面識は無いのだが梓ちかほさんという方が『神秘な夢の扉』という本を出されている。
彼女は長野県の川上村で農協のアルバイトをしていたときに
姫宮様という神霊が降りてきて
その女神を祭祀するためにその地に移り住んだという人だ。
この本のP161にはその神霊は「みんや」という名前で
遠い昔に中国のチベットから日本に渡ってきたということが記載されている。
この本の初版は2007年10月でこの経験は1993年の6月となっている。




ところでこの本について解説しておられるブログがある。
『カムナガラ 神道霊学の基礎知識』という題のブログだ。
『姫宮様の里から宇宙へ 油井宇宙飛行士の故郷・長野県川上村の伝説』
この解説によると「みんや」という姫宮様について別途調査の結果
三国山に葬られたとされる国之常立天皇の皇后でアジチ姫というように記載されている。
確かに中国のことを竹内文書ではアジチと呼んでいるようだ。
ここで国常立尊が高天原山に結び付けられたようだ。

しかしどうもこの伝承が筆者には国常立尊ではなく
呉音霊と繋がる伝説に感じられる。
国常立尊は特に大本教で祭祀され
さらに伝説化さた御神霊なので私の出る幕はないが、
大本教では国常立尊は北海道の芦別岳に封印され
姫神の豊雲野尊は鹿児島県の喜界島の宮原山に封印されたとしている。
国常立尊は天地開闢のとき現れた第一神であり国土生成の中心的神とされる。
1892年に大本教開祖の出口なおに艮の金神が帰神する。
当時出口なおが信心していた香取源七が創始した金光教の金神信仰がベースにある。
それを大本教の出口王仁三郎師が艮の金神は祟り神などではなく
偉大なる根源神の国常立尊と審神して
国常立尊の封印解放の御神業を執り行っている。
従って国常立尊の封印物語は大本教によって創出され
大本神諭の公開で広まったという事になる。
そして出口なおの金神の御筆先は
岡本天明の日月神示に受け継がれたとされている。
大本教以降、次々と派生する神道系の信仰において
封印された御神霊を表に出すという役割が与えられ
大教団あるいは小人数の団体により
あっちでもこっちでも封印開封の神業というものが
執り行われている。
このブログでも古代神を封印開封した藤田妃見子のことなどを
『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178』等で記事にしているが
本来、封印開封すればその地を聖地としてアフターフォーローしていかねばならない。
そういう意味で前出の梓ちかほさんのように
封印開封の神業を行ったらその地を聖地としてそこを離れない姿勢には
好感が持てる。
さて『神秘な夢の扉』でP148~P149に川上村誌記載の村の伝説が記載されているが
この地域が梓山と呼ばれる地域で、高天原という山があり
ここで戦いがあったという伝説が残る。
どこにも国常立尊の名前は出てこない。
そして姫については盤古神の后ということが記載されている。
この盤古神は中国の御神霊で角がある人である。

筆者は盤古神と日本の呉音霊との繋がりを探っていたのだが
今のところそれらしきものは川上村誌記載の伝説しか見つけていない。
ところがこの川上村の梓山地域というと
1985年8月12日のJAL123の墜落事故の話を避けて通れなくなってしまう。
梓山という地域は住所でいえば長野県南佐久郡川上村梓山となる。

赤色の地域が梓山地域
地図で分かるように金峰山神社があり蔵王権現が祭祀されている。
盤古神の封印と蔵王権現祭祀との関係が大切である。
これが普賢菩薩であればより強固で何も漏れてはこない。
ところで霊能者を謳う田村珠芳女史が書いた本にも
この川上村の話が出てくる。

ここでは高天原の神社の御神体が国常立尊と記載されている。
この本が書かれたのは2011年10月となっている。
結局のところここにも記載されているが
都市伝説とでもいえる520体の石仏にまつわる国常立尊蘇りの伝承のきっかけは
先ほど紹介したブログに経緯が紹介されているところの記事にある
『超古代史に詳しい世田谷区の幼稚園の園長先生に協力を依頼いたしました。
すると暫らくしてその先生から連絡があり、
竹内文書を丹念に調べてみると、国之常立天皇の御代に、
「サヨノ(長野県の古名)、チクマノ、三獄山に葬る」
という記述を発見出来たということでした。』
の話をきっかけとして話が広まっていることが解る。
高天原山の石仏を520体と誰が数えたのかということも
520にどういう意味があるのかということも解らない。
写真の出どころも怪しい。

