吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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七の封印について フレンチ・ブルーダイヤモンドの封印 No236

2011-02-28 13:31:24 | 日記
七の封印といえば北斗七星が思いつくが
前回『入鹿・将門の首塚 No211』
平将門の施した関東の七の封印について述べているが
この七の封印と言うのは他にも
坂上田村麻呂が東北にて実施したというような伝承も残っている。
この七の封印については今後も調査報告していきたいと思っている。
さて前回記載した『日本的アニミズムと「ねこタクシー」』で映画タイタニックで
小道具的に出てきた「碧洋のハート」というダイヤを
海に沈めることの意味についての考えを述べたが、
もうひとつの設定を七の封印ということを調べていて偶然に理解した。
NHK放送で「ホープダイヤに秘められた3つの謎」という番組があり
この呪いのダイヤは元はフランス王ルイ14世がダイヤを購入してカットしたもので
もともと「フレンチ・ブルー」と呼ばれている石であるそうだ。
それが1792年9月11日に窃盗団が王室の宝玉庫に侵入し盗んだものを
再度カットして「ホープダイヤ」に仕立て直したそうである。
映画「タイタニック」で登場する「碧洋のハート」は
この呪いのダイヤのことで、それ故にタイタニックは沈んだとし
それで更なる不幸を呼ばないように海に沈めたという推測も成り立つ。
まあ現実のタイタニックには呪いの宝石は無かったと思うが。

さて七の封印であるがこの「フレンチ・ブルー」には
七つの頂点を持つ星が見えるようにカットされていた。
クリックで拡大
フランス王ルイ14世はもともと112カラットあったダイヤを
大幅にカットして67カラットのカットとしたのだが、
これはヒンドゥー教寺院に置かれた女神シータの彫像の目に嵌められていた
ダイヤに呪が掛けられたからだという伝承を信じて
その呪を七の星印で封印したということだろうと思う。

盗難後に再カットされたホープダイヤでは星は完全に消されてしまっている。
クリックで拡大
星が消されたホープダイヤは結局スミソニアン博物館に寄贈されることになる。
上記のように周りに16個と鎖に45個のダイヤをはめ込んだ白金製のペンダントとして
展示されていたが、なぜだか今回デザインを一新した。

「ホープ・ダイヤモンド」の新セッティング「エンブレーシング・ホープ」
クリックで拡大

2010年12月にモデルのヒラリー・ローダが着けたホープダイヤ
クリックで拡大

写真を見ていただくと分かるように見事な青を表現している。
サファイアの青よりも青となったこのブルーダイヤを見て震えあがってしまった。
まさに呪の復活である。

ここまで書いて出かけようとした際に
偶然先週古本屋から100円で購入した本が足元に乱雑に置かれていて
掴んだ際に開いたページに偶然「太陽王」ルイ14世と書かれているのが目に入った。
エッと思って読んでみて思わず唸ってしまった。
まあちょうど今上記のように「ルイ14世」をタイプした数分後に
たまたま足元に放置された本の中からもルイ14世のことが出てくる。
しかも当時のフランスの状況についての警告がまさに今のアメリカに重なっている。
ダイヤモンドのカットによる七星の封印でも呪は完全には消せていなかったことを
神霊は伝えようとしたのだろうけど、それよりも呪の復活の方に確信が持てた。

この100円で購入した本は木村剛の「おカネの発想法」という本で
人様のお金を煙にした日本振興銀行事件の張本人とされる木村剛氏が書いた本である。
もっとも木村剛氏の罪とされている「検査忌避」は嵌められたものと感じている。
そのP125が偶然開いたページだ。
「輪転機を回し続ければ人々の暮らしは破綻する」という項で本の内容を写すと
『ジョン・ローは「太陽王」ルイ14世が残した巨額の財政赤字を賄うために、
これまでのような金貨ではなくお札をおカネとして印刷することによる解決を図ります。
一時的にローの政策は大成功したそうです。
ローは当時フランス領だったアメリカ・ルイジアナの金鉱開発を目的とした
ミシシッピ会社を1717年に設立してその株式を売り出します。
この会社の株は爆発的な人気となりました。
ところがローは株式を購入するために払い込まれたお札を
ルイジアナの金鉱探査には使わずに、フランス国家に貸し付けたそうです。
そこでフランス国家はそのお札を国債の償還に充てます。
その結果国債を持っていた人にお札が渡されます。
その一方でミシシッピ会社は再び新株を発行して市中からお金を回収します。
そのお金をまたフランス国家に貸し付けて、
お札が国債保有者の手に渡ると、ミシシッピ会社が増資して
お札を吸い上げる・・・・これを繰り返すという
「ローのシステム」が完成しました。
賢いことを考え付いたものです。
ロワイヤル銀行が印刷するお札とミシシッピ会社が発行する株式は世の中を循環し
いっそうの株高とお札の印刷をもたらしました。
一年と経たない内にお札の発行量は二倍となったといいます。
しかし国家予算の規模を遥かに上回るお札を印刷していましたから
あるときに金塊と交換しようとした人々が殺到して
「ローの手品」はその効果を簡単に失ってしまいます。
・・・・・信頼が消えた時にお金はお金でなくなったのです。』

