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吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

麻の六芒星の復活 No257

2011-04-30 23:50:07 | 神霊界考察



今日の夕方に何気なく立ち寄った小間物屋さんで
麻の六芒星柄の手ぬぐいに包まれた箸セットが売られていて
その麻模様を見た瞬間にトリップしてしまった。
人の潜在意識ネットワークのシナプス的繫がりをそこに観た気がする。
これから麻を中心とした意識改革が起こることを暗示していた。
それで帰ってきてブログ見ていたらいつもコメントをいただくブロ友の
虹色巫女さんのブログにも麻のキーワードが出ていた。
シンクロを感じたがいよいよ霊的にも麻の封印が解かれ始めたようだ。

麻については、『忌部氏と天太玉命 No213』で忌部氏と麻について記載しているが
2009年の8月に千葉の麻賀多神社参拝を決めた時から
我が家のペットのオカメインコが麻の実しか口にしなくなった。
そして同じ8月に我が家の目と鼻の先のところで
大麻栽培で高校生が逮捕されるという事件が発生した。
しかも栽培していた苗は7本だった。
麻つながりの麻賀多神社の一連の記事の
『日月神示の岡本天明氏の自動書記開始の麻賀多神社 No006』
七で八を封印していると記載しているが七の封印がらみで
地元高校生の大麻栽培による逮捕と聞いて震え上がった。
ちなみに七の封印については参考までに
『七の封印について フレンチ・ブルーダイヤモンドの封印 No236』を読んでいただきたい。

この七の封印の呪に筆者もやられてしまった。
定職は失い嫁はガンになり失意と精神の崩壊のどん底を味わった。
こんな状態でも封印開封の神業は続けられたのだが
今回七を挟む麻の六芒星の復活と八大龍王神復活を記念して
拙宅に安置している要石に御神霊の氣を戴いたようだ。
この要石がいつの日か環状列石を崩された『万日山』に安置出来ることを願っている。
七の封印の呪については、いろんな経緯があったが、
知人が昨年毘沙門天灌頂をしていただいた際に信貴山の千手院の住職との縁が出来て
今年3月に偶然にも家祓いの機会があり毘沙門天の加護をいただくことが出来た。


さてなかなか記事にすることが憚れていた事にふれていきたい。
筆者は聖徳太子に特別な思い入れがあるが
聖徳太子から蘇我氏の祭祀が見えてきて
その背景に武内宿禰と神功皇后が浮かび上がった。
聖徳太子については大阪の四天王寺、京都の広隆寺
奈良の橘寺 生駒の信貴山寺などを回り情報収集したが
聖徳太子伝承では西暦582年の寅年寅の日寅の刻に
信貴山において毘沙門天の感応があり
物部守屋討伐後の西暦587年に信貴山寺を建立。
また毘沙門天を含む四天王誓願による感謝により
西暦593年に物部氏の本拠地に四天王を建立している。
さてこの毘沙門天については北を護る防衛神である。
『大宰府 観世音寺の毘沙門天 No205』
『東寺の兜跋毘沙門天像 No228』

さて毘沙門天について気になっているのは
征夷大将軍の坂上田村麻呂が東北に設置した毘沙門天の封印である。
達谷窟毘沙門堂はアテルイが護る蝦夷を討伐後に建てた毘沙門堂であるが
その後何者かによって北斗七星型に毘沙門天を配置することにより
蝦夷の神霊の封印がなされている。
乳井神社
鹿島神社
岩木山神社
熊野奥照神社
猿賀神社
浪岡八幡宮
大星神社
これは蘇我蝦夷に掛けられた蝦夷という名の封印を調べていて知った話だ。
東北の蝦夷については熊本霊ラインから続く中央構造線より
北に外れるので筆者の範疇を超えるので地震についての記載を差し控えるが
この七の封印は解かれつつあるようだ。

蘇我蝦夷は蘇我豊浦毛人とも書かれる。
このブログ報告の目的は蘇我氏祭祀と縄文神霊の解明であるが
そのヒントが蘇我蝦夷にある。
蘇我氏は出雲の古代祭祀と繫がるはずであるが
その古代祭祀から導き出される名前はサイの神とアラハバキの神である。
『縄文神 サイの神のおさらいです No151』
同時に蝦夷と東北をキーワードに辿るとアラハバキ神が出てくる。
出雲の大己貴神について巳様であると
『大己貴神と大巳貴神 No256』で記載したが、
このことにより東北に追い立てられ消えたアラハバキ神についても蛇神巳様であることが確信できた。
歴史の中で虐げられ犠牲となり封印されてきた民族とその守護神霊の名誉復活は
この現在の総括決算ともいえるときにおいて必然であろう。
封印は解き放たれ歴史の闇は無くなり
麻の六芒星ネットワークを中心とした意識改革が起こる。
日本人は世界に強力な発言権を得て想いが報われる時は近いと感じている。


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大己貴神と大巳貴神 No256

2011-04-27 21:43:53 | 神霊界考察
前回のブログの『宮崎の祇園神社』に由緒書きを添付したが、
そのなかの祭神について御祭神の欄には太字で大己貴神となっているのに
その数行先には大巳貴神となっていることが気になった。
これは誤植であろうか?あるいは故意であろうか?



