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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
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加藤清正公製作の七つの鎮宅霊符神鈴 No555

2020-08-29 01:28:22 | 神霊界考察
加藤清正公が造ったという鎮宅霊符神鈴については
『今必要とされる護符 No325』に写真を載せている。
またこの神鈴の所在については『加藤清正公と鎮宅靈符神 No039』にて
天保2年1831年より早吸日女神社宮司家の小野家に保管されていると書いている。
残念ながらこれについての記事のリンクは切れているようだ。
それ以降に滋賀県東近江市の市神神社に奉納されているとか
津島市の津島神社に加藤清正公が寄進しているとかの情報を得ている。
ただ現物を拝観する機会が無かったが本日偶然に拝観することが出来た。
熊本博物館が2018年12月にリニューアルオープンしているが
清正公関係の展示物が増えていて
その中に『清正公謹製鎮宅霊符神玄武鈴』も2個が展示されていた。

 霊符神鈴は七個製作されたという記載

  

 

複数の存在が知られていたが文禄7個製造されたと聞き
北斗七星に合わせた数だとピンときた。
ということは目的も単なる戦勝祈願ではないことが分かる。
この神鈴は1593年癸巳文禄 2年に製造されたことになっている。
文禄の役は1592年3月に始まり1593年には休戦している。
休戦後の講和交渉決裂によって1597年に再開したのが慶長の役となる。
休戦中に造られた7個の鈴は講和後に朝鮮半島に渡った際に
北斗七星型に土地に埋めるつもりで作ったか
もしくは日本で北斗七星型に神社に奉納しようとした可能性がある。

この鎮宅霊符神玄武鈴は鈕に玄武の蛇と亀が施されているので
まさしく北を意味していると思われるが
朝鮮半島に持っていった場合の北は明が攻めくる方向であり
日本においては九州の北の朝鮮半島からの防衛を意味する。
日本が攻める場合の利用であれば朝鮮半島に持ち込んで
埋めることが効果的だと判断する。
ただ筆者は鎮宅霊符神とは七福神の福禄寿と寿老人のモデルとなった
南極老人星(カノープス)だと考えている。
玄武を設置するならここは素直にこの神鈴に妙見神と記載した方が
結果が少しなりとも良かったのではないだろうか?

ところで玉埋め(珠埋め)においては、
目的とするところの御神霊の御神氣を宿した神籬を使った魂埋めでないと
全く効果がない事は想像がつくと思うのであるが
神事で神籬として効果的なものは鏡や勾玉や鈴が第一となる。
第二としては霊串として真榊などがあげられる。
この二つを合わせて玉串奉奠(たまぐしほうてん)という。
神籬の中でも珠埋めにおいて音霊を鎮めるとすれば神鈴という事になる。
特に佐波理の鈴が効果が高い。

ところで仏壇にほぼ設置されているオリンだが
調査しても禅宗由来という以外は
なかなかに由来が不明である。
一般に梵鐘、磬子、鰐口、木魚磬、鐃祓
鉦鼓(鉦吾)伏鉦などの梵音具とは
少しばかり由来が違うように思える。
形が似たものに磬子(けいす) があるが
これは甲(カン)・乙(オツ)・聞(モン)
の音を出すことを目的としているようである。
オリンは漢字では御鈴であって仏壇で鳴らしたとしても
筆者の経験上は邪気払いと神霊降臨の効果があるといえる。
日本オリジナルの仏壇というものと御鈴の効果については
仏教と切り離して考えてみる必要もあろう。

筆者は神霊祭祀において『たまゆらりん』という御鈴を
設置しておいて最初に鳴らすようにしているが
邪気払いと神霊降臨の効果を図ったものといえる。




コメント (15)
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英彦山の天忍穂井の真名井の霊水 No553

2020-08-21 09:34:42 | 神霊界考察
以下のさくら様のコメントを読んでいて
英彦山の御神水の事が気になったので自分の過去ブログを検索したのだが
全く記載したと思っていることがヒットしない。
どうもサボっていて頭の中では書いた気になっていたものが
実際にはブログに記事を書いていなかったようだ。
とりあえずながら過去のブログには写真を追加した。

『老体に鞭打って英彦山 求菩提山 高千穂峰等 神霊界探訪してきました No519』
『英彦山の鬼神社 No522』

私への伝達のために罰金7千円だったとしたら申し訳ない限りだ。
比沼麻奈爲神社は丹後五社の中の一社であり
豊受大神が稲作りなどの農業を此の山麓ではじめられた嶽が最初であり
九州の天忍穂井の真名井の霊水を移された清水の湧き出る霊峰であるので
真名井岳とも呼ばれる。

