吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

吉田一氣の信仰と祈り No464

2017-06-27 04:05:06 | 神霊界考察
私の信仰と祈りの紹介はこのブログの目的の本義から離れるが
ブログ記事の理解のための参考になるように思い
私事ながらではあるとは思うものの
その祈りの原点をいくらか簡易に伝えたい。
まず私の信仰とは生命讃歌が基本となっている。
従って『豊玉姫神』だとか『少彦名神』と言っても原始は人格神では無い。
この原始神とは私の信仰のベースであると思っていただきたい。
生命の原始も海原の何処か海底の火山熱水による気泡か
あるいは海岸近くの太陽と海水の泡の中でアミノ酸の元になる物質が
存在しそこに何処かを起源とする初期の有機物が混じり込み
揉まれる中で生命スープが出来上がり有機物の結合が起こり
そこに霊的反応があり原始生命が誕生したと仮定している。
何れにせよ海原を母として生まれている。
この母なる海原の生命讃歌をイメージして『豊玉姫神』として信仰している。

水は物を溶かし拡散させるが、
それと逆に有機物を凝集させる作用が母なる海原にあった事は間違いない。
とにかくまずタンパク質が出来なければ話にならないが
ベースとなる生命スープの中から個を作り出す作用を
古事記では『葦牙の如く萌え騰る物』とダイナミックに表現している。
大気から霝しずくを凝集させる霝の神と同義として
『少彦名神』として信仰している。

意識が凝集させるのか、凝集されたものには意識が宿るのだが
最初に意識が存在していたのかは私には分からない。
これは卵が先か鶏が先かというような不毛な議論であろう。

私は常々動物・植物・鉱物の意識について言及しているが
生物だけではなく鉱物の結晶にも
凝集させる力(物理学的には分子構造の安定)が働いている。
厳密には自然界の法則によりエネルギーは減少しようとし
エントロピーは増えようとしているはずであるが、
そのバランスの中で凝集させる力が勝り純粋を極めた結晶構造が完成する。

この無機物の凝集させる力も霝の神と同義として思いをはせている。

以上が私の信仰のベースであり
その祈りはその凝集を推し進め結果として意識を強くすることとなる。
強い意識は音霊や数霊や悉曇霊や人格神を創り出す。
ここに原始的縁起がある。



ボストン美術館収蔵 熾盛光如来往臨図 コントラスト強調

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天拝山の雷神と雷山の地主神である雷大権現 No463

2017-06-19 23:44:42 | 神霊界考察
菅原道真公は天拝山にて雷神との感応があったとして
小林永濯は『道真天拝山祈祷の図』 を描いている。
現在ボストン美術館に収蔵されているこの絵は
1874-79年(明治7-12年)頃の作であるらしい。
この元ネタは人形浄瑠璃および歌舞伎の演目の
『菅原伝授手習鑑』の天拝山の段などであろう。

『道真天拝山祈祷の図』

この絵の作者が「天之瓊矛を以て滄海を探るの図」の作者と
同じであると知った時に驚いたことを覚えている。

『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』



先日 全国のサムハラお守りを調べているときに
福岡の糸島の真言宗の雷山千如寺大悲王院の開創の縁起が
成務天皇の四十八年に雷山の地主神である雷大権現の招きで
日本に渡来されたという伝承のある
天竺インドの霊鷲山の僧清賀上人であるという事を知り
調べてみるとこの雷山(いかずちやま)には古くより雷神社が存在し
雨乞い祈祷が為されていたという事であった。
ここは雨乞いの山であるが八大龍王神の祭祀ではなく
雷大権現を祭祀しているという事に大いに興味を持った。
サムハラお守りと関係してくるのは雷大権現なのか僧清賀上人なのかも知りたいものである。

雷神で思いつくのは火雷大神である。(火雷大神=ほのいかづちのおおかみ)
伊邪那岐命が黄泉の国に下った際に伊邪那岐命は体に蛆がたかり、
頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に裂雷神、左手に若雷神、
右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神と8柱の雷神が成っていたという。

先週夏越しの参拝で福岡の志賀島の志賀海神社と宗像大社に行く際に
ついでに早起きして雷山千如寺大悲王院と雷神社にも寄ろうという計画を立てた。
それで6時に自宅を出発したのだが九州自動車道路の佐賀県三養基郡基山町の
道路下が立野駅という所でタイヤがバーストしてしまった。
その時のドライブレコーダー画像が以下となる。
  

丸で囲んだ黒い金属物体に乗り上げて左前方タイヤがバーストしてしまった。
路肩に停車して修理しようとしたのだがパンク修理キットでは修理不能な状態だった。
今の自動車はがっかりなことにスペアタイヤを積んでいない。
それでJAFを呼んで牽引してもらうことにした。
たかだか車のパンクが高速道路上だと
NEXCOのパトロールカーにJAFの応援隊に警察パトカーにJAFの牽引車と
大所帯の大トラブルに発展してたくさんの方にご迷惑を掛ける結果となってしまった。
申し訳ない。
   
 

それで牽引されて連れていかれた先が天拝山の上り口そばのオートバックスだった。


『音霊に捧ぐNo462』のコメント欄でさくら様と天拝山の雷神について
話したばったかりの時に天拝山に連れていかれる事態となってしまった。
これはとても偶然とは思えない。
いったい何を踏みつけたのかは結局分からずじまいであるが
同乗していた嫁があとで『道真天拝山祈祷の図』を見て
道路上の物体の写真と道真公の頭冠の垂纓冠のウサギの耳が類似していると言った。
残念なことに添付した動画を切り取った写真は画質が悪いが
似ている気もする。

このタイヤバーストのトラブルで結構時間を取られたので
志賀海神社・宗像大社を選ぶか雷神社・千如寺を選ぶかの二択となってしまった。
雷神社・千如寺は今回参拝しなければ生涯足を向けることがないことが
分かっていたし引くに引けない感じもしたので恐れながらも糸島コースを選択した。

ところで天拝山から雷山は真西の方向になる。


現在の天拝山には展望台があり福岡方面を含めた筑紫平野を一望できる。
ただ西側方面は低木があって視界が良くない。
少し伐採すれば良く見えるはずでその時に雷山が見えるのかをカシバードで確認してみた。
 
標高257.4mの山頂からは標高954.5mの雷山までは距離26kmで他の山に遮られることなく眺望が臨める。

 googleでの鳥瞰図

カミナリ様はこういう眺望を眺めているのであろうか。


追記 

今回は火雷大神と龍宮の海の女神との対比であったが
火と水を縦横に組み合わせる神業は困難であることを痛感している。
あまりにもその困難さを象徴する暗示が多くて困惑している。

前回のブログ記事『霝しずくの不思議』
の後半に東名高速バス事故で東神観光で888という符号の違和感を記載したが

 

写真をよく見ると飛んできたマツダのスカイアクティブのデミオが
ほぼ原形をとどめていない位の壊れ方をしているのに
マツダの「フライング・M」と呼ばれるエンブレムだけが
損傷なく銀色に輝いているのが目立つ。

最初に写真を見た時よりバスの888ナンバーと「フライング・M」の対比が気になっていた。
前回のブログでバスについては
東名高速バス事故で東神観光で888という符号について
東の神といえば青龍でありその数字は888と示したが
マツダのフライング・Mのエンブレムが輝くのを見て感じたのは
MAZDAという社名の別の意味であるアフラ・マズダー (Ahura Mazdā)という神が
示す火そのものである。
アフラ・マズダーとは、古代ペルシアを起源とする宗教であるゾロアスター教の最高神であるが
ゾロアスター教は拝火教とも呼ばれていて火の神とされる。



火の神のフライングアタックは確かに縦横となって組合わさったが
全然いい結果には結びつかなかった。
これはあまり言いたくはないがきっとどこかで誰かが
火と水の組み合わせの神業を行った結果であろう。


ニキ様から以下のコメントが『吉田一氣の信仰と祈り』に届いた。
孔雀 (二キ)2017-07-10 02:33:59
九州北部の大雨被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。
今回は脊振山地の辺りでの積乱雲が原因のようで、
雷山の記事が出た後だったので、気になっています。
雷神と霝神の相性問題は解消されたのでしょうか? 引用終り