実はいくつかの神社で大巳貴命と記載されていることを目にしている。
己の意味はおのれ、みずから、わたくし、ひとりであるが
巳の意味は象形が蛇であり字訓はやむ・ああ・みである。
古くは巳・已の字の区別が明らかでなく、
金文の用義例によっていえば、巳はのちの巳・已の字に用いられている。
どうも出雲の大社ではセグロウミヘビを龍蛇様として神霊の使いとするが
大己貴神は本当は蛇神の大巳貴神が正しいのではなかろうか?

本日その確認も含めて再度宮崎の祇園神社に出向いてきた。
祇園神社の拝殿の扁額は八坂神社になっているのだが
偶然か神霊の計らいか本殿の扁額に大巳貴神の文字を見つけることが出来た。
その後の宮司のあげる祝詞の最中に確かに巳の気配を感じとった。

実体験として巳を感じたのだが
よくよく考えてみると大己貴命が巳なのは常識の範囲なのかもしれない。
奈良の桜井の三輪山に祀られる大物主神は大國主命の和魂とされるが
崇神紀の倭迹迹日百襲姫命の箸墓伝説でもその姿は蛇とされているし
雄略紀の中にも三輪山の神である蛇を小子部スガルに捕まえさせた記載がある。

しかし記紀に出てくる印幡の白兎を助けたり
兄弟たちから焼けた石を赤い猪とだまされて抱きしめ命を落とした
大國主命伝承には蛇の姿は無い。

出雲にスサノヲ族が侵攻したことは間違いないと考えるが
その時に出雲の大己貴命を破り支配した歴史と
大國主命の国譲りの伝承とでは年代が違うのであろう。
また和魂である大物主神とは大いなる物部の主の意味で
物部氏の支配があったことも暗示している。

今回の祇園神社参拝時に蛇神である大巳貴神の復活を感じ取ったが
その大巳貴の蛇神が出雲大社での龍蛇神と同一なのかは理解できていない。
どうも山の蛇神と海の龍蛇神は別のような感じを受けている。
素戔嗚尊が滅ぼしたヤマタノヲロチは山の蛇神に繫がると思われる。
かといって八大龍王神と山の蛇神は完全に別の神霊であることを感じ取った。

もともと八大龍王神を祀っていたと思われる祇園神社で
スサノヲではなく大巳貴神の蛇体を感じ取る事態になったが
これはスサノヲとヤマタノヲロチの和合が図られた証であると考えたい。

三輪山の巳様は出雲由来の神様であるが
今後サイの神様と巳様の神事を神事でどう調和するかは課題である。
ちなみにサイの神様と巳様については
『縄文神 サイの神のおさらいです No151』を参考にしていただきたい。


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宮崎の祇園神社 No255

2011-04-25 13:04:52 | 神霊界考察
日向天孫降臨の地である宮崎には素戔嗚尊を祀る神社は少ない。
鵜戸神宮から10km程度南下した油津の国道220号線から
ほんの少し海沿いに入ったところに祇園神社がある。

祭神は素戔嗚尊であるがもともとは、
水の女神と海龍神を祭祀していた神社である。
2001年09月24日に都井岬から宮崎市方向に車を走らせていて
背後に気配を感じて戻ったら赤い鳥居が見えた。
豊玉姫に関わるかもしれないと思って参拝することにした。
ところが嫁はなんとなく行かないという。
実際に足を踏み入れてみるともともとは龍神と水神とを祀ってある場所だった。
龍神は八岐大蛇で水神は水波女命となっている。
現在は祇園社で素戔嗚尊だが明治以前は牛頭天王と頗梨采女であったようだ。
参拝して分かったことは八大龍王神がなんらかの経緯で八岐大蛇とされて
封印されているということだった。
右上の岩が龍の頭

熊本や福岡では八大龍王神を綿津見神として和合の祭祀をするようになったのだが
ここ宮崎では素戔嗚尊の八俣大蛇退治伝承により
龍神=八大龍王神を八岐大蛇として封印している。
この時以来八大龍王神の封印を解いて行く役割を私は負ってしまったようだ。

さて2011年04月24日に同じ宮崎でも今度は山中で熊本県に近い
宮崎県五ヶ瀬町の鞍岡祇園神社に参拝してきた。
今回は異色メンバーの集合で神主さんによる正式参拝後に
奈良裕之氏今井てつ氏・舞踏の青柳麻喜さんの奉納演奏会ということになった。