フレンチ・ブルーダイヤモンドを手に入れたルイ14世の時代に深刻な財政難に陥っている。
今まさにアメリカが陥らんとしている危機と重なって見える。
輪転機を回し続ける事と国債を発行し続ける事は必ず破綻に結びつくということだ。
ホープダイヤの呪は消えたわけではなさそうだ。
アメリカの破綻は必然でありホープダイヤモンドのあの青い輝きがそれを裏付けている。

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開運ひょうたんを育てる No235

2011-02-25 16:09:43 | 日記
開運ヒョウタンを育てるといっても栽培の話ではない。
収穫後に内部の種を取り出した後の話だ。
開運ヒョウタンは生きているのでニスなどで塗装してはいけない。
もともとは神に捧げる器であったので
その由来に従い毎日酒を入れて数十年かけて育てこむのだ。

添付写真は40数年前に収穫されたひょうたんである。
特別な日に中に酒を入れて床の間に飾り開運を祈願する。
このヒョウタンはあと60年も経過すれば
さらにいい色に育つものと思われる。
気が長い話ではあるが家代々の開運のお宝というものは
そうやって育て上げるものだと思う。

ちなみにヒョウタンは水や酒との縁が深く少彦名神の神籬となる。
風水的には瓢箪は悪い気を封じ込め運気を呼ぶといえる。

塗装したヒョウタンは霊的な成長は望めないが、
例えば金色に塗装されたヒョウタンは財運を運ぶと言われている。
そのうち機会があれば手に入れて試してみたいと思っている。

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日本的アニミズムと「ねこタクシー」 No234

2011-02-21 01:21:43 | 日記
昨年貸してもらった「ねこタクシー」を見た。
カンニング竹山と御子神さんという猫が登場する映画だった。
映画の内容はともかく、今時の世相を感じてしまった。
カンニング竹山は間瀬垣 勤という主人公役となっている。
間瀬垣は元中学校の教師だったが、
対人恐怖症のために教師を辞めて現在はタクシー運転手をしている。
タクシー会社での成績はびりから2番のブービーで月収は10万円台。
マンションに住んでいて中学生の娘がいる。
どうも嫁も働いているようでそちらが家計を支えているようだ。
主人公の間瀬垣は、なんとも遣る瀬無い人生を歩んでいる。
嫁は教師への復職を願っているが本人は全く自信が無い。
中3の娘からも疎ましいというか毛嫌いされている。
どうにも抜け出せない沼に陥ってもがいているような状況だ。
こんな場合、人は常に救いの手や奇跡をどこか遠くに期待するものだ。
抜けそうで抜け出せない沼は嵌まったことがことが無い人間には
その脱力感は決して分からないと感じている。
救いの手をどこかで期待していたであろうある日に
むかで中児童遊園という三個土管が置かれている公園で
御子神という名札をさげた三毛猫と出会う。
追い払ったこの猫がなぜかタクシーの後部座席に座っていて
すぐにお客が来たためにそのまま出発するのだが、
猫を話題として初めてお客さんとの会話がうまくいく経験をする。
その時はお客さんを降ろしたあとに猫を元の公園に戻しに行く。
しばらく経ったある時つり銭詐欺にあった婆さんの家を探し当てて
そこで御子神さんと再び出会う。
その婆さんの家は大量の捨て猫がたむろするネコ屋敷だったのだ。
縁を感じて動物禁止のマンションで飼えない筈なのに
後先無くこの猫を貰って帰る事になる間瀬垣。
ドラマとして当然の展開だが、
まるで小学生の子供がしかられるように嫁から叱咤される。
ところがこの時になぜか娘が助け舟を出してくれて
この御子神さんは無事家族の一員となる。
娘は初めて父親の意思というものを感じて共感したという。
間瀬垣はこの御子神さんと行動を共にするうちに
タクシーの成績もあがり対人恐怖症からも開放されるのだが
保健所から動物虐待の疑いをかけられてしまう。・・・・・以上概略

