前回のブログの『飛ぶ鳥を落とす勢い』のコメントで
三岳様より以下のコメントをいただいた。
お久しぶりです (三岳)
2011-07-28 11:50:12
出口王仁三郎の雛形経綸では
封印された國常立神が復活するようですね。
この神が石屋と日本を抱き合わせて
世界平和の礎にするような結末をイメージしているのですが、
これと吉田さまの日本国の完全な蘇りとは
どう繫がるのでしょうか?
宜しければお教えください。
回答を書いていたがかなり長文になったので
せっかくなので記事にしてUPしたい。
王仁三郎の遺した『続・瑞能神歌』や『日月神示』によると
今後起こる二度目の立替はかなり辛いものとなっています。
世界が1つになって日本を潰しにかかることによって
始まる三千世界の大峠とも呼ばれる立替え立直しです。
これは厳格な上にも厳格な艮の金神の采配です。
この予言はキリスト教やイスラム教や仏教の一部における終末思想
とほぼ同じような預言です。
王仁三郎はその後の世界をみろくの世と言っています。
私ごときでは確定した未来は見えませんから
基本的にはそういうことが起こる可能性を否定していません。
肯定もしていません。
ただ私はこの預言に対して身と心を正して待つという姿勢ではいません。
人間であることの本質は回避行動が出来る知恵があるという考えです。
蘇我氏や聖徳太子の抱いた平和のための寛恕と和の理念で
人類に深く根付く選民思想的な終末思想を打破したいと思っています。
ユダヤは強烈な選民思想で貫かれています。
ヒットラーも優生学という選民思想です。
この選民思想の激突は悲劇を生みました。
たくさんの人が死ぬカタストロフィと
その後の平和な世界という終末思想の根底にあるのは
生き残った人は優生であるという選民思想だと感じています。
尊いのは愚かな人であっても学ぶことによって悟りを得ることだと思っています。
この世の中はそういう学習の場であって
神霊界の裁きによって淘汰と恒久の平和が創られる社会にしたくはありません。
人類には本能的に初めから完全な調和など約束されません。
無人島に優秀な選民を1000人連れていき
1000年間生活させた時に理想的な社会が
10世紀30世代連続して続くものでしょうか?
たぶん無理だと私は思います。
どんな理想的な道徳教育や法律を定めても
個々のパーソナリティはばらばらの方向を幸せとして志向するはずです。
例えばどんなに恋愛や欲望を公平になるように処理しても
どうしても不合理は生じていくでしょう。
筆者が受けた神霊啓示では
『神の手の中で』 で示したように
http://reyline.web.fc2.com/kaminote.htm
人々の潜在意識の中にある時はっきりとした上位意識が芽生え
その上位意識を皆それぞれが「我が意識」として捉えて
その意識に本能的に喜んで従うことで調和が図られると考えています。
深催眠で術者に喜んで従う人の本能は
その上位意識のために用意された人類の制御方法のひとつです。
かといって個々のパーソナリティが無視されている訳ではありません。
ホログラムのように上位意識と下位意識は不可分の関係です。
※ホログラムはどんなに細分化しても(例えば、細かく切り刻んだとしても)
光線を当てると被写体の立体的な全体像が浮かび上がります。
その量によって解像度は変わります。
ホログラムにはどんな細かな部分にも三次元の空間の位相情報を内包した
被写体の全情報が均等に記録されていることになります。
ミクロな部分にもマクロの情報が保持されている構造ということです。
このような高度な知能を持った上位意識が芽生えることで
人類は新たな一歩を踏み出すはずです。
問題はその上位意識の人格モラルを人類の意識レベルの総和が決定するということです。
そのために我々人類は魂のレベルを向上させる必要があります。
大本教や日月神示が示唆する世界感とはかなり違います。
王仁三郎はユダヤの強烈な選民思想に彩られた不動の宗教観念と
日本のなんでも水に流し許す柔らかな宗教観念を縦と横に合わせ
新しい理想的な宗教観念とモラルを生み出したいと願ったようですが
私は縦横にせずともそれぞれの上位意識をいくつか生み出し
その人格が高級な理念でもって和合すれば丸く収まるという考えでいます。
宗教的な争いはたぶん消えるでしょう。
我々の生活は見た目はほぼ今までと似た生活に近いとしても
上位意識との干渉により全体の調和が図られて
強烈な憎しみや嫉妬や劣等感や差別意識はかなり薄れると思います。
集合意識的な喜びが主流になるでしょう。
私はこの可能性に賭けた雛形経綸を実践しているのです。
これが父系の艮の金神に対する
母系の水の女神の示すところの道です。
この上位意識がいつ生まれるのかも
人類はこれ以上増え続けてもいいのかなど
私にも分からないことばかりです。
しかし潜在意識に人格が生まれそれが人類を導き
皆が血だけでなく意識を共有した同胞になるという理念が広まれば
寛恕と和と思いやりの観念も同時に広まると思います。
適度な競争や優越感や達成感は個々のパーソナルにも残りうるでしょうし
人類には生活上個々の人間に対する尊い犠牲が必然的に付きまといますが
犠牲となるものも細胞のアポトーシスのようにそれを喜んで受け入れ
また残りのものはそれを十分に感謝する心を持つ社会が実現すれば
醜い生存競争も消え去ることでしょう。
※アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、
個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる
管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死のこと。
例えば指が出来る過程での指の間の細胞死等。
応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。


三岳様より以下のコメントをいただいた。
お久しぶりです (三岳)
2011-07-28 11:50:12
出口王仁三郎の雛形経綸では
封印された國常立神が復活するようですね。
この神が石屋と日本を抱き合わせて
世界平和の礎にするような結末をイメージしているのですが、
これと吉田さまの日本国の完全な蘇りとは
どう繫がるのでしょうか?