鞍岡祇園神社の参拝の前に熊本県側の弊立宮と弊立宮の摂社の
妙見八大龍王神社を参拝してきたが
弊立の八大龍王神と鞍岡祇園神社には深いつながりを感じた。
(距離的にも遠くない距離にあります)
この鞍岡祇園神社はもともと八大龍王神を祀る社であったと思われる。
由緒書きによると冠八面大明神を闇霎神として祭祀している。
冠八面大明神とは初めて聞くところの神名であるが
京都鞍馬山の貴船神社奥宮に祀られる水龍神である。
冠八面とつけているからには八大龍王神ということになる。
どうも疫病が流行した際に牛頭天王を祭祀したようである。
由緒的には欽明天皇16年=西暦555年とあるが
この年代は直ちには信じられない。
その後の貞観11年=西暦869年に京都八坂神社から素戔嗚尊を勧請となっている。
八坂神社は承平5年西暦935年時点でも牛頭天王と婆利女の祭祀なのでこれもあやしい。
ただ八坂神社由緒で八坂神社の祇園御霊会は貞観11年(869年)に悪疫が流行したとき、
牛頭天王を祀り災厄の除去を祈ったことが始まりであるというので
これを引いてきたものと考えられる。

いずれにせよ過去に八大龍王神=ヤマタノヲロチとして
素戔嗚尊で封印したことは間違いない。
九州で八大龍王神の封印を解いてきているが
この神社でも近年は龍神の奇瑞が相次ぎパワースポットとして密かに人気だという。
霊的現象に踊らせられることなく神霊界の封印を解き
実相を糺しつつ和合を願っている。

鞍岡祇園神社由緒

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ナーガの七頭から八頭への変遷への疑問 No254

2011-04-20 21:57:12 | 神霊界考察
前回の記事でミカエルと竜の図を添付したが

頭の個数を数えていただくと分かるように7個となっている。
どうもキリスト教では七つの大罪という様に7が使われるようだ。
ところが日本ではヤマタノオロチは八頭の八面八首となっている。
龍樹とコブラの図01 No055でも記載しているが
この七から八への変遷が気になる。
気になる理由は、なぜ仏教が八を重視し八大龍王神が生まれたのかということと
日本のヤマタノオロチの歴史の時間軸の前後関係をはっきりさせたいからである。



インドでの竜の原型は七頭一胴のコブラのようだ。
アジアのアンコールワットでもナーガは七頭一胴だ。

インドにアーリア人が進出するのは紀元前1500年頃だという。
インダス文明というのも紀元前2600年から始まっている。
七頭一胴の蛇はアーリア人が持ち込んだものであろうか、
あるいはインダス文明に存在したのだろうか?
中国のナーガ信仰はすでに紀元前1000年までには南方より伝わってきているが、
これはアーリア人の進出によりトコロテン式に追い出された
ドラビタ族によるものという話もある。
しかし中国で複数の頭を持つ蛇や竜を探し出せていない。

いったいこの七頭一胴のコブラの信仰は
どういう経緯で出来上がったものであろうか?
この七頭一胴の蛇のデザインは西洋にまで広がったものと思われる。
そしてキリスト教により異教徒の神として貶められる。
それはフェニキアの神であるとされるバアル神も同じである。
バール・ゼブル=王子バールは悪魔であるベルゼブブ=蝿の王とされてしまった。
ヘブライ人がいう悪魔はこのバアル=ベルゼブブであろうが、
ラテン語のルシファーLuciferは明けの明星である金星神である。
金星神を調べるとウガリット神話のシャヘルなどが見つかったが
メソポタミアの金星の女神イシュタルの伝承には冥界下りの話があり興味深い。
また日本の鞍馬寺では金星から魔王尊が降臨したという伝承があるが
どの神もキリスト教でいう悪魔のようにおどろおどろしくはない。

しかし金星神であるルシファーが七頭一胴の蛇のデザインとされたのは
七頭一胴の蛇がどこかで竜とされた背景があるはずである。

もともと中国の龍は一頭一胴であり西洋の竜もそう描かれるものが多い。
キングギドラのような竜のデザインの発祥はどこなのだろうか?