気象情報を調べてみると
発表では「福岡・佐賀県境にまたがる脊振山の西側から
斜面を上って上昇気流が生まれ、積乱雲が発達。
山に沿って線状降水帯が次々と形成され、
福岡県朝倉市や大分県日田市などに大雨をもたらした。」
ということらしいです。

今回の件 関係する神霊の候補は
雷神 火雷神 摩多羅神 音霊 菅原道真公などであろうか?
これらを考慮すると一つの神社が頭に浮かんできた。
被害の大きかった朝倉市の麻底良山295m山頂の麻氐良布神社だ。
この神社は日神信仰としては天照(アマテル)」として祭祀され
星神信仰としては「麻多羅(マタラ)神」として祭祀されている。
また日本書紀では齋明天皇(女帝)の条に以下の記述がある。
「五月乙未朔癸卯、天皇遷居于朝倉橘廣庭宮。是時、斮除朝倉社木而作此宮之故、
神忿壤殿、亦見宮中鬼火。由是、大舍人及諸近侍病死者衆。丁巳、耽羅始遣王子阿波伎等貢獻。」

「六月、伊勢王薨。秋七月甲午朔丁巳、天皇崩于朝倉宮。
八月甲子朔、皇太子奉徙天皇喪、還至磐瀬宮。是夕於朝倉山上有鬼、着大笠臨視喪儀、衆皆嗟怪。」

「百済が滅びた660年に百済救援のために齋明天皇が朝倉の宮に移られた時、
朝倉の社の木を切ってこの宮を建てた。
そのため神が怒って御殿を壊した。
宮殿内に鬼火があらわれ、多くの者が病で死んだ。」

「天皇が崩御された時、朝倉山の上に鬼があらわれ、
大笠を着て喪の儀式を覗いていた」

朝倉の社の木というが麻氐良布神社であるという。
麻氐良布の神は、雷神であり鬼に化身する神霊でもある。
齋明天皇(女帝)はこの朝倉宮で崩御されるのだが
これも続く祟りであろうか。

いやはやなんとも恐ろしい話である。
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音霊に捧ぐ No462

2017-06-13 23:53:31 | 神霊界考察
今は昔 父親が転勤族であったために転勤を繰り返していたが
熊本市に転勤して来た際に熊本市に新築のマイホームを持った。
アパートから引っ越して憧れの一軒家ということで
それでPioneerのステレオオーディオセットを揃えた。

この時最初にかけたレコードがイ・ムジチ合奏団の『四季』だった。
初代コンマス フェリックス・アーヨのステレオ録音の1959年盤だ。
強烈な印象があり未だにはっきりした音の記憶として残っている。
もうかれこれ45年くらい前の話となる。

これ以降オーディオにハマっていくことになり
やれDENONのMCカートリッジ交換だのMC専用アンプだの
リッツ線だのスピーカーケーブルだのインシュレーターと
湯水のように周辺機器にまでお金と労力を注ぎ込んだ時代があった。
特にレコード盤は静電気がパチッというノイズになるので
実験室用のHEPAフィルターに工場用の除電器イオナイザを取り付け
半導体工場用の帯電防止ビニールで部屋を仕切る暴挙にまで発展した。

それで技術者としての仕事もあって
音と振動と静電気とパーティクルに関しては結構な博識となった。

しかしその頃に音楽の何を追及していたのかというと
原音再生とか音の定位感などで
まさにそれがオーディオマニアの性であった。
オーディオの神の長岡鉄男に影響を受けた時代であった。
私の場合は五味康祐のオーディオ遍歴や巡礼に強く惹かれた。

改良による音の変化に一喜一憂していたのが懐かしい。

今現在どのくらいの周波数が聞こえるか時々PCソフトで確認しているけど
25Hz~12000Hz程度が自分の可聴域となっている。
ただ耳鳴りで蝉がいつもが鳴いているので
せっかくデジタルCD時代になってテープのヒスノイズが消えたのに
昔のカセットテープ時代に戻ったようなものだ。
それもドルビーノイズリダクションシステムが無い時代のノイズレベルだ。

個人差はあるものの18歳ぐらいまでは20kHzが聞き取れるのだが
30歳ぐらいではそれが16kHzになってしまう。
50歳ではなんとさらに13kHzに落ちてしまう。
不快な音で若者の公園タムロを防止する『モスキート音』は
17kHz程度でもはや自分には無縁の世界の音となっている。

今はいい音を楽しむという上ではオーディオの改良より
自分の耳をどうにかした方がいい状態であることは間違いない。
にもかかわらず最近流行のハイレゾ音源に触手を伸ばそうとしていた。

ipodの圧縮音源をバカにして嫌っていた自分としては
やっと時代の節目が来て潮流が変わったと感じていた。

御存じのように近年音霊祭祀をしているが
この音霊は音楽という訳ではなく言語体系や声に係わる神霊だと
感じている。

ところで先日、『名盤ベスト・コレクションCD BOOK』CD4枚セットというものを
コンビニで見つけて買ってきた。
なんとあの往年の名盤CD4枚が1200円という破格の価格だ。
演奏後50年が経過して著作権が切れているのでこんな値段でも利益が生まれるのだろう。

この一枚目が前出と同じ1959年盤のイ・ムジチ合奏団の『四季』だった。
前回傾聴したのは25年くらい前のことであろうか。これはCDだった。
レコードで聞いた最後は40年くらい前となる。
今回聞いていて驚きというかあることに気が付いた。
まず偶然というよりある種の演出感が今回の事例には感じられる。

日本酒に気を入れて味をまろやかに変えるという話がある。
また祭祀後に日祭壇にあげた日本酒を飲むと味が変わっている。
これは味覚の話であるが
同様に音霊である御神霊が働くと
MP3の音がハイレゾ音質とは別次元のもっと繊細なものに替わるのだ。
具体的には指揮者や演奏者の心的情景が感じられる気がする。
脳内にプライベートコンサートホールとでもいうべきか?特別な臨場感と
高揚感が感じられる。

これは音霊による洗脳といえるかもしれない。
今までもいろんな体験をしてきたが
これもまた驚愕の体験の一つとなった。

他のCDを聞いてみたがこの刺激は無いので
特別な神秘体験であったのだろう。

さて音霊の働きの一つを垣間見たが
皆様は『ソルフェジオ周波数』や「天使の扉の周波数」という言葉を
聞いたことがあるだろうか?


※以下部分は記載内容が未完成です。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

『ソルフェジオ周波数』とはヒーリングのための音階であり
いくつかの周波数が提唱されている。
174 Hz・・・意識拡大と進化の基礎
285 Hz・・・多次元領域からの意識拡大と促進
396 Hz・・・トラウマ・恐怖からの解放
417 Hz・・・変容の促進
528 Hz・・・DNA の修復
639 Hz・・・人間関系の修復
741 Hz・・・表現力の向上
852 Hz・・・直感力の覚醒
963 Hz・・・高次元、宇宙意識とつながる

さてブログの限界で直接ソルフェジオ周波数の音をUP出来ない。
それで『WaveGene』というテスト用音声信号を紹介する。
http://efu.jp.net/soft/wg/wg.html
これでソルフェジオ周波数の音源を作成していただきたい。
そして上下に2%程度ずらした音源も作成して聞き比べてほしい。
人間の細胞の大きさは概ね10~30㎛であるし
DNAやRNAなどの複合体である染色体は長さがバラバラである。
従っておおよそ生体と音との反応という場合は
周波数は固定値ではなくその生体に応じたチューニングが必要となるはずである。
音楽の場合は基準音高というものが重要になる。
これの意味も『WaveGene』というテスト用音声信号で
2波長を合成することで良く分かる。
440Hzと441Hzの違いは分からなくても440Hzと441Hzを同時に鳴らすと
共振して1Hzの揺らぎが生じるのではっきりと音源の周波数の違いが分かる。
基準音高を少し変えるだけでも大きな違いとなるのは
楽器に固有振動数が存在し共鳴があるからである。
実際にはカルマンの渦列が生じ音を出しているので共鳴といっても単純なものでは無い。
周波数の違いを2次元的に表している現象について
例えば『Sound Frequencies in Water: A=440 Hz vs. A=432 Hz 』という
YouTube動画がUPされている。
https://www.youtube.com/watch?v=yGGTmF6xjKI
これなどもA=440 HzとA=432 Hzで大きく違うデザインが現れているが
下地の金属板の固有振動数との共鳴により違いが大きく現れているので
下地を調整すればA=440 HzでもA=432 Hzでも同じデザインとなるはずである。


