吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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新紙幣から令和説と十七条憲法と聖徳太子と少子部蜾蠃と乙護法善神とが繋がる話 No513

2019-04-13 10:05:53 | 神霊界考察
聖徳太子といえば『和をもって尊しとする』ということを憲法の第1条に置き
日本の国家としての骨格を創り上げた人物である。
ちなみに大日本帝国憲法第1条は
『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス』
日本国憲法第1条は
『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』となっている。

聖徳太子の偉大なところは十七条憲法の構成において
第一に合議制を持ってきて
第二に神仏を敬う事を願い
第三に君子の命令についての恭順を説いているところだといえる。
つまり明治の天皇機関説の上を行く令和説がここに存在する。

1万円札の肖像を渋沢栄一とする新紙幣発行のニュースが流れたが
根強い国体破壊論者が聖徳太子の偉業を無きものにしている。
「聖徳太子はいなかった」説の台頭である。
その例が教科書から聖徳太子が厩戸王に変更されようとした事件に表れている。
過去にも明治時代に廃仏毀釈等において悪く言われることがあったようだが
存在すら認めない全否定は最近の歴史学者の悪行である。
尤も蘇我系の天皇の実在性と共に錯誤が見え隠れしているのは事実だと思える。

過去の聖徳太子紙幣を添付しておく。
   

今はほぼ失われているが少しばかり過去の日本人には
天皇を辞退して日本国家の形成に命を捧げた聖徳太子に対する崇敬が
国民に皆あって最高紙幣を聖徳太子と呼び有難がっていたのだ。

国体破壊論者は天皇制や元号や聖徳太子や教育勅語を目の敵にしているが
国家体制における国民の団結を一番恐れている。
消し去りたいものは愛国心ということになる。
それを戦争において国に命を捧げる愚かさという事でプロパガンダしている。
GHQのWGIPを悪用したものといえる。困ったものだ。


さてulala様のコメントで三輪山の久延毘古神社が昔「鳴宮」と呼ばれていたという
未確認情報を得た。
このことに関して以下の回答をしている。
『初めて昔鳴宮のことは知りましたが可能性として私見では二つ考えられます。
一つは三諸岳の神を少子部蜾蠃が捕らえてきますがそれは雷蛇神で鳴雷しました。
その後に少子部蜾蠃は少子部雷という名を賜っていますが
古い時代に少子部雷を祭祀していた可能性があります。
三輪山の東10km程度のところに雷神小部神社があります。
もう一つは智慧の神様として雷公=菅原道真を
祭った時代があった可能性です。
鳴宮神社といえば菅原道真公を祭った神社が存在します。』

またその後の話でulala様が明日香から談山神社へ向かうバスの途中で目にとまったもの。
それは雷山、柿本人麿の歌碑があり雷繋がりでとても気になったとのこと。

調べてみると看板には雷丘とある。

 


地図を見てとても驚いた。
小墾田宮(おはりだのみや)がすぐ近くにあったからだ。
この地図では伝推古天皇小墾田宮跡となっているが
この雷丘東方遺跡の発掘で「小治田宮」と記す墨書土器破片が多数出土している。
これは奈良時代の淳仁朝にかかわる墨書でありこの付近に「小治田」の地名があり、
天平年間末年から平安時代初期ころまでにかけての小治田宮=小墾田宮が
あったことがかなり有力になってきているそうである。
この小墾田宮こそ蘇我氏、聖徳太子らを中心メンバーとして
十七条憲法の制定、冠位十二階の制定などが決定された場所である。

そしてこの雷丘にまつわる柿本人麻呂の歌が万葉集巻三235

天皇御雷岳之時、柿本朝臣人麿作歌一首

皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為鴨類
皇(すべらぎ)は神にし座(ま)せば天雲し雷(いづち)し上に廬(いほ)らせかもる