これにこだわる理由は
仏教でいう八大龍王神は別々の八神であるが、
八大龍王神の一人ともされる和修吉竜王は日本では九頭龍神とされ頭が九つである。
しかし太古に頭が八つの八頭龍王神が地球を修理固成させたと感じているからである。
もともとの太古からの神霊的な原型に八頭龍王神が存在するはずである。


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イザナギVSイザナミとミカエルVSルシファー No253

2011-04-19 21:12:19 | 神霊界考察
イザナギとイザナミは天界の天浮橋から天沼矛を使って国産みをおこなっている。
本来万物における父と母である。
しかしながらカグツチを産むことによりイザナミは黄泉に落とされる。
イザナミを追うイザナギは最終的に黄泉平坂において
千引きの岩を挟んで罵り合う。
イザナミ・・・・『汝の國の人草、一日に千頭絞り殺さむ』
イザナギ・・・・『吾はや一日に千五百産屋立ててむ』
まさに天界の陰陽は分離し天と黄泉に分かれてしまった。

こののちイザナギはこの世を治める三貴神を産んでいる。
そしてイザナミは黄泉国の主宰神となり、黄泉津大神、道敷大神と呼ばれる。
まさにイザナミは地に落ち我々を絞り殺す悪魔である。

これをキリスト教で考えてみると
イザナミはルシファーに比定出来る。
そしてルシファーと対峙するのはミカエル。
イザナギはミカエルと言えよう。

ところが日本の神話では
どうしたことか三貴神のスサノヲがイザナミを慕って黄泉に向かうという。
ところがその黄泉に向かうべきスサノヲが出雲において
ヤマタノヲロチ=八大龍王神=水の女神=イザナミ??を退治してしまう。
そして自分が黄泉国の主宰神に収まる。
これは神話製作においての錯綜なのだろうか?
あるいは原始キリスト教の教義を紛れ込ませたものであろうか?

ブロ友の虹色巫女さん
ブログ中にミカエルの絵を載せていて
その絵を観た時に天から地に降り立ってヤマタノヲロチを退治するスサノヲをイメージした。
スサノヲがミカエルだとすると
竜を退治するミカエルと一致する。


封印された女神であるイザナミの代わりに女王として君臨するのはアマテラス女神である。
イザナミVSイザナギの対立の構造は
アマテラスVSスサノヲのウケヒの構造に転化され
フラクタルに繰り返す入れ子構造になっている。
それぞれの対立で生まれる三貴神と三女神の構造 
そしてウケヒの三女神と五男神の八王子は八大龍王神=ヤマタノヲロチの神霊を宿している。
だとするとミソギの三貴神の方にも五神が揃っている必要がある。
適当に五神を考えてみると住吉大神・綿津見大神・伊豆能売大神・禍津日大神・直毘大神であろうか。
このミソギの八王子はイザナミとイザナギの子供であろう。
この八王子も八大龍王神=ヤマタノヲロチの神霊を宿していると見なされるべきである。

筆者は日本神界においてイザナミを地の底の冷たい存在とは見なしていない。
筆者が間違えた信仰をしているのか
あるいは記紀においてイザナミが貶められ封印がなされているのか、
今後論理的に明らかにすることをせねばならない。

大本教では国常立尊=国之常立神が艮(東北)に封印されたという。
それで国常立尊は「艮の金神」と呼ばれる。
艮の金神も鬼門といって恐れられている。
封印された神々の歴史を表に出す役割も八大龍王神が担っている。
これらのフラクタルな神々の歴史の真実がもうすぐ明らかにされる。

『我々人類が待望するのは和合であるべし』というのが
筆者の一貫した信仰である。
寛恕と和による統合は我々人類の命題であると共に
三次元物質世界に並行する神々の物語での命題でもある。

岩戸開きというのはアマテラスの岩戸でもあるが
イザナミの封印をする千引きの岩の岩戸でもあると考えている。

ミカエルの退治するルシファー=ヤマタノオロチ図については
外に以下のようなものを参考していただきたい。


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奈良裕之氏の高千穂神社への奉納神事(コンサート)への参加 No252

2011-04-18 19:09:15 | 神霊界考察
4月17日に民族音楽演奏家の奈良裕之氏
高千穂神社で奉納神事(コンサート)を行なうというので参加してきた。
いつもは拝殿で奉納神事を行なっていたのだが
今年は神楽殿が完成したのでそちらでコンサート形式で行なわれた。
奈良氏は日本中の神社で奉納神事を行なっていて
毎年久高島とここ高千穂神社での奉納神事は続けていらっしゃる。
昨年は福岡の志賀島で奉納神事を行なっていただくようにお願いしたし
その前は阿蘇山上神社と弊立神社にもお連れして奉納神事をしていただいた。

今回の詳細は同席した『おかずさんのブログ』を参照していただきたい。

さてこの高千穂神社には要石が設置されているが
鹿島神宮のなまずを押さえているという要石はここから送られたという伝承がある。
鹿島神宮の要石が揺らいだ時には
繋がりがあるここ高千穂神社と福岡の志賀海神社にても同時に祈ると霊験を発揮する。
ちなみに鹿島神宮と志賀海神社はトーテムが鹿である。
『鹿男あをによし』では奈良の春日神宮の鹿が重要な役割を果たしていたが
鹿神と地震押さえのなまずには何らかの接点がありそうである。