比沼麻奈爲神社の由緒書にも記載されている九州の天忍穂井の真名井の霊水が
どこにあるのかということだが、
一般的には伊勢や丹後の伝承ではその御神水は「高天原の天の忍穂井」とされていて
九州の天忍穂井の真名井の霊水」という具体的な話は筆者も知らなかった。
天忍穂といえば天忍穗耳尊のことで間違いない。
『鳥栖市姫方町の姫古曽神社と小郡市大崎の媛社神社 No544』にても
『呉氏骨=おしほねの行方 No436』について言及しているが
小郡市大崎の媛社神社の近くにある天忍穂耳神社は
福岡県神社誌によると元は忍骨命神社らしい。

参考『福岡県神社巡り福岡神社参拝帳』
 

この神社はもともと鳥栖市姫方町の姫古曽神社と小郡市大崎の媛社神社と
繋がりの有る呉系姫氏の骨格となる呉氏骨神社だといってよいと思う。
天忍穂耳神社や忍骨命神社はgoogle検索でも全国に数社のみしかない。
天忍穂耳尊を祀る神社はさくら様紹介の通り許波多神社や木幡神社がある。

しかしこの辺りや背振山や香春岳や高千穂あたりでの調査では
呉氏骨の真名井の霊水の御神氣を感じることは無かった。
例えば高千穂の天真名井も候補からは外れると考える。
この天真名井は瓊々杵命が降臨の時にこの地に水がなく
天村雲命が再び高天原に上がりてこの場所に水種を移したと
伝えられる御神水であるがこのことからいって
ここは高千穂とは呼べても高天原ではない。
この霊水はやはり英彦山に求められるべきものであろう。

 英彦山の高天原伝承
「高天原この堀にて瓊瓊杵尊御降生あそばされ日向之国に天降り給いし霊地也」

 

 玉屋神社例祭の御池神事は旧暦6月3日に実施される

 般若窟横の石清水の清め水

英彦山は霊的には三重に上書きされた神域であり
古くは縄文信仰の聖地であったのだが
倭奴国(狗奴国)により威奴神が祭られている。
それが異奴の鬼とされてしまい
その封印となる大修験の霊山としての歴史も長い。
伝承では継体天皇25年(531年)に北魏の僧の善正(ぜんしょう)が
英彦山山中で修行していたというが
わざわざ北魏から来訪した本当の狙いから考慮していく必要がある。
藤原恒雄伝承の白鹿や3羽の鷹が持つ意味も気になる。
また求菩提山においては開山伝説にて、
行善和尚に白山大権現が現れその言葉により求菩提山を開いたとあるが
ここでいう白山権現は新羅系といわれる白木神ではなく
倭奴国(狗奴国)の威奴神の化身である。



さくら様コメント抜粋
2020/08/19 16:30:48 五箇と久留と角のお話し
綾部辺りのSAで、熊の牙をもつおじさんの目利きで選んでもらった鹿角細工を購入して、
ウキウキして、車中で鹿角の写真を撮ったりしていました。
長男とは別行動で、(長男はバイク。私達より30分ほど先に家を出る)
丹後の甲山レストランで待ち合わせです。
私達は高速なのですが、、熊の牙をもつおじさんと長話したせいか、
高速を降りたところで、長男がもう待ち合わせの甲山に着いたと連絡がありました。
それで、夫が高速なのに、地道のバイクに負けた!と切れ気味に、
丹後峰山の道を走っていると、、、
交差点のようなところで、パトカーとすれ違います。
普通に走っているし、私はシートベルトもしているのに、
何故かパトカーがランプを鳴らしながら、、何か拡声器で言っているのです。
音楽を聞いているので、よく聞こえなくて、はぁ?何も悪いことしてないのに、
なんでパトカー付けてくるの?
「五箇」と書かれたバス乗り場近くで、車を止めます。
よくよく、話を聞くと、一旦停止違反らしいのです。
夫がかなりの塩対応でしたが、警官の方も慣れているでしょう。
それも、一週間前に別場所の一旦停止注意勧告をうけたばかりだったのです。
なんか、点数がどうとか話していましたが、、、
半沢ドラマみたいに、顔芸土下座したら?許してくれたかもよ
・・・とか言いましたが、
国家権力には逆らえないと。ここで、罰金7千円決定です。
その「五箇」の側に、「ヒヌマナイ神社」の案内がありました。
比沼眞名井ですね。比ですね。
「五」って、平家の「五箇荘」の「五」でしょう。
ヒヌマナイ神社も平家と何か因縁があるのな?と感じました。

2020/08/19 21:03:32 五のお話し~続き
実は、一番気になりましたのが、摂社で五元五柱神と書かれた「大川神社」になります。
先ほど、五箇で比沼眞名井神社で、、、また、五なのか?