集歌235B 王 神座者 雲隠 伊加土山尓 宮敷座
王は神であられるので、雲隠の伊加土山の宮殿にいらっしゃる。

この歌の雷岳は山というより小墾田宮のことと思っても良いかもしれない。
問題はこの墳墓と考えられる雷岳に眠る人物ということになる。

ulala様がこの件に関して筆者ブログのコメントで雷岳についての伝承の由来を
記載したHPを紹介してくださっている。
https://www.asukanavi.jp/point.php?pid=28

私の期待通り雷丘(いかづちのおか)は少子部蜾蠃の墳墓比定地であったようだ。
ulala様の感応と調査協力に感謝したい。
この件はulala様のブログで記事にされているので参照していただきたい。
ulala様のブログ『久延毘古神が示した竹の音は?』
昔鳴宮でカーンと乾いた大きな音が鳴り驚かれた様子が良く分かる。
そして昔鳴宮の久延毘古神社から談山神社に行く途中通り過ぎた雷丘が気になった話が結びつく。
それではなぜ私が少子部蜾蠃が気になったのかという事だが
まず少子部蜾蠃は以前はフォントの関係上 少子部栖軽と書かれることが多かったので
私自身も気づいていなかったが蜾はジガバチもしくはカタツムリで蠃はタニシのことである。
蠃は螺とも書く。
少子部栖軽は養蚕に関係する職種なのだがジガバチは蚕の子をさらい育てると考えられたことから
つけられた名前であるとのことが一般的である。
しかし私見では少子部蜾蠃は少子部螺蠃=田螺と書かかれることも散見され
田螺仏の乙護法善神とも繋がると考えている。
赤と黒のジガバチは体が赤く頭が黒い乙護法善神との類似もある。
ここで初めて脊振山系の雷山と話が繋がる。



これ以降の話は『玉名の山田日吉神社内の乙護法童子 No490』
『天拝山の雷神と雷山の地主神である雷大権現 No463』を参考にしていただきたい。


十七条憲法訳文

一、和をもって尊しとする。
和する事を貴い目標として道理に逆らわない事を宗としなさい。
人には皆それぞれの考えがあるが道理に通じている人は少ない。
それで君子や父に従わない者があり近隣とも意見が違う。
しかし、君子が和して臣下の仲が良いと事を議論するにいい結論が出る。
それで事の道理は自然にゆきわたり何事も成功しよう。

二、篤く三宝を敬え。
心から三宝を敬いなさい。三宝とは仏法僧のことです。
生老病死の苦しみから救うのはどこの国であれ極宗の仏教です。
どの時代でも、どんな人でも仏教を尊ばないものは救われない。
人間に悪人は少ない。良く教えれば仏教に従う。
仏教に帰依しないで何で曲がった心を正すことが出来ようか。

※三宝について改竄の可能性あり。 
十七条の憲法について記した原本は残っていない。
個人的な社会背景を元に考察すると三宝とは儒教・仏教・道教の三宝と取れる。
仏教は一つの観念であり儒教 道教と相容れないものではなかったと思われる。
従ってこの憲法の骨格にも儒教の影響等が見られる。
とても仏教立国(国家仏教)を目指していたとは思えない。
太子の仏教の師は肥後国葦北国造刑部靭部阿利斯登の子で百済二位達率の日羅
高句麗の僧 彗慈(えじ)
儒教の師は百済系と思われる覚か=覚哿(加の下が可)
道教についてはこの推古朝にどの程度道教思想が伝わっていたのか実は不明。
天武朝での道教の影響は明白であり
神仙思想により紫宮に住むという天皇大帝になぞらえて天皇名を用いたり
姓の第一を真人と定めたりしているが聖徳太子と道教を結びつけるものが無い。
しかしながら仏教儒教が伝わっていたとすれば
当然道教思想も伝わっていると仮定したい。
ただ道教のかわりに神道としてもいいかもしれない。


三、詔を承りては必ず謹め。
君子の命令を受けたら必ず恭しくしなさい。
君子は天なり。臣下は地なり。天は地を覆って地は天を載せる。
四季の自然の法則により万物の霊気がゆきわたる。
地が天をくつがえすことを望めば道理が破れる。
それで天子である君子の言葉に臣下は従う。
君子が道理を行えば臣下はなびく。
だから君子の命令を受けたら必ず注意深くしなさい。
恭しくしなければ自然に自滅します。