本来「御子神」とは親も神でありその子に当たる神のことを御子神というのだが
ここでは『ネコ神』という意味に取られる。
アニミズムとは無機物や生物に神霊を感じるものだが、
間瀬垣はこのネコに神そのものを見ている訳ではない。
さりとて藁にすがる思いというものでもない。
しかし心の奥底でこの御子神さんに頼りそして『聖別』している。
ほのぼのとした恋ごころという言葉があるが、
間瀬垣にとってはほのぼのとしたアニミズムの芽生えがそこにはある。
最近よく日本人が言葉にする『勇気をもらった』状態である。
これは頼りになる「名犬ラッシー」とは全く違う。
『聖別』とはそこに神聖なる「なにごとか」を見て
その扱いを別にすることであるが、
一般には占いの道具や祭祀具やお守りなどに対して
儀式を行い特別な存在とすることをいう。
間瀬垣には信仰心の原初がそこに見受けられる。
日本的アニミズムとはこのようにして日本人の心の奥底に
根付いてきたように思える。
どことなく縁を感じ、御子神から何かを学ぶのである。
最後に教師に戻るのだが、最初の授業の前に
遺品となった御子神のネームプレートをじっと眺めてから教室に入る。

このシーンはアメリカだとキリスト教団体から横槍が入りそうだ。
お守りはイコンか十字架と相場が決まっている。
例えばトップガンなんかでも自分を勇気付けてくれた亡き友人グースの
形見のネームタグ(ドッグタグ認識票)も
最後は卒業とばかりに海に投げ捨てなければならない。
タイタニックでも老婆となったローズは青い宝石を海に返すが
あれも死を前にして地上の宝は天国に持っていけないという暗示になっている。

話が変わるが、そういう自分もこのネコに何かを感じた。
調べてみるとこの猫は数万匹に一匹というオスの三毛猫だそうだ。
「みーすけ」が実名で元は野良猫であったという。
それが飼い主から動物プロダクションに譲られたという。

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西洋での異端派 No233

2011-02-19 09:08:19 | 日記
前回の記事『アニミズムとトイレの神様』
「陶器は使い込むうちに味が出てくるのだが、西洋人はこういう感覚に疎い。
例えば日本刀にしても鍛えて魂を吹き込むということの本質が分からない。
日本刀の技術は創意工夫の知恵で出来上がるものではない。」
と述べているが、全く西洋にそういう要素が無いと言っている訳ではない。
例えばバイオリンの銘器であるストラディバリウスなどはすばらしい音色を奏でる。
憶測で言えば彼ストラディバリは間違いなく何かを感じ取ったのであろうが
それを信仰として表現することの自由を奪われていたと思われる。
弟子にも伝えられなかったその秘法は結局ロストテクノロジーとなってしまった。
もちろん現在の科学ではその当時の気候など好条件の重なりを示唆するが
あくまで分析の結果を知ったかぶりするだけで同じものを作れる訳ではない。
こういうと細菌で腐食させた木材で作れると知識を披露する輩が必ず出てくるが
100年後の評価でみればやはりストラディバリは名器であろう。
おおよそ精霊が宿ると云われる物は時を経てますます磨きをかける。
バイオリンの熟成は200年から300年とも云われており古陶器の熟成と似かよる。

熟成といえば、ワインやシャンパンも熟成して芳香する。
紀元前6000年頃のメソポタミアのシュメールではもうワインが存在している。
当然神に捧げる飲み物であったことは想像に難くない。
フランスやイタリアで作られるワインの作り手は合理性という言葉では
語りつくすことが出来ない神秘を垣間見てきた筈である。
熟成というのは精霊の宿る発酵のことであるが、
自然界の神秘をたった一人の神に結びつけることの方が合理性に欠ける気がする。
しかしながらキリスト教においてもヘレニズムの多神教を完全に消し去ることは出来ずに
キリスト教の初期におけるグノーシス派では、
人間を体(ソーマ)と魂(プシュケー)と霊(プネウマ)の三重からなる実体と想定している。
プシュケは単体では精霊と考えられるがそれを信じるものは魔女とされた。
おかしなことに日本ではキリスト教でいう聖霊と精霊が同じ発音となったが
片方は三位一体の神で片方は魔女や錬金術師が信仰するアニミズムである。

