母校の濟々黌高校が所有しているらしい広浦装飾古墳の石棺材2枚が
熊本県立美術館装飾古墳室に展示されている。
装飾古墳室HPリンク
広浦古墳の装飾石材の濟々黌第一石には棺身長側石に木製鞘に納められた
大刀と刀子が浮彫されている。
濟々黌第二石は同じく棺身長側石に、革製鞘に入った刀子、円紋、半円紋が浮彫されており、
すべてに柄が表現されている。

この広浦装飾古墳は熊本天草の維和島の南端の岬部分に位置している。
大正七年に建設工事中に発見されたもののそのまま取り壊されてしまった。
当時四面の装飾石材が発見されたらしいが
現在二面は熊本県立美術館にあり残りの一面は京都大学総合博物館が所蔵しているが
残り一面は所在が分からない。
何故かとても気になっていたのだが本日現地を確認してきた。
維和島は天草四郎の母親の実家があり天草四郎の生誕と同じ年に掘られたという
天草四郎産湯の井戸と呼ばれているものが今なお残っている。
この広浦古墳というのはこの維和島の南端の海浜の眺望のいい場所に
大正七年に壊されるまでそのままの状態であった古墳であるが
現在は復元されずに壊されたまま埋め戻しとなっているようである。

維和島と書かれている部分の下側 対岸が長砂連古墳

それほど大きな島ではないので古墳時代にここに住むには
水が不足してかなり困難だったのではないかと思われる。
しかし海神族にとって八代海を見渡せる航海上重要な見晴らしの良い場所に
円墳を設置することには特別な意味があったように思える。
20200717 追記
20200704の球磨川の洪水で八代海に大量の木材やゴミが流れ込んだ。
信じる信じないはともかくすぐにこの考察の甘さと奥行きの無さに
起因するものであることに気づいた。
次のブログ記事『鵲と鳩の警告なのでしょうか?』は滑稽で間抜けであった。
それで再度現地調査して記事を追記することにしたが
感応が鈍くて未だに本質が判っていない。それでも筆を進めたいと思う。
書いているうちにこの事件の本質が見えてくるものと思う。
球磨川河口と広浦装飾古墳と大戸鼻古墳の位置関係
蔵々島の南端の古墳は広浦装飾古墳で大戸の瀬戸(狭戸)を挟んだ
下大戸鼻にある古墳は大戸鼻古墳と呼ばれる。
大戸鼻古墳説明書
MAPで確認すると八代側から大戸の瀬戸と天草2号橋を抜けて東シナ海に臨む直線ラインが
ギリギリ引けることが判った。
その両端が何処と何処に位置するかであるが
ラインから追って八代側は妙見神が渡来したと伝承される古い時代の
球磨川河口の可能性の高い竹原の津跡と仮定した。
「肥後国誌」などでは天武帝白鳳9年(680)の秋に
中国明州(寧波)から妙見神が渡来したとあるが
寧波は上海の南側に位置するのでラインとはかなりずれた位置となる。
ということはラインの反対側は故郷ではなく
ここに古墳を作った海洋民族が恐れ呪詛する場所という事になる。
装飾古墳の図柄に武器が描かれていることからも想像出来る。
長江流域から避難して日本に住み着いた呉系姫氏らが恐れる黄河流域の大都市といえば
洛陽とか西都長安などが頭に浮かぶ。
とりあえず現在の西安(長安)あたりから八代の竹原神社に線を引いてみた。
まずまずなのでラインを最初の東シナ海までの直線ラインに一致するように少し補正したのが
以下のラインとなる。
西安市の中心点から南側に数キロズレてはいるが市内を通過している。
地図上の誤差範囲といえよう。

このラインの天草側拡大図は以下の通り。

2号橋の間をラインは通り抜けている。
現在蔵々島の南端と下大戸鼻には西日本一の高さを誇る九電鉄塔が立ち目印となっている。
下大戸鼻側
蔵々島南端側
現代においてこのラインがどういう意味を持つのか図りかねるが
まだ機能するラインなのかもしれない。
※現在の状況 八代側からこのラインを見てみないことには
このラインの真意が汲み取れないかも!
20200718 追記
寝ていて叩き起こされた。
斎姬山門五音大神の日本国に対する国防神としての
機能に対する私の無理解を御神霊に咎められたのである。
まず昨日上記追記の投稿後すぐに熊本市でM3.8の地震が起こり
震度3であったのだが追記の記事は取り消さなかった。

震源の北緯32.8度、東経130.7度というのは
熊本霊ライン上(立田山断層がらみ)でおおよその位置は熊本城近傍となる。

この立田山断層による地震についてのブログ記事はいくつか書いたように思うが
検索では『熊本霊ラインと熊本大災害 問題提議篇 No264』
『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』がヒットした。
この熊本霊ライン上の地震がブログ記載後すぐに起こったことは
要注意の警告という事であるが地震の際にも特に閃くものは無かった。
叩き起こされた後に理解したことをさらに追記しておく。