四、群卿百寮、礼を以って本とせよ。
群卿百官は真心を持って職務を行うを基本としなさい。
民衆を治める基本は必ず真心を持って職務を行う事です。
君子が真心を持って政治を行わなければ臣下は和することがない。
臣下が真心を持って職務を行わなければ必ず道徳に反する事がある。
それで群臣が真心を持って行う事あればの臣下の上下の行いが乱れる事が無い。
百姓が真心を持って農事を行えば国家も自然に治まります。

五、飲食を貪る事を絶ち、私欲を捨てて訴訟を公正に行いなさい。
百姓の訴えは。一日に千件あります。
一日でさえそうなのに永年にわたり訴訟を治める者が利益を得る事を常にしている。
賄賂を貰っては裁きをゆるす。
すなわち財産を有する者の訴訟は石を水に投げるように易しい。
貧乏な者の訴訟は水を石に投げるように難しい。
このように、貧乏な民衆は頼りにするものが無い。
臣下の道徳もここに欠けている。

六、悪行を懲らしめて善行を勧めるは昔からの良い手本です。
これで人の善行が隠れる事が無い。悪行を見たら必ず正しなさい。
へつらい欺く者は国家を覆す鋭い器です。人民をほろぼす鋭い釼です。
またへつらい媚びる者は君子に臣下の過ちを良くつげる。
臣下に逢うと君子の失敗をそしる。
この様な人は君子に忠誠が無く民衆に対して慈しみの心が無い。
これは国が大きく乱れる原因です。

七、人は各々職掌に任命されている。道徳に背かない様にしなさい。
賢く才知が有る人が任官する時には褒め称える声が沸き起こる。
邪悪の者が官に任命されていると禍や乱れがしばしば起こる。
生まれながらに道理を知る者は少ない。よく思考していけば道理に通じた者となる。
事を行うに大事、小事の区別は無い。適任者を任命すれば必ず治まる。
行う期間に至急ものんびりも無い。賢者にめぐり合うと自然にゆとりが有る。
これにより国家は永久に続く。国家の最も重要な守り神が危うくなる事は無い。
だから昔の聖王は官のために賢者を求めて人のために官を求めないのである。

八、群卿百寮は朝早く出仕して遅く退出しなさい。
公の事は念入りにしっかりやらなければならないから仕事はその日に終わる事が難しい。
それで遅く出仕しては緊急の用に間に合わない。早く退出すれば必ず仕事は終らない。

九、信は是義の本なり。
誠実であることは人の踏み行う正しい道筋です。仕事は誠実に行いなさい。
善悪の裁きに対しては誠実である事が肝心です。
公家衆ともに誠実であれば。何事も出来ないものは無い。
群臣に誠実さが無ければ。総ての仕事に失敗する。

十、いきどおりを絶ち、怒りを捨てて人が自分と意見が違うのを怒ってはいけない。
人には皆それぞれの心が有ります。各人思いとらわれるところが有る。
他人が良しとするところが自分には非であり、自分が良しとするところが他人には非であるものである。
自分が必ずしも物事の道理に通じた者では無く他人も必ずしも愚か者では無い。
共に凡夫なばかりです。それで是非の理を誰が決定できようか。
お互いに道理に通じた者でもあり愚か者でもある。
まるで指輪に端が無いように同じである。
それで他人が怒る事が有ったら自分に過ちが無いかと心配しなさい。
自分一人理解したとしても皆に合わせて同じ様に行動しなさい。

十一、手柄と過ちをはっきり見ぬいて罰と賞とをきちんと的を得たものにしなさい。
日頃は手柄でもないのに賞を与え、罪も無いのに罰している。
仕事に就いている群卿は賞と罰を明瞭にしなさい。

十二、国司国造は、自分のために百姓から取り立ててはならない。
国に二人の君子無し。民衆に二人の主君無し。
国中の総ての民衆は王を主君としている。赴任する役所の官司は皆な王の臣下です。
何で敢えて公と同時に自分の為に租税を割り当てて取り立てる必要がありますか。