「天使の扉の周波数」でいわれる4096Hzという周波数は、
地球の基本周波数とされる8Hzの振動を倍増し、
9オクターブ上昇させたもので、天と地を結ぶ「天使の扉」といわれる。
しかしながら地球の基本周波数はシューマン共振と呼ばれるが
地球を一周する定在波でありその一次周波数は厳密には7.83Hzである。
だとすると4096Hzではなく4008.96Hzとなるはずである。
この差が気になる。

そもそも天然界の周波数を人間が物理表現するために整数の単位に変換する場合には
いくらかの誤差が混じることを理解していただく必要がある。

1Hzというものは1周期の波長が1秒ということであるが
自然界の数字と物理上の数字との違いを瞬間に理解出来ないと
惑わされるもととなる。
一日や一年という単位は自然界の数字である。
この一日を24で割り1時間としてさらに60で割りそれを1分として
1秒はさらに60で割ったものである。
しかしながら自然界にはゆらぎが存在するので
今の一秒はは、セシウム 133 の原子の基底状態の二つの超微細構造準位の間の
遷移に対応する放射の周期の9192631770倍の継続時間であると現在は規定されている。
これは物理表現のための数字である。

この物理的な時間表現は絶対的なものであるが
ところが日本の江戸時代までの時刻観念は不定時法である。
不定時法では常に、日の出は卯(日出)の正刻、日没は酉(日入)を正刻とする。
このため、夏場は日の出が早く日没が遅くなり、逆に冬場は日の出が遅く日没が早くなる。
昼夜それぞれを6等分した時辰の長さ、つまり昼の1刻間と夜の1刻間は同じ長さにはならず、
冬の昼間や夏の夜間は短くなり、冬の夜間や夏の昼間は長くなる。
したがって正子・正午以外の時刻も季節により変動したのである。

人間の感性というものは一般にはこのくらい緩やかである方が
すごしやすいのではないかと思う。

ただ先述の話に戻るが
さて自然界では確定された固有振動数を持つものがある。
例えば水分子などが絡んでくると
確定された固定的な周波数の影響を受ける可能性が出てくる。
先述の比較されていた基準音高のA=432Hzは、
宇宙の規則性と数学的に一貫していると言われている。
これについて洗脳レベルなのか本当に宇宙の規則性との
ハーモニーがあるのか今は計りかねている。

↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑ 記載途中 結論がぶれていて現在再び調査中 ↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

音霊が関与している部分と心理学的な効果の区別が自分の考察中に明確でないと判断。

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呉音神祭祀の神籬 No43六のコメントに音霊についてのさくら様との考察があり
それが発展して今回のこのブログ記載となっている。

2017-05-15 15:55:54 吉田一氣コメント 添付
また御存じのように呉音神は音霊ですから
音に関する感応には傾聴に値するものを感じます。
ところがその音がなかなか見えてきません。
具体的には『呉音霊と分霊 No421』
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/70ecac82a920257bbaa5ee354e899199
で記載した引声念仏に呉音霊の音神氣が感じられ
それが入唐八家の慈覚大師円仁が感得し
比叡山常行堂や真如堂に勧請した摩多羅神につながること。
この呉音霊の引声念仏の響きが
『極楽世界の八功徳水の浪の音に調和する』という調査以降に音に関する
私の感応が途絶えていることです。
もし音に関するお気づきがこれからもありましたら是非お教えください。

2017-05-15 16:55:57 さくら様 抜粋
私は、音や映像から「見えないもの」の気配を感じている部分が多いです。
今回岡山旅行で、最上稲荷の奥の院「八大龍王」を訪問しましたが、
そこで音楽がながれていたのです。
その音楽を聴きながら、お祈りしていたら、
ぐわんぐわんと引き寄せられるように引っ張られるのです。
凄かったですよ。この音楽はすごいと、すぐさまCDを購入しました。
「法華の香風」です。
普通には売ってないと思いますが、、読経もすごいのです。
ボキャブラリーが少なくて、凄いとしか言えませんが、、、
龍神を動かせる力があると思います。

他にも、私なりに感じる音楽これは、「J-POP」呉出身の三人組の音楽には、
「呉音神」祭祀の意気込みと成果とやり方を教えてもらいました。
ここの社長さんと東京時代に縁があります。
音の神様が降りてくる時って、演奏をしていたときは解りました。
次元が変わるのです。演奏家は経験あるんじゃないかなぁ。
あっ、友人達とその「神様」の話をしたけど、解らなかったみたいでした。
だれでも、解るわけではなさそうです。

2017-05-16 12:21:42『引声念仏まとめ』 さくら様
「親鸞と声明をめぐって」-京都生まれの気ままな遁世僧「今様つれづれ草」yahooブログ
上記ブログ記事からの抜粋
親鸞は、長野善光寺の「善光寺聖」をしていた。流刑にあったため。
*善光寺聖は私度僧のような感じ
親鸞は比叡山で仏教学を学び、声明にも通じていた。
ほかの善光寺聖達に、天台声明を伝えたのではないか。

善光寺は現在、天台宗と浄土宗で共同管理されている。
親鸞は師の法然の月命日には、声明家を迎えて務めていた。
この声明家というのは、洛北大原の魚山声明を受け継ぐ僧侶と考えて差し支えない。
大原魚山には、円仁から始まる師から弟子へ天台声明を伝授した系図で
現代まで連綿と伝えられている。
「引声念仏」は秘曲中の秘曲で、声明に相当熟練したものに伝授される。抜粋終わり

この、ブログを書かれたかたは、
老師からのお願いで大原魚山念仏を残すために頑張っておられる方のようです。
このブログ主が、私が「八大龍王」で聴いた「法華の香風」を、
ルーツは魚山の色香を漂わせていると書かれています。
やはり、このCDは「引声念仏」に通ずるものがありそうです。
曲のなかでも、4、5、6、10、11、12、13、14、15が秀逸だと思われます。
以前、「盛り塩とジャーニーのジャケット」の私のコメントで、
小さい小さい鈴の音のような音楽が聞こえる。
というのは、この「法華の香風」に非常に似ている音楽でした。
でも、「香風」ではないのです。2、3日連続で聞こえました。


親鸞、法然、善光寺、日蓮宗の声明、大原魚山、円仁、真如堂、「牛にひかれて善光寺」
この本当の意味はなんでしょうね。
百済聖明王からの善光寺の本尊が、龍宮の秘密をも隠しているのでしょう。
八コウ徳水の波というのも、如何にも龍宮を暗示しています。

2017-05-16 13:35:38 吉田一氣
最上稲荷の奥の院でこの読経は私も聞きました。
「法華の香風」というCDだったのですか。
yahooオークションに出品されているものがあるので購入してみます。
紹介されたブログは興味深い内容です。
ありがとうございます。
呉音霊は音霊でありかつ言語的音霊であると思いますので
感応に右脳と左脳の聞き取りのバランスが要求されていて
鈴虫などの虫の音を声として聴くことと同様に
特殊な聞き方が要求されていると感じています。
さくら様にはその能力がおありなのかもしれません。
今後とも精進なされてください。