高千穂神社鎮石由緒

鹿島の要石鹿島の地震守り


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記事No252までの記事一覧の読み方

2011-04-18 02:43:24 | 日記
今回左上に文字サイズ切り替えの項目欄を作りましたので
読みにくい方は文字サイズを大きくして読まれてください。

それから古い記事を読まれる方のためにNo001からの一覧リストを
作っておきますので活用されてください。
『No001~No012まで』
『No013~No028まで』
以下アドレスのhttp://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/15
の最後の数字をを14、13,12と変更されて読んでください。
よろしくお願いします。

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菊池竜門の神龍八大龍王神の系譜の謎 No251

2011-04-14 21:23:30 | 日記
このところ熊本霊ラインと八代に関わる八大龍王神についての
記事を続けて書いていたが、
菊池から西原までを支配する龍神についても記載したい。
まず竜門ダムの偉大なる龍王については来歴が謎だ。
もともと菊池の竜門の神龍八大龍王神と西原の龍神は別だと考えていた。
西原はお池さんと呼ばれる揺ヶ池に八大龍王神は祀られている。
ここは縄文時代の石器も見つかっているので
高千穂の龍神と同じく縄文龍神であることは間違いない。

以前、西原の方向に強烈な虹が現れたことがあったので
車を停めて写真を撮影した。

背後に神霊の御神氣を強く感じたのでそちらも撮影したのだが
不思議なフレアが写り込んだ。

たぶん光学的に説明できるものだろうとは思うが
数枚撮った中で一枚だけに現われているしその後同じようなフレアは撮れていない。
太陽を中心として八つの円が菱形に囲んでいる。
太陽の輝線は六方なのになぜか円は八方向となっている。
「あー西原の八大龍王神が遊び心で足跡をつけてくださったのかな」と思った。

その後自宅でパソコンの画面に映し出したときに
これは神紋であると悟った。
ところがこの神紋の系譜がその時には分からなかった。

その後菊池の神龍八大龍王神社に参拝したときにはたと気づいた。

ここの紋が写真の通り酷似していることが分かった。
上限の月の周りを八つの星が横菱形に囲んでいる。


自分が撮影した写真を横にすると似ているのだが
私の場合は太陽であり月では無い。
しかしもともと八大龍王神と繫がるのは日月星の三光だと思っている。
そう考えて自分なりにイメージ出来た八大龍王神三光紋は以下のようになった。

いずれにせよ西原の龍神は菊池に祭祀されている龍神とは同体であると考えられる。
そのことを伝えたかったのであろう。


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万日山の環状列石 No250

2011-04-13 23:35:44 | 日記
万日山は花岡山と地形的には繫がった峰であるが
熊本霊ラインで最も大切な聖地と考えている。

山頂部分は京王電鉄㈱の管理地となっている。
なぜ熊本の万日山の山頂が京王電鉄なのかは謎だ。
この山頂には環状列石がある。※正確にはあったということになるが。
万日山の山頂は独鈷山と並んで重要なパワースポットである。
金峰山の拝ヶ石と同じ時代のものと考えている。
最初ここに来た時にものすごく強い感応を受けたことを昨日のように思い出す。

清正はこの地を荒らすことを恐れたのか、
ここから熊本城用の石材を持ち出すことを止めている。
伝承では花岡山の清藤稲荷の八枚岩を運び出そうとしたところ
清正の夢枕にここに住む狐が出てきて
ここの石材は良くないから石神山から採石しろと伝えられたという。
この狐は清正を守護する兄弟狐で兄は清藤大名神として花岡山に祀られ、
弟は緋依大名神として熊本城稲荷に現在も祀られている。
しかし実際のところ清正はこの霊ラインの役割をこの万日山で感応して理解し
山頂からの採石を中止したと同時に
熊本霊ラインとして熊本城から京への守りの結界として活用したと考えている。
それまではこの霊ラインは夏至のラインだったものを
京都に向かうように造り替えたのも清正公である。

さて万日山の環状列石ストーンサークルであるが
前記のように立ち入り禁止となっているが、今回八大龍王神の警告により
こっそり様子をうかがいに出向いた。
現在の無残な姿 クリックすると拡大します
警告どおり環状列石の中心部分の石はかき集められまとめられていた。
ここまで車で行ける様な道は無いにもかかわらず
なぜ山頂のこの環状列石だけ破壊されているのかは不明だ。