ただ石仏の520体という数には心当たりがある。
目黒区 大圓寺の石仏群が520体なのだ。
釈迦三尊像 3体、十大弟子像 10体、十六羅漢像 16体、五百羅漢像491体
上記写真を見る限りはもし高天原山に石仏があったとしても
あれだけ壊れていると石仏の数を520と数えるのは困難と言える。
ところで中国においては520という数字が携帯でメールをするようになってから
急に使われ出した。
それがこの都市伝説と似たような時期にあたるのが興味深い。
中国においてメールで使われる520は'我爱你'(貴方を愛してる)という意味となる。
盤古神について大本教の霊界物語には以下のような解説がある。
『国祖国常立尊が隠退された後、地上神界の主宰神となるのが盤古大神です。
この神は今の中国北部に降りた神といわれています。
盤古大神は地上神界を国祖に代わって治めることになりますが思うように行きません。
そこで天の祖神がまた国常立大神の御復権を要請されます。
盤古大神はもともとは悪い神様ではありませんので、
国祖が復権されたときはそういう時節がやって来たことを悟ります。
ところが国常立大神が復権された際に改心できていないものの邪気が凝り固まります。
そして三つの邪悪が生まれました。
印度の地で生まれた邪気は「金毛九尾」といい女性に憑依します。
ウラルの地で生まれたのは「八岐大蛇」
ユダヤの地で生まれたのは「六面八臂の邪鬼」です。』
霊界物語で盤古大神は国祖国常立尊を退陣させて
その後体主霊従の政策であったとあるが
悪くは書かれていないところが呉音霊の意志を感じさせる。
※実はあの写真の出どころは
山梨県南都留郡富士河口湖町の三つ峠にある別の御巣鷹山の八十八大師の写真と思われる。
『三つ峠 2003.4.18』

人のブログネタにチャチャを入れるのは本意ではないのだが
私の背後の御神霊からの御指示でもう少し詳細を記載することにした。
長野の御巣鷹山から北北東に53km程度のところになるが
自分にとっては88という数字が真実を解き明かすカギとなったことが重要となっている。
※20170820 注記
上記文章で「この本のP161にはその神霊は「みんや」という名前で
遠い昔に中国のチベットから日本に渡ってきたということが記載されている。」
と記載しているが、読み返していてなぜチベットを「中国の」と書いたのか疑問に思った。
著作を読み返してみたが中国という言葉は無くチベットとのみ書かれていた。
ということは自分が中国という言葉を追加したことになるが
それに意味があるという前提で調べてみると
紀元前後のチベットの民族は羌氏系であった可能性が高い。
この羌氏系というのは炎帝神農の姜氏であり蚩尤の裔という伝承がある。
また長江は青海省のチベット高原を水源地域として上海に流れ込んでいる。
従って長江を下り日本に到達した蚩尤の裔というのはあり得る話に感じられる。

20151205追記
JAL123便については数々の疑問があるのだが
亡くなったとされる男の子の写真が気になっている。

最初の写真では何かを左手に掴んでいる。
ところが二枚目の写真ではそれを放している。
これはいったい何なのなのだろう。
写真を二枚交互に何度も見比べると
この子供があるものを落としたために
子供の視線も自衛隊員の視線も落とした方向に
向かっていることが解る。

あぁ この子はこの時まで生きていたんだ。
しかも左足は靴が脱げているが靴下が足型に汚れているのが判る。
つまり墜落後に生きていて歩き回ったと推察できる。
そして何かを見つけ左手に持っていたのであろう。
参考:神流川(かんながわ)発電所