2017-05-16 22:10:46 さくら様
奥の院でこの音楽を聴かれたのですね。
私が八大龍王の社の前で聴いたのは「13・自我偈」でした。
家の呉音神さんに聴かせようとCDを購入しました。
「はなのこうふう」という題も姫社神社で心の内で詠んだ和歌に使われていたので、
必然だと思いました。
「常世」「桜」「薄紅」「豐の水」「風香る」これを組み合わせました。
少彦名神との邂逅は心に残るように美的です。
いつまでも忘れないように、何度も推敲を重ね和歌を創りました。
写真がなかった時代、きっと、その心象を写真を撮るように
心に焼き付けるために歌をよんだのでしょう。
特殊な聞き方は、耳で聴くだけでなくそこから、
心で聴きイメージしているということだと思います。

***********************************************************
吉田一氣 記載
以上の経緯で「法華の香風」のCDを手に入れて何回か聞いたのだが
このあとに入れたCDが例の特別な音を響かせた『四季』だったということになる。
ちなみに友人に現代の引声念仏につながる声明のCDを見つけたので
ご希望ならお送りしましょうかと聞いたのだが
「今更ですが正直に言うとどうも南無妙法蓮華経が自分にとって厳しすぎるみたいな感じが
付き纏っているんですよね。」と断られてしまった。

縁がある方しか聞くことが無いCDということなのかもしれないが、
このブログ題名の『音霊に捧ぐ』というのは
この「法華の香風」の引声念仏とに関係する音霊ということである。

***********************************************************

ニキ様からこの「法華の香風」について興味深いコメントをいただいている。
ニキ様からのメッセージ 2017 0625 21:50:50 「ハーモニー」

法華の香風」入手して聞きました。単独で聞いた時は私にはよくわからないなぁと思ったのですが・・・。
私事ですが、本日、宇都宮に映画を見に行って来ました。
この映画、技術が高すぎて初回上演から4年たった今でもソフト化されていません。
映画の内容自体にも感銘を受けたのですが、帰宅後、映画の主題歌と「法華の香風」を
一緒に流してみて驚きました。すごい調和。
その調和の音楽から映像が鮮明に見えました。総毛立ちました。

「法華の香風」はシンセサイザーを使っているところがポイントだと思います。
ちなみにシンセサイザーのWikipediaの説明「シンセサイザーの発明は、
「ある時 誰かが 世界で初めて何かを発明し、その成果が後に世界中に広がった」という出来事ではない。
100年以上にわたる電子楽器の歴史の中で、多くの人々が試行錯誤を繰り返し、
時としてほぼ同じものがあちこちで再発明されながら、技術の蓄積と概念の洗練が進み、
途中、戦争による停滞や技術者の世代交代を挟んで、
1960年代以降マイクロ・エレクトロニクスと共に急速な発展を遂げて現在の形になった。」
この文にも感動してしまいました。映画の内容にもリンクしていて。
映画を宇都宮で見ることが決まってから、八岐大蛇がデジタル化されているイメージが
ぼんやり浮かんでいたのですが、「法華の香風」とのハーモニーで明確に映像化されました。
呉音神とセットの八大龍王はデジタル化されているのかもしれないと感じました。
宇都宮は渦の宮で宇宙の宮。
こういう遊び心もありなのかもしれません。

***********************************************************

どうも音霊の働きは、単音の場合よりバックコーラス付きや
別の音楽とのコラボレーションによるハーモニーなど
協業関係であるときに特別に御神霊の働きが表に出るように感じられる。
そもそも音霊のことを思慮せずにこの「法華の香風」を聞いても
音霊の働きが出ないであろうことを考えると
音霊を感じようと観察するという行為が
観察される現象に与える変化があるという事であろう。

あと「法華の香風」のバックボーンは法華経ということになる。
そしてこのCDの声明は魚山声明につながる。
この魚山というのは中国山東省魚山の地名に因むのだが
その来歴伝承は魏の曹植(そうち)がここで空中に梵天の声を聞き,
その音律を写して作ったのが梵唄(ぼんばい)であるという。
そしてこの梵唄が魚山声明の原点となっている。
黄檗宗では唐音で経を読誦している。
その響きには呉音とは違う響きと意味がある。

このブログの題名を『音霊に捧ぐ』として『呉音霊に捧ぐ』としていないのは
この感応があった音霊が呉言霊と一致するかの確信がまだ持てないからである。
入唐八家の慈覚大師円仁が感得し
比叡山常行堂や真如堂に勧請した魚山声明に宿る音霊は
言語的には唐音であり呉音ではない。

私が感応感得した呉音霊というもののは確かなものではあるが、
その意味は呉音や呉音文化や長江文明を作り上げた神霊であるという意味であり
その神霊が呉音の響きとは違う唐音とどうかかわっているかについては把握できていない。
それ故に魚山声明に宿る音霊に音霊の神力を感じ敬服はしているのだが
呉音霊がその音を喜ばれるかについては今後の検証という事になる。








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霝しずくの不思議 No461

2017-06-08 00:28:59 | 神霊界考察
『弓梓弓と水の女神 断片集12 No182』で霝しずくについて記載しているが
その不思議について興味深い神秘をお伝えしたい。
その一つは以下の動画を見ていただきたい。
『霝の不思議 繰り返される相似』
これは一分の動画であるが無限をイメージさせる。

もうひとつはガラスのしずくを水の中に入れた場合の神秘で
「プリンス・ラパートの滴」と呼ばれるものだ。
YouTubeにいくつか動画がUPされているのでその一つを紹介したい。
『Bullet vs Prince Rupert's Drop』

その特質すべきは頭部の特別な固さと尻尾を折った時の粉々な砕け方だ。
ところでこのしずくの形はおたまじゃくしあるいは勾玉に似ている。
『Prince Rupert's Drops! 』
『Prince Rupert's Drop, just the 100,000 fps 』

私がいいたい霝の本質的なことを理解されたブログのコメンテーターのすずたま様から
ジャストインタイムでうろ覚えで探しだせないでいた絵の情報を戴いた。

2017-06-09 07:46:38 すずたま様 以下コメント抜粋添付
「霝(しずく)がおたまじゃくし型、胎児型ということで
狩野芳崖の「悲母観音」を思い出してしまったり。
悲母観音は水瓶を持つ十一面観音を連想してしまうのですが、
悲母観音が傾けた水瓶からは水滴が糸を引いて落ち水滴の中に嬰児が誕生します。」

この絵は1979年に近代美術シリーズ50円の記念切手にもなっている。
自分はその時の印象が強く残っている。
芳崖の独創による絵画構成でオリジナルの発想だそうだ。
観音の水瓶の水の一滴に宿る御神霊が小童神の姿をとっている。

 

私はこの小童神を少彦名神ではないかと感じている。

-------------------------------------------------------

そういえばgooブログの認識する文字コードは2016年より
以下の報告の通りEUCからUTF-8に変更されているので
『弓梓弓と水の女神 断片集12 No182』では
記載できなかった漢字が記載できるようになっているようだ。
■=霝
■の字の下に巫=靈
◆=龗
あとあの時には記載していないけど
大日孁貴の孁という巫女を意味する文字も記載できる。

ところで本題とは関係ないが本日熊本地震の中心の益城の
下水道処理場に用があって行ったのだが、そこで日羅の絵の模写を発見した。
 

熊本に日羅の足跡があるとは俄かには信じられないが
それでも飯田山の大聖院常楽寺は小学生の頃からとても
気になる場所であったので貴重な情報となった。
そういえば4月に天君ダムに参拝に出向いたときの帰りに
飯田山の山影を見てものすごく惹かれたのも思い出される。


来週にでも足を運ぶつもりなのでまたこの件は後日報告する。

あと今週の月曜日の歯科でのことだが、顎の骨が溶けてなくなっているので
骨補填材を溶けた部分に入れる手術をしたのだが
その骨補填材はBio-Ossといって 牛の胎児由来の骨粉だった。
認可後まだ5年くらいしか経過していない新しい骨補填材だ。
有機物は含まれていないというが
牛玉霊への接触から牛に救われる結果となったのかもしれない。