ちなみに錬金術Alchemyでは物質にも精があるとされエリクシールと呼ばれる。
ちなみに資生堂の「エリクシール」はフランス語ELIXIR=「万能薬」となっているが
これは生命の根元たる精である「生命のエリクシール」のことで不老不死をもたらす。
当然魔女や錬金術の産物でありキリスト教者にとっては異端である。

不思議なことに骨董品でもバイオリンでもワインでも
真髄を味わうためには観る者味わう者にも感応を要求する。
真骨頂を区別し理解できるのは僅かばかりの人だけとなる。

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アニミズムとトイレの神様 No232

2011-02-19 00:59:46 | 日記
日本人が持つアニミズムは自然神への信仰が基となって
八百万の神々を生み出すに至ったが、
西洋の一神教の人間に言わせると
多神教は未開人の幼稚な思考が生み出した幻想ということらしい。

心理学的には幼児は自分と他者との間の区別において
あくまで自分を中心として投影された世界を観ている。
『分離不安』という心理学用語があるが
幼児は最初は母親と自分を最初区別出来ていない。
母と子は胎内で成長し胎児の状態から出産後に分離される。
しかしながら生まれ出ても残っている胎内感覚から
まだ母親との一体感を持っている。
しかしじきに「母親」が自分とは別個の存在となったことに
気づいて不安を覚えはじめる。
自分が引き離されるときに喪失感を感じてパニックになるのだ。
その内に目の前にいなくてもこの世に母親が存在している
ということが認識出来るようになると分離不安は自然に消失していく。
この途中で「母親」とは別の『移行対象』が必要とされる。
例えば「安心毛布」とかと呼ばれるものがそれだ。
まあ「ぬいぐるみ」であったほうが説明が早いが、
この『移行対象』であるのは生命の形である必要はないようだが、
それは「物」である必要がある。
常に自分のそばにいて自分を投影できるものである必要があるのだ。
自分の投影というと難しいが要するにその存在は絶対的な
常に手の届く範囲に存在する「母親」である。
このときに幼児はそのものに母の温もりだけでなく人格=生命を感じている。
そしてその『移行対象』と幼児とは接触と会話が成り立っている。
面白いのは『移行対象』はあくまで自分の投影なので
母親の代理のようなものだけれども母親を想定している訳ではない。
つまり絶対的孤独感からの回避行動といえる。
釈迦はこの絶対的孤独感を回避せずに向かい合ってから解脱している。
幼児はこれを回避し成長に従って忘れていく。
※『移行対象』により自分を確立出来ずに
投影を母親と切り離すことが出来ないと分離不安障害となる

ここから無機物に対して生命を感じることを
西洋人はアニミズムと呼び未開人の幼稚な思考と
考えるようになったのだが、
日本人のアニミズムは成立過程が違う。

確かに自分に理解できない自然現象を恐れて神と崇めるだけなら
未開人の幼稚な思考といえよう。
火山が爆発して雷が落ちてそこに生命を感じるのは
同じだとしてもそこから発生した太古の原始的な信仰が
単に今に繋がっているという訳ではない。

火風水土の自然神信仰から発生するカマドの神様などは除いて
例えば「トイレの神様」はどうやって発生したのであろうか?

神道の原初的な話にもなるのだが、
アニミズムから即、多神教になったのではなく
まずは自然現象の観察から始まっている。
一般的な西洋人は焼き物であれば磁器の値打ちは分かるであろう。
しかし陶器は分からないであろう。
なぜなら陶器は育て上げるものだからだ。
出来立ての陶器は使い込むことにより一国を買えるような美術品に育つ。
その際に来歴といって育て上げたのが誰かということも当然ながら重要となる。
陶器は使い込むうちに味が出てくるのだが、西洋人はこういう感覚に疎い。
例えば日本刀にしても鍛えて魂を吹き込むということの本質が分からない。
日本刀の技術は創意工夫の知恵で出来上がるものではない。
神を宿す鍛錬という行為によって成り立っている。
日本人の観察眼は無機物である物であっても
神を宿すことが出来ることを見て取ったと言える。
それは信じるものと信じないものとの違いともなった訳だ。
信じるもののみが神を宿す気持ちから業物を生み出したのだ。

農業などの自然に左右されるものだけでなく
工業も含めたものづくりを極める中で
観察し理解したものの蓄積が神道である。

こういう高度な観察眼で生活を見ていった際に
例えばお米の生産において循環があることに気付いていく。
お日様も水も風も気候も回り循環するものだ。
だとすると口に入れたものも循環すると気付く。
そこに神霊界の働きを大きく見たのである。
感謝の念はその自然界の機能に向けられる。
生産された米への感謝はもちろんのこと食べて排泄する行為も循環である。
全てに神霊の働きかけがあると本能だけではなく
観察することにより理解したのである。
それでトイレにも神霊が存在すると深く理解したという訳である。