熊本霊ラインの崩壊はひどい波動の乱れとなる。
寛恕と和の精神で勧請された八大龍王神とされる神龍も
ひとたび怒ると恐ろしい破壊力を持つ。

万日山には熊本市水道局の貯水場がある。

怒りの波動が水を通して市民に伝わることが無いように鎮めることが課題となった。

せっかく万日山の中腹に万日山千本桜の公園を作っても
そんなことでこの波動の乱れは収まるまい。

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熊本市の花岡山の仏舎利塔 No249

2011-04-11 01:26:35 | 日記
熊本霊ライン上の花岡山には仏舎利塔がある。
もともと花岡山は祇園山と呼ばれこの仏舎利塔がある山頂には
京都の八坂神社から勧請した北岡神社があったそうである。
現在北岡神社は熊本駅側の麓に移動している。

この仏舎利塔は阿蘇の宮地町の坂梨(今は阿蘇市坂梨)生まれの
藤井日達という方が1954年(昭和29年)に建立したということだ。
それでこの花岡山には日本山妙法寺という寺も同時に建立され
毎日夕方に祈願の太鼓がたたかれている。
表題の写真は先週、谷尾崎の日吉神社に参拝中に
ちょうど太鼓の音が響いてきたので撮った写真だ。
白い塔の上に金色の宝珠が仏舎利塔で右の鳥居は清藤稲荷の鳥居で
戸坂稲荷大鳥居と呼ばれている。

この日本山妙法寺の太鼓の祈りは世界平和を祈願しているらしい。
熊本霊ラインの活性化に役立っていると感じている。

ところで熊本霊ライン上には日吉神社等いくつもの神社仏閣がある。
その来歴等は『日吉神社調査記』を見ていただきたい。
独鈷山や万日山の麓に日吉神社は複数あるが、
それはここに天台宗の池辺寺が以前あり、
滋賀の天台宗比叡山と日吉大社とが繋がるからだと思われる。
そして独鈷山には古くより日吉神社と八王社があったのだが
現在は独鈷山の日吉神社は池上に移設された経緯がある。
現在の熊本霊ラインの延長線は滋賀の天台宗比叡山を通過している。
また独鈷山八王社は八大龍王神がもともと祭祀されていたと考えている。
従ってこの熊本霊ラインは御坊山の阿蘇神社に始まって高橋稲荷神社清藤稲荷神社 聖徳太子堂 
八王社 日吉神社 肥州高野山 大宝山来迎院阿弥陀寺 日本山妙法寺 等々
いろんな宗教といろんな神霊がからんでいる。
筆者はもともと道君首名公が少彦名神・大國主命を祭祀する天社宮での感応より導かれて
この熊本霊ラインの祭祀に関与することになったので天社宮を中心として祈願しているが
最初のころは日吉大社との縁を強く感じた。
ところが現在霊ライン上において一番強く感じるのは八大龍王神の神威である。
さてこの八大龍王神の実態はいくつもの龍神神霊の習合と考える方が判り易い。

もともとこの独鈷山と麓の池辺寺に悪龍伝説が存在するが
加藤清正公が熊本霊ラインを再構築するに当たって
龍神を祭祀したという伝承はなかなか見つけだせないでいる。
詳細は『加藤清正公と八大龍王神考察』を参照していただきたいが
清正公の側室である本覚院の御廟がある六角堂観音では
八大龍王神は法喜大妙神として祀られている。
今回花岡山の仏舎利塔に参詣しようとして
今まで見落としていた石碑を発見した。

よく見ると右側に驚くべきことが記載されていた。
最近、彫った文字に新しく金彩が施されたので判ったのだが
昭和41年に熊本城内から八大龍王神をこの花岡山に勧請したと記載されている。
熊本城内に八大龍王神が祭祀されている話も初めて聞くが
藤井日達という方がわざわざ花岡山に八大龍王神を勧請したのも驚きだ。
どういう経緯があったのかは知らないが
藤井師の熊本霊ライン感応から始まった神霊界経綸によるもののようにも受け取れる。
考えてみると八大龍王神の神籬として仏舎利塔は最適かもしれない。
空海は天長四年(827)の神泉苑の祈雨においてその池に「仏舎利」を納め、
それを神籬として八大龍王神を呼んでいる。
密教において仏舎利は「摩尼宝珠」あるいは「如意宝珠」としての役割を持っている
八大龍王神を降臨させる神籬としては最適である。


さて熊本霊ラインの守護をしている八大龍王神から警告を受けたが
この警告に関しては次章で伝えたい。


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鎮国寺 護摩堂の龍石 No248

2011-04-08 15:16:29 | 日記
福岡の宗像大社神宮寺の弘法大師空海創建の鎮国寺には何度も足を運んでいるのだが
今回初めて護摩堂に龍石なるものが陳列されているのに気づいた。
『撫でてから願掛け』
それでべたべたと触って写真を撮った。
誰かが筆で書いて焼付けしたものかと思っていた。
その時はそれ以降この石のことを忘れていたが
3月25日に熊本市の健軍神社に震災復興祈願に出向いた時に
鎮国寺の神龍が現れ出た。
啓示を受けたのだが、その時に空に龍石の龍の絵と似た雲が現れた。
たぶん私のブログネタとしてのサービス演出だろうと思う。