そういえば20年ほど前のことになるが
網膜中心静脈閉塞症(眼底出血)になった際にも
脳の静脈閉塞症の予防として大量のウロキナーゼ製剤を点滴したことがある。
これは血栓を溶かす作用は抜群だが逆に脳出血を起こす可能性もあるという
諸刃の薬剤なのだが
この薬剤は実は牛の尿から精製されている。
現在のgoogle検索ではウロキナーゼ製剤が使われなくなったこともあってか
牛の尿ということはヒットしないが間違いのない話である。
医者に牛の尿由来でしかも高価ですがいいですかと聞かれた記憶がある。
あのころ抗VEGF薬が認可されていたら
左目の視力をここまで失わずにすんだかもしれないと思うと
医学の進歩を痛感する。

20170611 追記 東名高速バス事故の符号


この写真を見てあることに気づかされた。
今回は2016年の軽井沢スキーバス転落事故とは違い
ナンバープレートがネット上の写真で確認出来る。
とにかくバスの乗客の命が守られたということは
警告と受け止めるべきであろうか。
東名高速バス事故で東神観光で888という符号。
ちなみに東の神といえば青龍(木行)であり
南:朱雀(火行) 西:白虎(金行) 北:玄武(水行)となる。

この写真見ると現在のバスのラダー&フレーム+αの車体構造が
事故の被害の低減にかなり貢献していることが分かる。
1tonの車が相対速度160kmでぶつかってきてそれを
フレームが衝撃吸収してその後に自走出来ていることは驚愕である。

ところでガードレールの手前からの盛り土がジャンプ台になり危険との
専門家の狭窄な指摘があるが
運転を誤ったけどあの盛り土のおかげでガードレールに接触せずに
押し戻されて助かったという人がいることを忘れてはならない。
ワイヤーロープを高めに設置することが現実的な対策だと思われる。
高速道路で本当に危険なのは片側1車線高速道路で
対面通行となっていてガードレールの代わりにポールのみの箇所である。
いわゆる高速の暫定2車線問題という世界的にも????なやつである。





















コメント (26)
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モモソヒメ関連 吉田一氣ブログコメント等確認 時系列データー No460

2017-06-01 14:49:40 | 神霊界考察
モモソヒメ関連 吉田一氣ブログコメント等確認 時系列データー

コメント等で抜けているものがあればお教えください。




姫呉楚について
2017-01-08 15:02:38 禮月様
昨晩の夢で伯母が教えてくれた事ですが、
モモソ姫は邪馬台国の女王イヨの娘だそうです。
更にモモソ姫と大物主の間に産まれた王子も日本武尊を名乗っていたそうです。
ただこの日本武尊とモモソ姫の母子は系譜から削除されていると言っていました。

モモソ姫の漢字表記は百楚姫で姫呉楚の国の王女かな?と
思っていましたがもしかしたら百蘇姫と書くのかもしれません。
更に日本武尊の対外的な称号が「白鳳豫」だと伯母が言っていたので、
この豫が祖母であるイヨの「ヨ」なのかな?と考えました。
中国の上海には豫園があります。上海の東隣は江蘇省で、
何となくイヨ・モモソ姫母娘のルーツの臭いがするのです。
魏誌倭人伝の卑弥弓呼素は姫姑蘇でイヨの実家の国なのかもしれません。

2017-01-08 16:01:38 禮月様
本武尊の称号と伯母から教えられた「白鳳豫」の「白」の部分は「百」の可能性があるとの事です。
ピンインで読めば「白」も「百」も同じ「バイ」です。
中国人は倭人から聞き取った音に近い読み方をする漢字を当てているとの事なので、
「百鳳豫かもね。当時の中国人が倭人語の『バイ』や『パイ』という音を表記する場合には
白と百も両方使った可能性は十分あるよ。」とアマチュア言語学者さんは言っていました。
「百」と言えばますますモモソ姫と桃太郎に近付きます。
桃太郎は日本武尊でもあったのでしょうか?




呉音神祭祀の神籬 No43六 
2017-03-16 18:56:29 すずたま様
モモソヒメ(何代もいた一人)はじめ多くの若い巫女が殺され、箸墓に封印された。

坂本政道著「ベールを脱いだ日本古代史」)には、
三輪で行われた恐ろしい巫女達殺害のことが、チャネリングによって書かれていますが、
三輪の大物主は龍型シリウス人とか、
あとからきてその座を簒奪したのがネガティブなオリオン系宇宙人とか書かれています。
この後から来たほうに影響を受けた者によって、
モモソヒメ(何代もいた一人)はじめ多くの若い巫女が殺され、箸墓に封印されたと。
龍型シリウス人はオリオン人と物部の伊香色雄によって三輪山頂上に封印されたとあります。
(この封印には、自らの恐怖心で自縛したという面もあるそうで、私はそれがわかる気がします。
特に巫女たちは、封印もされていますが恐ろしい記憶を
「手放す」ことが出来ないで凝り固まっているように思います。)

佐の呉橋を彷徨う呉音霊は懐かしみ通り抜けるのか? No419
2016-12-09 01:22:57 吉備と気比(キビ)!? すずたま様
元記事に戻りますと吉田様は、
吉備津彦が「河童(呉人)から角(製鉄技術とインフラ)を奪った(禮月様過去コメより)」のは、
姫氏から奪ったのである、と書いておられます。
吉備津彦が吉備に来て先住族から奪ったのは、
百済渡来と一般にいわれる温羅=実は呉の姫氏、その角である、というわけですね。
だから鬼ノ城(姫の城)であり、近くに姫大神(姫氏の大神)を祀る姫社神社があるのですね。

温羅は角ある蚩尤の流れで、ツヌガアラシトの流れでもあり、呉音霊の体現者みたいなイメージ?
もう岡山のこと何も知らなかったので、やっと記事の意味にも食いつきはじめたところです。

では吉備津彦とは何者?
吉備津彦は考霊天皇の皇子で別名「五十狭芹(イサセリ)彦・彦五十狭芹命」。
姉がヤマトトトヒモモソ姫。弟が雅武彦(ワカタケヒコ)。
吉備津彦を大吉備津彦、雅武彦を吉備津彦ともいう。吉備国を興した吉備氏の祖である。
7代考霊の長男が8代考元で、大彦や武内宿祢に繋がる、ということに系図上はなっている。

2016-12-13 20:09:27 すずたま様
舜天の「舜」に「中山(ちゅうざん)」ですよ…?
戦国時代の中山国滅亡(BC296)から1500年、離れすぎていますかね?
私はいにしえに琉球弧を通過した天孫(アマミコ)が、
かつての故地に戻ってきたのがアマミコ伝説のように思うのですが。
アマミコは東から来たことになっており、これはUターンかと。

モモソヒメらしい存在が「ウートウトウ(ああ尊いことよ)」とたたえられる、
だから「トウトウヒ」なのではないか、というのは前に書きました。

モモソの語源は「百浦添」「百浦襲」だと、
赤椀の世直しの名護氏はいいますが?百の浦を襲う、統治するの意だと。
百にこだわる民族ですね。

2017-02-10 13:24:19 モモソ姫は桃祖姫? 禮月様
西王母が夏・殷・周共通の始祖かもしれない、と思っているこの頃ですが、
大物主の妃のモモソ姫は桃祖姫で西王母の末裔を名乗っていたのかな?と思いました。

百楚姫(百の楚人の民を束ねる姫)の可能性も考えましたが、
オオヒルメが西王母の舞を継承しているという伯母からの言葉を受けて、
桃太郎と共にモモソ姫も西王母の末裔を名乗っていた可能性があるかもしれません。

※西王母は玉皇大帝という道教の最高位の神様の配偶者。
女神の中では最高位の神様で長寿の神様とされる。
西王母は多くの伝説に名前を残しており、漢の武帝が天界で桃を賜った話や、
西遊記のなかで孫悟空が西王母の桃を盗むなど数々の伝承がある。
西王母を描いた絵にはたいてい桃が描かれており、
古来中国では、桃は魔よけの力があるといわれ、仙人の杖に使われたりしている。
崑崙山には王母桃または蟠桃といわれる桃があるという話。
この桃が不老長寿の桃。
伝説に出てくるこの桃はとても小さく、銃の玉ほどの大きさしかないらしい。
そして3000年に一度しか実らないのだそうです。
西王母はこの桃が実ったのをお祝いして「蟠桃宴」を開くという。