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学研ムー3月号記載の「魔除け龍御幣」 No231

2011-02-17 21:23:57 | 日記
学研ムー3月号で紹介されていた「魔除け龍御幣」を作成してみた。
この「魔除け龍御幣」というのは伯家神道の秘伝らしい。
監修者は花谷幸比古氏という方でPHPから
『「龍」の大予言―風水の秘伝「望龍術」で近未来を予測する』
という書籍を以前出されている。
今回も『望龍術大予言 中国崩壊と日本の近未来』という
興味深い記事が載っていた。

花谷氏の望龍術については詳細説明されているHPを見つけたので紹介しておく。
《中国古来の風水秘術--望龍術とは--》
http://www1.vecceed.ne.jp/~kyusei/sub71.htm

さてこの龍御幣は伯家神道の秘伝とある。
なかなか重々しいが、効果がいかほどかをさっそく試してみた。

御幣については一般的な著書では
『御幣~祈と祓のすがた(いのりとはらいのすがた)~』
青山社編集部編
同じく青山社から出されている
片山公壽氏の『御幣―神と仏のすがた』などがある。

HPでは以下のところが詳しく参考になる。
(同じ作者なので重複がありますが)
『御幣切方大事』
『いざなぎ流の御幣』

自分の知識の範囲では
足の長いイカのような御幣とか不気味な御幣とか数多くある
土佐物部村いざなぎ流の御幣切りなどが印象深い。

筆者は御幣については日常的に作っていない素人なので
龍御幣の効果を相対的に評価出来ないが
緊迫感がありなかなか面白いものを感じた。

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フラクタル構造についてNo210の補足 胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅 No230

2011-02-17 04:05:25 | 日記
胎蔵界曼荼羅

金剛界曼荼羅


ちなみにブロッコリーロマネスコという野菜を
上から見ると中央が一番大きいぐりぐりで
そこを中心として外周りほど小さいぐりぐりとなる。
つまり胎蔵界曼荼羅

この野菜のフラクタル構造を
論理的に表現するとシェルピンスキーのカーペットとなる。


これを一段目を中心とするように並べ替えると
つまり90度回して横から眺めると
金剛界曼荼羅となる。


胎蔵界曼荼羅は自己の意識の入子構造を現していて
それを自己を離れて横から冷静に観ると金剛世界が現れる。

つまり自分の意識が一つと認識される集合体を自我というが
それは細胞一つ一つの意識の複数の集合体である内在意識で出来ている。
内に集中すれば内在する力である瑜伽を識る。

自己を離れて外に集中すれば自我もさらに複数の繋がる集合体であることを識る。

自己の高次の集合意識は未那識⇒阿頼耶識⇒阿摩羅識と通じる。
自己を離れて観るとそれは次元により神霊や仏と呼ばれる。
解脱とは小乗では煩悩からの解放であるが
大乗でいう解脱は人智と社会の進歩そのものである。
(※物質的な発展ではなく精神上の進化)
自我の潜在領域である阿頼耶識の変革が小乗であれば
阿摩羅識に至る改革を霊主民従の大乗と呼べよう。
つまり霊的な阿摩羅識に至る改革が
霊的世界から現世に反映されるときに人智・社会の進歩として観える。

このことが腹に座ると信仰の有り方や
筆者が述べてきた開運グッズの意味も効果も良く分かるようになる。
潜在的に信じていない人間には表面的な効果は薄いようにみえるが
それでも大きく影響を受けてしまう生命の神秘がそこに封印されている。

よくポジティブな意識が自分の現実世界を良いほうに変えるというが
胎蔵界では自分を変える手段を得る。
それを90度回して傍観的に展開すれば
金剛界となり社会を変える手段を得る。
個人レベルなものから社会の変革=大乗に繋げていくことが
金剛世界のシステムであるといえよう。

例えば弘法大師空海は、
胎蔵界の実現としては密教・瑜伽を識り実践している。
金剛界の実現としては民衆に信仰の礎を築き
同行二人の民衆遍路へと発展させている。


※人の意識の階層は九識論では以下のようになっている
五識=五感
六感=人智思考を加味した感覚
七感=未那識=無意識の領域
八感=阿頼耶識=輪廻する魂の領域 集合意識に繋がる
九感=阿摩羅識=高次の集合意識で神霊・仏にも繋がり
   現実世界にも大きく影響する。


