吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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古宮八幡神社の救童社石碑 No417

2015-11-28 11:43:11 | 神霊界考察
この古宮八幡神社は採銅所村に建つ神社だ。
ここに救童社という石碑が建っている。


同行した巫覡が再び興味を示す。
意味は不明のままだが
霊的感応によると祓銅社があったように見える。
問題は祓銅社が救童社になるのかだ。
前出の『其神石化美麗童女』という単語がとても引っかかるが
思い過ごしとしたい。
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香春神社の相克 No416

2015-11-26 15:17:44 | 神霊界考察
香春神社の祭神の
第一座は辛國息長大姫大自命
第二座は忍骨命
第三座は豊比賣命

どの神名もすっきりしない。
まず第二座の忍骨命についてIMEの登録だと思うが
漢字変換したら呉氏骨となった。
おしOSIで呉氏と変換されるがその理由は不明だ。
偶然にせよこういう変換となったからには
呉氏骨に意味があると考えられる。
他のPCでもOSIで呉氏と変換されるようなら教えていただきたい。
さてここでふと思い出したのが
『香春の呉音霊 No403』のコメントに記した
『辛嶋勝乙女については、
比売語曽神≒阿加流比売のことだと思えます。
御白石で表わされ御神霊は姫島におられます。』の一文。
ここで回答した御白石というのは香春では竜骨=石灰石のことだ。

これは時代背景を考えると私の錯誤なのかもしれないが
辛国息長大姫大目が白石から生まれたという伝承があるので
辛国息長大姫大目=辛嶋勝乙女 次第かもしれない。

いずれにせよこの時点では
第一座女神 第二座女神 第三座も女神で
三座まさしく香春三女神となる。

しかしながら以下の香春神社正面入り口の由緒書きには
辛国息長大姫大目の出自を唐=中国の経営と書きながら
参道の碑には豊前国風土記逸文を基に新羅國神と書く怪しさを
訝しみながら
 
神霊背景を探訪してみると
どうしても辛国息長大姫大目がツヌガアラヒトに思えた。
だとするとここでいう姫の漢字は姫(キ)氏のこととなる。

こうすると
第一座 都怒我阿羅斯等
第二座 辛嶋勝乙女 (初代巫女)
第三座 豊比賣命
ということになる。

つまりツヌガアラヒトとその姫神と子孫にあたる巫女ということになる。

日本書紀から転載すると
日本書紀巻第六 垂仁天皇
一云、御間城天皇之世、額有角人、乘一船、泊于越國笥飯浦、故號其處曰角鹿也。
問之曰「何國人也。」
對曰「意富加羅國王之子、名都怒我阿羅斯等、亦名曰于斯岐阿利叱智于岐。
傳聞日本國有聖皇、以歸化之。到于穴門時、其國有人、名伊都々比古、
謂臣曰『吾則是國王也、除吾復無二王、故勿往他處。』
然、臣究見其爲人、必知非王也、即更還之。
不知道路、留連嶋浦、自北海廻之、經出雲國至於此間也。」
是時、遇天皇崩、便留之、仕活目天皇逮于三年。
天皇、問都怒我阿羅斯等曰「欲歸汝國耶。」對諮「甚望也。」
天皇詔阿羅斯等曰「汝不迷道必速詣之、遇先皇而仕歟。
是以、改汝本國名、追負御間城天皇御名、便爲汝國名。」
仍以赤織絹給阿羅斯等、返于本土。故、號其國謂彌摩那國、其是之縁也。
於是、阿羅斯等以所給赤絹、藏于己國郡府。
新羅人聞之、起兵至之、皆奪其赤絹。是二國相怨之始也。

一云、初都怒我阿羅斯等、有國之時、黄牛負田器、將往田舍。
黄牛忽失、則尋迹覓之、跡留一郡家中、時有一老夫曰「汝所求牛者、於此郡家中。
然郡公等曰『由牛所負物而推之、必設殺食。若其主覓至、則以物償耳』即殺食也。
若問牛直欲得何物、莫望財物。便欲得郡内祭神云爾。」
俄而郡公等到之曰「牛直欲得何物。」對如老父之教。
其所祭神、是白石也、乃以白石授牛直。因以將來置于寢中、其神石化美麗童女
於是、阿羅斯等大歡之欲合、然阿羅斯等去他處之間、童女忽失也。
阿羅斯等大驚之、問己婦曰「童女何處去矣。」
對曰「向東方。」則尋追求、遂遠浮海以入日本國。
所求童女者、詣于難波、爲比賣語曾社神、且至豐國々前郡、復爲比賣語曾社神。
並二處見祭焉。