見とれているうちに奥の方に流されていき
龍の口と角がつぶれてきてなんだか龍に締りがなくなってはきたが、
最初は胴体のうねりかたが龍石そっくりだった。

帰ってから鎮国寺の写真を調べてみた。
あの龍石はどうも自然に出来た模様ではないかと思う。
もともと龍王の神籬としての役割を果たすようだ。
従って見世物や人が手で触っていいものではない。
しかし珍しいものなので鎮国寺に行かれた方は是非拝観してもらいたい。

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自動車のナンバー88の警告 No247

2011-04-06 14:07:07 | 日記
昨日 ブログ執筆中お昼に外に出たが
15分程度の運転中に88のナンバー2回と123のナンバーを1回見た。
私の場合123は神霊からの警告やメッセージなのだが
888は八大龍王神からの警告メッセージとして受け取っている。
さてこれがどういうメッセージなのかというと
『地震災害復興祈願 志賀海神社にて』のコメントで記載したことをきちんと伝えよということだった。
コメントを読んでいただけるとそれで済むのだが
地元の産土神をきちんと祭祀して欲しいということが趣旨となっている。
もちろん防災は大切でありそれを否定してはいません。
ただ災害にいくら備えてもそれ以上のものが襲うことがあることが今回のことで分かったと思います。
結局のところ原子力爆弾や水爆を使った国際テロには対抗できません。
国防と防災祈願は地元の鎮守様のネットワークで護らねば防げないということです。
宜しければこれを読まれた方は鎮守様への防災祈願を宜しくお願いします。

ちなみに今回の地震では88のメッセージが複数現われています。
『東日本大震災 M8.8世界最大級』
『88ヶ国からの救援』
『加入電話の不通拡大=88万回線』
『児童88人を救った運命の避難階段』
『エレベーター88台で救出完了』
『地震発生時に停止した新幹線は全部で88本』



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被災者の意思と気力と日本人の震災復興の決意は輝いている No246

2011-04-04 22:32:30 | 日記
天災を呪って天に唾しても自分にふりかかるだけだが
復興の強い意思と震災復興の気力が
天界・神霊界にも日本人の倫理的意思として刻みこまれると思っている。
これはとても重要なことであり、これが人類の進む方向を大きく変える
きっかけとなるような気がする。

人類は宗教や信仰を超えて人類の最終意思としての倫理を
天界・神霊界に刻み込むという最終目標をまだ全く成し遂げていない。
地球世界は科学の進歩により情報上や移動時間として小さくなり
その中で生き続けるための制約をどう受け止めどう解決するかが試されている。
例えば人類の生活形態においては、
貧富の差が個人の能力とは別に相続で継承されている。
これは最終的に使う側と使われる側という2極化を生み出し固定されていくように見えるが、
それが思索する人類の最終意思としての倫理であろうか?
狭い地球で人口は60億を超えて無数に増えていくことは不可能であるが
誰がどうやって世界人口をコントロールするのか?
文明は衝突するが、その解決に倫理力は働くか?
イスラム教とキリスト教は十字軍時代より常に衝突しているが
宗教は和して交じり合うことが出来ないものなのか?
つまり生命が持つ本能はものごとの決定において遺伝的な答えをもたらすが
人類はその本能を超えた進化を成し遂げられるかが問われている。
上記のことは人類が倫理的に解決すべき問題であり
それを逃れて運命の流れや場当たり的に解決することを許されていない。
この答えの先にも環境コントロールやエネルギーコントロール 資源コントロールという
有限資源の分配方法を技術力と倫理的思考を調和させながら解決できるかという課題と
開発と自然との調和という課題が残されている。

そういう無数の困難を人類は解決して
天界・神霊界にその倫理を刻み込むということが人類の最終的目標といえる。

人類は信仰に始まり道徳と倫理を学んできたが
それが人類の困難を解決することが出来れば
最終真理として天界・神霊界に刻み込まれ全宇宙に鳴り響くことになる。
それが我々と別の生命の新しい進化形態となる。
人類はここ数千年間その過程にある。
同時に歴史を学びやり方を修正し別の道を歩んでゆくことが出来るかが問われている。
最近よくアセンションということが喧伝されるが
厳密にいうと神霊界から読み取られた話ではない。