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藤原不比等の后となった県犬養三千代が賜った橘姓 No229

2011-02-17 02:38:54 | 日記
県犬養三千代は美努王に嫁して葛城王(後の橘諸兄)を産んでいるのだが、
夫の美努王が大宰帥として筑紫に赴任中に離縁して
権力者である藤原不比等の後妻となっている。
この県犬養三千代は和銅元年708年に行なわれた元明天皇の大嘗祭で
酒盃に浮かべた橘とともに橘宿禰の姓を賜っている。
それでその一幕を続日本紀で確認しようとして
続日本紀の708年の欄を見たのだが記載されていなかった。
調べてみるとその一幕は続日本紀の天平8年736年に
記載されている葛城王と弟の佐為王の聖武天皇への奏上文の中にあった。
この奏上文の中身は弟の佐為王と共に母である橘三千代の姓氏である
橘宿禰を継ぐことを願い出たものだ。
《天平八年(七三六)十一月丙戌【十一】》の項参照
天皇、誉忠誠之至。賜浮杯之橘。
勅曰。橘者、果子之長上。人之所好。柯凌霜雪而繁茂。葉経寒暑而不彫。
与珠玉共競光。交金銀以逾美。
是以、汝姓者、賜橘宿禰也。
この記載の中で、橘についての説明がある。
橘はくだものの中で最上に位置する。人々は好んでいる。
枝は霜雪にもめげずに繁茂して葉は寒暑にあっても凋まない。
輝きは珠玉とも競うほどである。金銀にもまして美しい。
そのように橘について書かれている。
これを読む限り橘とは蜜柑のこととしか考えられない。
708年といえば葛城王が24歳の時で736年は52歳になっている。
当事者である県犬養三千代は733年に死去している。
少なくとも708年には蜜柑が日本にあったと考えて良かろう。
ただ元明天皇は女帝であり県犬養=橘三千代も女性であるから
金柑レベルの酸味でも美味しいと感じるかもしれない。

いずれにせよ橘は珍奇で高貴なものであった筈で
だからこそ橘姓を授ける意味があったといえるし
その裏には弟橘姫の伝承があるのも間違いない。
弟橘姫は命を捨てて夫を助けるが、
橘三千代も天皇にそれだけ命を惜しまずに仕えたというのだろう。

蜜柑の生産は記録上は熊本が最も古いが、
この珍奇で高貴な蜜柑栽培をもたらした人物は
肥後初代国司の道君首名公と考えて間違いないだろう。
唐もしくは新羅からの船が九州に到着した際に
九代目の遣新羅使の権限で苗を分けて貰ったのだろうと考えている。

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東寺の兜跋毘沙門天像 No228

2011-02-14 14:42:43 | 日記
前回大宰府に置かれた兜跋毘沙門天が
観世音寺の宝物館に置かれていることを紹介したが
『大宰府 観世音寺 No205』
平安京の羅城門に設置された兜跋毘沙門天像は今は東寺にある。
羅城門倒壊の際になぜか東寺に持ち込まれている。
この兜跋毘沙門天像は国産ではなく中国の唐のものらしい。
遣唐使が持ち帰ったものということになると最後の帰朝の839年以前のものとなろう。
空海が帰朝するのが806年であるからその時に日本に持ち込まれた縁で
980年の羅城門倒壊の際に空海が建てた東寺に持ち込まれたのかもしれない。
『東寺 宝物殿』
中国産の魏氏桜桃=サクラの一種というものが使われているそうだ。
この像は国宝だが東寺には別の国宝の兜跋毘沙門天像も存在している。
『東寺 講堂 多聞天』
平安時代の作だと記載されている。
躍動の持国天は烈火の如く、攻めの増長天は風の如く、
鉄の守りの広目天は山の如く、静かなる兜跋毘沙門天は林の如くと
まさに風林火山を思い出した。
しかし並べて観てみると増長天と持国天が似た造りなのに対して
広目天は若干迫力に欠け、兜跋毘沙門天像はさらに異質に感じる。

実は大宰府の観世音寺の宝物殿にも四天王像が存在するが
とても四天のバランスがいい。

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我が家にサギが降り立った No227

2011-02-11 02:43:25 | 日記
先日トーテムの話をしたが
『鳥をトーテムとする部族』
自分のトーテムは何だろうと考え込んでしまった。
やはり鳥かなと思うのだが、
自宅の屋根にサギが降り立つという
シンボリックなことがあったので写真に撮った。
有りそうで無さそうな光景? とりあえず奇遇としたい。
サギは雪客とも云われるらしい。
まあ確かに珍客ではある。