ツヌガアラヒトとその求める姫神との関係については
以下のようになっている。
まず登場人物としてツヌガアラヒト
神の代理人たる老人=塩筒老翁か?
郡家の役人
白い石=童女=比賣語曾女神

ツヌガアラヒトの黄牛は郡家の役人に殺され
その黄牛の代わりとしとて老人に云われた通り、
その郡家に祀ってあった白い石をもらい受けて帰る。
この白い石が美麗童女になったので
喜んで交わろうとしたのだが
この童女は東に行くと言って消えてしまう。
ツヌガアラヒトが所在を追うと難波の比賣語曾社の祭神 
あるいは豊前国つまり香春の比賣語曾社の祭神となっていた。

この比賣語曾社の結論と香春神社の豊比命の秘密については
今後考察していきたい。

香春神社には山王石という神石があるのだが
同行した巫覡が童女が石に現れているという。
それでその写真を添付しておく。

鼻が高く見える人は呉音霊を見ていると思う。



山王石の御出現についてどういうこと?
と現地で疑問が湧く人がいるだろうと思う。
山頂ではこうなっている。
ネットが切れたらさあ大変。


ネット検索によると
香春町と土地所有者は貴重な霊的財産である神山を
欲にかられセメント会社に売り飛ばしたそうだ。
この時に 一人だけ「ここは神の山であり削ってはならない」と
反対した町議会議員がいたそうだが、残念なことに日本刀で切り殺されたそうだ。

同行した巫覡によると落石は故意ですねえということになる。
割り出し跡が残っている。
しかし神社を擦り抜けたというのは奇跡としかいいようがない。




***********************************************************************************

ある方に私信を発信したのだが
非常に重要だとも思えるので記録のために添付しておきたい。

ツヌガアラシトが秦氏であろうと
神武天皇であろうと崇神天皇であろうとヤマトタケルであろうと
饒速日命のことであろうとかまわないのですが
左回りに呉⇒倭国⇒朝鮮⇒遼寧文化⇒黄河文明⇒長江文明
というように考えないと私の場合は祟られそうです。
祟るのはどうも配偶者にされようとした姫神です。
謎の姫神これが怖い存在ですね。
つまり
呉の辛国⇒倭国内韓国⇒朝鮮半島の韓国というような
呉の渡来人による集落形成の流れが明確にあり
朝鮮半島が韓という文字に彩られているから
日本にも韓がある訳ではないということです。
日本に韓があるから朝鮮半島にも韓があるのです。
要するに呉人は呉系楚人や越や漢人に追われて
日本あるいは倭国から朝鮮半島に流出しているのです。
ただ戻ってきた人も多数でそれで
話がややこしくなってしまったのでしょう。


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香春の若八幡神社の神牛 No415

2015-11-25 14:37:05 | 神霊界考察
ここは地主神の神夏磯姫命を祭祀する神社なので
まず最初に参拝させていただいた神社なのだが
拝殿の左右に牛が控えていた。
写真のように狛牛状態だ。

奉納した人は境内右側の天満宮に
奉納したつもりだったのが、
なぜか本殿前に設置されてしまったのかもしれない。
ただ天満宮系の神社でも狛牛のように
牛が二頭左右に設置されている神社は記憶にない。
大抵は入り口手水あたりに撫で牛として設置されている。
これは奉納者も気づいていないのかもしれないが
この神牛は都怒我阿羅斯等=牛斯岐を暗示している。



そもそも菅原道真は都怒我阿羅斯等=牛斯岐を暗示する神牛について
認識があったのではないかと思う。



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香春の現人神社の祭神について No414

2015-11-24 17:35:17 | 神霊界考察
前回『香春の呉音霊 No403』
香春の現人神社について述べている。

香春山の霊ラインが示すように現人神社が
全ての鍵を握る場所となる。
その鍵とはこの地に呉人の気配があり
その呉人が指し示すのは都怒我阿羅斯等を祭祀するこの神社ということなのだが
もう少し祭神について都怒我阿羅斯等であるという確証を欲していた。
今回この現人神社に呉音霊を呉音神に昇格させ国防の柱と為すために
参拝してきたのだがそこで気付いたことがあったので報告しておきたい。