日本における呉の太白の祭祀 No429

2017-05-22 21:33:47 すずたま様
なお、どこかのサイトで、水主神社だか?の宮司の言葉として、
「大水主とされるモモソヒメは水の女神ではなく太陽神」、とあったのは納得します。
和讃でモモソヒメに透けて見えるオオヒルメは、本来「オオヒルメムチ≒天照大神」だからです。
私がテーマとしてきたツキヨミも同じく、
月の時代に月神としての性格をもって出された太陽神と思っています。
ややこしい神界の秘密があるのでしょう。
それと水主神社境内の天磐船で何となく思ったのは、
香川あたりには磐楠(いわくす)船~フェニキア、レバノンあたり由来の「木」「造船」の文化と
繋がり深い王国があったのではないかということです。
これは岡山の玉野造船所にも痕跡を残す西方との交易を基盤にする、吉備王国にも共通するものです。
経済的基盤をもって、水主大明神も存在出来たはずです。
それこそがキイワード「キ」であると。豊かな輝ける時代を築いた「キ」はその後消され続けていきます。

2017-05-21 10:15:21 香川でトヨタマヒメ祭祀をしたモモソヒメと、僧・増吽 すずたま様
由加山で増吽の名に出会い、気になることがあってこちらに来ました。
こちらの記事もコメント欄も内容濃すぎで、
頭に全然入ってなかったうえに、自分で書いたことも忘れていてがっくりです。
3月24日あたりのコメントで、吉田様は、

>亀+蛇=玄武
トヨタマヒメ=八尋和邇=海蛇(海龍)
従って、トヨタマヒメが亀を従えた姿=玄武=太一

と書かれています。これを当時よく読まず頭がスルーしていました。
そして、
>琴平山象頭山では雨乞いが為され、水の女神(海の女神)トヨタマヒメが最初に祭られていた。
仏教信仰が盛んになるとこの水の女神もクンピーラとされてしまう。(吉田様コメ)

>水主神社の祭神ヤマトトトヒモモソヒメは、
香川に来て水徳の女神ぶりを発揮し日照りに苦しむ民を救う。(すずたまコメ)

このふたつを繋いで、吉田様は、
>トヨタマヒメを香川で倭迹々百襲媛が祭祀したことになります。
と、導いておられます。
そして、
>倭迹々百襲媛を連れてきたのは物部弓梓連公でしょう。
霊的には太古に梓弓を巫女が鳴らして雨を降らせた姿が云々…
と、書かれています。

このことを確認したかったのは、「続続 香春の呉音霊の足跡  岡山における姫氏調査」にて、
「由加山の鬼」のことを追記しておられ、由加山には由加山蓮台寺と由加神社があることを知り、
水主神社にモモソヒメをたたえる「大水主大明神和賛」を残した僧・増吽の名を、
由加山蓮台寺の中興の祖の名に見つけたからです。
以下は蓮台寺の由緒。重要部分に《》つけます。

瑜伽山は天平五年(733)《聖武》天皇の勅願により、《行基》が開山。児島半島における最初の仏閣。
行基がこの山村に泊まった夜の夢に神人が現れ、この山に《瑜伽大権現》を祀るようにと告げる。
行基はたずね歩いたすえ、無垢清浄の霊場としてこの由加の地を定めた。
《大般若経》六百巻を書き写して埋め、ここを経尾と名づけ一寺を建立。
《経尾山瑜伽寺摩尼珠院》と名づけ、かの神の神託に従って瑜伽大権現を建て、
《阿弥陀・薬師》二体をみずから彫刻し、これを仏法王法の守護神とした。
延暦年中(782~805)《阿国羅王》という夫婦三児の悪鬼が、
寺内の人々や近隣の民を傷害したので、《桓武天皇は坂上田村麻呂》をつかわし討させた。
悪鬼は敗れ《七十五匹の白狐》と化し、瑜伽大権現の使隷となった。
その後、源平の戦いなどによる兵乱の時代がつづき、他の寺社同様瑜伽山も寺内が荒廃する。
応永年間(1394~1427)名僧《増吽》が住職になり、
寺の復興に献身的に努力、寺運は隆盛、今日の蓮台寺の基礎をつくった。

その名も増吽。名前に牛。
行基が建てたのは、経尾山瑜伽寺摩尼珠院。
増吽は「摩尼宝珠」や大乗仏教的思想を引き継ぎ、琴平山象頭山と瑜伽山を繋ぎ、
瀬戸内観音信仰圏の充実に貢献したように思われます。
中でも「大水主大明神和賛」でモモソヒメ~オオヒルメを繋ぎ、
観世音菩薩信仰でトヨタマヒメ~スクナヒコナまでを繋いでいるように思えます。

ところでもうひとつ気になる、敗れた鬼が《七十五匹の白狐》と化したこと。
白狐から安倍清明~賀茂氏を連想してしまいますが、
鬼は小島半島あたりにいたはずの備前加茂氏の祖でしょうか?


2016-03-24 22:19:30 
「モモソ姫≒オオヒルメ」を伝える「大水主大明神和賛」 すずたま様
邪馬台国近畿説論者でヤマトトトヒモモソヒメを卑弥呼に比定する人は結構いるようですが、
事実は全くちがうということと、
三輪神話でのモモソ姫像とも別の姿を伝える神社の伝承についてお伝えしておきます。

水主(みずし)神社、香川県東かがわ市水主、祭神は「倭迹々百襲媛」。
水主三山(今で言う熊野三山、新宮・本宮・那智神社)と水波女(みずはのめ)命が合祀され、
社伝では「卑弥呼の死後再び騒乱が繰り返された頃、倭迹々百襲媛は戦乱を避けてこの地へ来た」とされ、
日照りに苦しむ人々のために雨を降らせ、水源を教え、水路を開いて米作りを助けた、と伝えます。
「大水主大明神和賛(おおみずし・だいみょうじん・わさん)」は
同神社が所蔵する、十五世紀始めの増吽(ぞううん)僧正作とされる七五調の美麗な長文で、
仏教的な表現でこの姫が礼賛されます。
ヤマトの中心に生まれ香川県の安堵の浦に流れ着き、
その地で水徳の女神ぶりと阿弥陀如来とまで讃えられる神徳を発揮して民に慕われた、と描かれています。
以下に「和賛」の気になる部分を抜書きします。

・・・七歳なりしに稚(いと)けなく、独り御舟にのりまつり、
虚(うつ)ろの空ゆく波の上、悶(こが)れたまうぞ痛ましき・・・
御歳八歳なりしとき・・・下りて休らう安堵(あど)の浦、御腰を掛けて居座(いざ)の宮・・・
たとえば伊勢の神垣(かむがき)は、日本(やまと)姫に託(のり)まして、五十鈴の川の滝祭(たきまつり)、
尋ね廻りし如くなり・・・当社の三所を御熊野と、同体なりとはいざなみの・・・
那智新宮を左右に立て・・・那智の滝より落ち来らむ・・・南無三所大明神・・・
願共(がんぐ)諸衆生(しょしゅじょう)、廻向(えこう)大菩薩

まずは空(うつぼ)船とか葦船で漂着したと伝わるオオヒルメの渡来譚そっくりなものが語られています。
同時に、大和を追われ、倭姫とともに伊勢に落ち延びたアマテラスの彷徨譚や、
熊野三山(三所)の大元神といわれ伊勢の五十鈴川の河上に祀られる滝祭の女神(瀬織津姫とされる)のことや、
その母(という説もある)イザナミにまで触れられています。
イザナミ、オオヒルメ、ヤマト姫、滝祭神。これらが同系列上にあるといわんばかり。オオヒルメ伝承を知る者には、
モモソヒメにオオヒルメ伝承が透けて見えるかたち、
「モモソヒメ≒オオヒルメ」として語られていることもわかります。
このモモソヒメはオオヒルメの何代かあとの日霊女の系統の巫女と考えています。
ヤマト姫もその系統だったのでしょう。