斎姬山門五音大神の日本国の国防神としての機能として
中国の「一帯一路」の覇権に対しての牽制であったという事である。
現在の西安(長安)はシルクロードのスタート地点であり
現在の中国共産党独裁の「一帯一路」構想の
スタート地点となる重要拠点であるらしい。
この中国共産党の「一帯一路」覇権は必ず世界の脅威となる。
この覇権の芽が潰されたと思ってよい。
熊本県立美術館装飾古墳室に展示されている。
装飾古墳室HPリンク
広浦古墳の装飾石材の濟々黌第一石には棺身長側石に木製鞘に納められた
大刀と刀子が浮彫されている。
濟々黌第二石は同じく棺身長側石に、革製鞘に入った刀子、円紋、半円紋が浮彫されており、
すべてに柄が表現されている。


この広浦装飾古墳は熊本天草の維和島の南端の岬部分に位置している。
大正七年に建設工事中に発見されたもののそのまま取り壊されてしまった。
当時四面の装飾石材が発見されたらしいが
現在二面は熊本県立美術館にあり残りの一面は京都大学総合博物館が所蔵しているが
残り一面は所在が分からない。
何故かとても気になっていたのだが本日現地を確認してきた。
維和島は天草四郎の母親の実家があり天草四郎の生誕と同じ年に掘られたという
天草四郎産湯の井戸と呼ばれているものが今なお残っている。
この広浦古墳というのはこの維和島の南端の海浜の眺望のいい場所に
大正七年に壊されるまでそのままの状態であった古墳であるが
現在は復元されずに壊されたまま埋め戻しとなっているようである。



それほど大きな島ではないので古墳時代にここに住むには
水が不足してかなり困難だったのではないかと思われる。
しかし海神族にとって八代海を見渡せる航海上重要な見晴らしの良い場所に
円墳を設置することには特別な意味があったように思える。
20200717 追記
20200704の球磨川の洪水で八代海に大量の木材やゴミが流れ込んだ。
信じる信じないはともかくすぐにこの考察の甘さと奥行きの無さに
起因するものであることに気づいた。
次のブログ記事『鵲と鳩の警告なのでしょうか?』は滑稽で間抜けであった。
それで再度現地調査して記事を追記することにしたが
感応が鈍くて未だに本質が判っていない。それでも筆を進めたいと思う。
書いているうちにこの事件の本質が見えてくるものと思う。

蔵々島の南端の古墳は広浦装飾古墳で大戸の瀬戸(狭戸)を挟んだ
下大戸鼻にある古墳は大戸鼻古墳と呼ばれる。

MAPで確認すると八代側から大戸の瀬戸と天草2号橋を抜けて東シナ海に臨む直線ラインが
ギリギリ引けることが判った。
その両端が何処と何処に位置するかであるが
ラインから追って八代側は妙見神が渡来したと伝承される古い時代の
球磨川河口の可能性の高い竹原の津跡と仮定した。
「肥後国誌」などでは天武帝白鳳9年(680)の秋に
中国明州(寧波)から妙見神が渡来したとあるが
寧波は上海の南側に位置するのでラインとはかなりずれた位置となる。
ということはラインの反対側は故郷ではなく
ここに古墳を作った海洋民族が恐れ呪詛する場所という事になる。
装飾古墳の図柄に武器が描かれていることからも想像出来る。
長江流域から避難して日本に住み着いた呉系姫氏らが恐れる黄河流域の大都市といえば
洛陽とか西都長安などが頭に浮かぶ。
とりあえず現在の西安(長安)あたりから八代の竹原神社に線を引いてみた。
まずまずなのでラインを最初の東シナ海までの直線ラインに一致するように少し補正したのが
以下のラインとなる。
西安市の中心点から南側に数キロズレてはいるが市内を通過している。
地図上の誤差範囲といえよう。

このラインの天草側拡大図は以下の通り。



2号橋の間をラインは通り抜けている。


現在蔵々島の南端と下大戸鼻には西日本一の高さを誇る九電鉄塔が立ち目印となっている。




現代においてこのラインがどういう意味を持つのか図りかねるが
まだ機能するラインなのかもしれない。
※現在の状況 八代側からこのラインを見てみないことには
このラインの真意が汲み取れないかも!
20200718 追記
寝ていて叩き起こされた。
斎姬山門五音大神の日本国に対する国防神としての
機能に対する私の無理解を御神霊に咎められたのである。
まず昨日上記追記の投稿後すぐに熊本市でM3.8の地震が起こり
震度3であったのだが追記の記事は取り消さなかった。

震源の北緯32.8度、東経130.7度というのは
熊本霊ライン上(立田山断層がらみ)でおおよその位置は熊本城近傍となる。

この立田山断層による地震についてのブログ記事はいくつか書いたように思うが
検索では『熊本霊ラインと熊本大災害 問題提議篇 No264』
『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』がヒットした。
この熊本霊ライン上の地震がブログ記載後すぐに起こったことは
要注意の警告という事であるが地震の際にも特に閃くものは無かった。
叩き起こされた後に理解したことをさらに追記しておく。

斎姬山門五音大神の日本国の国防神としての機能として
中国の「一帯一路」の覇権に対しての牽制であったという事である。
現在の西安(長安)はシルクロードのスタート地点であり
現在の中国共産党独裁の「一帯一路」構想の
スタート地点となる重要拠点であるらしい。
この中国共産党の「一帯一路」覇権は必ず世界の脅威となる。
この覇権の芽が潰されたと思ってよい。