吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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謡曲 「高砂」の意味するところ No032

2009-10-17 10:23:23 | 日記
古今集仮名序の「高砂、住江の松も、相生のやうに覚え・・・」を元に
世阿弥は結婚披露宴の定番である謡曲『高砂』を作るが、
この内容は、神戸の高砂の松と難波の住吉の松が夫婦である事を
阿蘇宮司が承認するというものとなっている。
高砂神社と住吉大社に祀られる神が夫婦である事を言っているのだが
高砂の神とは神功皇后であるが住吉の神は誰かということが問題である。
神功皇后と武内宿禰は夫婦であったと思っているが、
住吉の神と武内宿禰との繋がりはどう考えるべきか?
住吉の神は阿波岐原で禊をした際に「少童命=わたつみの神」と
共に生まれた「筒男」のことであると考えられる。
武内宿禰に関しては第八代孝元天皇の孫とも云われている。
孝元天皇の子供は大彦命、少名日子建猪心命(少彦男心命)
稚日本根子彦大日日尊⇒開化天皇、倭迹迹姫命となっている。
少童命=少名日子建猪心命で、筒男=武内宿禰と仮定すると
武内⇒竹の内⇒竹筒という仮説も取れる。
ところで秀真によると酒の発見は、
竹の切り株に雀が籾を入れてそれが発酵したのを
スクナミが発見したのが最初と言われているが、
この酒のことを『笹氣』と呼び
スクナミはこれ以降「ササナミ」と呼ばれたそうである。
ササナミは近江の笹氣山に住居を構えた。
笹氣山⇒沙沙貴山君 (雀部⇒佐々木)が輩出する。
ここで出てくる竹筒は竹内宿禰、雀は雀部(ササキベ)
スクナミは少彦名許士尊⇒少彦名神に繋がる。
また「ささなみ」は枕言葉として志賀に掛かるが
志賀海神社=少童命と「ささなみ」=少彦名神の関係を匂わせる。
話は元に戻るが神功皇后と武内宿禰は夫婦であることを認めることが
『千秋楽は民を撫で、萬歳楽には命を延ぶ、相生の松風、
颯々の聲ぞ楽しむ、颯々の聲ぞ楽しむ』という祝福を
受けるということになることがミソである。
これは『千秋楽』という雅楽を演奏して民の安全を願い、
『萬歳楽』という雅楽を待っては君の長寿を願うというということだが、
神功皇后が仲哀天皇の皇后では無かったということだ。

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七福神の福禄寿について No031

2009-10-12 12:04:58 | 日記
かねがね七福神の福禄寿と
亀蛇に乗る妙見神は同一であると思っていましたが、
福岡の宮地嶽神社で見た七福神の福禄寿の足の下に
亀がいて同じことを考える人がいたことを知りました。
さらにネットで調べてみると福岡県田川郡の
照道院の福禄寿像は亀の上に乗っているそうです。


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弥栄とは極めて物質的なレベルの賛歌のことだと思いますNo030

2009-10-06 00:43:18 | 日記
筆者は技術者として先端を垣間見たこともありましたが、
人間が歴史を重ねて今までに作り上げてきた
技術と文化と物質の値打ちは
計り知れないものがあると思っています。
日々神霊界にその意味の深さを奏上しています。
次元の高い神霊界と違い、
この現実世界は意識が物質を形作り、物質が物質を形作る中で
物理法則というルールに縛られた固定化された世界です。
この次元は唯一無二の世界です。
神霊界霊界幽界を含む三千世界に生まれた特異点です。
次元の歪の中に生まれた混沌を
人類の意識がひとつひとつの混沌とした現象を
一つ一つ整理し並べ論理と摂理でもって
膨れ上がる歪を封じ込めてきたのです。
この世界を人類の方から捨て去ろうというのは
真に以って愚かな事です。
人類はまさに今選択を迫られています。
一つは次元上昇アセンションです。
一つは地球と人類の滅びの道です。
一つは現実世界で人類そのものの生命進化です。
釈迦はこの世に諸行無常 諸法無我を感じ
涅槃寂静を理念としました。
確かに常なるものは無く、実体も無く
あるものは意識が生み出した波動のみです。
波動のエネルギーを物質に錬金したのです。
そういう混沌の中でよくぞここまで世界を作り上げたものです。
実はこの実体世界は三千世界の希望の星なのです。
現実世界こそが弥栄の源泉なのです。
日本国はこの変化において重要なキーなのですが、
それは製造した物質にも神を観る神道が根付いているからです。
人間が作り出した物にも(偶像以外でも)
神が宿るという発想は非常にユニークなものです。
実際に八百万の神々として、鰯の頭に神を見た人も居たわけです。
(西洋でも古代にはソード等に神霊を見ていましたが。)
例えば貨幣などは物質世界の悪の象徴のように言う方も多いのですが
人間が作り出した価値観のピークであり、
これがどう運用されていくかをこそ見守り祈る必要があります。
我々の祈りとは社会が正常に機能して
人類が発展することを第一とすべきだと思っています。
そしてその基本は寛恕と和と思いやりの精神だと痛感しています。
コメント (1)
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