・インペリアル・ジェイド社は
バイデン大統領の軍事クーデター制裁対象となっている。

翡翠というのは中国では硬玉と呼ぶヒスイ輝石の事であるが
理想化学組成は NaAlSi2O6となっている。
ところが実際のところ翡翠は他の宝石とは違い分類上は岩石である。
従って宝石学上はヒスイ輝石90%程度を翡翠と呼んでいる。
輝石というものは22種が知られているが
オンファス輝石などは翡翠の中に共存して
緑色に輝いたりするのでややこしい話となる。

エッケルマン輝石やコスモクロア輝石などを主体としたものは
ヒスイ輝石が混じっていても本翡翠ではない。
また糸魚川周辺は河川や海岸で収集する場合は
ロディン石や緑色の石英を翡翠と勘違いしている場合が多い。
これは舐めたり透かしたり独特の脂ぎったようなテリを確認したり
繊維状結晶を確認するしかないのだが
最終的には加工作業で靭性を確認するのが早い。
本翡翠はすべての鉱物の中で最も割れにくい靭性を持っている。
とはいうものの1万円で買った翡翠をハンマーで叩いてみたら
割れた経験もあるので叩くより切削での確認をお勧めしたい。

個人が趣味で翡翠を収集する場合は
まず格安タンブル(さざれ石)を集めて
翡翠に慣れ親しむことをお勧めする。

 翡翠タンブル

白地にうっすらとアップルグリーンが広がるものは
間違いなく本翡翠jadeiteなのだが、
上部の磨いて濃い緑が出てきたものが本翡翠なのかは
測定しないと断定が出来ない。
透明度からいってもオンファス輝石と呼んだ方が良いような気がする。

さらに大型の原石をコレクションしていくと
本翡翠の特徴が段々と分かってくる。

 

洗い面では繊維状結晶独特の輝きが見られるし研磨面では緑色発色や茶色発色部に
脂ぎったテリが見られる。

   ミャンマー産原石カット

ミャンマーでは皮付きのこのような石で見つかることが多い。
カットして中を見るまで本当の値打ちが分からない。
おにぎり型の皮付き翡翠原石に小さなカットをして
窓付きとして販売することが多くばくち的要素がある。

  翡翠原石館で購入

かなり緑色が出ているがカットしないと本当のところは分からない。
茶色い皮は自分で磨いて取ったのだが白っぽくて若干残念。

 

これも間違いなく質が悪いビルマ産本翡翠ということで購入したのだが
かなり怪しくて確定させるためには分析が必要だと思われる。

 本翡翠サンプルコレクション

間違いない本翡翠のサンプル(安いもの)を揃えておくと比較出来て良い。

タンブルで翡翠に慣れた後にさらに興味があるなら
勾玉とか加工品をコレクションするのも楽しい。
話が飛ぶが自分が初めて翡翠というものを知ったのは
中学の時に読んだ竹山道雄の小説の「ビルマの竪琴」で
高僧がする腕輪というものがアイテムとして出てくるのだが
それがまるで水戸黄門の印籠みたいなものでその時に調べたからだ。
本の中で材質が翡翠と書かれていたのかの記憶は無いが
たぶん緑色ろうかんの翡翠の腕輪(バングル)なんだろうという結論を出した。

さて本翡翠は霊的な護符であったり開運グッズとなるのだが
出来れば良いものを置いたり身に着けていただきたい。

装身具

本翡翠のブレスレットは自分で珠をチョイスして作れるので
まず第一のお薦め品となる。
実はかなりお気に入りの本翡翠のブレスレットを所持しているのだが
どこに仕舞っているか不明で現在捜索中である。
濃い緑の蛇の目は50円玉サイズの割に高かったので
本物であると信じたいのだが少しばかり怪しい。

  

  ラベンダー色を撮り直し撮影

文鎮化した大型貔貅(ヒキュウ)の道教開運法印(円の直径5cm)
ある意味最強の金運護符といえよう。
ただし道教秘密儀軌を学ぶ必要があるらしい。

「鳳凰と龍」 裏表合成

『礼記』礼運篇に「麟鳳亀龍、謂之四霊」とあり
「四瑞の聖獣」といえば麒麟 鳳凰 霊亀 応龍となっており
また「四神」といえば東の青龍 南の朱雀 西の白虎 北の玄武となる。
この中で鳳凰と龍とはめったに揃う事のない事から
「龍鳳呈祥」という言葉通りの祥瑞吉兆な取り合わせとなる。

 ボタン型本翡翠 2枚の写真を合成したもの

この本翡翠は日本産で正確な製造時代は不明なのだが
ボタンの穴が拙い加工なので江戸期以前と思われる。
翡翠は靭性が高いので穴開けはかなり大変な作業となる。
手前味噌ではあるがなかなか良い色合いだと思う。

 

本翡翠の硬い音が感じられる馬の像。
石の加工で足が折れないのは翡翠ならではであろう。

開運全般を願うなら本翡翠で実印を彫るのがお薦めとなる。
この場合は翡翠の品質だけでなく印影にも注意をはらい
八方篆書体で彫ることが望ましい。
政府が「ハンコ不要」の見解を表明しているし
今後実印も電子認証化されていく運命なのかもしれないが
人々が印鑑に注意をはらわなくなっても
開運印を持つことによる運命の修正効果には
氏名の漢字表記が無くならない限り陰りが生じることは無い。

 筆者実印

本翡翠に印影を手彫りで彫るのはかなり技量が必要とされるのだが
石にクラック等があると欠けるので
印鑑用につくられた本翡翠はある程度の石の品質が確保されている。

 豆勾玉

勾玉は日本起源のものであり縄文時代より護身呪具として用いられてきた歴史がある。
これは胎児を模したものであり悪霊は勾玉に吸い寄せられることにより
自分の身を守ることが出来る。
そのために靭性(物質の脆性破壊に対する抵抗力)の最も高い本翡翠を最高とする。
なかでも生命力を表す緑色には浄化作用がある。

今回のミニ勾玉中の金色勾玉には確かに金運効果があったと思う。

 

台湾の故宮博物院に翠玉白菜が展示されている。
 

30年ぐらい前に拝観したことがあるが技巧は素晴らしいものの冷たい印象を受けた。
白菜は財産を生み出すという意味の「発財」が同じ発音をするために、
白菜は金運を呼ぶ縁起物となっている。
中国では翡翠製の白菜を大量に加工して販売している。
我が家にもとりあえず一個 翡翠白菜を金運上昇のために設置している。



現在販売されている白菜の翡翠は加工技法がどれも似ていて同じ工房製だと思われる。

本翡翠の最高峰は「ろうかん(琅玕)」と呼ばれる。

これは貴石ではなく宝石の範疇となる。








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