人類の発展や人類が生きる目的は伏せられてあくまで人類の意思で
人類が到達した最終倫理が非常によく完成されたものであれば、
どこかの次元の生命遺伝の新デザインとして加えられることになろう。
これはその達成が波動として広がり共鳴する生命の核となるものが
その倫理を内部に取り込むのであるが
このシステムはアカシックレコードと呼ばれている。
我々が成功すればそれを織り込んだものとして次のどこかのパラレルな宇宙の生命は
進化していくのでより苦痛の少ない経路となる。
あるいはそれが我々人類の過去に持ち込まれ我々人類そのものの過去の歴史が
塗り替えられる神業を見ることが出来るのかもしれない。

この地球の現在の次元では、
人類数万年の苦痛の負のエネルギーが神霊界の(たぶん闇の部分の)
発展エネルギーとして使われてきた。
強いものが力で勝ち取ると弱いものは苦痛と恨みの念を発するが
このとんでもないエネルギーはある神霊界を作り上げている。

アセンションでは肉体を脱ぐようなことが喧伝されているが、
アストラル霊は逆に人類が倫理という答えを導き出せれば
それを遺伝子に組み込んで新生命を誕生することになるので
そこに肉を持った存在として生まれかわろうとしている。

もちろん過去には人類として生まれ出て指導した霊もいるのだが
その困難で苦痛が伴う生まれ変わりはリスクが高く
継続的なシステムとして確立しなかったようである。
肉を持つ喜びは欲しいが人類としてのいらぬ苦痛と苦悩を恐れているのである。
その苦痛と苦悩を取り払った世界になら肉を持って降臨したいと願っているようである。

アダムとイブは知恵の実を食べたが故に今の人類文化が生成されたとされるが
知恵の無い状態での楽園生活がアストラル霊の希望という訳ではないらしい。
高度な統制された倫理観を欲している。
肉の無い状態では欲求が薄いために倫理観の構築も容易いが
リアルな我々の(喜怒哀楽と拷問や病気による痛みのある)世界で
アストラル世界と同じ倫理は通用しない。
アストラル霊の時間軸は我々の世界のような構成ではなく
我々が言う時間の方向が同じように流れていないので
その次元にとって無限に続く苦痛を受け入れることは出来ないようにみえる。
それ故に人類として生まれ出たアストラル霊が強力に人類を
指導していくということはまれである。

アセンションは人類が答えを誤った場合の
彼らにとってのコンティンジェンシープランであったようだ。
しかしながら人類が到達する最終倫理に干渉しようとする存在がある。
それが善意なのかどうかは分からない。
準備しろというが何を準備するのか理解できない。
個人レベルの達成度であれば太古のある時代の方がはるかにレベルが高い。
いずれにせよ一般的輪廻(地球上での輪廻)の途上にある人類類魂種にとっては
アセンションなどというものはあまり意味を成さない。
地球に大隕石がぶつかって津波で全人類が死滅するのと同じだ。
では地球はどうなるのかというと
もともと緑の地球・青い地球は動植物の生産活動により
大気を固定してきたのであって
生命との相互作用によりお互いに生かされているのであって
惑星のみの次元上昇では意味を成さない。

私としては人類が寛恕と和と犠牲の精神と感謝の心を倫理観念として
困難に立ち向かい答えを出していく存在となって欲しい。
その可能性を示すことが出来れば
人類に天災は訪れても滅亡の危機は遠のくことになる。

地球・ガイアは人類のゆりかごとして当然に機能することになる。

補足
上記でのべた倫理的意思を刻み込むということについては
説明が必要だが、どう説明しても完全には説明できそうにもない。
例えて言えば
意思を持つ大型コンピューターが全てを決める科学の進化した世界において
そのベースとなるプログラムをどう作るかといった時に
強いもの勝ちで弱いものは淘汰されるという世界とするか
弱者保護の観念を導入するかといった議論で
何が最終的に理想的な世界を構築するプログラムかは一概にいえない。
完全平等で競争が全くない世界が理想という訳ではないわけである。
さらに人類も遺伝情報に左右されるが
再び別の世界で人類が繁栄するとしても同じ道をたどる訳ではない。
もしかするとどの人類でも最後は世界戦争で滅びることになるかもしれない。
しかし文化や科学を発展させながら調和した社会を作り上げることに
成功する事例もあるだろうと思う。
そういう可能性を確率的に秘めている。
その複数のプログラムの中で成功したコンピュータープログラムは非常に価値がある。
そのノウハウともいえるものを抽出して
遺伝情報を操作していけば別の地球で滅びる道を選択する別の人類は減る。
そういう世界であればそこに生まれ変わろうとするアストラル霊は増えて
輪廻は同じ類魂系の輪廻から大きく変わっていく。

その倫理プログラムとして残るものを作り上げることは
人類にとって非常に栄誉なことといえる。

そういう大プロジェクトに人類は関与しているのであって
いよいよ試される時が近づいている。
それゆえに干渉してくる存在がいることも事実である。



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