大川神社は京都府舞鶴市字大川に鎮座している神社です。
大川神社の創建は顕宗天皇元年(485)、
冠島から金色の鮭に乗り由良川を上がってきた神が
地元の漁師に自らを祀るように告げたことから
宮柱を立て奉祭するようになったのが始まりと伝えられています。
現在の祭神は保食神ですが、元々祀られていたという大川の神の詳細は不明とされ、
出現自に左手に五穀の種、右手に養蚕の桑の種子を持ち金色の鮭に乗っていたことから
農家や養蚕、漁師などから信仰が篤く、
境内周辺に古墳が点在していることから当地方の開発神だったとも考えられます。
江戸時代に入ると田辺藩主細川家が崇敬庇護し境内が整備され、
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され
明治5年(1872)に郷社、大正8年(1919)に府社に列しています。
祭神:保食神。相殿:句々廼馳命神(木神)、軻遇突智神(火神)、
埴山姫神(土神)、金山彦神(金神)、罔象女神(水神)。
その後、五色浜に行きました。
また、「五」かと思いながら、「うみうし」の泳いでいる姿を堪能しました。
もしかすると、アメフラシかもしれません。
五色浜に行く時の目印は、六地蔵という地名から海岸に下っていくというものでした。



※筆者コメント
比沼麻奈爲神社は怯むことなく田主(田守)を務めるの意と受ける。
天忍穂井の真名井の霊水の神力を持つ妙見妙音妙理の統括尊たる
斎姬山門五音大神の日本国の国防力は祭祀により更に強力なり。
他人を巻き込まず我に直接来タレ。



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媛社神社の社稷神祭祀 No552

2020-08-18 09:58:13 | 神霊界考察
ヒメコソ神社については
『鳥栖市姫方町の姫古曽神社と小郡市大崎の媛社神社 No544』でブログ記事にしているが
ヒメコソ五社について以下に示すような漢字表記となっている。
姫古曽神社  鳥栖市姫方町
媛社神社   福岡県小郡市大崎
比賣語曽社  豊後国国東郡姫島
姫社神社   岡山県総社市福谷1423
比賣許曽神社 大阪市東成区
この中で『社』と書いてコソと読ませている神社が2社あるが
この社の意味が気になっていた。

それと同時に呉音霊=呉音神=斎姬山門五音大神が
周や中国長江の呉国で姬氏にどのように祭祀されてきたのかを調べていたが
ある時、御神霊にそれは社稷壇による祭祀と伝えられた。
社稷(しゃしょく)とは社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)の総称らしい。
どうも斎姬山門五音大神は社稷壇といっても
土地神にも穀物神にも当てはまらない気がする。
中国の歴史をみると国は出来ては滅ぶことを繰り返しているが
社稷壇にて御神霊が自分の国に留まるように祈願していたように思える。

中国においては天子という呼び名が秦の始皇帝以降に皇帝になると
天地をまつる郊祀(こうし)という祭祀に切り替わっている。
郊祀は天の主宰神への祭祀である南郊と、
地の自然神への祭祀である北郊とに分けられる。
この場合に斎姬山門五音大神は主宰神でも自然神でもないので
本来は客人神(まろうどがみ)という範疇になるように思える。
そしてこの頃から祭祀からは除かれてしまったのではなかろうか?

日本において社稷神という石碑を見かけることがあるが
この中には姬氏の祭祀の名残りがある。
同様に姫社神社というのは姬氏の社稷祭祀の神社ということになろう。



東周列国志にも社稷の文言は出てくるようで
参考までにガイド本を添付しておく。

 楚の昭王は社稷・陵墓を棄てて敗走

 昭王の母であり秦の哀公の娘が伯嬴

ついでにこの東周列国志の中で秦の哀公が八句の命題を出しそれに伍子胥が答えている。

 

今回注目したいのは以下の二点である。
天地の間は五という数字を基本としている。
五行の中では土が最も大切と答えている。
土は社の初文であり土とは饅頭形に縦長にまるめて台上におき社神とする意。
社は地主であり産土神のことをいう。