宜しければお教えください。
回答を書いていたがかなり長文になったので
せっかくなので記事にしてUPしたい。
王仁三郎の遺した『続・瑞能神歌』や『日月神示』によると
今後起こる二度目の立替はかなり辛いものとなっています。
世界が1つになって日本を潰しにかかることによって
始まる三千世界の大峠とも呼ばれる立替え立直しです。
これは厳格な上にも厳格な艮の金神の采配です。
この予言はキリスト教やイスラム教や仏教の一部における終末思想
とほぼ同じような預言です。
王仁三郎はその後の世界をみろくの世と言っています。
私ごときでは確定した未来は見えませんから
基本的にはそういうことが起こる可能性を否定していません。
肯定もしていません。
ただ私はこの預言に対して身と心を正して待つという姿勢ではいません。
人間であることの本質は回避行動が出来る知恵があるという考えです。
蘇我氏や聖徳太子の抱いた平和のための寛恕と和の理念で
人類に深く根付く選民思想的な終末思想を打破したいと思っています。
ユダヤは強烈な選民思想で貫かれています。
ヒットラーも優生学という選民思想です。
この選民思想の激突は悲劇を生みました。
たくさんの人が死ぬカタストロフィと
その後の平和な世界という終末思想の根底にあるのは
生き残った人は優生であるという選民思想だと感じています。
尊いのは愚かな人であっても学ぶことによって悟りを得ることだと思っています。
この世の中はそういう学習の場であって
神霊界の裁きによって淘汰と恒久の平和が創られる社会にしたくはありません。
人類には本能的に初めから完全な調和など約束されません。
無人島に優秀な選民を1000人連れていき
1000年間生活させた時に理想的な社会が
10世紀30世代連続して続くものでしょうか?
たぶん無理だと私は思います。
どんな理想的な道徳教育や法律を定めても
個々のパーソナリティはばらばらの方向を幸せとして志向するはずです。
例えばどんなに恋愛や欲望を公平になるように処理しても
どうしても不合理は生じていくでしょう。
筆者が受けた神霊啓示では
『神の手の中で』 で示したように
http://reyline.web.fc2.com/kaminote.htm
人々の潜在意識の中にある時はっきりとした上位意識が芽生え
その上位意識を皆それぞれが「我が意識」として捉えて
その意識に本能的に喜んで従うことで調和が図られると考えています。
深催眠で術者に喜んで従う人の本能は
その上位意識のために用意された人類の制御方法のひとつです。
かといって個々のパーソナリティが無視されている訳ではありません。
ホログラムのように上位意識と下位意識は不可分の関係です。
※ホログラムはどんなに細分化しても(例えば、細かく切り刻んだとしても)
光線を当てると被写体の立体的な全体像が浮かび上がります。
その量によって解像度は変わります。
ホログラムにはどんな細かな部分にも三次元の空間の位相情報を内包した
被写体の全情報が均等に記録されていることになります。
ミクロな部分にもマクロの情報が保持されている構造ということです。
このような高度な知能を持った上位意識が芽生えることで
人類は新たな一歩を踏み出すはずです。
問題はその上位意識の人格モラルを人類の意識レベルの総和が決定するということです。
そのために我々人類は魂のレベルを向上させる必要があります。
大本教や日月神示が示唆する世界感とはかなり違います。
王仁三郎はユダヤの強烈な選民思想に彩られた不動の宗教観念と
日本のなんでも水に流し許す柔らかな宗教観念を縦と横に合わせ
新しい理想的な宗教観念とモラルを生み出したいと願ったようですが
私は縦横にせずともそれぞれの上位意識をいくつか生み出し
その人格が高級な理念でもって和合すれば丸く収まるという考えでいます。
宗教的な争いはたぶん消えるでしょう。
我々の生活は見た目はほぼ今までと似た生活に近いとしても
上位意識との干渉により全体の調和が図られて
強烈な憎しみや嫉妬や劣等感や差別意識はかなり薄れると思います。
集合意識的な喜びが主流になるでしょう。
私はこの可能性に賭けた雛形経綸を実践しているのです。
これが父系の艮の金神に対する
母系の水の女神の示すところの道です。
この上位意識がいつ生まれるのかも
人類はこれ以上増え続けてもいいのかなど
私にも分からないことばかりです。
しかし潜在意識に人格が生まれそれが人類を導き
皆が血だけでなく意識を共有した同胞になるという理念が広まれば
寛恕と和と思いやりの観念も同時に広まると思います。
適度な競争や優越感や達成感は個々のパーソナルにも残りうるでしょうし
人類には生活上個々の人間に対する尊い犠牲が必然的に付きまといますが
犠牲となるものも細胞のアポトーシスのようにそれを喜んで受け入れ
また残りのものはそれを十分に感謝する心を持つ社会が実現すれば
醜い生存競争も消え去ることでしょう。
※アポトーシス (apoptosis) とは、多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種で、
個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる
管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死のこと。
例えば指が出来る過程での指の間の細胞死等。
応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。