御巣鷹山の導水路調圧水槽の穴

気になる南相木ダム発起点の渦巻き
![]() | 神秘な夢の扉 |
梓ちかほ | |
女神の会 |
彼女は長野県の川上村で農協のアルバイトをしていたときに
姫宮様という神霊が降りてきて
その女神を祭祀するためにその地に移り住んだという人だ。
この本のP161にはその神霊は「みんや」という名前で
遠い昔に中国のチベットから日本に渡ってきたということが記載されている。
この本の初版は2007年10月でこの経験は1993年の6月となっている。




ところでこの本について解説しておられるブログがある。
『カムナガラ 神道霊学の基礎知識』という題のブログだ。
『姫宮様の里から宇宙へ 油井宇宙飛行士の故郷・長野県川上村の伝説』
この解説によると「みんや」という姫宮様について別途調査の結果
三国山に葬られたとされる国之常立天皇の皇后でアジチ姫というように記載されている。
確かに中国のことを竹内文書ではアジチと呼んでいるようだ。
ここで国常立尊が高天原山に結び付けられたようだ。

しかしどうもこの伝承が筆者には国常立尊ではなく
呉音霊と繋がる伝説に感じられる。
国常立尊は特に大本教で祭祀され
さらに伝説化さた御神霊なので私の出る幕はないが、
大本教では国常立尊は北海道の芦別岳に封印され
姫神の豊雲野尊は鹿児島県の喜界島の宮原山に封印されたとしている。
国常立尊は天地開闢のとき現れた第一神であり国土生成の中心的神とされる。
1892年に大本教開祖の出口なおに艮の金神が帰神する。
当時出口なおが信心していた香取源七が創始した金光教の金神信仰がベースにある。
それを大本教の出口王仁三郎師が艮の金神は祟り神などではなく
偉大なる根源神の国常立尊と審神して
国常立尊の封印解放の御神業を執り行っている。
従って国常立尊の封印物語は大本教によって創出され
大本神諭の公開で広まったという事になる。
そして出口なおの金神の御筆先は
岡本天明の日月神示に受け継がれたとされている。
大本教以降、次々と派生する神道系の信仰において
封印された御神霊を表に出すという役割が与えられ
大教団あるいは小人数の団体により
あっちでもこっちでも封印開封の神業というものが
執り行われている。
このブログでも古代神を封印開封した藤田妃見子のことなどを
『弓梓弓と水の女神 断片集⑦ No178』等で記事にしているが
本来、封印開封すればその地を聖地としてアフターフォーローしていかねばならない。
そういう意味で前出の梓ちかほさんのように
封印開封の神業を行ったらその地を聖地としてそこを離れない姿勢には
好感が持てる。
さて『神秘な夢の扉』でP148~P149に川上村誌記載の村の伝説が記載されているが
この地域が梓山と呼ばれる地域で、高天原という山があり
ここで戦いがあったという伝説が残る。
どこにも国常立尊の名前は出てこない。
そして姫については盤古神の后ということが記載されている。
この盤古神は中国の御神霊で角がある人である。

筆者は盤古神と日本の呉音霊との繋がりを探っていたのだが
今のところそれらしきものは川上村誌記載の伝説しか見つけていない。
ところがこの川上村の梓山地域というと
1985年8月12日のJAL123の墜落事故の話を避けて通れなくなってしまう。
梓山という地域は住所でいえば長野県南佐久郡川上村梓山となる。

赤色の地域が梓山地域
地図で分かるように金峰山神社があり蔵王権現が祭祀されている。
盤古神の封印と蔵王権現祭祀との関係が大切である。
これが普賢菩薩であればより強固で何も漏れてはこない。
ところで霊能者を謳う田村珠芳女史が書いた本にも
この川上村の話が出てくる。