五とはまず火・水・木・金・土の五行の事であろうが
社稷五祀の五行神のことも考慮したい。
木に勾芒(こうぼう)、火に祝融(しゅくゆう)、
土に后土(こうど)、金に蓐収(じょくしゅう)、水に玄冥(げんめい)を配している。
日本では木に久久能智神、火に迦具土神
土に埴安姫神、金に金山姫神、水に罔象女神を当てることが多い。

春秋左氏伝によれば特に社稷に祀る神として
「后土を社と為す」とある。
そして后土を句龍のこととしている。
※左氏伝「共工氏之子句龍,能平水土,祀之為社神」
※左氏伝「共工氏有子曰句龍,佐顓頊,能平九土,為后土,故封為上公,祀以為社」
※百科 句龍=即后土氏,相傳為共工氏之子。
「能平九土」,因治水土有功,顓頊任命其為土正官。
句龍被後世祀為后土之神,是掌管社稷、土地的社神。

后土は中国道教では最高位の全ての土地を統括する地母神とされる。
また社稷の中央に植える樹をもって田主というが
田主神は神農とされる。
つまり木を神籬として神農神を祭祀し
それを后土句龍が輔弼している構図となる。

※《周禮 地官 大司徒》「設其社稷之壝而樹之田主。」

これは妙見妙音妙理の統括尊たる斎姬山門五音大神を祭祀するにあたり
日本に留め置く役割としてハミト大神とハヅキ大神を配置している構図と
似ているようにも思える。
斎姬山門五音大神を田主とした場合に
この二女神のうちのどちらかは稷神(穀物神)で
もう一方は社神(土地神)の役割であろう。

2020/08/19 19:53:32のはいせ様のコメントで
この祭祀について「悠紀殿、主基殿みたいですね。」と類似性を指摘された。
この件について類似している部分と違う部分の2点について
私見を述べさせていただきたい。
まず悠紀殿、主基殿を社と稷に当てはめるのは難しい。
この大嘗祭の儀式が共食により皇祖神の神徳を自身に受けて
神人合一を図る儀式であることは間違いないのだが
悠紀殿、主基殿にそれぞれ祭られる神霊が
天照大神の一柱しか知られていない。
これが最大の違和感の原因である。
天照大神の血統としては素戔嗚尊との間の宇気比で
八王子が産まれているが
素戔嗚尊とは兄弟であり夫神ではないことになっている。
また伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』『豊受皇太神御鎮座本紀』)では
雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「一所にのみ坐せば甚苦し(痛苦し)」
「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、
等由気大神を我許もが(我が元へ)」と伝えられたとある。
これで豊受大神を外宮に祀るようになったとされているが
これとて天照大神の夫婦神とは言えない。
天照大神を女神としても男神としても良いのだが
天皇の大嘗祭の儀式に悠紀殿、主基殿の二つがあるという事は
もともと夫婦神の祭祀では無かったのかという疑問が強く残る。

いろいろと調べていたら『出雲王国とヤマト政権』
富士林雅樹 著の中に興味深い記述を見つけた。





この出雲の祭祀が天皇の祭祀より古くからあると仮定すれば
この祭祀が大嘗祭の由来である可能性は高いと思う。
このように祭祀する御神霊が夫婦神であれば
祭祀における皇后の役割も天皇と同等という事になるし
悠紀殿、主基殿の二つあることの辻褄も会う。

斎姬山門五音大神を田主とした場合に
この二女神のうちのどちらかは稷神(穀物神)で
もう一方は社神(土地神)の役割と記載したが
この二女神は斎姬山門五音大神の夫婦神ということになろう。


※少彦名神を祀る鞍馬の由岐神社はもともと靫明神と言われている。
徒然草に「世中の騒がしき時は、五条の天神に靫をかけらる。
鞍馬にゆぎの明神といふも、靫かけられたりける神なり。」とあるのだが
これは伝染病に罹患した家にあるいは謹慎処分を受けた人の家に
靫を掛けて少彦名神の封印をしていたという意味であるが
同時に少彦名神に女神の性質を観て取っている。
また鋤(スキ)は田を耕す道具であり確かに男性の特徴ともなる。
参考までに弥生時代の鋤を添付するが
三叉鉾を彷彿とさせるデザインとなっている。

 


この記事は推定部分を近日中に修正する可能性があります。

社稷石碑は岡山県笠岡市用之江 用之江の辻堂にもある。





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