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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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続 縄文神霊の系統 八岐大蛇 No561

2020-11-18 18:52:48 | 神霊界考察
記憶障害により過去の考察の事は大半を忘れているが
このブログのバックアップを読み返すことにより状況等を思い出している。

『縄文神霊の系統』を記載したのは一か月前の事なのだが
もう中身を忘れている状況だ。
二日程度で記事をまとめないと記憶から失われた考察は戻ってくることがない。

昨日寝ていて『金の神座(みくら)の神籬』について
御神霊が思い出せ想い出せと囁いてくる。
思い出せと囁かれても記憶障害で霞が掛かっている。
それでとりあえず自分のブログを検索しながら縄文神霊の系統の記事を書き始めた。
そこでハタと理解した。
八王子山の牛尾神社にある金大巌を記事にしないといけないようである。
それでいろいろと検索してネタを見つけやっとこの記事が出来上がった。

過去において縄文神について考察しているので
まずそこから掘り起こしてブログ記事にしていきたい。

『封印された縄文神と蘇我氏の信仰 No003』に面白い記載がある。
日本古来の原初の荒ぶる縄文神をどう祭祀していくかは
ひとえに蘇我氏に係っていた。
蘇我氏が縄文神に繋がるお守りとしての勾玉製作にかかわったのも
そのような経緯からだと思われる。

これは古い時代の八大龍王神信仰が縄文神である八岐大蛇の封印と昇華を意味しているが
これに蘇我氏が関わったから
蘇我氏はお守りとしての勾玉が必要であったのだろうと推察する。

また縄文神の祟りについては
「封印された縄文神の祟り」に記載しているが
古い記事で修正が必要だと思っている。
ただ「縄文神とは間違いなく祟り続ける神であり祟り神に落とされた神の事ではない。
その区別は重要だと思っている。」
また日本の縄文神の祟りの顕現として
「ひとつの神のみを信仰しそれを一神教として広めようとすると祟られる。」
という記載には今も納得させられる。

『縄文神 サイの神のおさらいです No151』筆者上記HPのまとめ記事となっている。

『海神族と出雲族と日向族 No215』縄文神と呼ぶべき存在の
神霊の氣配を感じた場所についての記載

『海音寺潮五郎 悪人伝 蘇我入鹿を読んで No281』に筆者の覚悟を記載している。
「霊的には道君首名公の神霊からの啓示では
古代大王の家系である道君氏は継体天皇擁立時に蘇我氏と
協力したという歴史を持ち
同時に蘇我氏も道君氏も真実が封印されてしまった歴史を持つ。
そして更に古い縄文神の封印に対する責任がカルマとして残っている。
今後の日本の発展のためにはそれの開示が避けて通れない岩戸となっている。」

『屋久島の縄文神霊 No283』

『やまとは くにのまほろば No321』縄文神から弥生の神への変遷
「大蛇伝承の一部分は縄文神や八岐大蛇に繋がる。」

さて今回の中心的話題は
『素戔嗚尊と八俣大蛇 No320』の記事となる。

「滋賀県の日吉大社には八王子山に金大巌という磐座があり奥宮ともなっているが
ここは牛尾神社と呼ばれる。
もともとの大山咋神の降臨した磐座は鯛釣岩=二宮釣垂岩と呼ばれる磐座であろう。」

「もともとは素戔嗚尊を祀る金大巌の根底にある神威は
天叢雲の神剣をもたらした八岐大蛇の霊を
八大龍王神として封印祭祀することにあった訳である。
滋賀の磐座祭祀が縄文祭祀につながり
建速須佐乃男大神による縄文神封印であることは間違いない。」


『八岐大蛇の封印のほころび No322』
「建速須佐乃男命による八岐大蛇の封印であるが
滋賀県大津市山上町の早尾神社
滋賀県大津市三井寺町の長等神社の一帯での磐座祭祀の封印にてほころびが出ている。
具体的な場所として太古に日吉八王子山の磐座を初めとして
八つか九つの磐座で八岐大蛇は封印されていたようだ。。」
「20071215に日吉大社『金大巌』に素盞鳴尊の神霊を調査した時に
あやしげなオロチの影を見ている。
※イメージを映像化したものがあるので添付しておく。
その時には霊的研鑽が不足していて
そのオロチの影を八岐大蛇に結びつけることが出来なかった。」

 まず最初に現れた蛇
 捕縛された大蛇に見える写真
       この具現化系能力は同行したゐ師によるもの

 この写真はその後に同じ場所を撮影したもの

『今必要とされる護符 No325』に重要なことを記していた。
「日吉大社の八王子山の金大巌で素盞鳴尊の封印開封を行った際にも
松尾大社の大杉谷の磐座でもあるものの気配を感じている。
これらの神事は少彦名神による熊本霊ラインの再構築の一環で行ったものだ。
今考えるとその気配というものが太古に封印された八岐大蛇であったものと思われる。」

このブログ記事は2012-08-04に記載しているので
このころに八王子山の牛尾宮と金大巌で素盞鳴尊の封印開封したと思う。
この時、同時に八岐大蛇は再封印されたことになる。

現在は2020年なので八王子山の牛尾宮と金大巌で素盞鳴尊の封印開封後
8年間見守ってきたがなかなか牛尾宮と金大巌での
建速須佐乃男大神による八岐大蛇の封印の話をする記事等に出会わなかったが
今日やっとその話がされた記事(漫画)を見つけた。
しかもそれはつい最近書かれたもののようだ。