ここでは高天原の神社の御神体が国常立尊と記載されている。
この本が書かれたのは2011年10月となっている。
結局のところここにも記載されているが
都市伝説とでもいえる520体の石仏にまつわる国常立尊蘇りの伝承のきっかけは
先ほど紹介したブログに経緯が紹介されているところの記事にある
『超古代史に詳しい世田谷区の幼稚園の園長先生に協力を依頼いたしました。
すると暫らくしてその先生から連絡があり、
竹内文書を丹念に調べてみると、国之常立天皇の御代に、
「サヨノ(長野県の古名)、チクマノ、三獄山に葬る」
という記述を発見出来たということでした。』
の話をきっかけとして話が広まっていることが解る。
高天原山の石仏を520体と誰が数えたのかということも
520にどういう意味があるのかということも解らない。
写真の出どころも怪しい。

ただ石仏の520体という数には心当たりがある。
目黒区 大圓寺の石仏群が520体なのだ。
釈迦三尊像 3体、十大弟子像 10体、十六羅漢像 16体、五百羅漢像491体
上記写真を見る限りはもし高天原山に石仏があったとしても
あれだけ壊れていると石仏の数を520と数えるのは困難と言える。
ところで中国においては520という数字が携帯でメールをするようになってから
急に使われ出した。
それがこの都市伝説と似たような時期にあたるのが興味深い。
中国においてメールで使われる520は'我爱你'(貴方を愛してる)という意味となる。
盤古神について大本教の霊界物語には以下のような解説がある。
『国祖国常立尊が隠退された後、地上神界の主宰神となるのが盤古大神です。
この神は今の中国北部に降りた神といわれています。
盤古大神は地上神界を国祖に代わって治めることになりますが思うように行きません。
そこで天の祖神がまた国常立大神の御復権を要請されます。
盤古大神はもともとは悪い神様ではありませんので、
国祖が復権されたときはそういう時節がやって来たことを悟ります。
ところが国常立大神が復権された際に改心できていないものの邪気が凝り固まります。
そして三つの邪悪が生まれました。
印度の地で生まれた邪気は「金毛九尾」といい女性に憑依します。
ウラルの地で生まれたのは「八岐大蛇」
ユダヤの地で生まれたのは「六面八臂の邪鬼」です。』
霊界物語で盤古大神は国祖国常立尊を退陣させて
その後体主霊従の政策であったとあるが
悪くは書かれていないところが呉音霊の意志を感じさせる。
※実はあの写真の出どころは
山梨県南都留郡富士河口湖町の三つ峠にある別の御巣鷹山の八十八大師の写真と思われる。
『三つ峠 2003.4.18』

人のブログネタにチャチャを入れるのは本意ではないのだが
私の背後の御神霊からの御指示でもう少し詳細を記載することにした。
長野の御巣鷹山から北北東に53km程度のところになるが
自分にとっては88という数字が真実を解き明かすカギとなったことが重要となっている。
※20170820 注記
上記文章で「この本のP161にはその神霊は「みんや」という名前で
遠い昔に中国のチベットから日本に渡ってきたということが記載されている。」
と記載しているが、読み返していてなぜチベットを「中国の」と書いたのか疑問に思った。
著作を読み返してみたが中国という言葉は無くチベットとのみ書かれていた。
ということは自分が中国という言葉を追加したことになるが
それに意味があるという前提で調べてみると
紀元前後のチベットの民族は羌氏系であった可能性が高い。
この羌氏系というのは炎帝神農の姜氏であり蚩尤の裔という伝承がある。
また長江は青海省のチベット高原を水源地域として上海に流れ込んでいる。
従って長江を下り日本に到達した蚩尤の裔というのはあり得る話に感じられる。

20151205追記
JAL123便については数々の疑問があるのだが
亡くなったとされる男の子の写真が気になっている。



最初の写真では何かを左手に掴んでいる。
ところが二枚目の写真ではそれを放している。
これはいったい何なのなのだろう。
写真を二枚交互に何度も見比べると
この子供があるものを落としたために
子供の視線も自衛隊員の視線も落とした方向に
向かっていることが解る。

あぁ この子はこの時まで生きていたんだ。
しかも左足は靴が脱げているが靴下が足型に汚れているのが判る。
つまり墜落後に生きていて歩き回ったと推察できる。
そして何かを見つけ左手に持っていたのであろう。
参考:神流川(かんながわ)発電所