※やはり国司国造という単語をこの推古朝にもってくるのは慎重でありたい。
後世の加筆であろうかと思う。
天武朝ではある程度国司国造の骨格が出来ていたようであるが
制度としてはっきりするのは持統朝の律令施行以降ではなかろうか?
ただこの時代にも豪族の領地でない帝の直営地である県(あがた)はあったはずである。
新しい名称が出来ればそれに習い書き換えることはよくあることである。

十三、諸々の仕事に任命された役人は共に職務として担当する役目をわきまえなさい。
或る人は病気になり、或る人は遠國に使いとして派遣されて仕事から除かれている事がある。
そうであれば役目を覚えた日から以前から知っているように調和しなさい。
あずかり知らないといって公の務めを妨げてはいけない。

十四、公家百官は嫉妬する事があってはならない。自分が人を嫉めば人も自分を嫉む。
嫉妬の悩みの弊害はその限度が無い。
だから知識が自分より勝っている人を喜ばない。才能が自分より優れた人を嫉妬する。
ここに五百年にしてようやく賢者に出会えたのである。
千年でも一人の聖人に会うのは難しい。
聖人賢人を得られなければ如何して国を治められようか。

十五、私心を捨て公務に従うは、臣下としての道徳です。
誰でも私心あるところには恨みがあります。
恨みがあれば必ず皆の心が一つでなくなる。心が一つでなければ私心が公務を妨げる事になる。
私情を挟み無念さが募ると制度に従わず法を破る事になる。
だから最初の条文に述べた君子も臣下も和するとはこの情より出でたものである。

十六、民衆を使役するに季節を選ぶは昔からの良い手本です。
冬には暇が有るので民衆を使役しなさい。春から秋までは農業、養蚕の時期です。民衆を使役してはいけない。
農業をしないで何を食べますか。養蚕をしないで何を着ますか。

十七、事を一人で決定してはいけない。必ず多数の者で良く議論しなさい。
小事は簡単ですから必ずしも皆に相談する必要は無いが、
大事を決定するときには過ちが有ると疑う様にしなさい。
それゆえお互いに相談し論議すれば道理を得るであろう。
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新元号 「令和」 No512

2019-04-04 22:27:48 | 神霊界考察
久しぶりにTVをつけて元号発表を見させていただいた。
菅官房長官の報告も興味深かった。
「令和」という漢字そのものには特に違和感が無かったが
これからの社会と文化は『技術発展の令和時代』と呼ばれることになる。
平成時代に根を張ったものが芽吹く時代の到来を予感させる。

万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」が出典という事で
それは喜ばしい事なのだが
筆者も岩波書店の万葉集注釈にも書かれている以下の詩の転用の件が気になった。
中国文選巻十五の張衡の「仲春令月、時和し気清らかなり」

これは早速ネットで当日夕方には話題となっていた。
しかしまあ漢字二文字で元号を表わす決まりがある以上
中国古典を完全に避けることは逆に至難である。

「令和」の読みはReiwaだそうだが
万葉の時代の参照であれば「律令」「令義解」「令集解」の読みに習い
Ryouとした方が馴染む。
令の呉音はリョウ 漢音はレイであるがレイという読みは「冷」に繋がり冷たい。

また和の呉音はワで漢音はカであるので
「令和」は漢音のレイと呉音のワが合わさったものとなる。
なぜ柔らかな響きのある「リョウワ」としなかったのかが残念な気もする。

和は聖徳太子の「和を以て貴しと為す」という憲法たる詔令(みことのり)があるが
これも『礼記』に「禮は之和を以て貴しと為す」という言葉が存在する。

「令和」を総じると和を大切にせよと云う詔令(みことのり)という意味であり
元号として非常にいい意味となる。

ちなみに令については『弓梓弓と水の女神 断片集12 No182』
零・霝は令と通じ「よい めでたい」と結んでいる。
令はliengで零・霝はlyengで声が近く同じ語系といえよう。








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