
今日の夕方に何気なく立ち寄った小間物屋さんで
麻の六芒星柄の手ぬぐいに包まれた箸セットが売られていて
その麻模様を見た瞬間にトリップしてしまった。
人の潜在意識ネットワークのシナプス的繫がりをそこに観た気がする。
これから麻を中心とした意識改革が起こることを暗示していた。
それで帰ってきてブログ見ていたらいつもコメントをいただくブロ友の
虹色巫女さんのブログにも麻のキーワードが出ていた。
シンクロを感じたがいよいよ霊的にも麻の封印が解かれ始めたようだ。
麻については、『忌部氏と天太玉命 No213』で忌部氏と麻について記載しているが
2009年の8月に千葉の麻賀多神社参拝を決めた時から
我が家のペットのオカメインコが麻の実しか口にしなくなった。
そして同じ8月に我が家の目と鼻の先のところで
大麻栽培で高校生が逮捕されるという事件が発生した。
しかも栽培していた苗は7本だった。
麻つながりの麻賀多神社の一連の記事の
『日月神示の岡本天明氏の自動書記開始の麻賀多神社 No006』で
七で八を封印していると記載しているが七の封印がらみで
地元高校生の大麻栽培による逮捕と聞いて震え上がった。
ちなみに七の封印については参考までに
『七の封印について フレンチ・ブルーダイヤモンドの封印 No236』を読んでいただきたい。
この七の封印の呪に筆者もやられてしまった。
定職は失い嫁はガンになり失意と精神の崩壊のどん底を味わった。
こんな状態でも封印開封の神業は続けられたのだが
今回七を挟む麻の六芒星の復活と八大龍王神復活を記念して
拙宅に安置している要石に御神霊の氣を戴いたようだ。
この要石がいつの日か環状列石を崩された『万日山』に安置出来ることを願っている。
七の封印の呪については、いろんな経緯があったが、
知人が昨年毘沙門天灌頂をしていただいた際に信貴山の千手院の住職との縁が出来て
今年3月に偶然にも家祓いの機会があり毘沙門天の加護をいただくことが出来た。
さてなかなか記事にすることが憚れていた事にふれていきたい。
筆者は聖徳太子に特別な思い入れがあるが
聖徳太子から蘇我氏の祭祀が見えてきて
その背景に武内宿禰と神功皇后が浮かび上がった。
聖徳太子については大阪の四天王寺、京都の広隆寺
奈良の橘寺 生駒の信貴山寺などを回り情報収集したが
聖徳太子伝承では西暦582年の寅年寅の日寅の刻に
信貴山において毘沙門天の感応があり
物部守屋討伐後の西暦587年に信貴山寺を建立。
また毘沙門天を含む四天王誓願による感謝により
西暦593年に物部氏の本拠地に四天王を建立している。
さてこの毘沙門天については北を護る防衛神である。
『大宰府 観世音寺の毘沙門天 No205』
『東寺の兜跋毘沙門天像 No228』
さて毘沙門天について気になっているのは
征夷大将軍の坂上田村麻呂が東北に設置した毘沙門天の封印である。
達谷窟毘沙門堂はアテルイが護る蝦夷を討伐後に建てた毘沙門堂であるが
その後何者かによって北斗七星型に毘沙門天を配置することにより
蝦夷の神霊の封印がなされている。
乳井神社
鹿島神社
岩木山神社
熊野奥照神社
猿賀神社
浪岡八幡宮
大星神社
これは蘇我蝦夷に掛けられた蝦夷という名の封印を調べていて知った話だ。
東北の蝦夷については熊本霊ラインから続く中央構造線より
北に外れるので筆者の範疇を超えるので地震についての記載を差し控えるが
この七の封印は解かれつつあるようだ。
蘇我蝦夷は蘇我豊浦毛人とも書かれる。
このブログ報告の目的は蘇我氏祭祀と縄文神霊の解明であるが
そのヒントが蘇我蝦夷にある。
蘇我氏は出雲の古代祭祀と繫がるはずであるが
その古代祭祀から導き出される名前はサイの神とアラハバキの神である。
『縄文神 サイの神のおさらいです No151』
同時に蝦夷と東北をキーワードに辿るとアラハバキ神が出てくる。
出雲の大己貴神について巳様であると
『大己貴神と大巳貴神 No256』で記載したが、
このことにより東北に追い立てられ消えたアラハバキ神についても蛇神巳様であることが確信できた。
歴史の中で虐げられ犠牲となり封印されてきた民族とその守護神霊の名誉復活は
この現在の総括決算ともいえるときにおいて必然であろう。
封印は解き放たれ歴史の闇は無くなり
麻の六芒星ネットワークを中心とした意識改革が起こる。
日本人は世界に強力な発言権を得て想いが報われる時は近いと感じている。
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