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乙姫神社のライン No226

2011-02-10 23:44:09 | 日記
乙姫神社は熊本上南部にあるが、
この神社と立田三ノ宮阿蘇神社と二ノ宮陳内阿蘇神社が
完全に直線上にあることが分かった。
偶然の一致とは考えがたい。
だとすると乙姫神社は四ノ宮の可能性が高いが
三ノ宮に祀られる國龍神の后神が四ノ宮である。
五ノ宮の彦御子神の后というのは納得出来ない。
ということは四ノ宮の比御子神が
蒲池媛=乙姫である可能性を考えたい。
もっともこの完成のためには
このライン上に一ノ宮か五ノ宮があることが必須だ。
残念ながら地図を眺める限りは見つけられなかった。

PS. 少し訂正したい。

もし日下部系の祭祀だとすると
一ノ宮と五ノ宮は含まれないことになる。
前述でライン上に一ノ宮か五ノ宮があることが必須などと言ったが
そうとばかり限らないと考え直した。

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乙姫神社を探していて見つけた毘沙門堂にある石碑 No225

2011-02-10 21:56:41 | 日記
昨日乙姫神社に参拝したのだが
探している最中に迷い込んだところに毘沙門天堂があった。
この敷地内に石碑が立っていて興味を引いた。
波邇夜須毘古神と美都波能女命となっていた。
この神は『日本書紀』では埴安神 罔象女命となっている。
埴安神は土の神といわれているが
カグツチを産んで死ぬ間際のイザナミの大便から生まれた神だ。
罔象女命は水の神と言われている。
カグツチを産んで死ぬ間際のイザナミの尿から生まれた神だ。
この糞尿二神だけで祭祀されている例は少ない。
理由は想像がつく。
それで金山彦命を加えると金気・水気・土気となる。
熊本でこの神を祀る神社を知らなかったので奇異な感じがした。
ちなみに熊本では素戔嗚尊を祀る古社もほとんど無い。
ところが埴安神は福岡では数多く祭られている。
数多くある地禄神社がそうだ。
貝原益軒の筑前国続風土記 初版1703年(元禄16年)にも
地禄天満宮として記述がある。
今回この石碑があった地名は弓削となっている。
弓削道鏡を祀る弓削である。
熊本のもともとの地の民ではない人たちが
持ち込んだ信仰なのだろうと思う。

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読者様から場所を教えてほしいとの要望があったが
正直迷い込んだ場所なので説明できない。
それでヒントになる写真を添付しておく。

  
熊本市の指定樹木第135号の場所のようだ。
熊本市環境局 環境共生課 電話:096-328-2352
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熊本の乙姫神社 No224

2011-02-09 19:14:15 | 日記
前回『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178』
古田シズヨ女史が開いた龍宮乙姫の岩戸が
熊本の鹿本にあると伝えたが、
乙姫神社の調査で熊本に少なくとも三社は乙姫神社があることが分かった。
一つはわりと有名な阿蘇乙姫の乙姫神社。
それから旭志村姫井の乙姫神社。
そして最後に熊本市上南部の乙姫神社の三社だ。
そしてこの三社の乙姫神社で祀られている祭神は若比咩命となっている。
阿蘇神社は一ノ宮 二ノ宮 三ノ宮と十二ノ宮まであるが
その五ノ宮の惟人命=彦御子神の后が若比咩命だ。
なぜ若比咩命が乙姫なのか謎が残る。
ちなみに惟人命とその母の蒲智比咩命=蒲池媛は
神功皇后の三韓征伐に従軍している。
蒲池媛は宇土半島の郡浦神社あたりが出身ともいわれていて
郡浦神社では蒲池媛を祀っている。
國造神社の祭神である速瓶玉神に嫁いでいるのは雨宮媛となっているが
蒲池媛と同じ人物かははっきりしない。
雨宮媛については小国出身ともいわれている。

草部吉見神社の言い伝えによるが、
国龍命は日向国から火と水を求める二つの玉を持ってきたという。
火の玉を干珠、水の玉を満珠と称する。
高麗軍が攻めてきたときに、
草部吉見神社で九ノ宮に祀られる速瓶玉命と
その妃の雨宮媛がこの珠を使って高麗軍を撃退したという。