    
コメント (16)
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佐賀の青螺山と魔王の岩窟 No560

2020-11-15 23:02:15 | 神霊界考察
背振山には乙護法善神=乙護法童子が祭祀されていたことを
『背振山の乙護法善神調査No534』
『背振山と麻氐良布神社での祭祀と祈願No542』に記載している。
そしてこの乙護法善神は阿蘇の修験道でも中核となしていたことを
『阿蘇の山岳仏教 古坊中 麓坊中 No495』
『おさらい 中国天台-阿蘇火口-高野山四所明神ライン No528』で述べている。

背振山山系には他にも修験道の修行の場があって
そこで乙護法善神が祭祀されていたのではないかと感じている。
例えば佐賀の天山などが気になっている。
今回はその中で修験道の栄えた佐賀の青螺山と魔王の岩窟に出向いてきた。

 背振山から佐賀の青螺山までの位置関係

 

青螺山の修験者達が拠点とした場所は乳待坊と呼ばれる。
乙護法善神は田螺仏とも呼ばれるそうなのだが
この青螺山の青螺は田螺仏から付けられた名なのではないかという気がする。
もっとも乙護法善神は「色赤くして鬼神のごとし、左の御手に鉄の杖をつき」とあるから
基本的には赤色なのであろう。

しかしながら魔王の岩窟にて祀られていたこの向かって右の像には
乙護法善神の気配が感じられる。

 

青色から蔵王権現かとも思ったが
蔵王権現は右手を高く上げていてそれ以外の例を知らない。
火炎を背負う事から青不動明王の可能性もある。
否定はしないが頭に緊箍児(きんこじ)のような意匠があり
あの大きな耳が出ていることから不動明王とは思えない。

また向かって左の像にも得体のしれない違和感がある。
毘沙門天像なのであろうか?

情報が少なすぎてなんとも解を得ないが
本尊にも青い塗料が付いているので全て青に塗り直された可能性がある。
自分の直感では乙護法善神の気配が感じられることから
とりあえずこの記事を残しておきたい。
コメント (8)
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ひのかみ神楽と鬼 No559

2020-11-09 15:00:21 | 神霊界考察
長江中流域で始まった稲作が渡来人と共に日本にもたらされた際に
斎姬山門五音大神(過去での表現は呉音霊)も日本において祭祀され
それが鬼と呼ばれる地主神として祭祀されていたという骨格を
『日本における呉の太白の祭祀 No429』  
『高千穂神楽と地主神 No446』などで示している。

これは縄文末期から弥生創成期頃の話であろうかと推察するが
現在の豊玉姫と繋がる縄文神の調査で気になっているのが
「火焔土器」に強く感じられる火の神への崇敬である。
ところがこの火の神は記紀神話において以下のように封印されてしまう。
伊邪那岐神が伊邪那美との間に産まれた火の神である火産霊の火之迦具土神を
父親自らが斬り殺してしまいその際に火之迦具土神の
土のエレメントと火のエレメントと水のエレメントは分離され
水の神霊である淤加美神が生まれている。
土の神霊は石折神、根折神、石筒之男神などと書かれている。
さらに死体から化成した山津見神も繋がっている。
火の神と水の神と土の神の分離である。
火の神はといえば記紀を読む限りは樋速日神=熯速日神となろうが
この時から火の神は日の神とされ天照大神へと昇格されていく。

消された火の神であるが秋葉山の山岳信仰と修験道が
この火の神を復活させ秋葉権現として祭祀した。

東京の台東区に1870年に明治天皇の勅命により鎮火社が作られるが
火の神として火産霊大神、水の神として水波能売神、土の神として埴山毘売神の
三柱を祀神として鎮火社に勧請している。
これはすなわち火之迦具土神の本体そのものを表現している。
ちなみに何故かこの三柱の神が秋葉権現とされ現在のアキハバラが誕生している。

さて話が本題に戻るが日本において水田耕作の困難な山間部を中心に
縄文時代より焼畑農耕が行われている。
山間での焼畑は山火事の危険性と隣り合わせのために
住民総出の作業と火の神の祭祀が欠かせない。
このために神楽が舞われるが椎葉村には
今もひのかみ神楽の伝承が残る。 ※参照 椎葉民俗芸能博物館 神楽研究所

 縄文から弥生の遺跡も発見された椎葉村

椎葉神楽の紹介

  焼畑とひのかみ神楽

  今に残っていた鬼の本当の役割

  鬼面が8割占める神楽面

神籬に神霊を迎え入れるのは鬼の役割となっていたのだが
それがいつの間にか鬼は追われる立場となっていく。
九州の神楽でも鬼の演目は大江山の鬼の「羅生門」などとなっている。



あと今回の記事と直接の結びつきは無いが
この来訪神については今後も調査していきたい。




椎葉村のこの矢で射る的は鬼の目と呼ばれる。

  


この照葉樹林型の焼畑農耕文化もやはり長江より伝えられたのではないかと考えている。
大地に火の神を招き入れることにより穀物の恵みを受ける循環型耕作の神秘は
大地に水の女神を招き入れる水田耕作の神秘と並行して現代に至っている。
記紀神話に伝えられた火産霊の火之迦具土神から分離されたという伝承の
土と火と水と太陽のエレメントであるが
これが融合する時に人々に祝福の恵みをもたらす事を
縄文土器は現代にまで伝えてくれている。





コメント (41)
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