神功皇后が三韓征伐に用いた旗が城南宮「三光の御神紋」や
真幡寸神社 藤森神社に伝承として残るが
この原点は福岡県宗像市鐘崎の織幡神社である。
『宗像大菩薩御縁起』によれば、神功皇后の三韓征伐の際に、
宗像大社の神が「御手長」という旗竿に
武内宿禰の織った紅白2本の旗をつけて戦い最後にはそれを沖ノ島に立てた。
そして武内宿禰の神霊が垂迹した際に
その神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座した。
名は武内宿禰が旗を織ったことから「織旗(織幡)」としたとする。
宮中で,即位・儀式などの際に立てた旗のことを
纛旗=とうばんと呼ぶ。

日像纛旛や月像纛旛が使われている。
中国で皂纛旛などと呼ばれる旛からの派生であるようだ。
だとすると三光の紋の初点は周の姫氏系か呉の姫氏系の旗になる可能性が高い。
皁纛旗で検索すると以下の中国道教系皁纛旗図柄を見つけた。
『孝華君道教百科資訊網』

日月星の三光の紋の原点となる可能性がある。
問題は周由来の呉系姫氏の三光旗が見つかるかという事だ。
残念ながらそれ以降の進展は今のところ無い。
※調査で見つけた中国の三光の例 (時代不明)

天地日月星辰鏡
宋日月星辰八卦紋銅串鈴


真幡寸神社 藤森神社に伝承として残るが
この原点は福岡県宗像市鐘崎の織幡神社である。
『宗像大菩薩御縁起』によれば、神功皇后の三韓征伐の際に、
宗像大社の神が「御手長」という旗竿に
武内宿禰の織った紅白2本の旗をつけて戦い最後にはそれを沖ノ島に立てた。
そして武内宿禰の神霊が垂迹した際に
その神霊は異賊の襲来する海路を守護するため海辺に鎮座した。
名は武内宿禰が旗を織ったことから「織旗(織幡)」としたとする。
宮中で,即位・儀式などの際に立てた旗のことを
纛旗=とうばんと呼ぶ。


日像纛旛や月像纛旛が使われている。
中国で皂纛旛などと呼ばれる旛からの派生であるようだ。
だとすると三光の紋の初点は周の姫氏系か呉の姫氏系の旗になる可能性が高い。
皁纛旗で検索すると以下の中国道教系皁纛旗図柄を見つけた。
『孝華君道教百科資訊網』


日月星の三光の紋の原点となる可能性がある。
問題は周由来の呉系姫氏の三光旗が見つかるかという事だ。
残念ながらそれ以降の進展は今のところ無い。
※調査で見つけた中国の三光の例 (時代不明)