この速瓶玉神の子供が阿蘇神社五ノ宮の惟人命となる。
神功皇后の塩満珠は一般的には住吉大神から授かったことになっているが、
蒲池媛は神功皇后に塩満珠を渡したという伝承もある。
どうも蒲池媛は海人系のようだ。
若比咩命が蒲池媛の可能性もあるようだ。

さて熊本市上南部の乙姫神社であるがこの神社は合併社で
奈我神社、乙姫神社、住吉大社の3社が今は合祀されている。
奈我神社は六国史の一つ『日本三代実録』にも登場する古社で
貞観十八年(876)七月に
肥後国合志郡・正六位上奈我神社の川辺から白亀一匹とある。
奈我神社の祭神は初代神武天皇の母君の玉依姫命となっている。
乙姫神社の祭神の若比咩命よりも玉依姫命の方が
乙姫なのではないかとも思ってしまう。
奈我神社の奈我だがこれは龍神ナーガに繋がる気がする。

神功皇后 蒲智比咩命=蒲池媛 雨宮媛 若比咩命の関係については
もう少し詳しく調べて再度報告させていただきたい。



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初午大祭 No223

2011-02-08 01:05:26 | 日記
稲荷神社では2月の最初の午の日に初午祭を執り行う。
2011年は2月の8日が初午となる。
京都の伏見稲荷神社に神霊が降りた日というのが
和銅4年西暦711年のこの午の日であったとされる。
熊本では霊ライン上の城山(稲荷山)に高橋稲荷神社がある。
九州三稲荷の一つであり日本五大稲荷の一つともいわれる。
高橋稲荷神社は1496年に隈本城の初代城主である鹿子木親員が、
京都の伏見稲荷神社から稲荷大明神を勧請したのに始まる。
ただ不思議なのが祭祀目的が城内鎮守であったことだ。
稲荷神社は穀物の神や商売の神としての信仰が篤いが
当時はそうではなかったのかもしれない。
この神社は山中にもいくつかの摂社があるのだが
拝殿右横側の奥側に奥の宮として三吉大明神社がある。
せっかく来られたらここには是非参拝していただきたい。
この小さな社の石版の前にロウソクを立てるのが慣わしだ。
本殿の真裏には不思議な空間があり賽銭箱が置かれていて
参拝出来るようになっている。※添付写真参照のこと
そこには本殿に繋がる小さな扉が作られている。
何の為の扉であろうか?
一緒に参拝した友人は霊狐でも出入りする扉ではないかと言っていた。
この扉の前に今は宇迦之御魂神というよりは豊受大神のような石像が
安置されている。
この石像は5年前は足元に放置されていたのだが格上げされている。
良く見るとまとう布も5年前とは違っている。
こころなしか立派になったように感じる像である。


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自分のHPの紹介① No222

2011-02-07 13:13:07 | 日記
もともとこのブログは、
①熊本にある熊本レイラインの紹介 ⇒『主題 熊本霊ライン』
②熊本・久留米初代国司の道君首名公の紹介
③少彦名神信仰の歴史の紹介
④日本の神霊背景の考察
⑤-1熊本最古社である健軍神社の紹介
⑤-2健軍神社の摂社考察

上記を紹介することを目的として作ったものだが、
ほとんどアクセスされないのでこのブログで定期的に紹介させていただきたい。
google検索で健軍神社を検索しても
筆者のHPが表示されないので正直トホホ気分である。

まず熊本レイラインであるが、筆者は熊本霊ラインと呼ばせていただいている。
この霊ラインは実際に訪れて感応できる場所である。
筆者は出身が阿蘇神社と國造神社に繋がるが、
阿蘇では熊本霊ラインに並ぶ構造として立体ピラミッドレイラインが存在する。
「火の国の炎のピラミッド」
Amazon研究書「炎のピラミッド」の発見
これらは1500年前に作られたものと考えられるそうであるが
熊本霊ラインはさらに古い時代のものと考えられる。
「炎のピラミッド」では健軍神社も重要な役割を果たしているのだが
その健軍神社で感応があり熊本霊ラインを理解し紹介するに至った。
このHPの内容は互いに繋がっていて全体で一つの真実を現している。
これは自分にとってのフラクタクルな曼荼羅構造である。

熊本霊ラインの強力な理由は中央構造線の西端でもあることである。
ここの活性化が日本の今後の発展でも重要である。
筆者も導かれているのだが、
日本人の間(マスコミ)でもパワースポットブームが来ている。
しかしその根源を見極めて単に個人的な興味から
発展させる人物に欠けているようである。
これらの構造物はもともと個人のために存在している訳ではない事を
理解していただき根源的理解に目覚めていただきたいものである。


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