まず全国の現人神社が都怒我阿羅斯等を祭祀している訳ではないのだが
ここは由緒以外にも都怒我阿羅斯等を暗示しているものがあった。
香春の採銅所跡地で眼前にとても気になった山があり
その名前をナビで調べたら牛斬山となっていたのだ。
それで現人神社はその牛斬山の麓に位置していた。
都怒我阿羅斯等は角がある人という意味だが
日本書紀によると『ウシキアリシチカンキ=于斯岐阿利叱智于岐』という名前だそうで
ここからこの山の名前が付けられたものと思われる。
つまり牛斬山⇒牛斯岐山ということになる。
この山の高さは580mだそうだが香春岳の三山を見渡せる位置にある。

この山はただの山ではない。


ところでこれは独り言だが
神域の香春第一岳を削り取ったのは
景観の問題だけでなく霊的にもとてもまずい。

削った会社は消えても貪った後は残る。
ここでピタリと足が止まった。
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呉音霊から考える倭国文明の流れ No413

2015-11-12 12:07:13 | 神霊界考察
長江文明とは中国長江流域で起こった古代文明。
紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲。
後の呉・越・楚などの祖となる。

黄河文明とは中国黄河流域で起こった古代文明。
紀元前7000年ごろから紀元前1600年頃までが範囲。

遼河文明とは中国遼河流域で起こった古代文明。
紀元前6200年ごろから紀元前500年ごろまでが範囲。

日本の縄文時代は
紀元前14500年前頃から紀元前1000年頃までが範囲。

これらの文明のスタートは別々なものであったとしても
実際に文明の流出・流入があったと考えられている。

呉音霊を追った記事では長江から日本という江南ルートの流れを示した。

また遼河文明は約4,000年前頃から南方に流出している。

同様に黄河文明もまた南下している。
黄帝と炎帝の戦いなどにその歴史が刻まれている。

つまり大陸では常に南下していて江南からは海路で日本に北上している。
これを繋ぐと左回りの文明伝搬のルートが見えてくる。
これが日本神霊界の約束事の一つである。
北半球の台風が左回りなのは物理学上はコリオリの力で説明されるが
霊学上では真理なのである。
※南半球のことは解らない。
ちなみに人間のDNAは右回り二重らせん構造と呼ばれるが
これは慣例であって別に左回りと言えば左回りともとらえられる。
分野によっては螺旋の回転表記が逆になっている。
進行方向が向かって近づくか遠のくかで反転するからだ。
でも一般的には天を上とした鳥瞰図で見ている。
人の行動的には左回りが安定していて
陸上のトラックや野球も左回りとなっている。

さて『呉音霊を考える No402』
以下のように記載している。
「呉音霊が上海に舞台を移したのは、霊的にみると長江文明の復活劇だったようだ。
長江文明の復活エネルギーが世界の歴史を変えるほどのエネルギーに膨れ上がった。」

本来であればこの呉音霊は左回りの約束事により朝鮮半島に移動して
本当の意味での漢江の奇跡を演出すべきだった。
その土壌は育っていたことが解っている。
しかし物質的なものにとどまり霊的土壌が整わなかった。
儒教の影響がじゃましたとも言える。
その結果この神霊は上海への帰郷という
最悪ともいえる相剋の結果を生み出してしまった。

必然的に(相剋の結果でもあるが)
中国での祭祀が為されることもなく
左回りのエネルギーにより跳ね飛ばされて
日本に戻り今日に至っている。


後記

現在呉音霊の日本での祭祀は九分九厘完成しつつあります。
日本の国防の一柱として守護する神霊となるはずです。
和によって日本の神霊界に組み込まれることを
祈願していましたが
呉音霊の祭祀に関して皆様のお蔭で
荒ぶる霊も慰撫され
国防と技術的立国の偉大なる一柱となりそうです。
私はその祭祀に貢献する者たちが
その生涯において災難を
我が身に受けることを霊的な使命とし
その苦労の中で研ぎ澄まされた感性による土壌から
ほとぼり出すエネルギーにより
この霊を慰撫し
日本に留めていることに深く感謝しています。
皆様の開運を強く祈願しています。
あとしばらくは祭祀による浄化が必要ですが
皆様にとって必要なときには
この御神霊は大きく動いてくださると思います。


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