2017-05-22 21:33:47 すずたま様
どこかのサイトで、水主神社だか?の宮司の言葉として、
「大水主とされるモモソヒメは水の女神ではなく太陽神」、とあったのは納得します。
和讃でモモソヒメに透けて見えるオオヒルメは、本来「オオヒルメムチ≒天照大神」だからです。
私がテーマとしてきたツキヨミも同じく、
月の時代に月神としての性格をもって出された太陽神と思っています。
ややこしい神界の秘密があるのでしょう。
それと水主神社境内の天磐船で何となく思ったのは、
香川あたりには磐楠(いわくす)船~フェニキア、レバノンあたり由来の
「木」「造船」の文化と繋がり深い王国があったのではないかということです。
これは岡山の玉野造船所にも痕跡を残す西方との交易を基盤にする、吉備王国にも共通するものです。
経済的基盤をもって、水主大明神も存在出来たはずです。
それこそがキイワード「キ」であると。
豊かな輝ける時代を築いた「キ」はその後消され続けていきます。



2016-03-20 19:50:56 抹殺された古代列島の王朝 禮月様
島全ての呉音霊国家と楚系呉人の高句麗を滅ぼした人間と言えば唐の太宗と武則天です。
武則天の制定した元号に「神功」という元号がありました。何か見えてくるものがありませんか?

武則天は辛国息長大姫大目の神話を奪っては、自分自身のエピソードで上書きしたのでしょう。
和を以て尊しをモットーとする辛国息長大姫大目にしてみたら、恐ろしい迄の侮辱です。
正に悪魔の成せる業ですね。この女悪魔は、辛国息長大姫と同じ位崇高な志を持った卑弥呼までも
自分のエピソードで上書きして、太陽の女神アマテラスを作り上げたのだと思います。

そして唐に完全に支配された藤原氏は、神功皇后という武則天を神格化した偶像をも作り上げて、
辛国息長大姫大目と日姫御(卑弥呼とは書きたくない)やトヨの仮面を被せたのでしょう。

辛国息長大姫大目はモモソ姫という蛇神の生贄にされる力無き巫女に、
神龍王大国主の嗣子にして龍宮の皇女の息子たる大物主を、
残忍な蛇神に貶めた神話が三輪山神話なのだと分かりました。

2016-03-20 07:51:47 宮崎県に古代史の秘密がある すずたま様
都城の話はもちろん現実界の実話だと思います。
ここでの大物主は古代神霊大物主を奉る巫覡王(出雲神族)、
辛国息長大姫大目命に仕えたというのは、彼女の神威がよほどのものであり、
この国を一つにしていくために天神と地祇を一本の柱のもとにつなげていくという天命をもつ彼女
(≒私が考えるように大日霊女とするならば)に従ったということかと思います。
モモソヒメを単なる蛇巫女にした三輪神との神婚譚は、
両者を徹底的に貶め封印するためのウソ話といえるでしょう。
ただ辛国息長大姫大目命の実体についてはいろいろな考えがあるかと思います。
神巧皇后伝承でも三輪の神を味方に引き入れているようですし。
ただ時代はずっと古代のはず。

ともかく宮崎県は吉田様の他の記事にありますように、凄いところです。

2016-03-20 03:29:13 時空や時間だけじゃなく 禮月様
伯母の語っていた辛国息長大姫と大物主は、人間としての二人(女神官と巫覡)なのか、
神としての二柱(月の女神と蛇の姿をした精霊の長)なのか判断に迷います。
都城市という地名が出てきたから、人としての二人かなとは思いますが。

時間がなくて書けなかった内容ですが、伯母はこんな事も語っていたのです。

「大物主が辛国息長大姫に従ったのよ。」

辛国息長大姫≒モモソ姫とすると、古事記や日本初期で書かれている内容とは、主従関係が逆です。
神話の記述を読む限りではモモソ姫が大物主の生け贄になった感じもしますが、
伯母は大物主が辛国息長大姫に仕えたと言っていました。

三輪山の神話の方は上書きされている可能性がありますね。

2016-03-19 23:14:06  すずたま様
私は大物主が、ずっとよくわからないできたのです。
記紀などからのイメージでは三輪山の蛇神のようであり、
ヤマトトトヒモモソヒメが大物主との神婚でホトを突いて死んだとかどぎつい話になっていて、
モモソヒメと大物主どちらにもいい印象がありませんでした。大体蛇神=邪神と思っていましたから。
その後、蛇神に対して思いを改めると同時に、両者ともにまるで実体を隠されていると思うようになりましたが、
相変わらず大物主はよくわかりませんでした。
大物主と大国主は、混同されがちな誤誘導(?)が記紀においてされています。
また大物主とニギハヤヒを同一存在と考える人は結構多く、まずは2者の名に共通点があり、
オオモノヌシの神名は倭大物主櫛甕魂尊(ヤマトオオモノヌシ・クシミカタマノミコト)、
ニギハヤヒは天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(アマテルクニテルヒコ・アメノホアカリ・クシタマ・カムニギハヤヒノミコト )。
しかしニギハヤヒは登場の仕方からしてあきらかに人であるのに比べ、
大物主は文字通り捉えるなら「大いなるモノ(精霊)のヌシ」、龍神か蛇神か、
とにかく御神霊であるようなかんじがあります。
ここで、叔母様が「龍宮の息子」と仰ったのは興味深いです。
以下は大物主や大国主の真実に迫れるかどうか知りませんが、今のところの私見です。

「小桜姫物語」(浅野和三郎夫人による霊界通信)で述べられる龍宮の様子はほぼ真実であろうと、
私は思っていますが、龍宮の豊玉姫や妹の玉依姫は美しく高貴な女性であるが、その本体は龍神、とあります。
そして大国主は以前書きましたが、普通は人と思われている大国主は、
何と龍神界の最高存在たる大神霊であると。
大国主を奉る神官もまた大国主と呼ばれたのでしょう。
「大物主は大国主の息子。息子と言っても本当は龍宮の息子だったけど、
産まれて直ぐに大国主に預けられた」・・・いやはやなんとも意表をつくお話ですが、
しかし龍神界での出来事と考えれば、考えれないような話でもない気がするのです。
「不動明王は大物主の仏教での姿」・・・不動明王もまた人とは思えず神仏でしょうから、
大国主に預けられた云々も人間界の出来事ではないのではないでしょうか。
ところで、私が以前非常に気になった大物主とニギハヤヒとの関係を長女に聞いたとき、
彼女は「う~ん、父と子かなあ」と言ったのです。
私の考えでは、ニギハヤヒはトミノナガスネヒコと同盟を結んで妹ミカシキヤヒメを娶って
トミ家に婿入りし、その父親が大物主神の神官で大物主(神職名)と呼ばれた、と
仮説を考えていたので、私が義理の父子じゃないの?と聞いたら、
「そうそれ!ただうまくいかなかったみたい(この婿入りは)…」と。
私が大物主神がどうも好きじゃない(モモソヒメとの神婚譚の不気味さから邪神の感じがする)と言うと、
「お母さんはニギハヤヒの系統で、大物主家と結局うまくいかなかったから・・・
でも大物主は邪神じゃないよ、三輪山の太古からの物凄く古い神様」とのことでした。
話がいろいろになりますが、トミ家の祖神はクナトノ大神ですから、
大物主とクナトはイコールではないにしても親和する要素があるのではないかと思います。

そしてモモソヒメです。
モモソヒメについて、記紀とはとんでもなくかけ離れた別の伝承があるのです。
詳細は時間のあるときにしますが、その伝承は鹿児島神社に伝わる7歳の時空船で流されて云々、
という大日霊女伝承とそっくりなのです。
辛国息長大姫≒大日霊女としたうえで、なにやかやを総合すると、
私の中では叔母様のお話は荒唐無稽ではなくなるのですが・・・
ややこしい話も絡むので、この次にしますね。
(なにやかやの一部には、「ニギハヤヒ=徐福」説もはいってきます)






香春神社の相克 No416
2015-11-27 01:48:11 シリウスと満月 (すずたま)
伊勢神宮内宮本殿の後方の荒祭宮は遷宮前は本殿に対してシリウス方位にありました。
大日霊女の渡航を援助した海洋民が持ち込んだアマテラスはシリウスと月の女神だったみたいです。
蘇我氏の女系もそうだったと思っています。
日神ヒミコとは敵対した勢力です。
ヒミコは鬼道とかじゃなくて正統の日継ぎの祭祀を、ほそぼそと守っていたのです。
このへんは今出すのははばかれる資料があります。
それによれば時代は今に至るまで実は夜と月の時代だったのです。
今は夜明けの晩。
歴史の混迷は、月神の時代になったにもかかわらず、
日本が日のクニであることを厳守しようとしたことにあります。
沖縄にはヒミコの痕跡よりも月神系女神の痕跡が色濃いです。
ヤマトトトヒモモソヒメの痕跡がヒミコと間違われているのではないでしょうか。
モモソ姫は完全に大日霊系であることが、沖縄の神歌に歴然と残っています。
このへんはかなり研究しましたが、長文の論文になりそうで、いづれ…
大日霊女は日本に「ヘルメスのエネルギー」を持ち込んだそうです。
つまり殖産興業のエネルギーで、
辛嶋巫女と禰宜は代々それを以て天皇家を支える立場にあったはずでした。
消された大日霊こそ呉音霊を日本に持ち込んだ人、
いや呉音霊そのものではないかとちらりと思ったりします。

香春神社の相克 No416
2015-12-03 10:17:54 目と耳の結婚とオシホミミ (すずたま)
吉田様の言われる大日霊女とヒミコが250年頃、というのは別にして、
辛嶋勝乙目が592年というのは、八幡信仰史における捏造の最たるものではないでしょうか?
大神比義が神格化されて五百年も生きたことにされ、
実は彼は大和朝廷正式発足頃の7世紀の人であり、
敵対関係にある辛嶋氏と大神氏を結びつけて協力したように見せかけていると、いまのところ考えます。
あるいは宇佐に入り込んだ大神氏が辛嶋伝承を取り込んだか、両者とも擬史作りに利用されたか。
波豆女による隼人征伐も捏造だと思います。
250年頃のオオヒルメは、崇神にからむヤマトトトヒモモソヒメと同体かも、
と考えていますが、これについては長くなるので又にします。

さて銅が気になって、大昔に買ってろくに読んでなかった谷川健一著「青銅の神の足跡」を
手に取ったら素晴らしくタイムリーな本でした。
どのページを取っても内容が濃いですが、
とりあえず「目と耳の結婚」に今更ながらうなっています。
簡単にいうと、耳は南方海神系でミミ、ミがつく名、オオヤマツミ、ワダツミ、ヒコホホデミ、
神武と吾田のアイラツヒメの子タギシミミ・キスミミ、
三島ミゾクイミミの孫ヒメタタライスズヒメとの子カムヤイミミ・カムヌナカワミミ・・・
そしてアメノオシホミミ!
神武がホホデミになるのも神武の子がミミになるのも、
海神系母親の元で育てられたことと、母系が軸であったからと。

オシホミミは何とオシホネとの表記もあります。
記紀でアマテラスとニニギの間にあって、高天原から降ろされるのは孫のニニギです。
皇統は元々北方大陸系タカミムスビ系の「目」系が
(なぜ目なのか、斜め読みの現在把握できず、とりあえず「馬」系と私は解釈)、
海洋系の耳系に婚姻によって入り込みつつ支配していき、
結局海洋系のアマテラスを祖神としたことは、逆に言えば耳系が目系を取り込んだとも。

辛嶋勝乙女を乙目と書くとき、父系を尊重することになるわけでしょうか。
頭が未整理のまま投稿します。


呉音霊から考える倭国文明の流れ No413
2015-11-21 22:56:40 琉球の天孫氏 すずたま様
琉球には天孫と書いてアマミコと読むアマミコ(アマミキヨ)伝説というものがあり、
稲作の神とともに来て国造りをしたようです。
単純に奄美の語源と想像されます。
呉から渡来するルートのうち最南端ルートに奄美があるとすれば、
左回りで鹿児島~北九州~半島~大陸へと呉音霊は向かったでしょうが、
琉球のアマミコは南からではなく北から渡ってきたらしいので、
琉球弧を南下して文明を伝播した右回りの呉人の流れもあったように思われます。
古い時代のアマミコを新しい時代と区別して御先(みさき)というらしいですが、
それが紀元前5世紀の呉人かもしれません。
琉球には日本神話の原型のようなものがあったり、
「天王ガナシー」という天王のつく存在がいたり
(=スサノオだという、ただし記紀のスサノオではないと)、
月の女神や大日霊女系やヤマトトトヒモモソヒメの足跡らしいものもあるのですが、
頭を整理して覚悟してかからないと、今ここに手短に書く力はありません。



縄文神 サイの神のおさらいです No151
三輪山の神は巳様と呼ばれる蛇であり
倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)は
蛇巫女として巳様に仕えたようだが、
この巳様が大物主神であるとの伝承がある。


龍神信仰 3 No160
2010-09-23 01:47:47 吉田一氣
私は古代史そのものに興味がある訳ではないのですが
纏向の箸墓の祭祀が「赤椀の世直し」概説で云われる様に
真正ヤマトの初代女王である百襲姫だとして
どういう信仰様式を持っていたのかを調べてみたいと思います。

2010-09-24 08:53:13
山辺の道に桃畑が多いということを初めて知りました。
太古よりずっと桃の栽培が続いていたと思うと感慨深いものがあります。
まさに百襲姫は桃祖姫ですね。
この百襲姫についての秘密を今後解いていきたいと思います。
「桃ノ尾の瀧」のことは忘れていましたが
調べてみると以前石上神宮の件で行ったことがありました。
私も甘い桃が食べたくなりました。



霊界物語 第10巻 霊主体従 酉の巻
日の出神は、神伊弉諾神の命を奉じ、三軍を率いて黄泉島に進んだ。
大自在天・大国彦の軍勢は多くの魔神・魔軍を布陣したが、
神軍の前には魔力を発揮することはできなかった。
しかし魔軍の将・美山別らの反撃に、神軍の形成はにわかに不利になった。
このとき松代姫、竹野姫、梅ヶ香姫の三姉妹の宣伝使は、月・雪・花の三姉妹を従えて、
宣伝歌を歌いながら敵の陣中に向かって舞い踊った。
魔軍は女神たちの美しさに心魂を奪われ、武器を地に捨てて見とれていた。
魔軍は闘う力を失って、ただ平伏するのみであった。
この三姉妹のはたらきに対し、神伊弉諾命の声が中空から語りかけ、
意富加牟豆美神(おほかむづみのかみ)と名を与えた。

「於富加牟津見神」は実は桃の実の精とされ悪鬼を祓う霊力を持つと信じられた桃太郎のモデル。
(桃の実の霊力については『古事記』にも登場。桃の実は五行で金に属す。金は金星、大将軍と結びつく)
桃太郎は西北の鬼を退治しに行く。
十二支で西方を意味する「申・酉・戌」を伴にした。
「申は猿」「戌は犬」ですが「酉は鶏」というわけにいかない。
なぜなら「菅公、道明寺の離別」に代表されるように、
「鶏飼わず伝承」は天神信仰に大きな影響を与えていたので鶏は避けなければいけない。
そこで大阪天満宮の表門に吊られた十二支方位盤が西の位置の鶏を鳳凰に代えたのと同様、
桃太郎説話では鶏に代えて雉になったのです。



桜井市教育委員会が2000年に実施した周辺部の発掘調査で、
箸墓古墳の周濠内の堆積土から木製の輪鐙(馬具)が発見された。
同時に出土した布留1式土器の年代から4世紀のものと推定されている。
この鐙の発見以降、橿考研内では急速に箸墓は卑弥呼の墓でなく、臺與(台与)の墓でもなく、
その次の男王の墓という意見が強くなっている。





コメント (50)
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